地元、福岡が誇る天神地下街。
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ありがとうございます。
昨年、11月の日本滞在記、
からの続きです。
週が明けて。
いよいよ兄との再会、
精神科から整形外科への転院手続き、
整形外科での手術の説明が待っていました。
父が仕事で行けない代わりに
私と父の下の妹にもお願いして
一緒に行く手筈になっていました。
母は「こういうのは自分は無理だから
お願いね」と。
叔母とは私は親しい
付き合いがありますが、
母は父の二人の妹達とは
ほぼ絶縁状態になってから
10年以上経っていました。
母は覚えていないのですが、
母からバッサリと切るような形でした。
結婚以来、母は父の家族とは
言うに言われぬ確執があり、
積もりに積もったものがドカンと。
それ以来、母も兄も
父の二人の妹達とは
会っていませんでした。
下の妹は父の10歳年下で
独身。
病院の事務の仕事を
ずっとしていました。
73歳の今も社交的な叔母は
病院の元同僚達との
付き合いもあり、
病院事情にも詳しく
慣れてもいます。
海外暮らしで、日本の病院のことに
疎い私には叔母が一緒にというのは
ありがたいことでした。
ただし、我が家にずっと横たわっている
家族のしがらみを思うと・・・。
父とこの叔母はとても仲が良く
毎日のように電話でやり取りもあり、
お互いに物や食べ物の交換をしたり
頻繁に会っています。(でも短時間だけ)
父は母の手前、遠慮して、
大っぴらにとはいかないことも
色々とあるようなので、
そこを考慮した方がいいだろうと。
父にどれだけ我が家の話を
叔母にしているのか等を聞き、
何でも話をしていいのかと
事前に確認を取りました。
父から「これは話さないで」と
いうのは特にないと言われたので、
じゃあ、率直に話しをしても大丈夫ねと。
(私が余計なことは言わないと
信頼してのことだと思います)
叔母と朝早く、駅で待ち合わせをして。
病院に向かう電車の中で
ざっと家族のこと、
兄と母について話をしました。
こうすることで今まであった
要らぬ「しがらみ」が
少しでも断ち切れたらいいなという
思いも込めながら。
誰も責めることのないように
言葉を選びながら
正直なことを。
叔母は叔母なりに
受け止めてくれたのではないかと
思います。
私の中にもあったモヤモヤ。
少しすっきりしました。
叔母、全然70代には
見えない若さ。
病院は慣れたもので
テキパキと一緒に
動いてくれて
私との息もピッタリ。
兄は一体、どんな反応をするだろう?と
思いましたが・・・。
叔母が「Kちゃん、Mおばちゃんよ。
分かる?」と声をかけると
兄は嬉しさのあまり、
ツーっと涙を流していました。
手術前日に会えたお陰で、
精神科の薬がグンと減っていた状態
(手術に備えて)だったようです。
前の年に会った時と比べると
格段の違い。
感情の表現がしっかりとできただけでなく、
言葉も声もはっきりしていました。
予想外にコミュニケーションが
上手く取れたスタート。
兄ははらはらと何度も涙を流して、
再会を喜んだり、
私の言葉に反応して、
何度も感動の涙を見せていました。
兄の中で何かが変わった?
「希望があるかも!」と
安易にも思った再会初日でした。
最後までお読みくださいまして
ありがとうございました。