Wonderful World -3ページ目

恋文は手紙で

 最近の出来事。月刊弘前の編集者が筆ペンで眉間にしわを寄せ、なにやら書いている。「どうしたの?」っと聞くと久しぶりの直筆手紙で、しかも合ったことのない人に書く手紙だという。実は月刊弘前に連載しているMさんが怪我で入院したので手紙を書いていたのだ。Mさんは「手と頭はなんともないから」と言って原稿は病室で書いたのだろうか原稿用紙に手書きで書いて贈ってきた。

 僕なんか生まれてこの方、手紙など書いたことがない。メール文化のお陰で雛形ビジネス文章を書く程度だ。はじめてあ合った人にも数時間後にはお礼のメールが届いたり、送ったりするのが常になっている。しかし世のなか効率化ばかり求めてモニター越しにメールを読んでもリアリティが感じられないのも事実である。

 たとえば恋文ならメールで貰うより手紙のほうが効果抜群ではなかろうか。現代だからこそ手紙に価値がある。あの、ポストに郵便物が入っていないか確かめるドキドキ感。封筒から取りだし三つ折りされた便箋を開いて紙という物質を肌で感じとる瞬間。肉筆による文字の重みに特別な思いを寄せる。アナログだからこそ手紙には人生の喜怒哀楽がある。なんて青春なんだ…と書いたこともない僕が妄想するのである。

 きっと今はメールで告白するのがあたり前なんだろうなと察する。異性に積極的になれない草食系には打って付けの媒体だ。僕はどちらかというと中高校生のとき携帯電話がなかったので恥ずかしながら顔を合わせてクサイ台詞をドラマで勉強し告白したもんだ。当時、手紙という手段など僕の頭には思い浮かばなかった。電話をするにも自宅にかけるしかない。父親がでれば緊張してよく噛んだものだ。

 コミュニケーション手段が多様化してしまった草食系男子は顔も見えない萌え系のお嬢様に恋をする時代だ。ストーキングする変態が増えたのは仕方のないことかも知れない。むかしのように手段を選べなかった時代の先人達は思想を巡らせ文体を創った。そして文字だけで落としたのだ。そう、手紙には人の心動かす五感を刺激する要素が詰め込まれているのだ。

 

舘ひろしの禁煙ポスター

 たばこ税率引き上げまであと二日となった今日はタバコの歴史を振り返ってみたいと思う。というのも実は先週末から禁煙をしているのだ。今回なぜ禁煙を試みたかというと理由は山ほどある。

 まず、僕が知る上でタバコ税アップはここ20数年で3度は変更している。マイルドセブンが200円ほどで買えた時代だ。税率が上がるときには「やめようかな?」など仄めかすものの、さほど代わり映えしない金額に強烈なカウンターパンチが入るわけでもなく、地味なボディーブローに効き目を感じなかったのである。が、今回の値上げは脇腹にズシリと重く入った。

 税率が上がるたびに「タバコをやめれば年間幾ら浮く」「タバコをやめれば時間がつくれる」「健康体になり寿命が延びる」など考える自体が意志の弱さを物語っている。勿論タバコをやめれば良いことずくしなのだが、僕の胸中で蠢く、白い天使と黒い悪魔が耳元でつぶやくのである。人は弱い生き物だねって悪魔の棒で突っつかれ、都合の良いことを言い続けてきた結果がいまだ。

 先日、小学校の同級生と飲む機会があった。横浜から来た彼女はタバコを吸わないのだが、酒の席で周りが吸っていても気にならないという。本当だろうか。自分が吸わないことを想定すれば僕だったらその場にいたくないと思うはずだ。だが彼女はその雰囲気が好きだという。たしかに酒場の雰囲気は僕も好きだ。その場は煙に巻かれてモヤッとするくらいがちょうどいい。酒が入ると数倍タバコはうまくなる。

 結局タバコは体には良くないが、ストレスを解消するものだし、癒しでもある。一種の麻薬だ。タバコを吸う男は格好いいと思い込んで始めた頃が懐かしい。ライターは年代物のジッポにしたり、ときにはマッチのツンと鼻にくる臭いに快楽さえ覚えた。吸い方まで拘り、人差し指と親指2本で持つのが格好いいとか、煙で輪っかを綺麗につくれるとか、どうでもいいことに執着した。いまではオヤジになってタバコ本来の味を楽しむようになった。愛煙家である。しかし近頃外食先では煙たがられ喫煙席は隔離されているところも多い。禁煙席から冷たい視線が注がれるのだ。世知辛い世の中になった。

 酒とタバコと(女)は男のロマンが故に呑まねばならん。今でもそう思うが、まだ見ぬ孫の顔や子供の成長、相方と自分の老後を少し考えるようになった。ときに我慢も必要だ。それに自分の人生にとってタバコは重要なポジションにあるのか問うとそうでもない気がする。タバコをやめることによって寿命が延びるかどうかはさておき、やりたいことは山ほどある。病院で見る舘ひろしの禁煙ポスターが僕に微笑むのである。

三内丸山遺跡でピクニック


 日曜の午前、家族でピクニックに出かけた。朝からキッチンでは相方が鼻歌交じりでおにぎりを握る。ピクニックとは言っても三内丸山遺跡へ行くのだが、恥ずかしながら初めて足を運んだ。考古学にあまり興味がないと言ってしまえばそれまでだが、縄文文化が青森の地にあったかと思えば、この上なくテンションアゲアゲになる。昨日から縄文大祭典が開かれており、混んでなければいいなと思いつつ弘前から、いざ青森へ。

 予想とは裏腹に、駐車スペースには何台かの空きがあり、簡単に駐車できた。家族連れとご年輩が多い中、縄文には程遠いギャル男とギャルのカップルまで、幅広い層の人々の群れが思い思いにピクニックを楽しんでいる。(ピクニックと思っているのは僕だけかもしれないが)

 今日の三内丸山遺跡は晴れ渡る秋空でちょっと長袖では暑かったが、大型竪穴住居が完全に陽を遮り、汗ばむからだを冷やしてくれた。三内のシンボル、大型掘立柱建物も僕らを暖かく迎えてくれた。

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 ピクニックとは本来、野外で食事とそのあとの軽い行楽のみを目的とする。サンドウィッチにフルーツでヨーロッパ風に気取り、都会暮らしに疲れた身体を癒しに自然を身近に感じる。食後は軽いボール遊びで体を動かし、心身共にリフレッシュする。三内丸山遺跡でのピクニック行為はちょっと無理があったようだ。(かなり外れているがピクニック広場では飲食可)

 できれば、あのだだっ広い縄文の跡地でビニールシートを広げ、おにぎりを頬張り、水筒に入ったお茶を飲みたい気分だ。娘には虫かごと網を持たせ、赤トンボや蝶々を採取させたい。僕はというと掘立柱建物跡の中で涼みながら本を読む…(妄想)さすがに社会的良識ある者としてできなかった。が、そんなイベントがあってもいい。(仮称:縄文ピクニック)

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 一通り見終わると体験工房でミニ土偶作りを娘と楽しんだ。さんまるミュージアムに展示してあった重要文化財の土偶をしっかり見てきたので自信ありありのはずだったが、マニュアル通りのミニ土偶に不満を感じつつ終了。ま、娘は喜んでいたのでOKとしよう。

 昼食の時間も忘れ、三内を満喫していた僕ら家族だったが、さすがに2時をすぎる頃には腹が減り、持ってきたおにぎりと外で売っていた黒石焼きそばを買って室内で食べた。本当は縄文時遊館中庭で食べたかったのだが、今日はイベントでLIVEがあり、次女の子守唄にはちょっと爆音すぎた。

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 5000年前の縄文文化に触れた一日だったが、一番驚いたのは入場無料ということだろうか。あれだけの観光客が訪れるのに無料とは太っ腹だ。ボランティアガイドまで無料とあって、ここはネバーランドかとツッコミを入れたい気分だった。あとは白神山地に次ぐ世界遺産に認定されれば縄文人もさぞかし納得してくれるのではないだろうか?………ピクニックも(笑)

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