介護保険法制度史(老人介護)を語るときに、必ず出てくる事柄があります。

 

第一は、『昭和44年版厚生白書』において「寝たきり老人」という言葉が初めて登場したこと、第二は、昭和45年(1970年)における「総人口に占める65歳以上人口の占める割合高齢化率)」が「7.1%」と、いよいよ7%を超え、国連の定義にいう「高齢化社会(aging society)」を迎えたことです。

※ 高齢化率が14%を超えた場合には「高齢社会(aged society)」と定義されます。

 

[注] 1970年当時の先進諸外国における「高齢化率」を見てみると、スウェーデンが13.5%、イギリスが13.0%、フランスが12.6%でしたから、1970年当時の日本の高齢化率(7.1%)が特別高かったわけではありません。

 

そして、第三に挙げられるのは、昭和47年に有吉佐和子の『恍惚の人』が発行・発売されたことでしょう。

 

⑴ 昭和47年(1972年)という年は・・・

昭和47年という年は、労働安全衛生法(昭和47年6月8日法律第57号)、勤労婦人福祉法(昭和47年7月1日法律第113号、現在の男女雇用機会均等法)がそれぞれ制定され、そして、前年(昭和46年)に制定された児童手当法(昭和46年5月27日法律第73号)が1月1日から施行され、老人医療費無料化を定めた改正老人福祉法昭和48年1月1日施行)が成立した年です。

 

[注]高齢化を背景として老人福祉法(昭和38年7月11日法律第133号)が「昭和38年」に制定されたことは、過去の社労士試験にも出題されていますが、この「昭和38年」における100歳以上の人口が「153人」であったことは、知識として知っておいて損はありません(この「153」は労災保険法に出てくる有名な数値でもありますからね)。

 

また、「第1次婚姻(結婚)ブーム」(昭和22年、23年の各95万組)の後、昭和45年からは団塊の世代(第1次ベビーブーム)を中心とした「第2次婚姻(結婚)ブーム」が始まり、昭和47年の婚姻件数は「109万9,984組」と調査開始以来のピークを記録したため、翌昭和48年においては、第2次ベビーブーム(団塊ジュニア)における出生数のピークとして「209万1,983人(男子107万7,517人、女子101万4,466人)」となりました。

 

⑵ 老人医療費無料化とは・・・

昭和36年(1961年)の国民皆保険達成当時における患者の自己負担割合は、健康保険について、 被保険者本人は「窓口負担なし」(※)、家族(被扶養者)は「5割負担」であり、国民健康保険の被保険者は「5割負担」(世帯主については昭和36年から「3割負担」)となっていました。

 

※ 正確に言えば、初診時に定額の窓口負担(昭和32年当初は100円)をしていれば、2回目の診察以降は無料となる「初診時一部負担金制度」というものが昭和32年から導入されていましたので(昭和32年当初の入院代については、1日につき30円)、健康保険の被保険者について病院窓口負担が一切なかったわけではありません(昭和18年から終戦後まで、健康保険の被保険者本人に定額負担を求めた時期もありました)。

 

その後、昭和43年(1968年)1月からは国民健康保険の世帯員が「3割負担」となり、続いて昭和48年10月から、被用者保険の被扶養者(家族)も「3割負担」となりました。

また、健康保険法による被保険者本人については、昭和59年10月から定率負担制度が導入され「1割負担」、平成9年に「2割負担」、平成15年から現在の「3割負担」となっています。

 

老人医療費支給制度(通称「老人医療費無料化制度」)」とは、70歳以上(寝たきり等の場合については65歳以上)の者の自己負担分について、国と地方公共団体の公費を財源として支給する制度であり、健康保険法や国民健康保険法などにおける自己負担分そのものを廃止したわけではありません。

 

老人医療費無料化は、昭和44年(1969年)に東京都と秋田県が老人医療費無料化に踏み切ったことを契機として、各地の地方公共団体が追随し、昭和47年(1972年)には、2県を除いて全国で老人医療費が無料化される状況となっていました。 

 

このような状況を導いた国民世論(民意)を無視できなくなった政府は、国の施策として、昭和47年(1972年)老人福祉法(昭和38年7月11日法律第133号)を改正し、昭和48年(1973年)1月1日から「老人医療費支給制度」として実施することになったのです。

 

⑶ 有吉佐和子の『恍惚の人』

小説『恍惚の人』は、昭和47年における売上高第1位のベストセラーですが、執筆のきっかけは、著者の有吉佐和子が40歳になり、老化現象の入口に入ったことを意識するようになったことにあるそうです。

 

令和となった現在においても、40歳を迎えると「介護保険第2号被保険者」となることで多少は老化を意識することはあるかもしれませんが、真剣に老化現象に悩むことは稀ではないかと思います。

 

私自身はどうかというと、50歳頃だったか、黒髪の中に白髪を何本か見つけることで老化を意識した覚えがあります(現在では白髪と黒髪の割合は2:8、あるいは3:7くらいかな)。

いやいや、精神的に最も落ち込んだのは、保険年齢と年一括払いの仕組みによって、満年齢53歳(満54歳になる2か月前)で生命保険の掛金の支払が終了してしまったことですよ😰

だって、年末調整・確定申告で生命保険料控除が受けられなくなってしまったのですから!

 

小説『恍惚の人』は、法律事務所勤務で夫婦共稼ぎの立花昭子が、84歳で老人性痴呆(現在でいう「認知症」)となった舅の老人介護をすることになるという話ですが、「母屋」の庭に「離れ」を増築して姑と舅に住んでもらっているので(姑は小説の冒頭で急死します)、やや裕福な家庭と言えるでしょう。

 

夫婦と一人息子の3人が暮らしている「母屋」と、姑と舅が暮らしている「離れ」とは隣接しているとはいえ玄関は離れていますので、完全な「三世代同居世帯」とは言えませんが、典型的な「核家族世帯」とも言えなさそうです。

 

国勢調査や人口動態統計、それに厚生白書などを調べてみると、『恍惚の人』が書かれた頃の三世代同居世帯割合は約25%、核家族世帯割合は約57%となっています。

 

【参考数値】 

令和7年7月4日に厚生労働省が公表した『2024年(令和6年)国民生活基礎調査』による世帯構造では、「単独世帯」が34.6%で最も多く、次いで「夫婦のみの世帯」が24.7%、「夫婦と未婚の子のみの世帯」が24.1%と続き、「三世代同居世帯」はわずかに3.4%です。また、世帯類型でみると「高齢者世帯」が31.4%となっています。

なお、令和6年の「婚姻件数」は、485,063組です。

■2024年(令和6年)国民生活基礎調査の概況

https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa24/dl/10.pdf

 

 

厚生省五十年史』によると、痴呆性老人の問題が社会的にクローズアップされたのは「昭和50年代後半」とされていますが、昭和47年時点で『恍惚の人』が売上高第1位のベストセラーになっているというのは、「年老いた親」の介護問題はもちろん、がむしゃら(当時の流行語で「モーレツ」)に働いてきた40代、50代の人たち(あるいはモーレツに働いている20代、30代の読者も?)にとって、自分自身の老後を考える問題としても、共感を得たからではないでしょうか。

 

[注] 昭和44年に実施された「老後の生活についての意識調査」によると、70歳以上の者のうち44.2%の者が「老後の生活保障は子供(家族)の責任」と回答しており、「老後の生活保障は国(社会全体)の責任」と回答する者は、わずか9.8%にすぎません。令和7年(2025年)の現在から半世紀ほど前、50年ちょっと前というのは、そういう時代だったというわけです。

 

平成12年に介護保険法が施行されてしばらく経過した平成15~17年頃に初めて読んだ『恍惚の人』ですが、現在手元に持っていませんので、記憶に頼るしかないのですが、84歳の明治生まれの舅が年金を受けているという記述はなかったように記憶しています。

 

あっ、そうそう、「定年」の漢字表記が「停年」となっていたはずですよ。

 

⑷ 老齢年金受給者数について

厚生年金保険法の前身である労働者年金保険法は昭和17年6月に全面施行されているところ、被保険者期間の特例がある坑内員(坑内夫)であった者は「昭和28年」に老齢年金の受給資格期間を初めて満たす者が現れることとなりましたが、受給資格期間が「20年」とされていた工場労働者であった男子については「昭和37年」に、同じく事務職の被保険者であった男女労働者については「昭和39年」(※)に、それぞれ初めて老齢年金の受給資格期間を満たす者が現れ始めます。

 

※ ここで「昭和39年」というのは、「昭和19年」に労働者年金保険法が厚生年金保険法と改称されたときに、事務職の男女労働者を被保険者にすることとされたためです。

 

[注]ただし、「昭和39年」の時点で老齢年金の受給資格期間20年を満たし、かつ、老齢年金の受給権を有する女子は、ほとんどいなかったようです(20年以上会社勤めをする前に「脱退手当金」を受給して退職した者が大半であったため)。

 

調べてみると、昭和48年時点における厚生年金保険の老齢年金の受給者は「77万人」、国民年金の老齢年金の受給者は「79万人」と、国民年金のほうが多くなっています(老齢年金の受給者数は、厚生年金も国民年金も昭和50年代から一気に増加していくことになります)。

 

拠出制国民年金法による受給資格期間は「25年」とされていましたので、本来であれば、昭和36年から25年を経過した昭和61年において拠出制国民年金法における老齢年金の受給資格期間を満たす者が現れるはずです。しかし、昭和36年4月の拠出制国民年金の発足当時、特例として10年の拠出期間で老齢年金を受けられる「10年年金」という制度がありましたので、「昭和46年」に初めて国民年金法による老齢年金の受給資格期間を満たし、かつ、老齢年金の受給権を有する者が現れ始めているのです。

 

※ 老齢基礎年金あるいは老齢厚生年金の受給資格期間が現在のように「10年」と改正されたのは、「平成29年8月1日」(ニッキュッパッ)のことです。

 

以上、介護保険法の立法史に関する専門書を図書館から借りて読み始めたところ、有吉佐和子の『恍惚の人』が出てきましたので、思い出がてら書いてみた次第です。

 

[注]1990年代、「痴呆」という用語が侮蔑的・差別的な言葉と捉えられるようになり、その疾病の実態をも正確に表していないなどもあり、2004年(平成16年)に「認知症」という名称に変更されました。国民からのアンケート調査の結果によると、「認知障害」という名称が最も多く第1位であり、「認知症」は「認知障害」に次ぐ第2位だったのですが、当時、厚生労働省に設置されていた『「痴呆」に替わる用語に関する検討会』においては「認知症」のほうが適当だとして採用され、現在に至っています。