こちらは朝、雪が舞っていました。シベリアからの寒気で寒い日が続きます。
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昨年の11月の手術の経過は順調。
(ボルトを入れました)
手術前日から12日間
整形外科に入院後、
元の精神科に戻りました。
その時の「順調」の意味するところは
ばい菌が入ったり、炎症等は見られず、
手術跡が回復に向かっているという意味。
ただし。。。
父が心配していたこと。
リハビリはどうなるのか?
整形外科でやってもらうことを
期待していました。
兄のいた精神科は
老人病院を併設していても
リハビリのためのスタッフが
十分ではないのは分かっていて、
全く期待できないこと。
それは兄が精神科に入ってから
(それまでは歩けていたのに)
車椅子が必要になったことからも
明らかでした(それでも骨折前は
立ったり、少し歩けたりもしていました)。
兄の手術から4日目に
父は病院側とリハビリと
今後のことについての話し合いに
整形外科に出向きました。
ケアマネージャーである看護師さん、
整形外科の主治医、
定期的に訪れる(駐在はしていない)
大学病院からの精神科医と
会ったそうです。
父は兄が精神科に戻ったとしても
「リハビリはお金を出してもタクシーで
この整形外科に通わせてもらいたい」
という話をするつもりでした。
それが。。。。
整形外科に入院中も
それまでいた精神科から
処方されていた薬も一緒に投与され、
この薬の影響ではリハビリを
きちんとやることが無理という
宣告を受けたのです。
兄は身体が大きいだけでなく、
そこに強い薬も加わって、
リハビリで歩行訓練をすれば
身体を支えられず、倒れて、
また骨折してしまう。
今、投与されている薬の量では
リハビリは不可能だと。
精神科に戻ってから
そちらの医師の判断で
リハビリができるぐらいの薬の量に
徐々に減らしていいとなってから
本格的なリハビリができると。
実は同じ手術をお義母さんも
80代の後半で受けたことがあります。
そして亡くなった夫のおばも。
お義母さんは手術後、
すぐに歩行訓練が始まり、
痛みで嫌がるのを励まされながら
リハビリに励んだお陰で
歩くことができるようになったのですが・・・。
おばは認知症があったことや
病院やケアホームでの
リハビリは十分には為されず。
手術をしたにも関わらず、
歩けなくなってしまったのです。
手術後、すぐにリハビリを
始めること。
1カ月が勝負。
「何のための手術だったのか?」
「兄に精神科の薬が必要なのか?」
「歩けず、ずっと外にも出てなくて
体力も落ちている兄は
危害を加えることもないのに」
手術前に会った時と
手術後に会ってからの
兄の変化。
精神科から出ていた
薬のせいだったんだと
気が付くことになります。
だんだん言葉が出にくく
なっていって。
コミュニケーションを取るのも
苦労するように。
手術前と手術後と二度
一緒にきてくれた叔母。
父が仕事で行けないからと
その叔母に今回も行って貰うことを
お願いしていました。
父が兄に先週会った時に
「おばちゃんが来るからね」と
伝えたところ。
感情がぱーっと溢れて
顔がくしゃくしゃとなって
今にも泣きそうな顔になったそう。
薬のせいで感情が抑えられ
こうして感情表現が出ることも
稀になっている兄。
よっぽど嬉しかったのでしょう。
叔母に父の代わりに行ってくれるお礼と
兄が喜びの余り、そういう表情をしたことを
伝えて、よろしくお願いしますと
メールを送りました。
その後、叔母からの返事で
医師の話では順調だということ。
そして「朝、お兄ちゃんの事心配して
朋ちゃんからメールが来たよ、
頑張って!て言ってたよ」と伝えたら
顔をくしゃくしゃにして泣きそうな顔をしました。
とても嬉しいのでしょうね~。
叔母はきっといいように
何か兄に言ってくれるだろうと思って、
敢えて何も言っていなかったのですが。
「思っているよ」という気持ちは
兄にちゃんと伝わったようです。
最後までお読みくださいまして
ありがとうございました。