我慢していませんか? | ともみと髭マンとガガ

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癒し絵心理セラピストの、ともみです。


『我慢』していませんか?


最近よく聞くのが、


「自分の気持ちを表に出しちゃ駄目だから」

「負の感情を感じることはよくない事だから」

「言い争いたくないから」


と、自分自身の感情を抑えてずっと『我慢』しているというお話。


我慢強いのは素晴らしいことのようだけど。


感情を『我慢』し続けていると、どこかでそれを解き放とうとするので、身体に異変が起きたりすることもあります。


または、


『我慢』している根本原因と向き合えないまま、他の行動で発散させることもありますよね。暴飲暴食や、自分を痛めつける行為や、快楽に溺れるなど。


そこまでいかずとも、『我慢』してるとイライラしちゃいますよね。




そもそも

『我慢』って、なんでしょう?




我慢は、仏教語で七慢のひとつ。


サンスクリット語「mana(マーナ)」の漢訳。


仏教で「慢」は、思い上がりの心をいいます。


その心理状態を七つに分けたものが「七慢」です。


その中の「我慢」は、自分に執着することから起こる慢心を意味します。


「高慢」「驕り」「自惚れ」などと同義語でした。


そこから意味が転じ、我慢は「我を張る」「強情」などの意味で使われるようになりました。


さらに、強情な態度は人に弱みを見せまいと耐え忍ぶ姿に見えるため、


近世後期頃から、現在使われている我慢の意味となりました。



本質って同じなんですよね。


「高慢」「驕り」「自惚れ」などと同じ。


自分が正しいと思ってる状態。


相手が間違っているのに(と決めつけて)、私は『我慢』してやっている。と思っている。


内心では相手を責め続けているから、苦しいし、ストレスフル。



ちょっとドキッとしませんか?


私は、しました。


子育て中は特に、こちらが我慢するか相手に我慢させるかみたいになりがちです。


でも本質を知れば、ああ確かに。


「私が正しいんだ!」そんな気持ちになってしまう時、『我慢』してる。


⭐︎


先日、こんなことがありました。



2歳の娘が靴下を片方だけ上手く履けなくて「ママはかせてー」と言ってきたんだけど、


私が「片方できたんだからできるよ、やってごらん」と言っても、履こうとしない。


それどころか、履けていたほうも脱いでしまった。


そこでやっぱり我慢比べみたいになっちゃったんです。


私「やってごらん!」(何回言ったか)


娘(はかせてくれないなら、はかない)



結局ね、娘の足が冷た〜くなってて私が履かせちゃったんですけど。


子どもは風の子だから、べつに履かせなくても良かったし。


最初にさくっと「じゃあ一緒にはこうね」って言って履かせたってよかったの。


つまり、何も『我慢』する必要が無かったん。


「やってごらん!」と言ってる間、私が考えていたことは


——————

甘えようとしてるだけでしょ。

出来ることを自分でやろうとしないなんてダメ。

履かせてやりたいけど、我慢。

ギャーギャー煩いのも、我慢。

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つまり、


私の考えは正しくてあなたは間違ってる!と思っていて、内心とてもイライラしてました。


もしも、


『我慢』という気持ちではなく、


『観察』『見守り』だったらお互い心地よかったのよね。



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自分でやろうとする力を育むために、私はいつまでも見守っているからね。


Or


上手な履き方を見せるから、一緒にやってみよう。

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そんな穏やかな気持ちなら、ストレスにならなかったのだと反省してます。


私って強情なところある。


そして、娘も受け継いでるなーって。笑


なので、


『我慢』は、ほどほどにしよう。



⭐︎



間違い、失敗はたくさんあります。


そのたびに内省して改善。


こうして、そのとき感じた【感情を解放】してあげられるとスッキリします。


改善点も見つけやすくなりますし。


「話し合い」が出来たらいちばん良いんだけど。


「書いて文章にする」というのも、いいです。


それでも、どうしても言語化できない感情ってありますよね。


そういう時は、


「絵で表現する」のもおすすめですよ。


絵というか、なぐり書きでもいい。


色や形で「感情を目に見える形」にして。


それで解放されることもあります。



感情に翻弄されている時って120%主観だから、それを「目に見える形」にすると「客観視」できます。


「外側からの視点」で見ようとしてみるって大切なんですよ。