今日、Kenjiさんと会話しました。
なぜ、Kenjiさんの講座で学んだことをアウトプットしないのか、ということについて。
そこにKenjiさんは「イライラしてるけど、その根底は悲しみです。」と言いました。
私は後で気づいたことですが、その会話をちゃんと聞いていませんでした。
「そうですよね。」と機械的に返事をしたのです。
その返事に対し、Kenjiさんは言いました。
「ちゃんと聞け。人の悲しみをちゃんと受け止めろ。
そこをスルーするな。君が向き合うところだ。」と。
「人の悲しみを感じる、その電源を抜いてる。電源を入れろ。」
私が蓋をしている部分にKenjiさんが触れました。
その時、私の頭に浮かんだことは
「電源なんて入れたらやばい。」
ここからは、私の解釈が入りますが、その時、私が思ったことを書きます。
「電源を入れて、人の悲しみを感じてしまったら耐えられなくて死んでしまうかもしれない。人のことを好きになって、どんどん大切な人が増えたら、なんかあった時に、それだけ悲しみが増えて、私は耐えられない。生きていけない。」
過去の経験が随分入っています。
好きで好きで仕方のない人が辛い時に助けられなかったこと。
大切な家族が泣くのを見るのが辛くてたまらないこと。
愛している人と離れることになり死んでしまうかと思ったこと。
そんな思いをするくらいなら、感じないようにしよう。
意識はしていませんでしたが、そうして私は電源を抜いて生きてきたのだと思います。
私は、目の前の人を助けられない。喜ばせることもできない。
好きな人が増える分、悲しみが増えるだけ。
それは私にとって、とてつもない恐怖でした。
人を愛することが恐怖そのものでした。
会話のあと、「怖さ」も「悲しみ」もけして無くなりはしないを再認識しました。
全力でそれを避けることをしてきました。
マザーテレサは「恐れることなく、人を愛しなさい」と言っています。
大好きな言葉です。
「恐れながら、人を愛しなさい」ということ
なんだなと思いました。
もっともっと、目の前の人を大好きになってもいい。
もっともっと、たくさんの人を愛してもいい。
「やっと氷が溶け始めたな。」とけんじさんは言いました。
感じない冷凍人間だった私。
そうだとしたらすごく嬉しい。
これに気づいたからと言って、実際に今の自分が変わるのかなという疑問(自分への不信)もあります。
けれど、この気づきをいつも思い返して、人を好きになって、大好きな人を悲しませたくないから、悲しませないために、笑顔になってもらうために、自分ができることをやっていきます。
私は、恐れがありながらも、人を愛していきます。