智田さくら人生ストーリー(まとめページ)*自分史、書き始めました。
ちょっと間が開きましたが、
大学編の続きを書きます。
(前回まで)
↓
26,大学時代①充実しまくり大学生活(勉学編)
27,大学時代②「学費以外は自分でなんとかしてね♪」(お金編)
学生寮の人々
18才まで生まれ育った横須賀の田舎では、
「あの子…変わっているよね」と言われて続けてきた私。
確かに、
人から見て変わってるところはあったかもしれませんが、
「常識人?」「非常識人?」で言ったら、
和光大学の中では、むしろ私は
「常識人」の部類でした。
井の中の蛙2.0。
どんな物事にも
上には上がいるものです。
常識とは(Wikipediaより)↓
社会を構成する者が有していて当たり前のものとなっている、社会的な価値観、知識、判断力のこと
[要出典]。また、客観的に見て当たり前と思われる行為、その他物事のこと。
対義語は
非常識。社会に適した常識を欠いている場合、社会生活上に支障をきたすことも多い。社会によって常識は異なるため、ある社会の常識が他の社会の非常識となることも珍しくない。これは
文化摩擦などとして表面化することもある。

だから、よほど目的がある時にしか駅には行きません(笑)
遊ぶのはもっぱら一緒に住んでいる
「寮生」とばかり。
そんな山奥に住む学生寮の人たちの異様っぷりは、異質力を自慢とする和光大生からも有名で


「入寮するには、
なにかオーディションがあるの!?」


と、一般学生からドン引き気味で、質問されるぐらいでした。
もちろん、オーディションなんてないですよ。
ただ入寮条件は、
「家が貧乏」であること。または、
「通学が困難な事」でした。たしかに、
寮生には田舎者、貧乏人、
北海道や離島出身で物理的に遠い人、
障害手帳をもってる人や、外国籍の人が、割と多く住んでいました。
この人は、実家がお金持ちだったのですが、
通学が困難という理由で入寮していました。
(↓イメージ写真はイケメンで笑)

ヘルパーさんはついていなくて、
代わりに、同室で同い年の寮長さんが彼のヘルパー役を務めていました。
お風呂や食事はもちろん、
授業に出るお手伝いや、
タバコに火をつけるとか、酒を飲ませてあげるとか、
遊びに連れ出してあげるとか、ず〜っとお世話をしてました。寮長さんは、
金髪ロン毛先輩の両親から
「かなり高額なバイト代」を受け取っていたそうですが…。
それにしたって実の家族でもないのに、
24時間体制でその献身っぷりは凄かったですね。
見た目はどちらかといえば怖い寮長さんだったのですが、
優しい人だったのだと思います。
EXITのりんたろーみたいな人でした。うん、こんな顔していました(笑)↓
その寮長さんと、
寮長さんの彼女さんと、
金髪ロン毛の先輩に誘われて、
週末はよく後輩寮生として、大人数でカラオケに連れて行ってもらいました。
(←当時はカラオケブームで、みんな歌がだーい好き!!

お金がない寮生✖️お金持ちの金髪ロン毛先輩の組み合わせは最強でした
)↑そうそう、こんな電動車椅子に座って、
体と首を固定するベルトがついてました。
あれ??金髪ロン毛先輩、一体なんの障害だったんだろう…。
詳しく思い出せません(笑)
そういうの全く気にしないで、普通に楽しく付き合えるほど、
良い意味で、障害者のある人と生活することに対するハードルが低い環境でした。
それにしても今、思い返すと、金髪ロン毛先輩。エレベーターもない学生寮や古い校舎で、よく4年間も通って、ちゃんと卒業したな〜って思います

とにかく、
多様な個性の人たちとの暮らしは、毎日が
刺激的

でした。
もちろん、揉めたり悩んだり悔しい思いや理不尽な感情もたくさん味わいました。
人間が集まれば当然です。正直ね、
人間性と障害の有無って、全く関係ないですからね。私は、人と暮らすのが楽しくて、好きで4年間ずっと4人部屋だったのですが、
3年生の時は、
5センチ先のものしか見えない後輩と、
足が不自由な後輩と、
あと同い年のマキちゃんと、4人で同室に暮らしていました。
後輩2人は、人間ができた人達でしたが、
マキちゃんと私は、いつもケンカしていました。
マキちゃんは散らかるのが嫌い。
「さくら!読んだら本は自分の机に戻して!部屋に出しっ放しにしないで!
」と、いつも私は怒られていました。
けどマキちゃんは、
部屋の外の廊下にある冷蔵庫に物をしまうのがめんどくさいタイプ。
私がいくら、
「飲みかけの牛乳を、常温保存するな!
しかもそれ飲んで、お腹壊すの何回目よ!?
」せっかく人が心配して言ってあげてるのに

プンプン!
(←この上から目線と偉そうな言い方が悪かったのだと…今なら気がつけるんですけどね
)それについて、同室の後輩2人の迷惑も顧みず、
徹夜で議論することもありました。
結局、価値観の違いは埋まらず、卒業するまでずっと揉めていました(笑)…大人になった今。
「あの頃はお互い、心が狭かったよね〜」と。
今となっては、なんでそんな小さなことでケンカをしていたのか笑い話

良い思い出話です


和光大学には、
そもそも「福祉」や「障害」について学べる講義も多くて、
自分に障害があることを「使命」と捉え、
それを武器にたくましくてカッコ良く生きてる人もいました。
そういう人は尊敬できるし、一緒にいたいと思える!
こういう言い方は、不謹慎なんだろうけども…。
20歳前後の、自分探し真っ最中の私の目には、
「かっこいいな〜
!使命があって、むしろ羨ましい」とすら思っていました。
一方、障害があることに対して二次災害的に心が捻くれちゃってる人もいました
そういう人、いろんな人たちが「福祉✖️人間」とか「障害✖️心理学」を、学びにきている大学でした。さて、話題を変えます。
学生寮には、
真ん中に食堂を挟む形で、左側に男子寮(約48人)、右側に女子寮(約24人)が暮らしていました。
大人の管理人はいなくて
「学生により自主的に運営されている」といえば聞こえはいいですが。
人間関係ひしめく、弱肉強食のスラム街のようでした…。ちなみに女子寮は男子禁制。
みんな割と楽しく仲良く暮らしておりました。
ただ、すごく古い建物だったので、
ある時、女子寮の大浴場の天井に「謎の○○虫」が大発生してビッシリだったことがあります!
もう気持ち悪くて、怖くて、数ヶ月女子寮のお風呂閉鎖!
使えない時期があったな〜

近くで一人暮らしをしている友達にお風呂借りたり、
部室のシャワーで済ませたり、
男子寮のお風呂を時間借りしたり、そんな苦労もありました😅一方、カオスな男子寮。
あれから20年。
もう時効だよね😅💦
平和な環境を保つべく、ゴミ捨てをしたり、掃除をしたり、寮の役員を努めたり…。
寮食のおばちゃんとは、いまだに年賀状のやりとりをしている信頼を勝ち取りました(笑)
18歳。親元を離れ入寮する日。
念願の和光大学に入学できて、胸いっぱいな私
「きっと、私のこれまでの常識や価値観なんて、
ちっぽけなものに違いない!
これから、ここで、いろんな人たちの価値観に触れて、
自分の常識の幅を広げよう!
」と思っていましたが、
4年間暮らして思ったことは、
「ホンモノの非常識な人たちが、この世にはたくさんいるんだわ…。あの非常識な生き方はヤバイ…
非常識なままでは、生きていくのが大変だ。
やはり、常識と節度をもって、
普通の人として暮らしていくことが、大事なことだ…」ということでした。
何はともあれ、
この時代に、寝食を共にした
寮の友達は一生の家族です。
歴史ある学生寮だったんですが2021年3月末に完全閉寮予定らしいです。
私がいた頃から古かったけどあれから20年…。残念だけども、建物の老朽化も激しいだろうしな。寮食のおばちゃんにお手紙書こうっと

インドに行く前に、久しぶりに同室だった後輩と、
親友のニコちゃん夫婦(←寮生同士で結婚した)と一緒に、
川崎にある藤子不二雄・F・ミュージアムに遊びに行きました。
たまたま、私含めて4人とも、
「ユニーク推薦組」&「寮生」という特殊くくりではあるんですが、とにかく久しぶりの再会とは思えないほど楽しかった〜。
宇宙の話とか、未来が、時空が、どうのこうのとか。
普通のオトナが横で聞いていたら鼻で笑っちゃうような話で大盛り上がりでした。一生、話が合う人たちと出会えたことって、奇跡です。
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つづく。