心から笑い合える日をつくる、パノンコミュ。

「なぜかここに来ればどんどん問題が解決していくお店」

「なんだかここに来れば あれれ どんどん人生が幸せになっていくぞ」 そんなお店を運営しています。

お金も稼いで、貢献もしていく、その両方を手に入れていく。そんな生き方の提案をしています。
http://ameblo.jp/atokau/entry-12172123827.html



「世の中を変えていくことより、誰かの世の中を変えていくこと!」

京都蓮生院のご住職、小西隨晟さんと麻酔科のベテランの医者、李暁正さんのセミナーを主催しています。

都蓮生院のご住職、小西隨晟さん(こにしずいせいさん)は
「住んでいる人の『思い出』と『希望』を与える」(震災での現場での言葉)
震災地では、「魂まで入れてくれる人」と評判の方です。

ベテランの医者、李暁正さん(りーあきまささん)の夢は「ボランティアで医者がやる」世の中を実現中の方です。

  小西隨晟さん                         李暁正さん
 


僕が関わる2つのコミュニティをご紹介します。


幸せの循環を生み出していく、「幸せのペイフォワード」へのご招待。


「本来持っている純粋な想いや夢と、自分で素敵な人生を切り拓いていく力。幸せを伝播していくこと。」


ロバート・ハリスさん公認 会員制オンラインコミュニティ


■ロバートハリスさん紹介
横浜生まれ。高校時代から国内、海外をヒッチハイクで旅する。大学卒業後、東南アジアを放浪。バリ島で1年を過ごしたのち、オーストラリアに渡り、88年まで16年滞在。シドニーで書店兼画廊「エグザイルス」を経営する。また、映画、TVなどの製作スタッフとしても活躍。帰国後、92年よりJ-WAVEのナビゲーターに。現在、作家としても活躍。その独自の生き方や世界観が若者やアーティストから熱く支持されている。著書に『エグザイルス』『ワイルドサイドを歩け』『黒く塗れ!』『人生100のリスト』『アフォリズム』などがある。



このコミュ二ティは夢を考えるコト&叶えるコトのきっかけ、足掛かりとしての存在を担います。

8月21日(日)ロバート・ハリスさんと対談を行います。

「僕らが8月21日につくりだしたいことは、シンプルに「人生を楽しくする」ってことです。自分のやりたいことってもっと追求していいと思うのです。細かく。そしてドラマチックに。」

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医者や治療家さんには1人1人の方と向き合う時間がない。どうしてもみる人数が多いからね。

そこに病気を克服された方の力が加われば、僕は鬼に金棒だと思うのです。

1番はほんと病気を克服されるまでの体験を詳しくレポート等にしてまとめる。

ポイントは、『当たり障りのないようなものじゃなくて絶対言いたくないようなもの』がいいです。

もうほんと誰にも言いたくない、墓場までもっていきたい。でも同じように悩んでいたり、苦しんでいる人なら・・・その気持ちがよくわかるから、その人の為にならいいっていうようなもの。

もうほんと仕方がなし。

ふつう本と言われたら出したい人は多いと思うのです。そういうじゃなくてむしろ逆。絶対出したくないというようなもの。

そういう情報にこそ、本当の情報の価値があると思うのです。

あたり触りのないようなこと書いていてそんな人の心に響くのかと思うし、そういうのがいいと思うんですね。


体験を書いて、あとは相談というよりは話を聞くだけ。あとは自分の体験で質問されるものにこたえる。

質問されて、自分の体験したものはすべてこたえていく感じ。

質問されることにより、書いたものもバージョンアップされると思うから。


「情報を伝える。相談に乗る(話を聞く)」

それだけでもほんと救われる人っていると思うのです。


直接話ができるというのも非常に効果的だと思います。


それで1人で相談乗るといったらあれだけど、医者や治療家さんと連携とれればいいなあと思っている。

医者が時間がなかったら看護師さんでもいいと思うのです。自分と医者との間に入ってくれる人。


実際、そういう病気を克服された方をまとめて、1つのサイトもつくろうと思っています。12年前にチャレンジしようとしていたものだけど。

実際、チャレンジしようとして、実際、チャレンジして途中で辞めたのです。それができなかったというわけじゃなくてそれどころじゃなくなったのです。

じつは20歳の時にフラれた彼女と再会して再度付き合うことになったのです。連絡がかかってきてね。

あってみたら、「何があった」みたいな感じになっていて、これは付き合った後にわかったのですが、解離性同一障害だったのです。多重人格というものです。

このものと向き合うことで精一杯で、それどころじゃなくなったのですが、実際、行動にうつしていたんですね。


それでその彼女との問題が解決した時に、もう僕は病気のことを辞めようと思ったのです。

もう充分やった。自分の好きなことをやろうと思ったのです。それでワタミに就職したんですね。


まだサイトつくるのは未定ですが、より貢献できればと思ってね。


とりあえずはほんと自分の体験をわかちあって、ほんと病気の方の相談に乗って欲しいと思うのです。克服された方は。

そういう人が、医者や治療家さんの間に入るのが1番いい。と僕は思うのです。

連携しあえるし。協力しあえるし。


実際自分1人ではハードルが高いだろうから手伝おうと思っているのですがその時間がないんですね。

だから通信講座みたいにして教えれるものは教えて自分でやってもらおうと思っています。

あとはコミュニティつくってみんなで協力しあってやるとかね。

僕は場をつくったり、監督みたいにはできるけれどね。


僕が手伝うとかそういうの抜きにして、なんかやってもらいたいなと思います。



実際、自分が何かされているなら集客の入口の1つにもなると思うんですね。新しい。


ただわかちあって、相談乗っていったりするだけですが、結果的に与えていたら、絶対自分に返ってくると思うんですね。

別に集客目的でやるというじゃなくて、それは結果的にということです。



病気が治って、さあ新しいことなにかしようと思ってもなかなかうまくいかないことだってあると思うのです。


斎藤一人さんという方が、人は次、次、行こうとするんだけどそうじゃなくて、何かに悩んでいた、それが解決した。

じゃあ次に行こうというのじゃなくて、その方法を教えるんだよということを斎藤一人さんのCD聞いてきて言っていたのを覚えています。


次々、行こうとするのではなくて、過去できなかったものができた、そうしたらそれを教えはじめる。伝え始める。

そうしたら自分が「次のステージに押し上げられる」という話をしていたのです。

そういう作業しないで、次々行こうとしてもなかなかうまくいかなかったり、運勢がくすぶるとおっしゃられていたのです。


僕もほんとそう思うのです。とくにコンサルしているから。

みんな次々次々行こうとするんですね。過去を振り返ってわかちあって、相談のったりする人はいないのです。ほとんど。


『克服したならその体験を全部、すべて与えていく』


そうすることに病が減ると思うのです。悩む人が減る。

「病気症状問題解決」というのを意識した時、1番それが効果的だと思ったのです。
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ぜひ何かしら病気だった人は、治るまでの経緯を赤裸々にまとめて欲しいと思っています。

『誰にも言いたくない、でも同じ悩んでいる人にだったら』

それが情報の価値だと思うのです。本にはけして出ない情報。

そういったものをまとめて、同じ悩んでいる人にだけ渡す。

そしてそれだけじゃなくて、話も聞く。

もちろんアドバイスなんてしなくていいしいらない。ただ話をきく。それと自分の体験を伝える、時に質問された時に。

これだけでほんと人は救われると思うのです。


僕はその人しか救えない人がいると思っています。その人の言葉が1番届くというもの。

人によってこの人の言っていることは聞こえるけれど、
この人の伝えるものはまったく耳に入らないとかってあります。


僕自身たくさんの方の相談に乗って、ほんとに全力で解決しようとして、だからこそみえてくるものがあると思うのですが、それが「自分1人の限界」です。

「自分1人の限界」というのははじめからそういうのはなくて、まずは自分1人でやってみる。全力で。


でもそうするとふつうに壁にぶつかります。「自分1人では無理だな」って。


人間って自分1人の力だけじゃあたかがしれているんだなと思います。


今では僕は、病気は、医者だけでは無理だし、お医者さんも必要で、看護師さんや、治療家さん、友人や恋人やか家族、

みんなの力があわさった時、『僕はどんな病気も治ると思っている』

根拠ないんだけどね。ただの頭の中のイメージの話。言語化厳しいなあと。それでできたとしても根拠がないから、根拠ないというわけです。

でもまあそう思って悪いものじゃないし、

バランスって僕は「One for all,all for one. 一人はみんなのために、みんなは一人のために」だと思っています。


みんなが1人の為に力をあわせてやる。

それで自分はみんなの為に治す。


自分はみんなの為に治すというより、愛をしっかりと受け取るということかな。



僕はたくさん病気の方に相談にのってきて、とくに24歳の時は、「地球上の誰よりもその人のことを思おう」と思ってやっていました。1日限定だけど。


いろんな相談乗る中で、僕がアドバイスするにはほんと申し訳ないというか、こんな若輩者があなたに何言うんですかということがありました。

何も言えない。言う事自体がストレス。

でも求められる。


言ってくれと言われているのに、言わないのは罪悪感。

でも言うのも非常にストレス。


言わないのもストレス。言うのもストレス。

「どないせいっちゅうねん」

みたいな状態がありました。


「僕はあなたに何かこたえる資格はありません」と思ったのです。

そんなふうに思って逃げたらいいのですが、

僕の頭はこういう時にいつもブレイクスルーをつくります。



「僕はあなたに何かこたえる資格はありません」と悩んでいたらいきなり、

「資格がないならつくればいい」と思ったのです。

しかもそれも「地球上で1番誰よりもその人のことを考える。24時間限定」



地球上で1番誰よりもその人のことを考える。それをずっとやれと言われたら無理なのです。

でも1日だったらできると思ったのです。

それで1日だけはご飯食べる時、寝る前、お風呂に入っている時や、あとは「この人がどうやったら治るんだろう」と考えて本を読むとか、

1日だけだけどその人のことを誰よりも考えて動こうと思って動いていたのです。

そうしたら1日経つとおもしろいのです。「言えるのです」



あれだけなんか言うのがストレスって思っていたのが、

地球上で1番誰よりもその人のことを考えたら、言えるのです。行動して、1日だけですが。


そういうことを僕は半年続けていたことがあります。


相談のっていて思ったのは、ほんと自分だけの限界があるなあって思ったのです。

「どう考えても僕の言葉は相手に届いていないなあ」って。


それで思ったのです。同じ病気で克服された方なら、きっと言葉が届くんだろうなって。

やっぱり体験からにじみ出てくる言葉ってあります。それが相手の心に届かす。

自分1人の限界を感じました。


病気を治すには治療家や医者だけは厳しいなあ。克服した方の力がいると思ったのです。

結局家族がいくら「大丈夫よ」といったところでストレスにしかならない。

家族は家族で支えれるところはあります。でも大丈夫とかじゃなくて、大丈夫は、どちらかというと、克服した人が言ったほうがいい。


それで実際、1人で相談に乗るというのはなかなか難しいと思う。自分の体験をわかちあって、話を聞くだけでもとても救われると思うけれど、それだけだと厳しいと思う。だから時に医者や治療家さんと連携がとれればと思う。

実際の問題は、医者や治療家さんには1人1人の方と向き合う時間がない。どうしても数が多いからね。

それは看護師にしたってそう。職業柄何百人の看護師さんとも話をしてきた。

看護師を辞められた方も多い。それは1人1人の患者さんと向き合える時間が少ないと。どうしてもやることが多いからね。


実際僕がワタミを辞めた理由の1つにお客さんと話ができる時間が少ないというのがありました。

ワタミは飲食で大型店舗であって、どうしても日々の仕事が優先される。

僕は今の時代に大型店舗はあまり合わないと思いました。

小さくていい。でも1人1人のお客さんと対話ができる店。そういう店がこれから流行る、増えるだろうなと思いました。

実際ワタミは2008年1000店舗という目標を掲げたけれど大幅な修正をかけたり、なおかつ最近でも100店舗の閉鎖を行いました。

ブラック企業と言われたり、自殺の問題もあるけれど、1番はそもそもが大型店舗に需要が減ったということ。

僕はねそう思っているのです。小さお店でいい。それをたくさん増やす。

それで「飲食」×「自分の武器」で集客していけばいいと思うのです。

僕で言えばコンサルやカウンセリングやいろいろできるから、そういうのを付加価値にしてやれればいいと思いました。

本来は僕はコンサルやカウンセリングをする気はまったくなかったのです。飲食やって来ていただいたお客さんの人生を変えようと思っていたのです。

「うんここに来ればなぜか問題が解決するぞ」

「ここにくればどんどん幸せになっていくわ」

そういう店をつくろうと思ったのです。


たんじゅんに飲食だけするのが嫌なのです。「美味しかった」「うまかった」

それも悪くないけれどそれだけじゃ嫌なのです。

人はいろんな問題を抱えている。それを解決したいと思ったし、なによりみんなお店に来てくれているけれど来れない人だっている。病気で。

家でひきこもっていたり。

僕は元気なお客さんを相手にしている。ようは幸せな人を相手にしている。

幸せな人はいいと思ったのです。幸せだから。

その人たちは笑顔だからいいとして、僕はお店に来れないような人を相手に仕事をしたいと思ったのです。

お店に来れないような方を相手にして、元気になってお店にきてくれる。それで一緒に乾杯。そんな世界を体感したいと思ったのです。


僕はね病気も含めていろんな体験がある方がとても大好きです。

それはあたりまえのその日々にとても感謝してくれる人が多いから。


正直にワタミに来てお客さんをみてイライラすることもあったのです。

彼女いて、仕事もあって、スーツをきて、そりゃいろんなものを手に入れているわけで、もちろん体も五体満足でね。

でも口から出る言葉がなんか会社愚痴とか、「なんかおもしろいことないかなあ」とか、


こんなの思ったらダメなんだけど胸ぐら掴みそうになったのです。「おまえなめるな」って。


そんなの言えば、上司からめちゃくちゃ怒られ、会社から怒られ、ワタミの人間としては非常識なのですがやりそうになるのです。

ワタミで社員じゃなくて自分の店だったら絶対胸ぐらつかんでいたと思うのです。

「おまえなあ」って。


まわりからすれば意味不明だと思います。


僕の中で何が起きているのかというと、おまえのその位置を目指して頑張っている人がどれだけいると思うねん。

社会復帰する為に一生懸命やっていたり、外に出てある意味ふつうなんてないんだけどふつうだと言われるそのものを夢みて一生懸命がんばっている人がいるのに、

その生活をおまえは手に入れていて、何がおもしろくないねん。笑わせるなと。もっと感謝して生きろ。今のありがたさを知れと。



ワタミに入社する前にたくさんの病気の方と向き合った体験からそのようにいたったわけですが、こんなのいきなりやられたら意味不明ですよね。

僕はこういうのが非常に多かったのです。まわりからみれば境界例人格障害や病気にみられるでしょうね。実際あったし。



五体満足で、愚痴や文句言っている人をみるとイライラしてくる。(今はないですよ)

イライラというよりはワタミでいて、


「おれはこんなことしてていいのだろうか」とか、

「僕はもっと他にやることあるんじゃないだろうか」とか、

ほんと考えていたり、

実際にはなんか声みたいなものが聴こえてくるのです。

「助けて」とか「苦しい」とか。


幻聴みたいなものじゃないと思うのですが、なんか聴こえてくるみたいなこともありました。


まあ疲れのせいにしていました。「病んでいるな僕はと」


で、みょうに聞こえてきたり、いろいろ考えたりするものだから、もう本気でめんどくさくなって、

「もうほんと病気の人なんてどうでもいいわ」

「ああもううざい」とか、


もうほんとプチンときて、「おれはもう飲食のことしか考えない」と決めたのです。


もう病気のことには関われへん。おれはもう自分の道を行く。もうおれは好きな道をいく。


「もうおれは出世すんねん」


「ワタミでフランチャイズでオーナーになって店長3人ぐらい育てて、もうおれは飲食で成功する!」

と決めて、

飲食のことしか考えないことに決めたのです。もう自分のことしか考えない。飲食のことしか考えない。


病気の相談とか乗るからこんなおかしいことになんねん。ほんとやるんじゃなかった。


ふざけるな!と思って、いや自分にぶち切れてね。


もうやめ、やめ、おれは飲食のことしか考えないと決めて、

自分の頭の中の会話やきこえてくるいろいろな声を全部シャットアウトしようと決めたのです。



「もうおれは考えない。飲食1本で行く!」


そう決めて3日後、


3日後も経ってないですね。事故に遭いました。体のの1/4を火傷をしました。あたり一面火の海になりました。

死にかけたのです。

結果的には火の中、飛び出て、飛び出たら頭から服から燃えていたので全部手でかき消して、かき消し終えた時にはパンツ一丁です。

そこから服を着替えにいって、3階に登って、一服していたら、救急車呼ばれて、それに乗って、救急車の中で、「なんで服着るねん!」と怒られて、また脱がされて、

そのまま病院にいって、ふつうにその日に帰ろうとしたら止められて、そのままICU(集中治療室)に運ばれて、「なんで病院に泊まらなあかんねん。明日仕事やねん」

と思って、「まあいいや。疲れた。寝よう」

そう思って、2時間後ですね、激痛が走りだしたのは。燃えるように体が熱くなったのは。


そこからはまあけっこう地獄でしたね。


そんな経緯を経て、「やっぱり魂には逆らえへんのかなあ」と思って、


1番はそれをきっかけに会社を辞めました。


「病気のことをもう1度やろう」と思ったのです。
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セッションの感想をシェアします。


kenjiさん、3回のセッション、本当に本当にありがとうございました。

kenjiさんからいただいたたくさんの言葉が、諦めと皮肉に埋もれていた自分にじんわり染み込みました。大好きだけれども日々をこなすのに必死で苦しかった教員生活を離れ、自分はずっとこのまま家でのんびり過ごすのかな、まあそれも悪くはないか、くらいに思っていました。

勇気を振り絞ってお願いしました3回のセッションを通して、自分でも忘れかけていた熱い気持ちを再び思い出すことができました。

3回目のセッションで、コミュニティについて相談させていただきました。作ろうと思うけれど、傷の舐め合いにしかならないのではないか、と。

kenjiさんに、目指す方向性や核になるものがないと成り立たないと教えていただき、実際に朋美さんの幸せのペイフォワードのコミュニティや、kenjiさんのパノンコミュニティを改めて見せていただいて、やっと腑に落ちました。

また、「小さな子どもをもつ先生たち」という新たな視点を投げかけていただき、その言葉をセッションの後もずっと噛み締めていて、わくわくが波のように押し寄せてきたんです。

それ、私ほしい!やりたい!、と。

不思議ですね。自分の頭でぐるぐる考えているときには、それって傷の舐め合い?本当に必要?私、やりたいの?と、正直言えば考えるだけでパワーを消耗する感覚だったのに、今は全然違います。

私、立候補してやっていきます!

自分で「やっていく」と選択をして立場をとることは、決断すればいつでもできるんですね。

年齢とか、性別とか、環境とか、理由を見つけて「やりません」と決めることもできる。

でも、私は「やっていく」を選択して進んでいきます。

kenjiさんに、そのパワーをいただきました。

「私はできる」、自分のもつ可能性に気付かせていただきました。

kenjiさんに申し込んだことも、大きな選択でした。改めてその選択をした自分を認めてあげたいし、たくさん誉めてあげたいです。

kenjiさんと出会えてよかったです。

kenjiさんに気付かせていただいた可能性を形にしていきます。
まずは、みんな聞いてー!!とブログで発信をしていきます。

そして、今受講している、愛と勇気づけの親子関係セミナーの講師で、教員大先輩でもある先生の力をお借りしながら、小さな子どもをもつ先生たちの会を主催できるよう準備していきます。まずは相談からですが。

先生という仕事が大好きで、子育てをしながら今も頑張っている人
先生という仕事は大好きだけど、両立できる自信がなくて退職した人
一度仕事を離れたけど、本当は戻りたい気持ちもあって迷っている人
これから出産や妊娠を迎え、先生を続けるかどうか悩んでいる人
受け持っている子どもたちと、我が子とのバランスに悩んでいる人

自分もそうだし、友達にもいるし、こうした悩みや迷いを抱えている先生たちって、本当にたくさんいると思います。

そんな先生たちが集まって、実際に両立している人の知恵を借りたり、迷いや不安を分ち合ったりしながら、我が子も受け持っている子どもたちも、同じように温かく愛をもって関われたら素敵だなと思います。

それって、自分がやりたいと考えていた、
「教室の片隅で困っている子どもたちに寄り添う」
「一生懸命に子どもたちと向き合い、息がつけなくなっている先生たちのサポートをする」ことにつながると思いました。

もっと目指す方向性をはっきりとさせていく必要があると思いますが、アウトプットしながら、1歩ずつ進んでいきます。

ご縁に心から感謝いたします。




感想をありがとうございます。どんどんコミュニティの力を借りていきましょう。

僕のパノンのコミュニティもあづささんの歩む道のりに貢献できればと思います。

今は病気の克服レポートをつくったり、アトピーのことにとりかかる準備をしていますが、来月にはパノンのコミュニティにも力を入れれると思いますのでよろしくお願いします。

大切なことは、人の力、人のパワーを借りていくことです。

大事なことは、自分の目標、目的を見失わないことです。

人は自分の目標、目的がないわけじゃないのです。「埋もれているだけなのです」「見失っているだけなのです」、だから取り戻せばいいだけなのです。

取り戻すというのと、ないと思い探すというのとは違います。

努力の方向がまったく変わってくるのです。ないから探すなら、それはみつけられないです。

「取り戻す」

そして埋もれないようにする為に人と共にいます。1人になるとどうしても埋もれるのです。

それは誰でもです。ぼくはよく1人でいましたがそれは中村天風さんの「我は宇宙霊と共にあり」という中村天風さんは心身統一法の創立者でもありますが、そういったみにみえないものとつながり、そのパワーはありました。

だけどそれも1人ではありません。1人でいるとどうしても恐怖、不安はあると思うのです。

1人でフンフンみたいな人がいるとしたら、それは1人ではなくてなにかと必ずつながっています。

それは亡くなられた友人かもしれません。その友人の思いや言葉を内側に秘めてやっている。

それが亡くなられたお父さんである場合もあります。

いや亡くなっている必要はないのですが、

でも僕が言えるのは1人ではやっていないということです。

1人でやっているけれどその人1人ではやっていないのです。だからパワフルにやれるのです。

1人の限界があるのです。1人ではどうしても不安や恐怖にかられてしまったり、行動ができなくなります。まるでかなしばりにあっているかのように。

行動できる人は必ず人といるのです。

正確にいうと人じゃない場合もあります。動物や自然や、石やなんでもいいのですが、それらとつながっているのです。

どことつながっているかは人それぞれです。ただつながりのパワーがあるのです。

だからつながるということが大切です。

できるなら多くの人やものとつながることがおすすめです。つながればつながるほど自分のパワーになるからです。


つながるにはどうすればいいのか。

それは「思い(気持ち)をしっかりと受け取ること」です。そのものやその人の。


人とのつながりの中でいてください。大切なことは自分の目標、目的、自分の行きたいところに行く為です。

自分の住みたいところで住む為です。住むとかそういうのはハワイやどこかに行くとかそういうのじゃなくて、主に人間関係です。「自分の住みたい環境を自分でつくる」


だれかが与えてくれるのを待っている人生は子供の人生です。

大人は「自分でつくる」、つくっていくしかありません。

ある環境を嘆いていては仕方がないのです。「つくる」しかないのです。でも「つくれば」あるわけです。

「自分がつくればそれはやってくる」です。


それというのは自分の欲しいものを入れ込んでください。


あづささんの夢は僕の夢でもあります。


人の夢を自分の夢に変える。これもつながる1つです。いろんなつながり方があります。それにより人生が決まります。

運命は決まっていません。運命があるとしたら、どことつながるかです。それにより運命は決まります。

共に世の中に貢献しに行きましょう。それが自分の人生を豊かに、自由へとしてくれます。

ありがとうございます!

         kenji
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セッションの感想です。

電話でのセッショは正直少し不安でした。

ですが、kenji さんに関わってる方はみなさん自分の人生を楽しんで生きてます。私も楽しく生きたい!変わりたい!Kenji さんについて行こう!と思いました。

あとは、「心からの笑いを与える」って名前も気になってました。難しい感じの名前だったら「私には無理」って思ったかもしれません。

電話でのセッション、1回目はめっちゃ緊張しました。どういう風に仕事をして行きたいのか、具体的にいろんな案が出て、でも、その時の私は「私にそれができるのか?」っという不安がありました。

2回目の時にkenji さんが今までの私の生き方について考える機会をくれました。私自身大きな発見でした。

3回目のセッションの何日か前に自分の生きてきた道が府に落ちるっということがありました。

頭で理解していたことを心が理解したんです。

幼い頃からの自分自信を理解するのにこんなに時間がかかるんだとびっくりな気持ちと、私は気づけたけど気づけず心が迷子になってる方の力になりたい!素直にそう思えました。1回目のセッションで出てきた案もできる!と思えたんです。

きっと2回目のセッションで私の中のスイッチがオンになったんだと思います。

私の中の大事な大事な部分、潜在意識に埋もれて眠ってた部分を目覚めさせてもらいました。

Kenji さんに出会えて本当に良かったです。
これからもkenji さんについて行きます!

重いものを脱ぎ捨てたので、バリバリ頑張ります!

ありがとうございました。」


丸山晴美さんからです。

(丸山晴美さんです↓)




それで丸山晴美さんに伝えることを、ここでお伝えしようと思います。

丸山晴美さんに貢献していただきね。

本来は内輪話のネタなのです。でもみんなに活かして欲しいし、もらいたいし、なのでご協力いただきお伝えします。


丸山晴美さんは仕事を辞められ、自分のやりたいことに専念したいという感じなんですね。

自分でやるというのは基本的にはハードルが高いものだと思うのです。でもそういうものは絶対やれるし、かんたんなものなのです。

かんたんなものというよりはちょっとしたことです。

たとえばこの記事に↓
http://ameblo.jp/karingaku/entry-12179889071.html


「私のような生きにくさを感じて生きている人を

 導いていけるような
笑顔の循環を起こせる人になるよ!


と書かれていましたが、

これでは絶対無理なのです。何が無理って、たぶんやっていく段階で、いろんな恐怖や不安が出てくるだろうし、「ああ自分は向いてないんじゃないだろうか」とか「ああわたしなんて」とか、

もういろんなブレイクダウンがやってくるのです。まったく乗り越えれないような。

そう乗り越えれません。


努力や根性の問題じゃないのです。無理なのです。

だから多くの人がここでつまづいています。


できない人になるのです。

なぜかって、

「私のような生きにくさを感じて生きている人を

 導いていけるような

笑顔の循環を起こせる人になるよ!


目指しているわけです。

この世界って非常に心地いわけです。
夢の中にいる。願望の中にいる。ある意味、妄想の中にいる。現実をみていないともいえるわけです。

その状態で、やっていくというのは現実ですよね。現実の壁を乗り越えれないのです。

そんなに甘くないです。

やがて目覚める。

だから「ああ自分は向いてないんじゃないだろうか」とか「ああわたしなんて」とか、もういろんなブレイクダウンがやってくるのです。まったく乗り越えれないような。

油断したのです。錯覚したのです。

これは誰にでもありますよ。


これは不動産屋、20代前半にしていた時から思っていたのです。

多くの人は夢をもってこられます。たとえば店舗借りるとかね。

時に何年もかかってお金を貯めて、自分の夢を叶えるわけです。お店もったりしてね。

でも現実はというか、僕は不動産屋しているので現状がよくわかるのです。たとえばそのマンションや店舗を管理していると、たとえば家賃滞納等いろいろ起きるわけです。

通常知らない、みえない裏の顔がみえるのです。


半年で潰れる、1年で潰れる、よくあります。

表面上はよくみえても、内部にいるからよくわかるんですね。思っているよりも酷いです。大変です。


で、「みんなポジティブなのです」

自分だけはいけると思っていたり、

あとは夢を叶えることに夢中。

自分のお店をもつことが夢だったりね。そこが意識としてあって、何年も努力を積み重ねて、夢を達成!

だけど、肝心なのはそれはその人にとってゴールだったのです。

「自分の夢を叶える」

お店を出すとかね。

たしかにそれは叶いました。キレイなお店たくさんありますよね。

でもこれはあたりまえなこというのですが、お店を出してからがスタートです。

どちらかというと、お店を出してからがスタートですからお店を出してからエネルギー集中です。

でもお店出す前にエネルギーをつかっているのです。

だからなんていうかはじまった時には、夢を叶える為にやっていたエネルギーがそこにはなかったりします。

これが多くは敗因だと思います。


お店出す為にがんばったのです。夢叶えたのです。そこからは楽したいというのが人間の気持ちだと思うのです。でも違います。そこからが1番楽できないのです。

だから楽しんでやるというのが非常に大事なのです。

あとはがんばらないとかね。

がんばると続かない。物事を達成するかもしれない。だけどビジネスは長期戦です。

これはもはや悪循環に突入します。思い通りにいかないとイライラとかね。

で、従業員に伝わりよけいにうまくいかないとかね。

ずっとがんばる道ですよね。


なにかどこかで変えておかないといけないのです。



だからちょっとしたことなのですが、
これを変えたのです↓

「私のような生きにくさを感じて生きている人を

 導いていけるような

笑顔の循環を起こせる人になるよ!



これを、

「私はワタシを120%活かせる生き方」心理学と手作りコスメのはるちん


ヘッダー画像みてくれたらわかると思うのですが、

「ヘッダー画像に、私のような行きにくさを感じて生きた人を導いて、笑顔の循環を起こします」

と書かれています。


「私のような生きにくさを感じて生きている人を導いていけるような笑顔の循環を起こせる人になるよ!」


「私のような行きにくさを感じて生きた人を導いて、笑顔の循環を起こします」



この違いわかりますか。言葉遊びしたいわけじゃないんですよ。言葉遊びしているようにみえるなら、それただのバカですよ。バカとか言いたくないですよ。でも本当に大事なことなのです。覚えておいてもらいたいのです。今使う使わない別にしていいから。いらないのはいらないでいいと思うのです。でもこれからの人生、ひょっとしたら必要かもしれない。困ったような状況怒らないで欲しい。悩まないで欲しい。悲しい思いしないで欲しい。あなたに笑顔でいてもらいたい。

そういう心がどうしても相手に届けようとしたら、バカですよって。

本気なんです、僕は。だから人の人生変えることができるのです。

で、実際そうなっているわけです。喜んでくれています。自分の行きたいところに行けるわけです。

別にムリヤリとか、行きたくないところに連れていこうなんてしていないわけです。

人間ありますよね。「こうしたいけどできない」とか自分が邪魔するとか。できないとか。

そういう自分の枠みたいなものがあってそいつが邪魔をする。

外に出たいのに出れないみたいな感じだから、壁があって、だからバーンって壁を壊すわけです。

今まではこんな説明すらできなかったのです。

「それただのバカですよ。」とか使いたい放題ですよ。

ただの酷い人とかね。

説明なしみたいな。

やっていることに対して、あまり自分報われないなあという体験もたくさんして、今あるのが自分自身が自分の言葉をどういう意図でいっているのかをみて、そうしたらだいぶ言葉の使い方、バカという量が減り、

本当に使わないといけないみたいなところにつかう。でもそれもちゃんと説明する。

今はそんなふうにだんだん僕も成長してきました。

それでこれを書いていて思うのは、ここでのバカの使い方も違うなと思いました。

だからと言って、消したりしないですよ。「ありのまま」です。

だってこれが自分だから。

これが自分なのです。

「ああこうみられるから」とか「あっ間違えた」とかで消しもしないです。


そんなことしたら伝わるものも伝わらない。ただのそれは自分の保身なわけです。


ただあることを正直に素直に伝える。

バカと言いましたが、バカではありません。ごめんなさい。

僕がほんと伝えたいのはわかって欲しいのです。理解してもらいたいのです。

大切なことを伝えていることを理解してもらいたいのです。

なぜってあなたに悲しい思いをしてもらいたくないから。笑顔でいて欲しいから。

人生順調じゃないより、順調な方がいいです。

人生じゃない順調も無駄じゃないですよ。でもないほうがいいに決まっているじゃないですか。

あとあとですよ、そんなものは。結果論です。あとあと過ぎればよかった体験にだいたいなりますよ。脳はちょうじり味わせるので。

過去の出来事はできるだけハッピーに変えたいわけなので。そのほうが人生楽しいです。


でも本音は、苦しいのが嫌に決まっているじゃないですか。悲しい思いなんてしたくないのです。


だから伝える。一生懸命伝える。

べつに強制じゃないです。どちらかというとプレゼンです。

恋愛するのに好きだからって一生懸命伝えるようなものです。

別に選択は相手ですよ。

で、一生懸命伝えていたら、あきらめずにとか、なんかカタチ変えていろいろやっていたら、ある時、「NO」が「YES」に変わったりするじゃないですか。

101回目のプロポーズじゃないけれど。


べつにこれ強制かって違うと思うのです。

相手の嫌なことしたらダメだと思うのです。でも微妙な線ってあるじゃないですか。その線は登っていっていいと思うのです。

そういうのはすごく恋愛からとかで学べますよね。

僕は基本あっさりなので。


でも唯一、101回目の武田鉄也みたいに行こうと決めた時がありました。

それが今の奥さんですが、1回でいけた。100回ないみたいな感じでしたが、

でもそれは101回目の武田鉄也で行くぞと決めたのが1番の成功要因だったと思うのです。


それが伝わるみたいなね。


うんなんでこんな話をしているのだろう。こんな話はしたくない。

そうそうそう

だから

「私のような生きにくさを感じて生きている人を導いていけるような笑顔の循環を起こせる人になるよ!」


「私のような行きにくさを感じて生きた人を導いて、笑顔の循環を起こします」


この2つについての違いなのですが、もうぜんぜん脱線しているのですがちょっとモードを切り替えて聞いて欲しいのです。読むのがしんどいのならまたでいいです。でも読んでおいてください。大事なのです。とても。 とても。

「私のような生きにくさを感じて生きている人を導いていけるような笑顔の循環を起こせる人になるよ!」

これはいつかなのです。


「私のような行きにくさを感じて生きた人を導いて、笑顔の循環を起こします」

これは今なのです。



今に存在させないといけないのです。なぜなら今しかないからです。


「私のような行きにくさを感じて生きた人を導いて、笑顔の循環を起こします」


と言って、宣言して、初心者ですよ。

いろいろあると思いますよ。はじめはぜんぜんうまくいかない、そんな体験もあると思います。

思うと言っているのははじめからうまくいく人もいるからです。

サーフィンやらせて、はじめからスイスイ乗れるという人もマレかもしれませんがはじめからいると思うのです。

ピアノでも6歳で全部楽譜覚えて、7歳で全部ひけるという人もいました。


こんなものはたぶん前世でやってたんですよ。推測ですが。だから覚えたというよりは、思い出したという感じかもしれません。思い出したなら弾けますよね。でもこれから覚えるというのなら、やりすぎかなと。「天才」だと。

だけど思い出しただけならふつうです。


でもそんなのマレです。だいたいはじめは無理です。失敗しながら、練習しながら覚えていきます。上達させていきます。

その始まりが、

「私のような行きにくさを感じて生きた人を導いて、笑顔の循環を起こします」


と言って、宣言して、初心者ですよ。でもそこからなのです。練習して、訓練して、上達させていくわけです。はやく上達させたいなら誰よりも訓練です。あらゆるスポーツと同じです。
勉強も同じだとおもます。

あらゆるものはそうです。

でもこれだと↓

「私のような生きにくさを感じて生きている人を導いていけるような笑顔の循環を起こせる人になるよ!」


別の練習するんですよ。自転車乗るのに、教科書の勉強しはじめるとか。

「おまえはマニアか」とか。


「なにをやろうとしてしてんねん。なにになろうとしてんねん」と。


間違った努力ですよね。


別に学者や研究者になりたいならわかるのです。評論家とかね。

でも僕らは行動を伴うようなことをやっていくわけですよね。

野球で言えば、バッターボックスに立って、チャレンジしていくわけです。三線もあるし、ピッチャーならうたれることもあるって話です。

そういう体動かして(行動して)やるわけです。


体動かして(行動して)やるには邪魔なんですよ。


自転車乗るのに、教科書の勉強しはじめるとか、

「逆に乗れなくなるわ」って。


知り過ぎて。


それでそんなのやって、

「行動できないんですー」って、

そりゃでけへんって。そんな頭でっかち。



「私のような生きにくさを感じて生きている人を導いていけるような笑顔の循環を起こせる人になるよ!」


「私のような行きにくさを感じて生きた人を導いて、笑顔の循環を起こします」


これとこれとでは生き方が違うのです。変わるのです。努力の仕方も変わります。みえる世界も変わります。

成功とはここからです。行動なしは成果なしです。

正しい行動ができるように、うまくやれるように、

道に困らぬように、道に迷わぬように、会社辞めたんだから、それでほんとやっていけれるように。

願いを込めて、ここにヘッダーの文字をつけたのです↓



そしてお客さんもそこから関わってきますからね。


「自分もああ書かれている」

みたいな。


「私のような行きにくさを感じて生きた人を導いて、笑顔の循環を起こします」


この一行が自分の人生を変化させてくれるわけです。


「言葉が世界をつくる」「言葉が世界を生み出す」というのはこういうことなのです。


だからちゃんとやっていけれるようにつくりました。


そりゃいろいろあるかもしれませんよ。

「私のような行きにくさを感じて生きた人を導いて、笑顔の循環を起こします」

だってこの世界から生きたことないならね。

ヨチヨチ歩きです。この世界で言えば、赤ちゃんです。生まれたばかりの。


でもそこから成長し、その世界に慣れていけば、その人生を生きられるようになるわけです。

いまは赤ちゃんでも、10年経ってみてください。

「ベテラン」ですから。


しかもこんなふうに生きている人は今ほとんどいないわけです。

ごぼうぬきです。


だから僕が関わった人って成長します。

30歳からカウンセラーはじめて、その後、コンサルしはじめましたが、3人からです。

その3人も、中野みなこさん松尾えいこさん高見はるこさんです。

みんなそれぞれ自分でされています。3人はカウンセラーしていた時のクライアントさんでしたが、それぞれ体の問題に悩んでいた状態からのこれです。

素晴らしい活躍です。

別にそれが特別なわけではありません。たまたま3人コンサルして、3人こんな感じになったのです。

みなさんにもそれが可能だとお伝えしたいのです。3人含めみんな素晴らしいのです。

0から1が1番難しいです。なにもないところからのスタートがね。

でも0から1をしっかりと乗り越えて、たとえば独立してすぐからみんな月収20万円から30万円あったのです。そこまで行けばあとはかんたんです。そこまでなのです。1番しんどいのが。本当に。


可能ですからね!

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僕は人の死は経験がありません。母親のお父さんと、父親のお父さんが亡くなっています。

あとは18歳の時に何回か一緒に働いたことがある4つ上の先輩が自殺をした、それだけですね。

死で泣いたことはないんですね。

それで僕は大事だなと思うことに、18歳の時に自殺した先輩を殺したのは自分だなと思うことにしました。

ネガティブな発想じゃないんですよ。それが悪いとも思っていないし、単純にそこからメッセージを受け取りたかったのです。

「それは仕方がないこと」

「どうしようもなかったこと」や、

なんかいろんなものをうやむやにしたくなかったのです。そうしないときっとまた同じことが起きるというか、悲しいことが起きると。

次は予防しよう、防ごうと思ったのです。


で、実際、その失くなられた方のことは「自分は助けることができた」というところから物事をみることにしたのです。

通常はないかもしれません。そういう人はぼくみたことないので。

僕は「自分は助けることができた」というところから物事をみることにしたのです。

「どうしようもなかった」で逃げたくなかったのです。逃げることが悪いわけじゃなくて、そこに責任者に立ちたかったのです。


何回か一緒に働いた時の過去の出来事を思い出し、

その出来事を「自分は助けることができた」というところからみていったのです。

そうしたらあの時のあの様子はおかしかったとか、

あの時はこうだったとか、あの時はこうだったとか、いくつか出てきたのです。

それで「じゃあいったいどうすればよかったんだろう」と考えることにしたのです。


それで自分なりにどんどんこたえを出していって、

「じゃあ次こうしよう」と思ったのです。

それが死に報いることだと思ったし、実際はそんなに悲しくなかったのです。そんなに思い出がない。

(死は身近であればあるほど悲しいと思うのです。逆に遠ければ遠いほど、アメリカでまったく出会ったことがない人が失くなったとか、それは人生まったく変わらないと思うのです。死は毎日起きているもので、インドでは、そのへんに人が倒れても、誰も助けないのです。犬、猫みたいな感じなのです。あまりにもありすぎるから、それをいちいち助けていたらキリがないというのが言い分だそうです。カルチャーショックです。)

悲しいけれど、家族が死んだ、恋人が死んだと同じじゃないということです。

でもここで真剣に受け止めないといけないなと思ったのです。

はじめてだったからわからなかったのです。

まったくの無意識で、でも1度起きると、意識することができます。

そこから「助ける」という発想になりました。

前兆は必ずあると思うのです。それを受け取ろうと。


防げるか、防げるかはわからないです。結果はわからないです。でも努力することはできるから。

悲しい思いしたくないからね。


だから1度でも経験があるなら、「自分は助けることができた」というところからその出来事をみていただきたいのです。

人間の直感や感性はとても素晴らしいと思うのです。自分ごまかさなければ、人間も動物だし、それなりの嗅覚みたいなものは働くと思うのです。

過ぎたものは仕方がないです。次に生かせることはできると思うのです。予防です。

死から学ばければ、その人の死んだ価値がないというか、報いたいじゃないですか。

報いたいから僕は、「自分は助けることができた」というところからその出来事をみたし、

実際みていけば、いろいろみつかると思うのです。

そうしたら何ができただろうか、

どう行動できただろうか、

いろいろ考えることはできると思うのです。


そりゃそんなもの考えるより、今日彼女とデート、おっ、ポケモン GOだぜとかやったほうが楽しいと思うのです。

だけど人生で悲しいことを減らすや、人生の質を高める、

こういったことを考えるというのは非常に大事なことだと思うし、とても時間の有意義な使い方だと僕は思うのです。



実際、こういうふうに意識した結果、健康・医療の分野での仕事をすることにしました。

僕自身、腸とか聞くだけで気分が悪くなるのです。人体模型をみたら吐きそうになるのです。静脈とか動脈とか言われると、「ウェっ」ってなるのです。


おのころ心平先生が、臓器と聞いたらワクワクするって言っていたけれど、それとはまったくの逆です。
そういう人はその仕事があっているというかそれでいいと思うのです。

僕、逆です。血とかムリなのです。


絶対なれない仕事が医者ですね。だから僕が健康・医療の分野での仕事をするなんていうことは到底頭になかったし、

ぜんぜん嫌でした。嫌とかのレベルじゃないです。生理的な問題です。


そんな僕が体の相談等乗っていったのは、単純に「この人死ぬな」と思ったらその人が死んでいったからです。

1人ならいざ知らず、だから僕にはわからないのです。まわりの人が倒れるとか、「なんでわからへんねん」って思うのです。

人が急に倒れるなんてないです。必ず前兆があります。

意識がないのです。


それはそうで基本みんな自分のことで頭いっぱいいっぱいだと思うので。生活のことや仕事のこと、家庭のこと等、いろいろ考えないといけないものはたくさんあるし、あとは情報化社会だし、みんな頭いっぱいいっぱいです。

だから非常にわかりにくいと思うのですが、

それをそれなりに空けて、

意識するということは大事だと思うのです。

だって健康より大事なものないと思うので。


そういうこと言うと人の解釈がつきますけどね。タバコは吸うし、よくコンビニ行くしね。

そういう話をするとキリがないので置きます。

各自の選択でいいと思います。



「自分は助けることができる」

「人の病気が未然にわかる、防げる」

そういう意識はあったほうがいいと思います。

それは楽じゃないですが、やることも増えるので。

でも悲しい思いをしない為にいいと思うのです。


「まわりの病気は100%自分の責任です」

そういうところから生きていったほうがいいし、

それが正しいわけでも、真実でもないですよ。



「真の発見の旅は、新しい景色を探すことではなく、新しい目で見ることだ。」

            マルセル・プルースト



「まわりの病気は100%自分の責任です」というところからの、

新しい目でみて欲しいということです。

それは楽じゃないですが、自分への恵みです。

だから結果的にカウンセリングで仕事できるようになったしね。


カウンセリングが仕事ができるのはどうでもよくて、たくさんの人を助けれたというのが僕の財産です。

コミュニケーションでたくさんの失敗もしました。傷つけた人もたくさんです。でも喜ばれたのはもっと多いです。やらなければゼロです。


本当にやってよかったなあって思います。心から。
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病気の克服までの経緯をまとめていくことはとても大事だと思う。

治ったことを想定して、治ってから何をやるのかも含めて、単純に自分のことだけじゃなくて、「せっかく治ったんだから、同じ病気の方に役に立ってもらいたいと思う」

それを目標や希望にしてもらいたいと思うし、やっぱり僕は思うのです。”1番助けれるのが同じ病気の人だ”と。

たとえば自分の1歩、二歩行く先の人に、その病気を克服した方に「治るよ、大丈夫だよ」と言われるのと、ふつうの方に言われるのとでは、同じ病気の人に「治るよ、大丈夫だよ」と言われたら希望になります。安らぎとなります。

ふつうの方に「治るよ、大丈夫だよ」と言われたら、「死んでくれ」って思うと思うのです。

逆に思わないなら重症です。「いい人すぎて、あまりにも自分のことが自分でみえなくて、病気になりすぎると思うのです。」

そんな言い方してごめんなさい。そこまで言わないと気づかないのかなと。

ほんとに亡くなられる方って”出来すぎ”くんなのです。そこまでなんで素晴らしくいるんですかって思うのです。

べつにしょうもない奴が、病気になって苦しんでいるのだったらそこまで言わないのです。

素晴らしいからこそ伝えています。じゃあないと伝えることって意味不明だと思うのです。

時に僕の言葉はきついし、「おまえなんでそこまで言うねん!」というのがあると思うのです。

そこについて僕は説明もしませんでした。そんな発想がなかったのです。僕の両親と同じです。愛情表現がヘタクソだったのです。

今はね、言えます。素晴らしい人が亡くなるのがとても辛いし、苦しい。

僕なんててきとうですよ。てきとうに生きていますよ。そんな僕が病気になるのじゃなくて、あなたが病気になるのがおかしいと。なんか申し訳ないなあと思うのです。

別に罪悪感からではなくて、尊敬や、尊敬や、尊敬ですね。

「あなたみたいな人は生きるべき」だと。

ぼくみたいな奴が、20代前半には、3DKのマンションに住んで、その1つを書斎つくって、外車乗ったりしていました。

でも自分だけが幸せでいいのかって思い始めて、僕は病気の相談に乗り始めました。13年前です。

もうちょっと人の為にお役に立とう、そんな思いでね。

偽善でもなくて自分の為です。ただやりたいからやったのです。

自分の頭の中にあるものを全部伝えよう。ベストを尽くそうって。

僕は世の中なんでもいいと思っているのです。「すべては無駄じゃない」とか「人生は何1つムダなことはない」とか本に書いてあるから、「あっそう」と思って、「じゃあ人の困っていることはどうでもいいんだな」と思ったのです。

「世の中に困ったことはないのです」 斎藤一人さんも言っていたし。

別に僕自身も、乗り越えてきました。その時はしんどかったけれど、あとあとたしかにそれは活きるし、無駄じゃないというのもすごくよくわかるのです。

僕自身、「人生は何1つムダなことはない」という考えではないです。ただ起きていることが起きているだけなので。

いちいち「あの出来事の意味は?」とか、「これはこれがあったからこそ」とか考えないです。めんどくさい。意味づけしない。

「これからどうするのか、これからどうしたいのか」にエネルギーをつかいたいのです。

そんなものに時間を割いていたら、未来がみえない、ビジョンがみえない、人生を創作できない、世の中の先を見通せない。

物事をうけいれないと、あれこれ考えます。うけいれれないと、うけいれる為にあれこれ考えたりします。解釈するのに時間を割くより、うけいれる知的筋肉を鍛えたり、うけいれて、「そこからどうするのかを考えたい」

うけいれていない状態で、あれこれ考えて、行動したら、だいたい失敗のもとです。冷静な判断力が欠けていますからね。

世の中はなんでもいいと思います。思うのです。

ただ僕は「死んではいけない」とは思うのです。死んではいけないというわけじゃなくて、死んだら終わるというか、まだ本人の選択ならいいと思うのです。

ただ病気の場合は、「死にたくない」と言いながら死ぬから、そこに本人の選択肢がないから、ないというよりも、僕は病気の人は単純に病気に向かって走っていると思うのです。恐れずにいうと。

それはたんに「自分のことは自分でみえないだけ」

中国の格言にこんな言葉があります。 

「鳥は空気が 見えない。魚は水が見えない。人間は自分が見えない」

僕自身もほんとに自分のことはみえていません。人のことはよくみえます。そういうものだと思うのです。

「人のことはよくみえます」

ただみえるけれど、人は基本自分のことで頭いっぱいいっぱいだと思うのです。

仕事のことや、家庭のこと、子供ことやあとは自分の興味関心ごと、よく言われているのが自分にとって都合のいいものしかみえない、と言われています。

僕自身、「人の病気はよくわかると思っています」

つまりいきなりガンになって人が倒れるというのはないです。必ず前兆があったりします。

そういうのは自分はわからないとか、興味がないや、あとは自分のことで頭いっぱいいっぱいとか、これは多いと思うんだけど、「この人やばい」と直感が働いても、人は基本ポジティブなので、そういう直感的な要素を自分で無意識で多くは払いのけるクセがあると思うので、そういうのが原因で、「人がいきなり倒れた」ってなると思うのです。倒れるわけがない。

かりにそうだとしても、次回からは、「わかる」というところからみてみればいい。それをやって損なことないし。

いきなり倒れるほうが悲しいじゃん。まわりの人が病気になったり。
あらかじめわかったほうがいいと思うのです。

「まわりの病気は100%自分の責任」というところからみていく。

それは正しいわけじゃなくて、真実でもなくて、そういうところからみていったらすごく自分がやれることが増える、できていくという体験があると思うのです。

僕はそんなふうにして過ごしてきたし、「わかる」というところからみてきました。

だから結果的にいろんな体験をして今こうして書いているのですが、僕自身はなんでもいいのです。

ただ自分だけが幸せでも、まわりや家族が健康じゃないとなかなか自分幸せになりにくいと思うのです。いやそういうのも全部ひっくるめて幸せですが、健康の方がいいと思うんですね。

防げるなら防ぎたいし、治る方向に導けるなら導きたい。できる、できない関係なく、僕はそれをやって欲しいと思うし、「なんにもやれることがない」という状態が1番しんどいだろうし、

実際なにかやれるならやりたいし、それが1番後悔がないのかなって思う。
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僕はいじめられていた時、「ばあちゃん死んでくれ」と思っていました。酷い奴だと思われるからあまり言いたくないのですが、でも貢献になるのでお伝えします。

「ばあちゃん死んでくれ」

なんで?という感じだと思うのですが、いや別に死んで欲しくないんですよ。別にというより「絶対死んで欲しくないんです」、1番自分が大事な人だから。(昔ね、いまはみんな大事ですよ)

1番大事な人だから逆に死んで欲しいと思ったのです。そうしたら僕の力になるかなと。


なんかばあちゃんが死んだら、いじめっ子に立ち向かっていけると思ったのです。悲しみがあるから。

そこに何かされたら、怒りや悲しみがあるから、プチンとキレられるのです。キレもしないです。ふつうにかかってこいと思うのです。

べつに何かされるのも怖くない。なぜなら怒りや悲しみの感情いっぱいでそれどころじゃなくて、恐怖がないのです。

立ち向かっていけれるなと思ったから、「ばあちゃん僕の為に死んでくれ」と。身勝手でしょ。

ちなみに今も生きていますよ。元気に。

こういうものは願いが叶わないものです。

世の中の不思議はときどき感じていました。僕は家族誰が死んでもよかったのです。嫌ですよ。

でもそれが「自分の力になる」と思ってたのです。

死んでも死んでないんですよ。僕と統合みたいなやつ。そう捉えていました。

世の中の不思議についてはたとえば両親死んで欲しくないと強く願っている人に限って死ぬとか、鑑別所の中でもありました。僕は少年院行ってもよかったのです。でも行きませんでした。出れたのです。

でも鑑別所の中で少年院に行きたくないと泣いていた人がいたのです。僕らの前で涙は流さないですよ。たまたまみたんですよ。看守さんに泣きついていて。

その時に思いました。「なんで世の中こうなんだろう」って。

行ってもいいと思っている人が行かない。

行きたくないと言っている人が行く。

何度もそういうの体験しているからだと思うのですが、なんで世の中こうなんだろうなと思っていました。今はわかりますけどね。当時はわかりませんでした。

ばあちゃんも「死んでくれ」と思いながら、絶対この願い叶わないだろうなと思いました。こんなこと願っていたら、絶対逆に生き延びると思いました。

結果的に今も生きているし。

「ばあちゃん死んでくれ」と、なぜそんな冷酷非情なことが思うのかは、それは僕は幸せになりたかったからです。

自分勝手だと言われそうですが、そうかなと思うのです。だってばあちゃんの気持ちに立つと、孫って可愛いいじゃないですか。自分よりも。

親もそうだと思うのですが、自分のことよりも子供だと思うのです。ばあちゃんもどう考えても自分のことよりも孫だと思うのです。実際、行動をみていてもそう感じるし。

自分の幸せよりも、子供の幸せ、孫の幸せ。

だから僕は自分の幸せを死守しないといけないと思ったのです。

たぶんというか絶対そうだと思うのですが、もしそうじゃなかったら「ばあちゃん死んでくれ」とか思わないと思うのです。思いません。悪いと思うから。

それは自分で責任をとります。

でもそうじゃないから甘えたという感じですね。

僕はほんといじめられていたことが情けないと思っていたし、苦しいと思っていたし、しんどかったのです。1番は、孫や子供がこんな目に遭っているんだと思うと、悲しいじゃないですか。
僕なら悲しい。

それが1番でしたね。1番は、孫や子供がこんな目に遭っているんだと思うと、悲しい。

だから僕は挽回しないといけないと思ってたのです。

でもいくら思おうが、経験があると思うのですが、いくら言葉で立ち向かえと言われたところで立ち向かえるものじゃないのです。「行動ができないのです」

殴られていても無抵抗。ヘラヘラ笑う自分がいる。こんな自分が情けない。変えたい。

1度、中学2年生の時に、「もう限界」だと思って、台所から包丁を持ち出して、ティッシュか、ハンカチかで、グルグルにして、学生服の内ポケットに入れて学校に行ったことがあるのです。

「こいつら全員皆殺しにしよう」って。

冷静ですよ。「できれば足にしよう」って思っていましたから。

あと選択肢がわからないのです。殺しにいくか、それか死ぬか。

人はこうやって自殺をするんだなと、包丁を持ち出して学校行く前日、本当に思いました。その日が1番一生で考えた日だと思うのです。

「僕はそんな悪い奴なのだろうか」

「なんでこんなことになっているんだろう」

いま僕は人を殺そうみたいに思っているけれど、そんなに僕は悪い奴なのか。

別に殺したいわけじゃない。ただもうやられるのは嫌なんだと思ったのです。

これがあと半年とかなら耐えるのです。耐えていたのです。でもそれが中学2年生の9月です。「まだあと半分ある」と思ったのです。

長過ぎると思ったのです。「ムリ」って。

それで当時は、不登校なんて言葉は知りません。携帯もないし情報もないです。ただ学校行かない人は、気狂いや、もう社会で生きられない、人生終わり、みたいな言い方をいわれたことは小さい頃、ありました。「そうなんだ」と思っていました。

それがあったものだから、そんなのも無意識ですが、とにかく「学校行く」という選択肢しかないのです。「休む」という選択肢がないです。

「学校行く」というコマンドしか僕にはなくて、でも行きたくないわけです。

もう殴られるのは嫌なのです。

でもたたかうや立ち向かうというのは、相手は10人以上いるのです。いたのです。

しかも1人1人の戦闘能力が僕より高いのです。

そんな人相手にどうするんですかって思う。素手は当然無理だし、じゃあ木刀って、1番折り合いいいのかもしれませんが、そんなので立ち向かって、中途半端に、で、木刀とられた時に、どうするのかって思う。「死んでしまう」と思ったのです。

しかもどう考えても殺しそうな奴が混じっているなとも思ったのです。1人。案の状、ヤクザになっているし、後に。

「そんな奴相手にどうせいっちゅうねん」

木刀もって立ち向かって、負けた日には、その木刀で殴られ、最悪、地面に埋められると思ったのです。

中途半端にやったら絶対いけないと思ったのです。

だから「殺す」と思ったのです。それぐらいの覚悟で挑まないと、無傷で終わらないと思ったのです。

「殺す」ぐらいの覚悟で挑んだ時、そこはどうなるかわからないけれど、これぐらいで挑んではじめて、同じ土俵に立てると思ったのです。

結局は、包丁持ち出して行った次の日から平和になったのです。

「あれっ」って。

僕が決めていたのは次、トイレに呼び出されたら殺そうでした。
でもそれが1度もなかったのです。

「平和になった」と思ったのです。

そうしたらそれでいいのです。べつに僕はたたかいたくもないし、当然、殺したくもない。

自分でもよくわからなかったのです。「なんで平和になったんだ」って。

でもいらないことは考えないことにしました。いろいろ考えて、また元に戻ったら嫌だと思ったので。

ソーーっと過ぎたらいいなあと思いました。過ぎました。

あとから振り返ると、殺気があったのかなと思いました。「なんか嫌な予感がする」と。相手に。

でないとこのいきなりの平和すぎるのは変でした。

それで過ぎたことはもういいのです。殴られていた日のことは。過ぎたことはいいのです。

成人式の日は一緒に楽しくお酒飲みましたよ。

グジグチしているほうがかっこ悪いです。許して、寛大あるほうが、男前があがります。そのほうがモテるという計算もありましたけどね。けれどその方が自分がとても好きになれるのでそうしました。

そんなふうだったのですが、ばあちゃん死んだら、別に包丁なんて持ち出さなくても、素手で対等に相手と勝負できると思ったのです。なんなんでしょうね。
これは怒りに身を任せるという感じですね。「おまえらかばあちゃんを殺したのは」
そんなたぶんやつあたりがあったと思います。

あんまり良くないですね。だからばあちゃん生きていてくれてよかった。いい子でいれるから。

「極道」とか映画があるように誰しも憧れる、誰しもじゃないか。でもそういうのかっていいと思ったのです。嫌じゃないですか、嫌だと思ったのです。そういう方に出会って「あっ、すみません」とか。

そんなキャラ。ドリフターズでよくかとちゃんけんちゃんごきげんテレビというのがあって、かとちゃん、けんちゃんが、ヤクザみたいな人がであったら、「ああああ」みたいな、演技やるのです。

それやりたくないなと思ったのです。かっこ悪い。

でも今はそれでいいと思いますよ。

弱かったからそれができなかったのです。ボクシングを覚えて、それからです。人に降りられるようになったのは。

選択肢が生まれたからだと思います。選択肢は「自由」を与えます。たたかうこともできる、逃げることもできる。だから「逃げる」という選択肢をとれるのです。

僕はボクシング始めるまでは「逃げる」という選択肢をとれなかったのです。逃げていましたよ。

でも逃げているんだけど、なんていうか「犬の遠吠え」です。

ワンワンワンと言うのだけれど、向かって来られると逃げるみたいな。
逃げる自分だったから常にコマンドが「たたかう」
でもたたかえないから、劣等感、コンプレックス。「ダメな自分」となってしまう。

ボクシング覚えてから別にたたかえる自分が生まれました。たたかえる自分になると別にたたかう必要はないんですね。逆に「なんで?」と思うのです。めんどくさいことになるし、なおかつ僕は鑑別所に入れられたりがあるので、しかも僕は警察から信用されないというのが尋問のトラウマであって、「ダメだ、問題を起こしたらめんどくさいことになる」というのもありました。相手のせいでも自分のせいになるというトラウマですね。
できるだけ「逃げる」

逃げることも別に劣等感、コンプレックスを感じなくなりました。逆にかっこいいと思うのです。

逃げるというのは逆に強さだと思います。

以下引用です。

「本当に強い者は、戦わない」

後年、宮本武蔵さんが、ある大名から武家の指南番を依頼されたときのこと。

武蔵さんは、「わたしは自由人でいたいから、そのような役には向かないが、私の2人の弟子のうち、どちらかを推挙しよう」ということになった。

周囲の人たちも、たいへん興味深く見守っていたところ、ある事件の話を聞き、武蔵さんは、どちらの弟子を推挙するかを決めたそう。そのできごとは、次のようなものです。

ある暴れ馬がいて、城下を走っていた。誰も止められない。
その時、武蔵さんの弟子の1人が通りかかった。
100mほど先に、暴れ馬の姿が見える。

周囲の人たちは、馬とどのように対決するのか、興味深く見守っていた。その弟子が、馬の近くまで来た時、馬は蹴りかかったのですが、それを素早い動作でサラリとかわすと、弟子は何事もなかったように馬の脇を通り、そのままスタスタと歩いていきました。

「さすがに、武蔵先生のお弟子さんだ」
と町人は拍手喝采しました。

すぐ後に、もう1人の弟子が、偶然にも同じ場所を通りかかった。

100メートル先に馬の姿を見つけたその弟子は、たまたまそばに脇道があるのを見ると、その道に曲がった。そして、馬のいた場所をはるかに越えたところまで行くと、そこからまた元の道へ折れて入り、先へスタスタと歩いていった。馬と接触しないように迂回したのです。

これを見ていた町人たちはがっかりして、「なんだ、意気地のないお弟子さんだなあ」と噂をしたとのこと。

この噂話を聞いた武蔵さんは、「これで、どちらかを指南番に推挙するか決まった」と言った。

後者の”意気地のない”と思われた方を選んだのだ。本当は、こちらの方が「強い」。

つまり、事前に危険を察知できたのであれば、それを避けて通ること。あえてその中に身を投じる必要はない。それが、本当の優れた武将・武芸者の選ぶ道である、というのが、晩年の武蔵が到達していた心境でした。宮本武蔵さんの「五輪の書」には、「本当に強い者は、戦わない」と書いている。 


以上です。

では話を戻して、本当に僕は「自分の幸せを死守しないといけない」と思うのです。それは自分の為じゃなくて、家族全体の為だと思うのです。短期的には迷惑かかるかもしれませんが、長期的にみればそうじゃないと思うのです。それを家族の為ってやって、僕と逆のことやってよく病気やいろいろ起こっている人いるなと思うのです。

「親の為」とかね。

ぼく一切ない。まずは「自分の為」

自分の幸せが、両親の幸せなのです。

自分を幸せの為なら、極端な話、いくら両親が不幸になってもいいのです。

極端でもないです。そう思っていました。(今はそんな極端じゃないですが)

そしてそれを悪いにしていません。自分が幸せじゃなかったら、へたしたら死んだりしたら元も子もないと思うのです。そういう最悪な状態を死守しないと。死ななくても、なんか無理して長期病気やひきこもりになったら何しているのかわからない。

世の中に僕は完璧とか理想はないと思うのです。完璧があるとしたらどんな時でも僕は完璧です。僕が好きな言葉に「最善策」

つまり理想はこうやいくらでも言えるじゃないですか。でもそれを狙うと何も得られないみたいな。

「最善」というのはベストを尽くした上で、結果はしゃあないというものです。

そりゃそういう結果を起こしたいとは思うけれど、それ狙ったらへたしたら、最悪な結果になったりします。だから「最善」という言葉が僕は好きなのです。

あとは「肉を切らせて骨を断つ」とかですね。肉切られたくないなんて思うと、骨までやられる。

だから肉はしゃあないなと、その代わり、骨を断たせていただきますという考えが僕の好きな考えでした。(あまりにもたたかいのセンスなので、今は座右の銘にしていませんが、昔の座右の銘です。)

肉は切られたくないですよ。でも肉切られたくなーい、で骨まで断たれたら元も子もないです。

人生訓です。現実的な考えだと僕は思っています。

自分の幸せは死守しに行くこと。本でもよく自分をまず幸せにと言われています。そういうことだと思います。
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病気が治ってからどうしたいのかを考えたい。

今までどおり仕事をするのか、それとも別の仕事を選ぶのか、
家庭はどんな感じでいくのか、家族とどんな関係をつくりたのか、
趣味はどうするのか。

「生きがい」は何なのか。「やりがい」は何なのか。

夢はどうするのか。みつけるのか。追うのか。なにかやり始めるのか。
僕のお勧めは「今までの人生を振り返ってみたい」

どんなふうに生きてきて、今までどんな感じだって、これからどうしていくのか。

僕のお勧めは「期待しない」ということです。

宝くじや、神様や、奇跡とか。

僕は神様に期待していた時は、運が悪かったです。

奇跡を願う、たとえば「時よ戻れ(過去に戻れ)」と思っていた時は、とても苦しかった。宝くじ等を期待しているとこれも自分のパワーが奪われていくと思うのです。

僕は16歳の時に神社で土下座を2回したことがあります。「助けてください」と。

何を願ったのかって、「パチンコ勝たせてください」だったんですけどね。負けました。それから勝手に「もう神様なんてもういいわい」と思って、おらへん、おらへんみたいに思って、神様に期待しなくなった時、突然、自分のパワーが湧いてきたのです。

その時、もうちょっとあとかな、僕は神様に依存してことに気がついたのです。

自分のパワーが戻ってきました。結果的には運が良くなりました。

それから18歳ぐらいに時に、「時よ戻れ(過去に戻れ)」と思ったことがありました。

「高校辞める前に、戻って!」と。これは僕のよくあるクセでもありました。

パチンコ負けたら、「お願い、負ける前に戻って!」と思います。

17歳の時に1日で7、8万円も負けた時には最悪な気分でした。でもこういうのも辞めました。「自分の人生に責任をとってないな」と思ったので。

パチンコはよくやっていました。それで鍛えられたのもあるのですが、たとえば負けたとしても、「時よ戻れ」とも思わなくなりました。それは違うなと思うからです。
ちゃんとそれは清算しないといけないと思うようになりました。

「戻れますが、戻りますか」と言われても、戻りません。戻りたいですが。

でもそれは逆に運勢を悪くすると思うのです。

ちゃんと責任をとらないと。負けたものは負けたのです。そこから逃げると自分が自分じゃなくなるのもあって、やっぱりそういうものは引き受けないといけないなと思って。

こういう自分になっていってから、どんどん自分楽になりました。

昔は、小さい頃は、学年マラソンとか走っていたら、考えることは、「時間よ30分後の、学年マラソンが終わった、その時に行って!」と思っていました。思いながら走っていました。完全な現実逃避ですね。

で、そういう状況の時の自分は、ビリ争いです。めちゃくちゃ苦しいのです。

それで、ボクシングをはじめて走ったりするわけですが、あと練習と、「時よ戻れ」みたいな感覚はなかったです。それで

「時間よ30分後の、学年マラソンが終わった、その時に行って!」

こんなこと考えているほうが、逆にめちゃくちゃ疲れるのがわかったのです。

体力がないし、なくなるし、すごくパワー奪われるのです。それに あと直感もあると思います。こんな「時よ戻れ」みたいな思考していると、ボクシング負けるという。

だんだんと月日が経つたびに、「時よ戻れ」的なものは思わなくなりました。

とくに20歳から。戻りたくない。

とくに20歳の時に絶対的な安心感みたいなものを掴んでから、「これは戻ってこれを手に入れてなかったら嫌だから」という理由で、戻りたくなくなりました。

幸せになればなるほど、「時よ戻れ」と思わないような感じなんだと思います。

■「神様への依存」

■「時(過去)に戻れ思考」

■「宝くじ的なものを願う」

運が悪くなる、3びょうしだと思います。期待三銃士ですね。運が悪くなる。僕はそう思います。

なかなかないと思うのです。

殺人未遂の濡れ衣で留置所に入るとか、はじめてつきあった人が、多重人格とか(よくテレビであるもの。本当にこれあるのかあというもの)あたり一面火の海になり、体の1/4、火傷をし、死にかけるとかね。上記が直接の原因ではないと思うんですけどね。

僕は15歳で徳島から東京に状況した時、その理由が「自分探し」だったのです。

結果的にできました。手に入れたいものが手に入りました。ただそれが留置所でしたけどね。

あと20歳からの自分のコミットが「自分の力をつける」「人を守る力をつける」ですね。

叶っていきましたが、それはいろいろ起きて、乗り越えることによってそうなったというだけです。ゲームのRPGですね。でもこれも根本的じゃないですね。

結局、人生で、人のせい、何かのせいにしたり、嘘をついたり、ごまかしたり、責任回避しようとしたり、イライラしたり、なにか起きて、犠牲者、被害者、悲劇のヒロインやったり、愚痴や文句いったり、自分の思い通りにしようとしたり、人を操ろうとしたり(フォース)、上から目線であったり、傲慢であったり、いい人やったり、自分のことしか考えなかったり、強がりやったり(隠したり)、1人で抱え込んだり、人を信用、信頼しなかったり、

まだまだもっと出てくるのですがこれぐらいでやめておきます。

ようはこれらが原因だということです。

人生で結局、波乱万丈って、酷い自分がいるだけです。

酷い自分が悪いわけじゃないですよ。人間自体、酷いと思うのです。

それで自分の酷さを認めて、うけいれて、責任とっていけば、結果的にそれが自分が変わるということであったり、人生がどんどん変わっていくわけです。僕はそんな感じですね。

人生がしんどいのではなくて、認めないことがしんどいのです。

認めないから、みえないものが多く、結局「どうしていいのかわかんない」ってなると思うのです。

わからないわけがない。自分の酷さをどんどん認めていけばいいのです。

そうしたら、「自分の偉大さがどんどんわかる」

自分の酷さを認めていけばいくほど、どんどん自信が湧いてくるし、自分が自分のこと偉大だな、すごいなあというのがわかると思うのです。

だから逆の「いい人」ってあまり報われないことないですか。「真面目」とかね。「いい人」「真面目」ってめちゃくちゃ病気になると思うのです。人生で人より何倍もストレス受けると思うから。しんどい人生です。

「人生で期待しない」

その上で好きに生きればいいのかなあと思います。

仕事も別にそのままでもいいと思うし、変えてもいいと思うし、夢をもっても、もたなくてもいいし、ほんとなんでもいいというか、人生を楽しんだほうがいいと思うけれど、楽しまなくてもいいと思うし、そんなふうに言っているのは、1度人生をフラットにして欲しいというか、

『ほんとなんでもいいのです』

自由なんですよと言いたいのです。

いろんなしがらみというか、小さい頃からいろんなあーしろこーしろ言われる中、勝手にいろいろいつのまにか染まって、いつのまにか「ああしなければいけない」「こうしなければいけない」や「こうしなくちゃ」とかほんとに、なんか勝手に生きる、自動的に生きる自分ができあがったり、つくりあがったりしているわけで、1度、立ち止まって、『人生を自分で選択してもらいたいのです。』

『自分の意志で人生を決めてもらいたいのです。』

『自分で自分の人生をしっかりと見極めて欲しいのです。』

すごく願う心はあるんですよ。

やっぱり僕は「理想的だと自分が思う人生を生きて欲しい」し、「最高だと自分が思う人生を手に入れて欲しい」し、「かけがえないの人生にして欲しい」し、「心から素晴らしいと思える人生をつくっていって欲しい」

僕自身目指しています。手に入れているわけじゃないのです。可能性の中に存在していて、夢の中にいて、追い求めている感じです。甲子園を目指すみたいに、目指しているのです。でも夢の中にいる。青春の中にいる。結果は2の次です。おまけです。

「歩む道のりが楽しくて、ゴールはおまけ。歩む道のりが楽しくて、すべて。」

それが人生を楽しむ達人だなって思うし、結果を求めたら、それがすべてだとしたら、叶う人もいて、叶わない人もいる。不平等です。だけど楽しく心は平等です。

甲子園いけない人は不幸なのか。

甲子園いって、優勝した人は幸せなのか。

同じように素敵な思い出はあると思います。

全力を出した、悔いにないように全力でやった、ベストを尽くした、誰よりも真剣にやった、ほんと一生懸命やった。

「がんばったものは全部自分のものです」

それは次にいかされるし、持ち込めるし、夢を叶える力となります。

生きたい人生はなんですか。

やりたいことはなんですか。

「なんでも可能、なんでもやれるとしたら、どんな人生を創作しますか」

叶う、叶わないじゃなくて、目指したい。

目指すだけじゃダメですか。

目指すというのは行動しているということです。やることを楽しみましょうよ。
やっていたら必ず上達します。行きたいところに行けないかもしれません。でもそれは2番目です。大事じゃないとは言いませんが、2番目です。1番は、楽しかったらよくないですか。

「なんでも可能、なんでもやれるとしたら、どんな人生を創作しますか」
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僕の小さい頃のテーマは「幸せ」でした。

幸せになりたかったのです。だけど16歳、留置所に入ることにより(濡れ衣ですが)

そこで僕は幸せが何なのかがわかりました。カタチじゃないんだなって。幸せは。

僕は15歳の時、5月9日から5月17日までの間、はじめてつきあいました。9日間つきあったのです。

とくになにかあったわけではありません。夜、電話で話をしたりもなかったです。(携帯がない時代なので。ポケベルです。)

付き合った方は同級生で同じクラスでした。
同じクラスなのですが話しませんでした。
それはその子の親友が僕のことが好きらしくて話づらかったのです。
僕はそんなこと人生で1度もなかったのです。好かれるなんて。
それを好かれたらよりによって好かれるのが彼女の親友だなんて、「なんて運が悪いんだ」と思っていました。

トータル5分も話もしていないです。付き合ってから9日間、僕はフラれました。


小学生、強迫性障害、中学いじめられ、高校デビューだと思い、つきあい、「やった僕にも人生、春がきた」と思いました。

「いままでのことはすべて水に流す。神様ありがとう!」と叫んでいました。

でも なんもなく デートすることもなく、フラれました。

僕は思いました。「なんて神様は僕に酷いことをするんだ」って。

フラれてから夜、涙流して泣いた数は100回以上。
いや盛ってなくて。
言いたくないですよ。こんなことは。そもそも恋愛自体話をしたくない。

惜しみなく与えたくて素直に書いているのです。

僕はこの出来事は「不幸な出来事」だと思っていました。

だってなにもないし。ただのぬかよろこび。アホ。

たまたまなにかの気の迷いで「つきあって」と言ったら「はい」と言われただけなんだろう。なんなんだ、これはと思いました。

なんでこんな悲しいことになるんだろう。だったらはじめから無ければいいのにと思いました。

はじめてつきあった5月9日、こんな嬉しいことはなかったのです。もうガッツポーズどころか、ガッツポーズです。

いままでどこか人の不幸を願う自分がいたんだけど、その日から街歩くみんなの幸せを願う自分がいました。

人って幸せだとこんなにも人にやさしくなれるんだと思いました。

5月9日から5月17日の間は、神レベルのやさしさがあったと思います。それはいいですが。その期間だけは、ばあちゃんに何を言われようが、誰から何を言われようが、笑顔。笑顔。
なんでもうけいれれる。

それでつきあって、思いました。「僕は自分になんもないことを」

肩書き、いじめられっこ、元オタク(高校あがる前に、漫画とゲーム、全部売りましたからね。)

やばいなあと思いました。ぜんぜんつり合わへん。どうしよう。でも別れたくないし、一緒にいたいからどうしようと思った時に、「まずはせめて守れるようにしよう」ということでボクシングを始めたのです。

それがボクシングの出会いでした。すぐ別れたから、ボクシングぜんぜん意味ないやん。やめたいと思ったのですが、ここで辞めたら、彼女の為にボクシングをはじめたと思われてしまうと思って、それはプライドが許せないと思って、しゃあなしにボクシング続けたのです。
続けていたらボクシングが好きになったんです。

この出来事は最悪だなあと思ったのです。ボクシングだけが残ったって。むしろいらないみたいな。

フラれてからも好きで、17歳まで好きでしたね。でも17歳の時に諦めました。諦めたというよりは、17歳の時は神戸にいたのですが、夏に帰ってきて、デートしたんです。その子と。

で、相手には彼氏がいて、いろいろ聞いていたんですね。これは前からですが。

(このつきあった人とは、つきあったとは僕は思ってないのですが、向こうがつきあったというからつきあったことにしました。でもこれは僕はつきあってないと思っています。それでつきあっている時は、ぜんぜん仲良くないというか、しゃべってないのです。別れてからです。仲良くなったのは。仲良くなりたかったんじゃないです。しゃべりかけてきて、しゃべりたくなかったのを、しゃべらなかったら、ぼくが気にしているのがバレるというか、相手がなんか傷つくと思ったので、相手にあわせてたんです。)

それで聞いていると思ったのです。

僕は「ああ、彼女が別れるのを願っているな」と。

いつか僕の良さに気づくだろうと、いつかとか思っていたんです。

僕はどうも彼女が別れるのを願っているなとそういう自分に気づいて、それは好きな人に対する態度じゃないなと思ったのです。別れるという経緯をもし辿ると、そこで彼女は悲しい思いをするわけで、それは嫌だなと思って、だったら諦めようと思ったのです。彼女の幸せを願おうと思ったのです。

それで神戸に帰ってきて、ボクシングジムにいって、サンドバック打っていたら、急にボロボロ涙が流れてきてサンドバックが叩けなくなったのです。なんでかわからなくて、その時はわからなかったのです。あとあと思ったのは、ああ僕はボクシングをやりたくてやっていたんじゃなくて、好きな人を守る為にはじめたんだと。それで諦めて、いなくなったから、もうやる必要はないというか、やれなくなったんだなと思いました。

ここまで書いて、いいかっこしいだと思うのです。いいかっこしいなのかな。

あとあと人生生きていくうちに、僕は衝撃を受けたのです。たとえばテレビをみていたら、なんか番組があって、彼女が「別れよう」といっているのに、彼氏が「別れたくない」というのです。

それでダダこねていたんです。

「それはいったいなんだ」と思ったのです。

「別れたくない」という言葉が衝撃なのです。

「なんなんそれは」

「別れよう」と言っているのだから別れようじゃないの? 「別れたくない」と言う選択肢ってあるの?

僕はこういう世界があるの知らなかったのです。

1番びっくりなのが渡邉美樹社長です。僕がもっとも尊敬する方です。その渡邉美樹社長は、好きになった人が人妻なのです。

それは好きになってあとあとわかったのですが、聞いたら結婚していますと言われて、「ええ詐欺」みたいに渡邉社長いったみたいです。

「いや詐欺しているわけじゃなくて」とその女性は言ったそうですけどね。

それで結婚したそうです。渡邉美樹社長が告白してから、その女性はそれが頭の中から離れられなくなって、最後には旦那さんから「おまえの好きにしていいよと。おまえのことが好きだから苦しそうなおまえの姿をみるのが辛い。彼のもとに行っておいで」と旦那さんもすごく素敵な人なのです。

僕はこれが何年も理解できなかったのです。あれだけ人の為にと言っている、愛情が溢れる渡邉美樹社長、これはいいんですかって。

これがずっとわからなかったのです。いいのかこれはと。

今はねいいと思うのです。10年かかったのです、理解するのに。


ただ自己表現しているだけですからね。



僕はやらなかったのです。迷惑がかかるとか、いろいろ思って。

どうでもいいやつならいいんですよ。でも好きな人にそれって嫌じゃないですか。

笑っていて欲しいし、笑顔でいて欲しい。悲しむ顔というか、困らせたくないし、困る顔をみたくない。



結論からいうと15歳の僕も自己表現していればいいのです。自分の思いを全力で伝えたらいい。

そうしたら運命が変わっていたかもしれません。


変わってなくていいんですけどね。今が1番いいです。



べつにきっとうまくいっていたとしても僕は幸せにはなられへん。と思うから。後にキャバクラとかで働いているから、あんまりですね。(それが悪いわけじゃなくて)


どこがよかったって、ただ僕にすごく理解があったのです。

僕はあまり理解されないとかそういう体験が小さい時からあって、しかもしゃべれなくて、でもその彼女は理解してくれるんですね。

でもあとあと分析すると、それは僕のことが好きじゃなかったから客観的にみえるというか、つきあったらまた「彼氏フィルター」が入るし、

恋と書いて「変わる心」って書くし、好きになられたでなられたでまた変わるのかなとも思うし、



ここまで書いて、僕はあまりこういう話するの好きじゃないのですが、伝えているのは、恋をして欲しいし、あとは相手の喜びを自分の喜びに変えてくれたらなというのもあるのです。

諦めたけれど、清々しかったのです。悔いがないというか、相手の笑顔があるというか、


それにボクシングをはじめてからほんといろいろ学んだのです。人生で大事なことを。

たとえばリングの上では、逃げたら逆に痛い思い、しんどい思いをするのです。それに逃げれないし。

だから怖くなったら、後ろに下がらずに、一歩前にでるクセがついたり。

逃げるよりも、前に進むほうが楽というコツみたいなものも掴みました。

それが当然人生にも生かされたし、あとは必ず相手の目をみていること。そうしないとわからないというか、目をみていれば、相手が次にどうするのか、なにをするのかがわかる。

目をみていないと恐いのです。なにがとんでくるかわからないから。


あとはボクシングが僕に「自信」をくれたし、社交的にもなりました。(こうみえて。いやもとが酷かったのです。)



1番は、この恋が留置所に入った時に支えになったのです。


(僕は奥さんいてこういう話したくないんだけど、でも貢献したくて伝えているので、そんなに話もしないので、ぜひ聞いていただけたらと思います。

人生に参考を!)



僕はほんと留置所に殺人未遂で入れられて(濡れ衣ですよ)、もう人生終わったと思ったのです。

運が悪すぎて終わっているなと思ったし、「なんなん僕の人生は」と思ったのです。


もうはじめてグレてやろうと思ったのです。心にフタをしようって。


心にフタをすれば楽になれるのはわかってたんです。でも同時に人生の楽しさを奪われると思っていました。

でもいいかなと思ったのです。


もうそういうのいいかなって。


頭の中では選択です。

1つは「シーンは夜。黒い車があって、たぶんベンツ。それで僕は黒のグラサンをきて、スーツをきて、後ろにけばい姉ちゃんが何人かいる」みたいな自分が出てきたのです。


もう1つは、「ジーンズにTシャツ。僕は何もみにつけていない。なにもない。空は青。雲もある。彼女と一緒に遊園地にいって、楽しく遊ぶ♪」


そんな2つの光景がありました。


僕はどっちを選ぼうと。


なかなか後者選べれなかったのです。だってもう無理だと思ったから。だって殺人未遂。濡れ衣ですよ。前科者です。16歳にして。


僕はふつうの幸せは人生無理かもと思ったのです。


だからもう前者で行こうと思ったのです。しかも行ける環境ばっちりみたいな。だって留置所の中は半分以上ヤクザの人だったから。


声をかければいい。「僕を連れていってください」と。


これをしたらもう人生終わるのですが(そう思っていました。)



もう人生終わっていると思ったのですが、本当にその決断したら人生が終わるじゃないですか。


どうしようって。



そんな時に、15歳の時、5月9日から5月17日までの間の体験が蘇ってきて、


僕はこの出来事って「じつは幸せだと気づいたのです」 なんにもなかったけれど。


なにかデートをしてとか、素敵な思い出があったら、幸せだと言えるのですが、なんもないのに幸せっておかしいと思ったのです。

もし僕が、実際にはじつは16年生きてきた中で1番幸せなのは、15歳の時の5月9日から5月17日まででした!と言ったらおかしいと思うのです。思ったのです。


「何もないもん」


なにもないのに幸せって、「おまえどこまで幸せがないんだ」って思われる。と思ったのです。


でも認めたのです。15歳の時のあの時は間違いなく幸せだった。

16年間生きてきた中で、1番幸せな日は、5月9日。間違いなく。


この時ほど嬉しかったことはないのです。人生いろいろあったけれど、人生ありがとう!です。人生逆転さよなら満塁ホームランと思っていました。


強迫性障害やらいじめやらいろいろあったけれど、そんなマイナス、つきあったものに比べたら、マイナスが1000あろうと、

つきあえたのは1万です。


プラス9千です。

誰がなんといおうと、僕は世界一の幸せ者だと断言できるのです。できたのです。

そんな僕は世界一人にやさしかった。9日限定だったけど。



そんな出来事、思い出なんもないという。


でも嬉しかったのは間違いなかったのです。ものすごく幸せを感じれたし、味わえたし、

それは別に好きな人と一緒にいて味わえたらとかじゃないですよ。それはないのです。

ありません。

1人です。

でも僕はものすごく幸せを感じれたし、味わえたし、最高の気分だったのです。



なにもないけれど、なにもないのが幸せだったんだ!


幸せというのはただの感情だったんだ!



人があれが幸せ、これが幸せ、いい大学入るのが幸せ、いいところに就職するのが幸せだと、

母親もばあちゃんも言っていたけれど、「それは僕の幸せじゃない」とは思ったけれど、

彼女ができて、デートするのが僕の幸せだと思っていて、あと何もなかったけれど、


それは別になかったけれど、「僕は幸せだったんだ!」と気づいたのです。



そうしたらパワー与えられて、僕が留置所の中で発明した可能性が、


「あの感動をもう1度!」だったんです。



あかん、あかん、心にフタをしている場合じゃないと思ったのです。

ここから先、なにがあるかわからないけれど、明るく笑顔で一生懸命働いていたら、5年ぐらいかかるかもしれないけれど、1人ぐらい理解者があらわれると思ったのです。

僕はこう前科があって、たとえやっていないと言ったところでそんなの信じてくれるわけないし、


でも明るく笑顔で一生懸命働いていたら、5年ぐらいかかるかもしれないけれど、1人ぐらい、僕を理解くれるというか、僕がやっていないと言ったら、

おまえはほんとやってないと思うって、僕を本当に対等に扱ってくれるというか、そういう人があらわれると思ったのです。

でもそれを考えた時に、「人の幸せってほんとなんなんだろう」と思ったのです。


僕はこれから先、たぶん少年院行くと思う。外にでたらなかなか厳しい。それから先は楽じゃない。偏見もあるだろう。

でもその中で、「いつか理解者があらわれるかもしれない」ということで、5年ぐらいかかるかもしれないけれど、

じゃあその5年の間、幸せじゃないかって幸せだと思う。

なぜなら「いつか理解者があらわれるかもしれない」というのは光だ。


いつか自分の理解者があらわれるかもしれないって、ルンルンルンって生きられるわけです。


それはすぐにあらわれても、なかなかあらわれなくてもどちらも幸せ。

なぜならなかなかあらわれない場合は、『喉が渇いた時ほど、飲む水は美味しい理論』がある。

中学野球を1年間していたのですが、その時、1年生は終わるまで水が飲めないのです。プラス「こーぜー」と言って、声を出させられる。

しんどくて、でも練習が終わると、水がほんと美味しいのです。

あとボクシングもそうでした。飲む水が美味しいのです。

これは別にどんなに高価な美味しいと言われる水を飲んだところで、喉が渇いた状態で、飲む水には勝てません。

しかもなんていうか、ボクシングしていた時の水には。

なにかに本気でチャレンジし、真剣にやり、一生懸命やり、ベストを尽くし、そして喉が渇いて飲む水、『最高』です。

これは余談でこれだけは絶対言えるのですが、どんなに素晴らしいと言われる、健康にものすごくいい、最強のもの、水があったとしても、

たとえば体が最高に治る水があると言われたとしても、

勝てない水があります。

最高のものは、本気でチャレンジし、真剣にやり、一生懸命やり、ベストを尽くし、そして喉が渇いて飲む水です。

五臓六腑に染み渡る、その水です。人生を変えるような水です。(もちろんプラスアルファとして、いい水飲めばいいですけどね)

ただこれやらなくていくらいい水飲んだところで、たかがしれています。(これと比べればね)


水道水でもいいのです。それを最高の水、健康の水に変えることもできます。(水道水のレベルによるけれど)

自分の生き方がそれを成せます。



『喉が渇いた時ほど、飲む水は美味しい理論』



「いつか理解者があらわれるかもしれない」ということで、5年ぐらいかかっても、すぐにあらわれても、
どちらも幸せなのです。

5年ぐらいかかるというのは、おもいっきり喉を渇かせるだけです。


5年かかったら、5年後に、「やっとあらわれた」となります。感動です。

もうほんとこの人に一生ついていきますとなるかもしれません。

ほんとにこの人に尽くそうと思うかもしれません。

ほんとこの人の為にがんばろう、貢献しようと思うかもしれません。


より一層与えていく。そうしたら、1人の自分の理解者が、2人、3人、4人、増えていくと思ったのです。



「あれ」と思ったのです。人は幸せにしかなれないと思ったのです。


どの位置も幸せ。比べることもできない。




15歳の時、5月9日、最高に幸せだったのは、その手前で、ものすごく喉が渇いていたというのもあると思います。

だからつきあった時、ものすごく嬉しかったのです。


ただ唯一のものは、「僕は幸せを待っていた」、それが唯一の汚点です。



「いつか彼女ができるかもしれない。できる」と信じていれば、

あきらめからじゃあみえないけれど、その可能性を信じることができれば、人は行動します。


「ああ彼女ができるんなら、ああその人の為に、がんばっておこう」と出会う前に行動ができます。

ひょっとしたら、僕は彼女とつきあってからボクシングを始めましたが、


もし「いつか彼女ができるかもしれない。できる」と信じていれば、その瞬間から、

「ああゲーム辞めよう」とかその時から思ったり、小学生ぐらいからボクシングを習うとか、

ジムが遠いなら、じゃあ空手でもなんでも習うとか、すごく行動ができたと思います。


小、中学生の僕は、「幸せを待っていた」

「いつか彼女ができるかもしれない。できる」と信じていれば、

あきらめからではなくて、その可能性を信じることができれば、僕は変わっていたと思います。



それをやらなかったから、(というよりも知らなかっただけですが)

僕は不幸だと思っていたのです。

もしその道、可能性がみえていたら、僕は間違いなく幸せでした。小、中学生も。



幸せとは、「可能性」だと僕は思います。幸せとは可能性。


すぐに手に入っても、

なかなか手に入らなくても、幸せなのです。なかなか手に入らなければ、それだけ喉を渇かしているだけです。

水飲んだ時にすごく美味しいです。味わえます。登山みたいなものです。その景色を味わう為に登る。

オリンピックでもそうです。4年に1度の為にやる。

ボクシングでも、リングでの何時間かの為に、毎日、毎日、通い、練習をする。

甲子園なんて行けるかどうかもわからないのに、高校球児は練習しているわけで、


時に「たった1瞬」の輝きの為に、何年も、何十年もかけるってあると思うのです。


ワインだって、花火だって。

桜だって。



それからセミ。土の中に何年。時に10年とか。それで成虫になって2週間ぐらい。まともに生きれて。

土に潜って10年。やっと飛べるとなっても、クモやカマキリ、スズメバチや鳥等の天敵がいる。

人間という天敵もいる。


10年待っても、飛んで、一瞬とかよくあることだと思うのです。



時に一瞬の為に「みんな何年もかける」


それは『喉が渇いた時ほど、飲む水は美味しい理論』だと思うのです。


どんなに美味しいご馳走も毎日出されたら飽きるし、たまにだから美味しいとかあります。


あとは高価でなかなか食べれないとか、だから食べた時、感動があったりね。



僕らは時に一瞬の為に生きているということがある。舞台とも呼んでいいと思う。

だから僕らも積み重ねて舞台を狙いにいく。一瞬の為に生きる。積み重ねる。だから感動があるというのも1つ。




『喉が渇いた時ほど、飲む水は美味しい理論』


人間もほとんど水でできていると言われています。

世の中も多くは海です。


水の方に幸せがあるのじゃなくて、


それを飲む、こっち側に「幸せ」がある。


その水は、高価でも、水道水でもなんでもいいと思うのです。


高価みたいに、お金持ちに生まれるとか、

水道水みたいな、なかなかヘビーな環境で生きるとか、



でもそっち側に幸せがあるのじゃなくて、

『飲むこっち側』に幸せがある。


それに極限まで喉を渇かしたら、


極限まで喉を渇かして飲んだら、


高価な素晴らしいと言われている水も、

水道水も、【味はまったく同じ】


どちらの水も200%最高の水になります。


違いなんてわからない。



ほんとうに。極限まで喉を渇かして飲んだらね。





これからの人生に参考になればと思いお伝えさせていただきました。
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