精神障害者とよりそうボランティアの心がまえについて
本日は神戸女学院の富永啓子さんを講師に、池田保健所のバックアップをいただき、
精神障害者のボランティアとしての関わり方についての話を伺いました。
療養中の患者や、クリニックに通っている人、作業所で社会復帰を目指している人、うつで悩んでいる人や、あるいは自分が病気であるという自覚のない人まで、心のケアを必要とする人は巷に溢れています。こころの会では、前者の療養中や社会復帰をめざす方々と寄り添いながらボランティア活動をしていますが、メンバーは医師やケースワーカーではないので、対処のしかたで戸惑ったり、悩んだりすることもめずらしくありません。
この日は、医師はたくさんの患者と接するために、気長に時間をかけて当事者と付き合うことが難しく、日ごろから長期的に接することができるボランティアの存在は貴重である、という話がありました。
医療の現場には個別の苦労があり、ボランティアの存在が必ずしも重宝されているわけではありませんが、今後さらにうまく連携をはかり、当事者の回復に役立つ体制ができる可能性を感じました。
人の話をじっくり聞く、という行為は得て不得手があるように思います。
また先日、「人の話を最後まできくことができない、というのも発達生涯の一つ」という講演を聴きましたが、人と接しているなかで「もしかして統合失調症?」というケースがあっても、素人が診断することは不可能です。10人いたら10通りの接し方があるわけで、普通に接していてもその接し方がはたしてよいのかどうか、わかりません。
一番印象的だったのは、安芸市の「めだかの学校」について。
同市では健康ふれあいセンター「元気館」を健康文化都市の拠点として位置づけ、医療と健康増進、地域交流をつなぐ場としています。「めだかの学校」は市民の居場所として社会参加、自立支援をおこない、職員が市民一人ひとりの特技・特性を生かしボランティアをうまくコーディネイトしているそうです。
年間約1万人が訪れる、とのこと。グループワークなどが自然発生的に行われ市民を巻き込んでふれあいの場となっているそうです。
行政にこういうものを作りたい、というと「小さな自治体、田舎だからできること」という回答が返ってくることがよくありますが、これからは地域で力を持っている人、人々のやりたいことを引き出すことが課題のひとつではないかと思います。箕面での可能性についても引き続き模索していきたいと思います。
この日、午前中は東生涯学習センターで開催された「教育委員会委員との意見交換会」に参加。
あいにくのお天気も影響したのか、4回の開催のなかで最も参加者が少ない会でした。
もっとも平日・午前中の開催という枠組みにも問題がありますので、今後、考慮していただきたいと思います。
☆昨日、職員さんからブログの誤字脱字について指摘をいただき、直近のものに訂正を加えました。書きっぱなしはいけない、とあらためて反省。