労働法関係の国家試験(社会保険労務士試験を含む)でもよく注意されることですが、労働基準法第67条の規定による「育児時間」を請求することができるのは「生後満1年に達しない生児を育てる女性(労働者)」に限られているため、男性(労働者)は当該「育児時間」を請求することができません。
この経緯については、hamachanブログとして有名な濱口桂一郎氏のブログに解説がありますので、参考にしてください。
しかしながら、私のまわりの無名の労働法研究者は、男性も育児時間を請求することができるよう労働基準法の改正を行うべきとする意見が少なくないのです。
今回は、健康保険法と対比しながら考えていきたいと思います。
⑴ 健康保険法における「出産育児一時金」の沿革
X(旧Twitter)にもポスト(投稿)しておきましたが、健康保険法においては、大正11年の立法当初から、出産(分娩)に関連する保険給付としては「分娩費」と「出産手当金」とがありました。
そして、戦後の昭和23年8月1日、「分娩費」に加えて、新たに「哺育手當金(哺育手当金)」を創設します。
その後、昭和36年6月15日に「哺育手当金」を「育児手当金」と改称し、平成6年健康保険法大改正により、平成6年10月1日からは、子どもが健やかに生まれ育つ環境づくりを図る観点から、「分娩費」と「育児手当金」を統合し、「出産育児一時金」として大幅な給付改善を図ることとなり、現在に至っています。
このくらいの沿革であれば、社労士受験生でも知っておいて損はありません。
ここでの疑問としては、労働基準法が公布された昭和22年4月7日当時において、労働基準法旧第66条は次のようになっていたという点です。
濱口氏のブログによると、「哺育する」とすべき部分について「育てる」と修正された経緯については、1946年(昭和21年)11月5日に国語審議会が答申し、同月16日に内閣が告示した当用漢字表の1850字の中に、「哺育」の「哺」の漢字が含まれていなかったからであろうと推察されています。
この点、健康保険法において、昭和23年に「哺育手当金」という漢字表記の保険給付が新設されたことを考えれば不思議に思われるかもしれません。
しかし、これは、健康保険法が戦前の大正時代に制定された古い法律であり、明治時代に制定された民法においても見られたように、条文の書きぶりを統一するために、当用漢字表に含まれていない漢字も使用することができた(使用せざるを得なかった)のだと考えられます。
実際、健康保険法の条文は、平成14年改正まで、古くさい「文語カタカナ体」で書かれていたのです。
※ 現在においては、「ほ育する」という平仮名と漢字交じりの表記にすることも考えられますが、戦後の昭和20年代初頭に、そのような表記方法はなかったのかもしれません。ただし、どうしても「哺育する」にこだわりたい場合には、「保育する」で代用することも考えられたのではないでしょうか。というのも、「保育」という漢字表記は「哺育」の書き換えとして使われていたという経緯があるからです(注)。
実際に、国会会議録において、「哺育手当金」とすべきところを「保育手当金」と表記しているのを見たことがあります。
[注]『日本国語大辞典』で「哺育」を検索すると、【哺育・保育】という見出しとなっており、その補注で 〈「保育」は「哺育」の書き換え〉 との記載があります(他の国語辞典、例えば『明鏡国語辞典』や『新明解国語辞典』にも同趣旨の記載があります)。そもそも日本における「保育」という語は、1876年(明治9年)11月の東京女子師範学校附属幼稚園の創設に伴って、幼稚園における教育を表すものとして考案され使用されたのが最初です(「保護養育」の短縮形とも考えられます)。その後、紡績工場等の敷設託児所で「保育」という語が普及するようになり、第二次大戦後は、「哺育」の代用語として「保育」が使用されるようになりました。
⑵ 「哺育手当金」から「育児手当金」への解消のミステリー
さて、問題は、昭和36年の健康保険法改正において、「哺育手当金」を「育児手当金」に改称しているのですが、この理由が不明なのです。
昭和22年、社会保険制度調査会による答申「社会保障制度要綱」では、全国民を対象とする総合的な社会保障制度を勧告し、この制度の保障する事故として、傷病、障害、死亡、出産、老齢、失業とともに、育児が挙げられています。
また、昭和23年の米国社会保障調査団の報告「社会保障制度への勧告」、昭和24年の社会保障制度審議会の「社会保障制度確立のための覚え書」等において、児童手当の必要性が指摘されていますので、そのような影響を受けている可能性はあります。
とにかく、このミステリー(謎)に関しては、私自身への宿題としておきましょう。
さて、最後に、労働基準法第67条の規定による「育児時間」については、Xにも投稿しているとおり、その歴史的経緯を踏まえた上で、今後は男性労働者にも請求取得が可能となるような労働基準法改正を妨げるものではない、というのが私自身の見解です。
昨今においてはLGBTQの問題も多少関係してきますし、そもそも労働基準法第67条にいう「生児」とは、女性労働者自らが出産した子であるか否かは問わず、自己以外の女性が出産した子でもよいと解されています。つまり、生児に対して哺乳等ができるか否かは関係がなくなっていると考えられるからです。
※ 上記のように考えていくと、労働基準法による「育児時間」の「育児」と健康保険法による「出産育児一時金」の「育児」とは、その性質が若干異なっていることが分かるのではないかと思います。
