昨年、令和6年あたりからでしょうか、X(旧Twitter)において、ボーナス(賞与等)から社会保険料(厚生年金保険料・健康保険料)を徴収する制度、つまり「総報酬制」を作ったのは、小泉(純一郎)政権だとのポスト(投稿)がよく流れてきます。
しかしながら、この点については誤解であったり曲解すらも混じっているように思われますので、今回は、ボーナス(賞与等)から社会保険料(厚生年金保険料・健康保険料)が徴収されるようになった歴史・経緯を見てみましょう。
【1】ボーナス(賞与等)からの特別保険料の徴収
ボーナス(賞与等)から社会保険料が徴収されるようになったのは、実はかなり古く、昭和50年代前半に始まっています。
⑴ 健康保険法等の一部を改正する法律(昭和52年12月16日法律第86号)≪施行期日:昭和53年1月1日≫
第三条 前条ノ措置ガ講ゼラルル迄ノ間其ノ管掌スル健康保険事業ニ要スル費用ニ充ツル為第七十一条乃至第七十二条及第七十七条乃至第七十九条ノ二ノ規定ニ依リ徴収スル保険料ノ外本条、次条及附則第六条ノ規定ニ依リ保険料(以下特別保険料ト称ス)ヲ徴収ス
特別保険料ノ額ハ被保険者(第二十条ノ規定ニ依ル被保険者及第七十一条ノ三ノ規定ニ依リ其ノ月ニ係ル保険料ヲ徴収セラルザル被保険者ヲ除ク)ガ賞与等(第二条第一項ニ規定スル賃金、給料、俸給、手当又ハ賞与及之ニ準ズベキモノニシテ三月ヲ超ユル期間毎ニ受クルモノヲ謂フ以下之ニ同ジ)ヲ受ケタル月ニ付其ノ額(其ノ額ニ百円未満ノ端数アルトキハ之ヲ切捨ツ)ニ千分ノ十ヲ乗ジテ得タル額トス
賞与等ノ全部又ハ一部ガ金銭以外ノモノナル場合ニ於ケル其ノ価額ノ算定ニ付テハ第二条第二項ノ規定ヲ準用ス
第七十二条本文ノ規定ハ特別保険料ニ付之ヲ準用ス但シ被保険者ガ負担スベキ特別保険料ノ額ニ付テハ当分ノ間其ノ五分ノ二ヲ免除ス
国庫ハ前項但書ノ規定ニ依リ免除セラレタル特別保険料ノ額ニ相当スル額ヲ補助ス
第四条 事業主ハ被保険者ニ対シ金銭ヲ以テ賞与等ヲ支払フ場合ニ於テハ被保険者ノ負担スベキ特別保険料ヲ賞与等ヨリ控除スルコトヲ得
第七十八条第三項ノ規定ハ前項ノ場合ニ之ヲ準用ス
第五条 健康保険組合ハ附則第二条ノ措置ガ講ゼラルル迄ノ間第七十一条乃至第七十二条、第七十五条、第七十五条ノ二及第七十七条乃至第七十九条ノ二ノ規定ニ依リ徴収スル保険料ノ外其ノ規約ヲ以テ附則第三条第一項及第二項並ニ前条ノ規定ノ例ニ依リ特別保険料ヲ徴収スルコトヲ得
前項ノ場合ニ於テ同項ノ規定ニ依リ其ノ例ニ依ルベキ附則第三条第二項中千分ノ十トアルハ千分ノ十ノ範囲内ニ於テ規約ヲ以テ定ムル率トス
第一項ノ場合ニ於テ賞与等ノ全部又ハ一部ガ金銭以外ノモノナル場合ニ於ケル其ノ価額ノ算定ニ付テハ第二条第二項及第三項ノ規定ヲ準用ス
第七十二条本文及第七十五条ノ規定ハ第一項ノ規定ニ依ル特別保険料ニ付之ヲ準用ス
■この改正健康保険法等が国会で可決・成立された時点、公布された時点及び施行期日の時点における内閣総理大臣は、「福田赳夫」です。
この法改正の趣旨は、昭和48年1月1日から始まった老人医療費無料化により、健康保険その他の公的医療保険制度の財政が急激に悪化したことを踏まえ、財源を安定的に確保することにありました。
この「特別保険料」の負担分は、当時の政府管掌健康保険(政管健保)にあっては「1,000分の10」とし、事業主が「1,000分の5」、被保険者が「1,000分の3」、国庫補助が「1,000分の2」の負担割合とされていました(政府管掌健康保険は、現在の協会管掌健康保険に承継されています)。
また、組合管掌健康保険(組合健保)にあっては「1,000分の10の範囲内において規約でもって定める率」とされていました。
⑵ 国民年金法等の一部を改正する法律(平成6年11月9日法律第95号)≪施行期日:平成7年4月1日≫
(特別保険料)
第八十九条の二 政府は、厚生年金保険事業に要する費用(基礎年金拠出金を含む。)に充てるため、第八十一条の規定により徴収する保険料のほか、特別保険料を徴収する。
2 特別保険料は、被保険者が賞与等(賃金、給料、俸給、手当、賞与その他いかなる名称であるかを問わず、労働者が、労働の対償として受けるすべてのもののうち、三月を超える期間ごとに受けるものをいう。以下同じ。)を受ける月につき、徴収するものとする。
3 特別保険料額は、賞与等の額(その額に百円未満の端数がある場合においては、その端数を切り捨てた額)に千分の十を乗じて得た額とする。
4 第二十五条の規定は、賞与等の全部又は一部が、通貨以外のもので支払われる場合におけるその価額の算定について準用する。
5 第八十二条、第八十三条から第八十五条まで及び第八十六条から第八十九条までの規定は、特別保険料について準用する。この場合において、これらの規定に関し必要な技術的読替えは、政令で定める。
■この改正国民年金法等が国会で可決・成立された時点、公布された時点及び施行期日の時点における内閣総理大臣は、「村山富市」です。
この「特別保険料」の負担分は、「1,000分の10」とし、事業主が「1,000分の5」、被保険者が「1,000分の5」の負担割合(労使折半負担)とされていました。
特にバブル経済期に顕著だったのですが、事業主と被保険者の社会保険料負担を軽減するために、月例賃金(月給)の額を低くしておいた上で、ボーナス(賞与等)の額を大幅に引き上げるという賃金体系を採用する企業がかなり多くありました(年収に占めるボーナスの割合が非常に高い賃金体系)。
そのため、ボーナス(賞与等)を大幅に引き上げることが困難な中小企業等から著しく不公平であるとの声があり、「総報酬制」への布石として制定されたものです。
例えば、バブル経済期において私は20代だったのですが、金融機関等に勤務する同級生など、月例賃金(月給)は中小企業よりも低額に設定しておきながら、ボーナス(賞与等)については1回当たり300万円とか400万円を年3回支給するなど、極端に高額なボーナス(賞与等)の額に驚いたものです!
ただし、厚生年金保険料を控除すべき月例賃金(標準報酬月額)を低額にしておいたことから「平均標準報酬月額」が低くなり、令和7年度以降の現在受けるべき老齢厚生年金の額はそれほど高額ではないという現実もあり、まあこれは、自業自得というべきところもないわけではありません。
といっても、金融機関等をはじめとした大企業には「厚生年金基金」が設立されていましたので、代行部分を除いた「プラスアルファ部分」の額が特にバブル経済期には十分な額となっており、やはりまあ、企業規模間格差は、あまりに不公平だったと言えるかもしれません。
【2】総報酬制導入への機運
「総報酬制」は、平成7年4月1日から、健康保険法に加えて厚生年金保険法においても「特別保険料」が導入されたことにより構想されたものですが、その本格的な導入の議論は、平成9年5月27日に開催された年金審議会(当時)の議事録に残されています。
■年金審議会議事録(平成9年5月27日)
https://www.mhlw.go.jp/www1/shingi/txt/s0527-1.txt
また、平成10年3月6日に開催された年金審議会(第16回)においては、総報酬制導入に関する資料も残されています。
「総報酬制」は、健康保険法及び厚生年金保険法ともに、平成15年4月1日から同時に施行されたものですが、それらの改正法が制定された時期は異なっています。
⑶ 国民年金法等の一部を改正する法律(平成12年3月31日法律第18号)≪施行期日:平成15年4月1日≫
(標準賞与額の決定)
第二十四条の三 社会保険庁長官は、被保険者が賞与を受けた月において、その月に当該被保険者が受けた賞与額に基づき、これに千円未満の端数を生じたときはこれを切り捨てて、その月における標準賞与額を決定する。この場合において、当該標準賞与額が百五十万円を超えるときは、これを百五十万円とする。
■この改正国民年金法等が国会で可決・成立された時点、公布された時点における内閣総理大臣は「小渕恵三」ですが、施行された時点における内閣総理大臣は、「小泉純一郎」です。
⑷ 健康保険法等の一部を改正する法律(平成14年8月2日法律第102号)≪施行期日:平成15年4月1日≫
(標準賞与額の決定)
第四十五条 保険者は、被保険者が賞与を受けた月において、その月に当該被保険者が受けた賞与額に基づき、これに千円未満の端数を生じたときは、これを切り捨てて、その月における標準賞与額を決定する。この場合において、当該標準賞与額が二百万円(第四十条第二項の規定による標準報酬月額の等級区分の改定が行われたときは、政令で定める額。以下この項において同じ。)を超えるときは、これを二百万円とする。
2 第四十条第三項の規定は前項の政令の制定又は改正について、前条の規定は標準賞与額の算定について準用する。
■この改正健康保険法等が国会で可決・成立された時点、公布された時点及び施行された時点における内閣総理大臣は、「小泉純一郎」です。
「総報酬制」に係る改正健康保険法等の成立時期が改正厚生年金保険法等よりも遅れているのは、健康保険の被保険者に係る窓口負担割合を従来の「2割」から「3割」に引き上げることについて、与野党が国会で揉めていたことが大きな要因です。
老人医療費無料化施策を制定したのは、田中角栄内閣だという説明は、いろいろな書物に紹介されています。しかし、これもまた大きな誤解です。
⑸ 老人福祉法の一部を改正する法律(昭和47年6月23日法律第96号)
(老人医療費の支給)
第十条の二 市町村長は、当該市町村の区域内に居住地を有する七十歳以上の者の疾病又は負傷について健康保険法(大正十一年法律第七十号)、国民健康保険法(昭和三十三年法律第百九十二号)その他政令で定める法令の規定による医療に関する給付が行なわれた場合において、当該医療に関する給付の額(その者が国民健康保険法による療養の給付を受けたときは、当該療養の給付の額から当該療養の給付に関する同法の規定による一部負担金に相当する額を控除した額とする。)が当該医療に要する費用の額に満たないときは、厚生省令で定める手続に従い、その者に対し、その満たない額に相当する額を老人医療費として支給する。ただし、当該疾病又は負傷について法令の規定により国又は地方公共団体の負担による医療に関する給付が行なわれたときは、この限りでない。
2 前項の医療に要する費用の額は、健康保険の療養に要する費用の額の算定方法の例により算定した額とする。ただし、現に要した費用の額をこえることができない。
3 老人医療費は、第一項に規定する者の前年の所得(一月から六月までの間に受けた医療に係る老人医療費については、前前年の所得とする。以下同じ。)が、その者の所得税法(昭和四十年法律第三十三号)に規定する控除対象配偶者及び扶養親族(以下「扶養親族等」という。)の有無及び数に応じて、政令で定める額をこえるときは、支給しない。第一項に規定する者の配偶者(婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻と同様の事情にある者を含む。)の前年の所得又は同項に規定する者の民法(明治二十九年法律第八十九号)第八百七十七条第一項に定める扶養義務者で主として第一項に規定する者の生計を維持するものの前年の所得が、その者の扶養親族等の有無及び数に応じて、政令で定める額以上であるときも、同様とする。
4 第一項に規定する者が、厚生省令で定める手続に従い、健康保険法第四十三条第三項第一号の保険医療機関又は保険薬局、国民健康保険法第三十六条第四項の療養取扱機関その他の厚生省令で定める病院、診療所又は薬局(以下「保険医療機関等」という。)で医療を受けた場合には、市町村は、老人医療費として当該医療を受けた者に支給すべき額の限度において、その者が当該医療に関し当該保険医療機関等に支払うべき費用を、その者に代わり、当該保険医療機関等に支払うことができる。
5 前項の規定による支払があつたときは、当該医療を受けた者に対し、老人医療費の支給があつたものとみなす。
6 市町村は、第四項の規定により保険医療機関等に支払うべき額の審査及び支払に関する事務を社会保険診療報酬支払基金、国民健康保険団体連合会その他厚生省令で定める者に委託することができる。
老人医療費無料化に係る改正老人福祉法案を国会に提出したのも、国会で可決・成立させたのも、そして当該法律が公布された時点においても、佐藤(栄作)内閣のときでした。
しかし、この改正老人福祉法の施行期日は、「昭和48年1月1日」とされており、その時点においては、すでに田中角栄内閣が成立していますし(田中角栄内閣は昭和47年7月7日に成立しています)、田中角栄が、他の社会保障施策とともに昭和48年を「福祉元年」と喧伝していたため、どうやら大きな誤解が生じたものと思われます。
[注] 老人医療費無料化は、岩手県旧沢内村(現西和賀町)において、昭和35年12月から65歳以上、昭和36年4月から60歳以上と乳児の医療費を無料化し、昭和37年に日本で初めて乳児死亡ゼロを達成したことに始まります。ただし、これは人口の少ない自治体単独事業として行われたものであり、後に無責任なポピュリズムと批判される「国の施策として行われた老人医療費無料化制度」とは区別して考えるべきでしょう。医師であり参議院議員であった今井澄は、国の政策として行われた老人医療費無料化制度については「人気取りで甘い政策を出していたのでは国の舵取りを間違える、という見本のような政策」と酷評していますが、旧沢内村による医療費無料化とは別物としています。
🤔もしも昭和46年から48年頃にSNS等があったとしたなら、老人医療費無料化政策を支持する意見が圧倒的だったかもしれません。なにしろ当時は「福祉=無料化」という風潮でしたからね。そして、私自身も当時の大人であったとしたならば、おそらく老人医療費無料化政策を支持していたのではないかと思います。
トンデモ年金論者、トンデモ社会保障論者に騙されず、ごまかされない一つの方法は、制度の歴史をしっかり学ぶことです!
