あの日から19年。 | 蹴球七日。

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東京ヴェルディ応援し、AWAYゲームへも駆けつけ、暇な時にはスケボーに乗っているブログです。

あの日が19年前の今日だったなんて忘れていた。
19年前の5月1日、僕はG.W.休暇を故郷で過ごしていた。
誰と飲んでいたかは忘れてしまったけれど、
たぶん、高校の同級生の石材屋の息子と天文館SOHOで飲んでいた。
へろへろになるまで飲み、店を出て天文館高プラ前の公衆電話で彼女に電話した。
「セナどうだった?」と聞いた。
彼女は泣いていた。

親父もセナが好きだった。
大学をやめて鹿児島へ帰り、1Kの部屋で親父と二人暮らししていたころ、
日曜の夜になると、6畳の畳の部屋で二人布団を並べてセナの走りを見ていた。
キャメルカラー、ロータスのマシンを操る若きブラジル人ドライバー。
彼はナイーブで口数も少ないけれど、レースが始まるととことん勝負に拘る。
彼がコーナーで勝負を仕掛ける度に、
僕は親父と二人で手に汗握りただ無言で14インチのブラウン管を眺めていた。

アイルトン・セナはあの時代のヒーローだった。

セナの死後、渋谷の東急でセナ展があった。
彼女と二人で見に行った。
たまたま近くでF1解説者の川井さんが知人と見に来ていた。
川井さんが知人にセナのエピソードをいろいろと話しているのが聞こえた。

「事故のあと、セナの時計(ホイヤー)は動いていたんだよね」って話しを聞いた。


数年後にロンドンへ行ったときに、週末のマーケットで生写真屋があった。
セナの写真もたくさん飾られていて、そのほとんどは見覚えのあるシーンばかり。
そんな中、見たことのないセナの表情を探しながら棚の写真を一枚ずつ見た。
その中に、パパラッチが納めた写真があった。
あの当時、どんな媒体でも出回らなかった写真。
きっと世の中に出回るにはタブーだった写真。写真週刊誌でも掲載されなかった一枚だ。
買うか買わないかと迷った1枚だったけれど、数ポンドで買える写真。
迷いながらも、そんな写真を購入することさえ心に後ろめたさはあったけれど購入した。
店員が茶封筒に入れてくれた。帰国してセナの写真集にはさんだ。


その写真は、イタリア・イモラでの事故の後、ヘリでボローニャの病院へ運ばれ、
ストレッチャーに乗せられ、気道確保のため切開され喉に白いホースが入れられ、
首は固定されながら口が半分開いているセナの写真。

結局、もうこの時には彼はたぶん亡くなっていたのだろうけれど、
でも、今まで数回しかこの写真をあらためて見る機会は無かったけれど、
見る度に、「この時の彼はまだ生きてるよね」って思う一枚。



マクラーレン・ホンダ時代のアイルトン・セナ。

セナがまだ生きていた頃、たまたま新宿マルイで見つけた写真。
F1カメラマン金子博さんが撮ったリバーサルフィルムからプリントした一枚。
金子博さんのサインも入って、額入りでたしか5000円弱で売っていた。
ヨーロッパラウンドでリタイアしてマシンを離れ歩いてパドックへ向かうセナの姿だ。


98年、友人が鈴鹿サーキットで行われたバイクレース、鈴鹿8時間耐久。
友人の手配で、彼と同じ鈴鹿サーキットホテルに宿泊した。
まぁ古いホテルで、でもサーキットへはとても近くて、
彼が運転するステップワゴンでサーキットへ。
サーキットの内側にある駐車場でクルマを降りパドックまで歩いた。
パドック裏にはエアコンの効いたプレハブ小屋があり、そこがドライバー達の控え室。
でもトイレはない。
大きなパラソルを持った水着のようなコスチュームを着たレースクイーンが闊歩する中、
パドック裏の共同トイレへ行った。
「ここへセナも来たのかな…」って思ったら、セナの居なくなったことを考えた。
セナの死後、長い間F1中継を見られなくなった。
セナのいないF1を見ることができないままでいた。損失感が興味さえも奪った。


僕を鈴鹿サーキットのパドックへ連れて行ってくれて、
8時間耐久レースのさなか、思う存分写真を撮る機会を与えてくれた同い年の親友。
彼も何年か後にイギリス・マン島TTレースにて事故に遭い亡くなった。

京都で暮らす彼は、僕と同じような境遇で、小さい頃に両親が離婚して、
電車好きだった彼がバイクの免許を取り、バイクでいろんなところへ出掛けるようになり、
峠道を走っているうちに、周りの人よりも速く走れる自分に気付きバイクレーサーとなった。
同い年。30歳を越えたころ、そう丁度、
鈴鹿のレースでステップワゴンを駐めてパドックへ向かう時に彼に聞いた。
「いつまでレース(現役)やるの?」と。

彼は、昔よりも今の方が速く走れるって話した。
昔はただがむしゃらに走っていたけれど、今は練習走行からセッティングを詰めて
マシンをうまくパッケージして、前よりとてもいいかんじで走れているんだよねって。


悲しいことに彼の逢った事故は避けられた事故だった。
マン島レースのフリー走行中に止まってしまったマシンを押していた時に、
後続のマシンに当たってしまったのだ。


プロフェッショナル・ドライバー。
彼らはすごい感覚でマシンを操り、マシンをドライブさせながらマシンの挙動を感じ、
マシンのどこに不具合があるかを身体で感じながら次のセッションに繋げる。
そんなプロフェッショナルであっても予測不能の事故もある。

命懸けのアスリート。
一瞬一瞬のタイムを刻みながら、コース上のベストなラインを読みながら、
タイムを刻む走りをしながらも、レースとなると追い越しのタイミングを図って勝負する。


大好きだったセナもそんなプロフェッショナルな凄いやつだったし、
僕の友人も、セナみたいに世間で騒がれるほどの有名ライダーではなかったけれど、
彼らが共通しているところは同じだと思う。


誰よりも速く。


「何人たりとも前を走らせない」と語った、バリバリ伝説の巨摩グンもヒーローだ。



前田淳。最近ケータイへ電話来ないから寂しいぞ!
今でも前田のアドレスはケータイに登録されたままだよ。
いっしょにマン島へ行き、僕がパドックで写真撮るっていう約束はまだ生きてるから。


でわでわっ。。。