心から笑い合える日をつくる、パノンコミュ。

「なぜかここに来ればどんどん問題が解決していくお店」

「なんだかここに来れば あれれ どんどん人生が幸せになっていくぞ」 そんなお店を運営しています。

「心から毎日が笑えるようになる居場所、パノンコミュニティ」


ここは「なぜかここに来ればどんどん問題が解決していく」

「なんだかここに来れば あれれ どんどん人生が幸せになっていくぞ」

そんな体感が訪れる居場所です。




(会場は横浜市開港記念会館です。)




是非読んでください。

この人生を楽しむ為であったり、
創造性を膨らませていただきたいのです。
まずはそこから始めましょう。

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ワタミでいた時なのですが、僕がキッチン入っていると恐ろしいほどまわらないということがありました。

つまり全体が機能しない。

僕自身でいうのもなんですが仕事はできたほうなのです。はやいです。でもまわらない。僕がキッチンの司令塔に立つと。

バイトのベテランの人に任せるとまわる。

でも負けているとは思えないのです。状況判断であったり、もちろん仕事のスピードも。

どんどん仕事に磨きかけて、できるようにしても、まわらない。

「なんで?」って思ったのです。


その疑問は、ワタミを辞めて、何年後か、いや今年ですね。今年理由がわかったのです。

キッチンにいる方たちのパワーを僕が奪っていたのです。

短気だし、ピリピリしているし。

バイトのベテランの子は楽しくやっていたのです。

僕はそれをバイトで責任感がないからやと内心イライラしてたのです。もっと真剣にやれと。


そのお店は大和八木です。奈良です。(ちなみに今住んでいるところも奈良です。)


もうすぐ店長になるというところで、その店ではいい感じで、ルンルンとしていたのに大きな人事異動があって、大和八木に配属。そこから大和八木では半年いました。

その時の上司です。(店長ではなくてその上司のエリアマネージャー(課長))

僕に「1番店長にさせたいのは君だけど、1番店長にさせたくないのも君だ」と言った上司は。

熊田課長ですけどね。

「なんでこんなことになっているんだろう」と思ったのです。「いい感じだったのに」


(ちなみに僕が体の1/4、火傷をして、あたり一面火の海になって死にかけたのは、その大和八木店の次の店です。)


大和八木店での半年はしんどいわけじゃなかったけれど、しんどかったのかな。

1人という感じです。


バイトの子の人望はマイナスです。

店長への僕の印象もマイナスです。


1人、ポツンですよ。


店長も課長もバイトもみんな、アホにみえていた時です。


もうはやく店長にしろと思っていました。「おまえら全員みかえしてやる」と思っていました。

なんでワタミの理念を誰よりも受け継いでいる僕が、誰よりも渡邉美樹社長の言っていることをやる僕がこんな待遇なんだと思っていました。

実際じゃあそんな接客や態度しているかってしてないですよ。

「店長になったらやる」でした。


なぜなら動けば、行動すれば、ケンカをするから。(それと仲がよくなかった店長に貢献したくなかった、喜ばせたくなかったというのもあります。なんでおまえの出世に協力せなあかんねん!と。)

「なんでこんなバイトのやつ雇っているのか」意味不明でした。

「おまえやめろ」と言いたいのですが、店長いるといいづらいのです。というより言っていたら、どんどん関係が悪化したのです。


自分が店長になったら好きにやろうと思ったのです。売上あげる自信もあるし。


でも最後まで店長になれませんでした。(事故にもあったのもあるけれど)


だいたい「店長になったら好きにやろうと思ったのです。売上あげる自信もあるし」

「~たら」という奴が、こういう人がやれるとは思えないのですが、だから独立した時に自分の力を証明したらあというのも1つあったんですね。

店長になって証明できなかったので、自分でやって証明しようと。


僕のやり方はたぶん渡邉美樹社長と同じなのです。だって社長の思いに共感してワタミに入りましたから。

でも渡邉美樹社長は店長時代、バイトの面接の子に「お客様の奴隷になっていただけますか」で採用していましたからね。

ひざつき接客していないバイトの子がいたら、バーンと足蹴ったりしていましたからね。

「当時は若かった」と渡邉美樹社長も言っていたけれど。


いまは大和八木店の時に戻ってもうまくやる自信があるのです。去年までは絶対無理とかそんな思考なかったですよ。

なんでうまくいくかって、謝れるし、「みんな素晴らしい人たちだ」とみえて関われるからとか、承認を覚えたし、あとは「本当に僕はこういう店をつくりたいんだ。みんな協力して」と、熱く思いが語れるし、1番はこれですね。恥ずかしくて言えなかったことを言えるようになったこと。

どれも全部いるんだけど、謝れる。

「みんな素晴らしい人たちだ」とみえて関われる。

承認。

恥ずかしさを手放して、素直に自己表現。

あとは自分が正しいというところから会話をしないことであったり、何かが悪いにしないこと。

それから僕にもっとも欠けていたのは「ハングリーさ」

店長に「僕はこの店をより素晴らしい店にする為にきたんです。なんなりとお申し付けください」という在り方じゃなかった。

「店長、僕はお客様に喜ばれる為ならなんでもしますので言ってください!」


違うケースだけど僕の場合、「店長になりたい」と思っても、言わないのです。

上司から「どうしても君に店長をやってもらいたいんだ、頼む」と言われて、

「わかりました。そこまで言われるのでしたらやります」と言うのが好きなのです。

このパターンが好きなのです。

でもそれはハングリーさがない。

「店長になりたい」と言うのは、なってもいいし、ならなくてもいいみたいなそういう状況ってあるじゃないですか。

そういう時に、なってもいいと思うのであれば、こちらから「ぜひ店長にならせてください」と言い、

相手にお願いされたり、待ったりしないということ。


そういうハングリーな人を、うらやましく思う人は多いと思うのです。

「いいなあ、そんな素直に自己表現して」って。

相手にお願いされたり、待ったりしているとチャンスを奪われるということはないでしょうか。


僕はそれでずいぶん遠回りしてきてきました。

その遠回りは遠回りのようで近道ですよ!なんて道じゃないです。

「無駄」だと呼びたい。

「無駄」が悪いわけじゃないです。ただの「無駄」です。


謝れる。

「みんな素晴らしい人たちだ」とみえて関われる。

承認。

恥ずかしさを手放して、素直に自己表現。

あとは自分が正しいというところから会話をしないことであったり、何かが悪いにしないこと。

そして「ハングリーさ」


だから僕は大和八木に戻ってもうまくいくと言えるのです。

というかどこででもうまくいきます。

失敗はあるかもしれません。でもその道のりも甲子園目指すみたいに楽しめばいいのです。ゲームやる感じにね。

はじめからうまくいったらそれはそれでいいけれど、うまくいかなかったらうまくいくようにする。ゲームです。
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6月は上級「僕らの渡り鳥スタイル」が始まります。

今後の渡り鳥スタイルについてお伝えしますと、今年は第2回目をやらないかもしれません。理由は、メルマガやステップメールや掲示板などをつくってネット上のオンライン講座にしたいと思っています。
              
なぜそのようにするのかというと「あらかじめどんどん情報を伝えて、課題なりなんなりとやっていただいて、もうこれで全部伝えた!」という状態にしたいからです。
              
第2回目、渡り鳥スタイルのコミュニティに参加する為の準備運動みたいなものです。そういったものを経由しないと難しいなあと、やってみて思ったのです。
            
そうしないと勘違いも起こると思うのです。わけわからず渡り鳥スタイルに入られたりとか(それは審査があるので防げますが)、僕の意図とは違う解釈をもたれて参加されると1番混乱を招くからです。
            
そのようにいたします。
          
今年はネット上での活動を増やし、本の執筆もあるし、どちらかというと潜ります。1000人イベントの達成に向けて、自分なりに何をすれば1番効果的なのかを考えてそのようにいたしました。

1、2年間も潜っていましたが、今回はブログを書いていきますからね。 
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コミュニティ内でシェアしたものがあるのですが、「言いたく無いなあ」とか「また変に思われるなあ」と思ったのですが、でも貢献になる人もいるだろうなと思うし、大切な情報だと思うのでお伝えさせていただきます。

背景がなくてわかりづらいところもあるのですが、なんとなくで構いませんので掴んでくれたら嬉しいです。(1度読むだけではとてもわかりにくいので何度か読んでください。)

ではどうぞ。


「そのシェアから出てきたものをお伝えさせていただきますね。

ある男性の話ですが、その男性の友人が自殺して、その自殺する前に、彼女を自分に紹介したりとか、それが自殺する3日前でした。

友人が自殺されて男性が言っていたことは、

「その男性の死から何か聞こえてくるものがあるような気がする」と。

そんなことを”ふつうの人”が言っていたのですがそれがまず「すごいなあ」と感じて、(ふつうと人というのはスピリチュアルの世界ではふつうで、それとはまったく違う、ただ会社員で勤められている方が言っていたのに驚きました。)

そこに対して、フィードバックしていた方がいるのですが、

その方が「素晴らしい。非常に”大人”だ」と言ってたんですね。


僕もそう思うのです。

たしかにこの世界がわからなければ、

「友達が
「昨夜の風は『くやしい、くやしい』
 って泣いてるみたいに感じた」って言ってましたが
本当にそうかもしれないです。

私に出来ることは
私の人生を色濃く生きていくことだけだなぁ・・と思いました。
友人にしてあげられることは
忘れずに覚えていることくらいかな
だとしたら、
「私にできること」なんて
私を一生懸命生きるくらいしかない、と。

でも「そうすることは出来る」とも思いました。」


こんな解釈になりますよね。ほとんどの人がそうだと思います。

知らなくても生きれるし、いいのです。

ただなぜ僕がいま伝えるのかというと、多くの人がそれではこの世から病気や犯罪やいじめや不登校や、そのなんていうか、あまり起きて欲しくない「深いもの」ですよね。

それが非常に解決しにくい。

「みえない、きこえない」というのはそういうものですよね。

そしてまだまだ僕にも「みえない、きこえない」ものも多いでしょう。


知らなくても生きれます。

ただ僕らはそれでいいとしても、今の子供や、これから生まれてくる人たちを考えると、と思い、僕は動いています。

どちらかというと、今の子供や、これから生まれてくる人たちの為ではありません。自分に子供が生まれたら別でしょうが。

今はそこで動いていないというのが正直な気持ちです。僕が動く理由は、この日本の為に命を投げ出してたたかってくれた、戦争に行った方や、幕末活動された方や、

そういう人、先祖の背中をみた時に、与えられて、「でも返さない」 自分で止める幸せストッパーになりたくないだけです。かっこ悪い。

与えられて、その上で、ノホホーン。
「ええわいな」と思うけれど、僕は嫌なのです。

まあでもやりたいからやっています。


でも1番は、

友人が自殺されて男性が言っていた、

「その男性の死から何か聞こえてくるものがあるような気がする」と。


その世界に身を置いていることが1番の原因です。


「みえるから、聴こえるから、感じるからやらなしゃあない」


もうシャットアウトして生きようとして、それがワタミでいた時に事故が起きる3日前だったのです。


で、それを契機に独立しました。


昔は、

「友達が
「昨夜の風は『くやしい、くやしい』
 って泣いてるみたいに感じた」って言ってましたが
本当にそうかもしれないです。

私に出来ることは
私の人生を色濃く生きていくことだけだなぁ・・と思いました。
友人にしてあげられることは
忘れずに覚えていることくらいかな
だとしたら、
「私にできること」なんて
私を一生懸命生きるくらいしかない、と。

でも「そうすることは出来る」とも思いました。」


こういう方をみて、「いいなああ」「うらやましなあ」と思っていました。

僕もそんなふうにして生きたい。

みえない、きこえない、感じれないっていいなあって。


でもいまはそれそれで悲しみもあるし、苦しみあるし、種類が違えば変わらないんだなって思います。

むしろいまは、みえる、きこえる、感じれる世界が楽しい。

だって「やれることがあるのだから」

やれることはないと思っているのに、みえる、きこえる、感じれる世界は地獄でしたが、

うけいれて、認めて、「それをやりたいからやるとなりだした時はパラダイスです」



友人が自殺されて男性が言っていたことは、

「その男性の死から何か聞こえてくるものがあるような気がする」と。


聞こえてくるでしょう。


なぜそんなふうにその男性は思うのかって、「責任者」だからです。


ぜひ人にご招待したい世界が、

「私も友人が亡くなりました。一昨日の夜亡くなって、昨日連絡を受けました。」


『その友人の死は、100%、私の責任です。』

とそこからみられることをご招待します。この言葉は真実の言葉でもなくて、正しいものでもないです。


『その友人の死は、100%、私の責任です。』

ただそこから、みていただきたいなと。きいていただきたいなと。感じていただきたいなと。

今なら可能だと思うのです。「なんにも悪いとしない」そのセンスを掴んでいるので。

何かを悪いにしているとみえないです。自分のせいや、人のせいなにかのせい。

そういうのはまったくいらないのです。その世界にいないこと。いたら、

『その友人の死は、100%、私の責任です。』というところからはみえないです。苦しくて。

そういうのはまったくいらなくて、

ただ

『その友人の死は、100%、私の責任です。』

そこから、みていただきたいなと。きいていただきたいなと。感じていただきたいなと。

理由を言いますね。

「防げるからです」


実際には防げるかどうか予防できるかどうかはわかりません。

でもね、みえたら、きこえたら、感じたら、「やれることはどんどん出てくるのです」

そこに対して、「なんもできへん」とか言っていたら、しんどいですよ!

だから「なんでもできるというところから生きる!」

そんな人生はいかがでしょうか。


つまり大きな選択を伝えています。

たとえていうなら、「平凡、ふつうに生きるのか」

「非凡に生きるのか」

です。

どちらでも構いません。選択は自由です。


ただみんな大きく片足をつっこんでいると思って、その状態って逆にしんどいじゃないですか。「逆にダイブすればいいと思うのです!」

その方が楽で、楽しい。

「大きく人生が変わってもいいですか」

でもその世界は楽しいですよ。日本や世界で活躍します。

経済的にも豊かになるだろうし、いろんなところにも行きたい放題です。

人にもたくさん喜ばれます。深く。


デメリットはあります。「山登り」みたいなものです。楽じゃないじゃないですか。

でもなんで登るんですかって好きだからです。


それで山登るなら、ここにいちおうその山登ってきた僕がいるので案内はできるかなと。


『その友人の死は、100%、私の責任です。』

そこから、みていただきたいなと。きいていただきたいなと。感じていただきたいなと。


みないのもよし、みるのもよし。


ただどうせ人はいつか死ぬのです。素晴らしい山を登りましょう!


ご友人が亡くなられたことはとてもとても悲しいことです。

起きたことをどうにかすることはできません。

だけどそこから、みて、きいて、感じて、行動することは無限の可能性です。


僕はこういうことの違いをつくる為の活動をしています。


すべてじゃないですが、まったく。ぜんぜん。でも人の死を責任において、行動しています。

悲しみは背負えば背負うほど、強くなる。そう北斗の拳で教えられたのです。漫画です。

北斗の拳の主人公ケンシロウは、悲しみを背負ってどんどん強くなりました。

それをみて、
「なるほど悲しみは背負うんだと。悲しみを背負うと強くなれるんだ」

あとは、闘えラーメンマンです。これも漫画です。

その漫画の主題歌に、これです↓



小学生の時、日曜日やっていました。
歌詞に、「誰の涙をうけとり」とかね。

「誰の涙も受け取っているのか。だからラーメンはやさしくて、強いんだなあ」とかね。


あと北斗の拳に、無想転生というのがあります。

 「この世で最強のものは「無」

  その「無」より転じて「生」を拾う

  哀しみを背負った人間のみに
  
  許される究極奥義、それが無想転生。」




ぼく実際これはあると思っていて、

たとえば、

友人が自殺されて男性が言っていたことは、

「その男性の死から何か聞こえてくるものがあるような気がする」と。

というのは、聞こえてきたら、

それが友人が後ろにいるような感じになるのです。そしてその友人が力を貸してくれるみたいな。


借りる、借りないは自由です。

でも借りると、

「その男性の死から何か聞こえてくるものがあるような気がする」と。

というのは、聞こえてきたら、

それが友人が後ろにいるような感じになるのです。そしてその友人が力を貸してくれるみたいな。

『こういう人には勝てない』

だって1人でやってないもん。

こういうのはあると思うのです。だから「はじめの一歩」でも鷹村守さんが、

ボクシングの漫画ですが主人公の一歩に「おまえの拳は軽い」と言われるんですね。

「チャンピオンの拳を重い」と。


チャンピオンというのは、たくさんの期待を背負っている。それが拳に宿っているから、パンチが重くて勝てるのです。

なんにも背負っていない人は弱い。


でもこの背負うというのは別に重いものじゃなくて、人と一体になっているという感じでしょうか。

「人は自分で、自分は人」みたいな。「自分は自分、人は人」みたいになっていると、背負うとか期待とかうんこのようにしか感じないと思うのです。


一体感。


自分の力や能力や、パワーなどはいくらでも与えてくれます。自分が望めば。

そのアクセスは、

『その友人の死は、100%、私の責任です。』

そこから、みたり、きいたり、感じたりしていくことなのかなと。


だからあとはどう生きたいのかの選択をして、

あとは扉を開けていくこと。

自分の力や能力や、パワーなどはいくらでも与えてくれます。自分が望めば。

そのアクセスは、

『その友人の死は、100%、私の責任です。』

そこから、みたり、きいたり、感じたりしていくこと。


人の可能性は無限大ですよ!



あと言葉の説得力とかそういうのも、

無想転生の力を借りたらいいのです。

ランドマークでICLPというリーダーシッププログラムもあって、
そこで歴代の記録を叩きだしてきましたが、それも無想転生です。

余談でした。
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「ファンキーだね!」娘の排泄の障害を乗り越えて。幸せを循環させます。の村川朋美さんからのシェアです。素晴らしいのでほんとにぜひ聞いてください。

「好きなことして生きたらええって。この世の中我慢だらけや。したいことしたくても、動けん人いっぱいおる。やれん人いっぱいおる。しあわせに。な、やりたいことやり。」

5月27日 お婆ちゃんは亡くなりまして、でもきれいなお顔で眠っていました。

亡くなる前もずっとご飯を口にしていなくて、周りは一生懸命食べてもらえるように頑張っていたのですが、お婆ちゃんはほぼ拒否をずっとしていて、お婆ちゃんは逝く時を自分で決めていたような、そんな気がしました。

亡くなる前も繋がれていたのは点滴の管ひとつだけで、老衰に近い最期だったとおもいます。

とてもきれいな最期でした。

明後日お通夜で、しあさってがお葬式でお別れです。

おばあちゃんの立場にたつと私がみえるのは、おじいちゃんが先に逝っているので、おじいちゃんにあえるのがうれしいって。嬉しいと思います。

あとはほんとやっと自由になれた、

おばあちゃん入院する前も軟禁状態というか、好きな時に家から出してもらえない、状態で、家にずっといたから、氷川きよしのポスターと一緒に。だから嬉しいって。

孫、わたしたちのことはかわいがってくれていて、

だから、しあわせにな、しあわせになっていつも言ってくれていたから、

わたしたちのしあわせを願ってくれています。


おばあちゃん、今このタイミングで旅立ったのかもしれないです。みなさんを応援してくれてると思います。

我慢もたくさんの人生だったと思います。

私たちには好きなことして生きたらええって。

この世の中我慢だらけや。
したいことしたくても、動けん人いっぱいおる。やれん人いっぱいおる。

しあわせに。な、やりたいことやり。って。

ひ孫見せにいったら、それだけ生きててよかった。生きててよかったって。

みなさんもこの言葉を贈りたいと思います。


「好きなことして生きたらええって。この世の中我慢だらけや。したいことしたくても、動けん人いっぱいおる。やれん人いっぱいおる。しあわせに。な、やりたいことやり。」




「この世の中我慢だらけや」

この言葉は私の心にいつもありました。


「この世の中我慢だらけや」


いっぱい我慢してきた。いっぱい諦めてきた。いっぱい悔しい想いもしてきた。
そんなことが日常茶飯事、たくさんありすぎて、日々我慢して心にあるもの抑え込んでいる自分を美化さえしてきた。毎日毎日頭の中は忙しく、生きているだけで精一杯でした。

だけど、
そうか、やりたいことやったらいいんや。我慢するのではなくて。
できないと諦めるんじゃなくて、やっていけばいい。行動して掴んでいけば良い。何を諦める必要があるんだろう。」


私がカウンセリングの仕事をしていて、お客様にほんとに結果が出るようになったのはカウンセリング技術を学んだからではありません。
自分の心の在り方がシフトしたからです。

「私には人を守る力がない」と思いこみ、そこから生きていたことに気付いて、「私には人を守る力がある」とある日、私は自分のいる位置を変えて、そこから生きることができたのです。

ある方が
「私に自信がないと思っていたのは、嘘でした。自信がないということにして、逃げていただけだったのです。」

そんな風に書かれていて、私はそれを見たときに、これは私のことだと思いました。その人の体験と自分自身が重なったのです。

私も逃げていたのです。自信つけたい、自信が欲しい、お客様に喜んでもらえる結果を出せる自分になりたいといいながら、その自信のない自分をうまいこと使って、逃げ道をいつも確保していたことに気が付いたのです。

それを自分自身ではすぐに受け入れられず、「いや、そんなことない、逃げてない。だって、だってこんな、一生懸命やってるよ」と自分に言い訳をしていました。

そのときにやっと見えたことがあって、それが『「私は人を守る力がない」というところから生きていた。』ということでした。
それが「我慢」だったのです。

それが見えたから、初めて

『「私は人を守る力がある」というところから生きよう。』と決めることができて、その瞬間、本当に見える世界が変わって、お客様が健康になり、笑顔になっていきました。


私は3歳と、11カ月と小さな子供が二人います。

周りからは小さな赤ちゃんもいるのにブログもこんなに書いて、あれもやってこれもやってって本当にすごいねと言っていただくけれど、きっと周りから見えているほどスマートに毎日を過ごしてはいなくて、本当にてんやわんやでやっています。 
主人の協力あって応援してもらっているから、本当にさせてもらえている。

こうして好きなことをやりたいことを仕事としてさせていただいていてありがたい。

でもうまく仕事と育児がバランス取れなくなると、思い出すのは、「子どもの小さな頃は今しかないんだよ。本当に」と心配してくれている人の言葉。

あとは「私は子どもが大きくなってからでいいかな、自分がやりたいことをするのは」という友達の声。

私は家族を犠牲にしているのかな。

私がやっていることは、なんなんやろうって。


そんな時、お婆ちゃんの声が聴こえてくるのです。

「好きなことして生きたらええって。この世の中我慢だらけや。したいことしたくても、動けん人いっぱいおる。やれん人いっぱいおる。しあわせに。な、やりたいことやり。」


その声が私の夢(仕事)と育児のバランスを取ってくれます。

私はお婆ちゃんが"生きたかった"人生を生きていきます。

お婆ちゃんの力を借りて私はこれからの人生を生きていきます。

そしてそれが私がもし歳をとった時、健康的であり、多くの仲間に支えられる(支えあう)人生だと思うのです。「たくさんの幸せの循環が拡がった世界」

それを子供や孫にみせてあげたいです。

おじいちゃんやお婆ちゃんやみんなと共にわたしはあります。

いつも本当に感謝しています。

          村川朋美
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仕事についてだけど(仕事以外にもだけどね)

「自分が思うようにやったらいい!」
そしてそれを
「うまくいくと思ってやったほうがいい!」

こんな僕の提案です。

人は誰しも心の中にあるのは、
・間違えたくない
・失敗したくない
というのがあると思うのです。

そして「うまくいきたい(やりたい)」という心もあるでしょう。

根底にあるのは「うまくいかなかったらどうしよう」「間違えていたらどうしよう」

そういう気持ちや感情が出てきます。

そういう気持ちや感情、反応から聞くと
「こたえをもらうみたいになるんですね」

”そこに自分がない”

だからやっていてもなんだかパワーもらえない。なんか違う。なんか違和感を感じる。

やれなくなる。ああああああああああああ 「落ち込む」


その世界にいないことが大事です。

「自分が思うようにやったらいい!」
そしてそれを
「うまくいくと思ってやったほうがいい!」


『自分が思うようにやる。うまくいくと思ってやる。』

それでうまくいくかと言われたら、わからないです。うまくいかないこともあるでしょう。
間違いというか結果が出ないこともあるでしょう。

うまくいくと思ったら、うまくいく。そんなんではないのです。


うまくいくと思ってやっても、うまくいかないそういうことは当然発生します!あたりまえなことです。

うまくいくと思っても、うまくいかないなあと思う結果も出てくることはあるでしょう。

もともとそんな保証されたものはないので。100%とかね。

うまくいかないこともあります。

でも「うまくいかない」「うまくいかないだろうな」とやっていっても、絶対続かないですよね。そんな苦行。

「うまくいく!」と思ってやったほうが、楽しいし、続きます。

だから「うまくいくと思ってやったほうがいい!」


『自分が思うようにやる。うまくいくと思ってやる。』

うまく行けばそれでいいし、

やってみて、うまくいかないなあ、と思ったら、なんでなんだろう、自分で考えてもわからない、

そういう時に「人に聞けばいいのだと思います」

しかもそれを「こたえ」とせずに、ただの参考に。

「自分目線になっていますね。もっとお客様の立場に立って」ともし言われたら、

その言われたことが正しいわけじゃなくて、

「その人は何を言おうとしているのだろう。何がその人には自分にみえているのだろう」と、そこに関心をもつ。

自分が知らないなにかを伝えようとしてくれている。そんなふうに聞いて欲しいのです。

知らないのだから、「聞く」しかないです。

考えるのではなくて聞くのです。だって聞かないとわからないです。なぜなら自分が知らないなにかを伝えようとしてくれているのだから。

「そう知らないのです」

知らないものは考えたところで仕方がないです。自分の頭にないのだから。

「聞くしかないです」


つまり「自分目線になっていますね。もっとお客様の立場に立って」ともし言われたら、

いま僕らはすごく長年の経験や知識や人からいろいろ言われたものが頭の中に入っていますよね。ベテランクラスです。

だから、

「自分目線になっていますね。もっとお客様の立場に立って」ともし言われたら、

ありとあらゆることを考えることができます。でもその考えるものは全部自分の頭の中にあることですよね。

「自分の頭の中で考えるということです。」

でもその頭の中にない場合、どうしましょうということなのです。

つまり頭の中にない場合、出てくるものが最後には「わからない」ということになります。


「自分目線になっていますね。もっとお客様の立場に立って」ともし言われたら、

自分はその人の言おうとしていることを、自分は知らないんだ、自分の頭にないんだというところに立って欲しいのです。

そういうところから聞いて欲しいのです。

これは子供脳とも言えるでしょう。生まれて月日が経ってないなら、ほんと「知らないことがたくさんです」

頭の中で「ああだろうな」「こうだろうな」と考えることもできません。なぜなら経験がないから。情報もないです。

文字通り考えることもできません。なぜなら知らないのだから。

だから「聞く」ということをします。

だから子供はよく聞きますよね。「お母さんあれなに?」「これなに?」


野球とかみていても、ベテランがいます。
すごく長年の経験や知識や人からいろいろ言われたものが頭の中に入っています。

練習量やいままでやってきたことは圧倒的に上なのに、時に「18歳のルーキー」や「新人」に負けたりします。

たしかにベテランクラスはある程度の実績を叩き出すでしょう。

でも時々、「18歳のルーキー」や「新人」をみていると、魔法のような成果を出したり、自分にとって奇跡や、ワンダーみたいなことを次から次へと起こしていきます。

その1つに「何もないから」というのもあると思うのです。


一般的にいうと、「ビギナーズラック」

なぜあるのかを僕なりにいうと、知らないから、「こうなったらどうしよう」とか、「相手にこういう手が入っていたらやばいなあ」とか、

そもそもネガティブな思考がないです。(ポジティブ思考もないです。)

恐怖、不安もないです。だってそこに何があるかわからないもの。

相手もわからへんみたいな。


これをこれ以上いうとややこしいので置いておきます。


なにか言われた時、過去の何かの情報と照らし合わせて聞いているんだと。


これらは勝手に行われます。脳の反応です。時に傷ついた体験や失敗したくないという思いやそういうのがたくさんあると、よりそれらは強化されます。

脳は自分で自分を守る機能があるので。そうやって動物は生きのびてきたのです。


「なにか言われた時、過去の何かの情報と照らし合わせて聞いているんだと。」

そうしたらわからないこともできてきます。わかることもあるでしょう。でもそれとその人が言おうとしているものとは別の可能性があります。
だからアドラーも釈迦もソクラテスも書物を残さないのです。人間はそういうものであり、誤った解釈が伝わる、蔓延すると思ったから、
そもそも「書かない」という作業をしたのだと思います。

そのかわり重んじていたのは「対話」です。

「自分目線になっていますね。もっとお客様の立場に立って」ともし言われたら、

「そこは何を言われていっていますか」、ここからもうはじまりでものすごく知的筋肉をつかう場所です。

脳としては過去の何かとリンクさせて、ポンとこたえださせたほうがエネルギーを使わないし、楽なのです。

それやりたいのです。

考えたくないのです。とくに日常、考えることはたくさんなのに。


でも意図的にその枠を出る、ということが大切です。自分の思考や頭を越えていくということです。

だから「いままで人生で起きなかったことも起きていきます」

そうしないと僕らの頭は、多くは失敗から、ああこういうふうにしなきゃ、あっこういうふうにしなくちゃとか、ある意味、失敗しない為の人生になります。

失敗から、ああこういうふうにしなきゃ、あっこういうふうにしなくちゃとか、どんどん覚えていって、ある意味、生きることにおいてはすごく生きれるようになります。この社会で。

ただ「楽しいか」と言われた別であり、なんか勝手に動かされている感も感じるだろうし、

もちろんそのままいっても生きれるんですけどね。


だから「新しい聞く」を覚えて欲しいのです。それは子供や赤ちゃんがつかっていく脳と似ているのかもしれません。

実際には、聞いていても、頭の中で、あれやこれは出てくるんですよ。僕らは知識や経験が豊富ですから。

それは一生出てきますが、それを置いておいて、聞くのと、その中で聞くということは全然別だということです。

置いておいて、聞くことができれば、そこが、子供や赤ちゃんが世界とも言えるでしょう。


過去の情報は1回おいておいて、


「自分目線になっていますね。もっとお客様の立場に立って」ともし言われたら、

「そこは何を言われていっていますか」、ここからもうはじまりでものすごく知的筋肉をつかう場所なのですが、

自分はそのことにおいては何も知らないと。だから聞かないとわからないですよね。

知らないのだから、あれこれ頭の中で考えたところでそれらは全部過去の情報で、そことはまったくあてはまらないだとする。

「自分のこれで、あっていますか」もないです。それは自分の過去の情報をとりだして、聞いたです。

過去のものをおいておいて、聞いていく。子供脳です。赤ちゃん脳です。

「自分のこれで、あっていますか」は、情報があるから聞けるわけです。子供や赤ちゃんにはないです。

イメージとしてはこれです。誰しも子供や赤ちゃんを経由しているので、しかも子育てされている方ならなおのこと掴みはできると思うのです。


で、聞いた上で、「やる」「やらない」の選択は自由ですよ。


「自分目線になっていますね。もっとお客様の立場に立って」ともし言われたら、

「そこは何を言われていっていますか」、ここからもうはじまりでものすごく知的筋肉をつかって、

対話をしていろいろわかった。

でもそれをやる、やらないは本人の選択だってことです。


「聞いたらやらないといけない」みたいな解釈があると、聞こうとしないですからね。

「聞く」こと自体が恐怖心というのもあります。


出てきたらそれらも手放して聞く。それも過去の反応です。


「聞いて」はじめて「選択が可能」だということです。

そんなふうにしていけば、「わからない」ということはあまりないです。

わからないというのは、過去と何かと結びつけて、あれこれ考えたりしているわけです。

そりゃわからないこともあるでしょう。

だからわからないけれど、歩んで、歩んだ先、体験した。「あっこの人の言っていることはこういうことか」

わからないというのは正常です。自分がわかっている、わかることなんて、ほんのひとにぎりです。ほとんどがわからない、わかっていないです。

だから「行動をする」というのと、「聞く」というのが大事です。(聞くというのは過去のものはおいておいて、聞くということです。)

その2つをやらないでなにをわかるのだろうなと思うし、わかってもそれは「概念」になります。

自転車の乗り方はわかった。それと乗れるというのは別です。

乗れる為には、「行動をする」というのと、「聞く」ということ。

ぜひこの2つを大切にしてみてください。
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「ファンキーだね!」娘の排泄の障害を乗り越えて。幸せを循環させます。
の村川朋美さんが昨日、こういうこと↓を言っていてよくある悩みだと思うのです。
(言われていないけれど。記事読んで詳しくはわかったけれど、朋美さん言ったほうがいいよ!それはみなさんもいったほうがいいです。大事なことは「自分の枠の外の声を聴くこと」、そうすれば手を差し伸べることができるから。)

最近クワンの力や幸せのペイフォワードやアロマや、その他ご相談を受けたりと頭の中がたくさんになっていて、やりたいことがいっぱいあるのに家事育児とのバランスが追いついていないなと思うことが日々の中でたくさんになっていました。

私は3歳と、11カ月と小さな子供が二人いるので朝から夜中まで頭も体も動きっぱなしです。まだベビーも授乳中ですから、夜中も何度も起きます。

周りからは小さな赤ちゃんもいるのにブログもこんなに書いて、
あれもやってこれもやってって本当にすごいねと言っていただくけれど、きっと周りから見えているほどスマートに毎日を過ごしてはいなくて、本当にてんやわんやでやっています。 
主人の協力あって応援してもらっているから、本当にさせてもらえている。

<略>

こうして好きなことをやりたいことを仕事としてさせていただいていてありがたい。

でも家族のことも大切にしたいし、でも実際問題、その中でいっぱいいっぱいになって子どもとうまく関われていない日がここ最近続いていました。

あとは寝不足すぎてあたまが回らなかった。

3歳児言うこと聞かないし、ベビーも動き回るようになってきたし、夜中泣くし、朝から長女が制服に着替えない、トイレにいかない、導尿しない、あれしない、これしない、

もう自分の意志ははっきり持っているから私の思い通りになんてならない。ナイナイナイ。私の余裕もナイナイナイ。イライライライライラ‥

どうしても今日中にこれをやっておきたいと思っても、とりあえずこれだけさせて‥!!と思っても、その「これだけ」さえ到達しない。自分の思い通りに予定が進まないことなんて毎日のことで、あまりにうまくいかなさすぎて私は一体何をやっているんだろう。。。と一瞬放心状態てフリーズすることもある。

でも子供が思い通りにならないなんて本当に当たり前。それも頭ではほんと分かってる。
だから怒ってもしゃあないと思いながら、自分の苛立ちと共に怒ってしまうことが最近毎日になってきて、それでまた自己嫌悪。

なんでこんなに怒ってしまうんやろう。こんなん八つ当たりやん。。ごめん。

うまく仕事と育児がバランス取れなくなると、思い出すのは、「子どもの小さな頃は今しかないんだよ。本当に」と心配してくれている人の言葉。

あとは「私は子どもが大きくなってからでいいかな、自分がやりたいことをするのは」という友達の声。

私は家族を犠牲にしているのかな。

私がやっていることは、なんなんやろうって。

そういう想いは手放したって思っていても、うまくいかない日が続くとやっぱり癖として出てくる。

でも、そんなことない、そんなことない、大丈夫。やれる。って無理やり思ってもそれはほんとに努力の上塗りで、しんどくなっていくだけで違う。

私はこの仕事と家族のバランスも私がこれから活動していくのにとてもテーマにしていて、子どもがいても夢あきらめない、子どもも親も可能性の中で、自分の人生を目いっぱい生きることを体現していきたいし、だから努力の上塗りで、例えば良い風に装って魅せるというのは、全然、全然、意味がなくて、それはただの嘘になってしまうし、私が与えたいものではないです。

この子どもとのことは本当にまだまだ反省するようなこと、試行錯誤も本当にいっぱいあります。

でも昨日、kenjiさんと電話していて、今日はどんな可能性から生きますか?と聞かれて、会話をしていたのですが、

「私はみんなや家族を愛する人であるという可能性です」と、そう決めたんです。

そして昨日はそこから一日を過ごしました。

kenjiさんには「ちゃんと家族を含んであげてね。じゃないと子ども熱出したりするからね」と言ってもらって、

だから「私はみんなや家族を愛する人であるという可能性です」

家族も含みました。

そうして、昨日はそうやって

「私はみんなや家族を愛する人であるという可能性です」

ここから生きて、仕事でお客さまにコンタクトとるときもこの言葉から。

そして家族と過ごす時もこの言葉から私は生きていました。

「私はみんなや家族を愛する人であるという可能性です」

ただの言葉かもしれないし、ひとつの小さな宣言かもしれないけれど、これを言葉にすることで、昨日は娘をお迎えに行ってからも、娘をそのまま受け入れることができたんです。

昨日は夜、ベビーの予防接種があったので帰りも遅くなったのですが、いつもより長女とも会話もできて、少しお散歩をしてお花を拾ってみたり、とても楽しくて、長女と心一緒にいることができました。

帰りに車の中で、テレビでトマトジュースの宣伝が映っていて、
長女が「トマトジュースが飲みたい」って言って、

私はトマトジュースなんて絶対飲めへんやん、残すやん。と思ったんです。

前、トマトジュース飲んだとき、おいしくないってすぐにペッてしたから。

そして私自身も早く帰りたいし、本当に飲むかもわからないトマトジュース一本のためにスーパーによるのがめんどくさいという私の都合もふんだんにあって、

で、余裕のない私ならそのめんどくさいと思ってる自分のことは棚に上げて、イライラを娘に向けて、

「買ったら絶対飲む?残さない?残したらほんとにいやよ。どうする?ぜったい残さない?」と意地悪なプレッシャーをかけるんです。

ほんと、いじわる。

だけど、この日はいつもと同じように面倒だな、ほんとに飲むのかな、前めっちゃ残したやん。という頭の中の会話はあったけど、

だけど「私はみんなや家族を愛する人であるという可能性です」

ここから生きているから、今、このトマトジュースがすごく美味しい飲み物としてこの子の目には映っているんだとこの子の世界が見えた。そりゃ、飲みたくなるよね。そっか。

「わかった、じゃあ買って帰ろうね。おうちに帰ってから飲もうね」って、トマトジュース一本買って帰りました。

そして「いつも怒ってばっかりでごめんね。お母さん、お仕事みんなのためにってやってたけど、それで忙しくなったことでモエリンに八つ当たりしてた。良い人のフリして、全然優しくなんてなかった。ほんとにごめんね」と謝りました。

娘はおうちで「おいしい!」ってトマトジュースを飲んでいました。私にも分けてくれました。

私はそれを見て、「あー。トマトジュースが問題じゃなくて、私の心だった」とほんとに思いました。

結局トマトジュースは半分残したのですが、夜も寝付くまでご機嫌で、主人は帰りが遅い日だったので、ベビーと三人で「おやすみ」「愛してるよ」と言ってねんねしました。

いつもより帰りも遅くて、子どもたちがお布団に入るのも遅くなったけど、とても幸せな一日の終わりでした。

子どもが寝付いてから主人が帰ってきて、その話をしました。

最近余裕がなくて長女にあたることが多くて自己嫌悪だったこと。
今日はそうじゃなくて、長女の気持ちを見ることができて、トマトジュース買って帰ってきたこと。眠るまでのやりとり。

主人は全部うん、うんと聞いてくれて、良かったね。早くねーや。と言ってくれました。

主人も分かってたんだと思いました。また、感謝でした。

<略>


子供の幸せは何いってもお母さんの笑顔だと思います。

「子どもの小さな頃は今しかないんだよ。本当に」と心配してくれている人の言葉。

だからこそ、すべてを扱う。育児に偏って欲しくないし、仕事にも偏って欲しくない。

仕事と育児のバランスが大事なのです。

>あとは「私は子どもが大きくなってからでいいかな、自分がやりたいことをするのは」という友達の声。

こんなの子供が望んでいるとは思えない。自分がやりたいからやるのはいいけれどそれと子供の幸せとは別である。

3歳ぐらいから僕は記憶があるけれど、

「子どもが大きくなってからでいいと思うよ、お母さんがやりたいことをするのは」

仕事をするな!育児に偏れと思ったこともない。

好きに生きればいい。笑顔でいて欲しい。それだけです。

1つ言えるのは、ほったらかしにされるのは嫌です。メシつくらへんとか、

1番は一緒にいるけれど一緒にいないというやつ。心ここにあらず。

これをいうと家庭での僕の心が痛むけれど、よく言われるから。でも家庭でやる人は他でもやっているよ。僕も含めこういうところを軌道修正していくのが1番いいんじゃないのかなと思う。

食べ物でも同じだけれど、質がない場合、量を求める。

食べ物って不思議で、質さえあれば量を欲しがらない。

「栄養不足なんだ」

だからちゃんと栄養を与えれば量を欲しがらない。


一緒にいるけれど一緒にいない。心ここにあらず状態だったら、いくら時間をつかったところで、離れたら、「さみしくなる」

こういうのは全部無意識で行われているから本人にもわからない。


一緒にいるという感覚。

離れていても一緒にいるという感覚。それがとても大事だと思う。

一緒にいる時は一緒にいるけれど、

離れたら「ヒャッホー」というのもなんか違う。

離れていても一緒にいるという感覚って、わかりづらいかもしれないけれど、こういうのが1番大事だと思う。


ちなみに子供の時に1番大嫌いだったのは「八つ当たり」

でもそれも悪いとは思わなかったです。

「しゃあないなあ」とか、「大人って大変なんやなあ」とか、「一生懸命やってくれているんだあ」等、そんな感じでした。

小さい時ほど寛大でした。歳をとるたび、寛大じゃなくなる。

レベルが近づいていくからでしょうね。子供のほうが高いのかなあと思います。自分みているようでイライラしてくる。


「八つ当たり」が嫌だったから、とにかく好きなことをやってくれ。家族の為や、生活の為にやってくれるな!と思っていました。

そんなに金稼がなくていいよ。貧乏でもいいから八つ当たりはやめてくれ!と思っていました。

これは小学生の時ですね。


大切なことは人と連携をとっていくことかなって思います。

上記のようにちょっとしたことで変わります。

自分だけで考えているとどツボにはまるのだと思います。

人と連携をとりながらやっていく。それこそがまさに子供への1番の教育だと思います。


「子どもの小さな頃は今しかないんだよ。本当に」

たしかに僕もそう思うからこそものすごく吸収できる時にそういうものを背中でボーンと与えておくことが大事だと思います。子供が大人になる時、そんなに楽な日本かなと思うし、そういう大切なものを背中で伝えてあげればいいのかなと思います。
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「結婚したくないわけじゃない。だからと言って出来る気はしない。 
 ま、してなくても今幸せだしね。
 こういうことをずぅ~~っと言い続けてました。」

こういうことを言う、キレイな人がいて、聞いていると理想が高いので、僕なりに伝えたものがあるのでぜひみなさんの貢献になればと思いお伝えさせていただきます。


「自分がそういう人として、その人に関わることで、その人がそうなっていく」
ということがあります。

たとえば「感謝ができる人」とその人が自分にあらわれていると、

たとえば「感謝していない、できていない」状況があらわれたとしますよね。

その時、その人が「感謝ができない人」と自分にあらわれていると、

「ほんとなんでこの人はいつもこういうことばっかり。・・・」、愚痴や、文句、我慢になります。

怒り、悲しみ、離婚、破局みたいなね。

で、

たとえば「感謝ができる人」とその人が自分にあらわれていると、

たとえば「感謝していない、できていない」状況があらわれたとしますよね。

そういう状況は誰でもあると思います。

その時に、その人が「感謝ができる人」とその人が自分にあらわれていると、

「どうしたの? なにかあったの?」

聞き始めるのです。


「感謝ができない人」と自分にあらわれていて、

「感謝ができていないその現状や状況があらわれている」


「感謝ができない人」と思う自分と、

「感謝ができていないその現状や状況」

どちらも”できない、できていない”、状況で非常に相性がいいのです。

相性がいいから、「考えないのです」「質問も出てこない」「聞きもしないです」

相性がいいものだから、そのまま、水と、水が、一緒になるみたいに、スーっと交わって一緒に流れていくみたいな。


「感謝ができる人」とその人が自分にあらわれていると、

それで「感謝していない、できていない」状況があらわれたとしますよね。

”できる”と”できていない”

”できない”と”できない”、”できていない”は、相性がいいですが、

”できる”と”できていない”は、水と油です。交わらないです。

だから「えっ」とか「なんでやねん」とか「なんでなんだろう」「どうしたの?」と単純に自分の悩みや、疑問やそういったものに変わるのです。


だから口から出てくる言葉が、「どうしたの?」「いったいなにかあったの?」


だってそうですよね。「感謝ができる人」が感謝ができていないのだから。

なにかあるに違いない。いったい何があるのだろう。

もう悩みはじめます。考えます。しかもそれが「大好きな人なのだから」

そいつが嫌いな人やどうでもいい人と、自分に起きていたら、スルーする可能性はありますけどね。

でも「大好きな人」なら止まります。


「感謝ができる人」が感謝ができていない。

もう自分の一大悩みです。なにかあるに違いない。いったい何があるのだろう。わああどうしたらいいのだろう。

いったいわたしに何ができるのだろう。

もう悩みはじめます。考えます。「大好きな人なら」


一緒に考えたり、そりゃいろいろ聞いたり、時に力づけたり、勇気づけたり、はげましたり、

話をほんと受け取り続けたり、相手を心から承認したり、

多少の労力はいりますが、

そういうふうにしていったら、

相手が「感謝ができる人」として、蘇ってきたりします。


でも「感謝ができない人」としてその人があらわれていたとしたら、その行動はまったくしません。

愚痴や、文句、我慢になることぐらいまだましです。大好きならば、「怒り」や酷いと「憎しみ」に変わります。

愛は憎しみに変わるです。 大きな悲しみになったり、


最後にはどうなるのか、「結婚しない」「恋愛しない」みたいになります。


求めているものはこれかなって思います。

相手に求めるのじゃないのです。「自分がつくる」のです。


一般的に、相手が「感謝ができない人」として関わる人をさげまんというのではないでしょうか。

相手が「感謝ができる人」として関わる人をあげまんというのではないでしょうか。

あげまんになれば、可能ですよと伝えておきたかったのです。


理想の人は、「自分でつくるのです」

つくるは、かえる、なおすのセンスじゃないです。

相手を変えよう、なおそうのセンスじゃないのです。

つまり「感謝ができない人を、感謝ができるようにする」は、変えよう、治そうのセンスです。

ここをよく本で「人を変えることはできません。変えることができるのは自分だけです」と言われています。


「感謝ができない人を、感謝ができるようにする」は人は拒否反応起こします。

「自分はダメだ!!!」と自分を責めたり、否定したり、内向型だとそっちにいきます。病気の方向です。

外向型だと、外にであるのが、「おまえいいかげんしろ!!」等、発展型は、DVなどです。


「感謝ができる人」と関わられることをべつになおす、かえるじゃないです。

「この人はわかってくれている」「理解してくれる」、そういう体感が相手にあるかもしれません。

安心感や、包まれている、そういう体感があるかもしれません。

ばあちゃんがそうでした。「けんじは本当は根はやさしい人だ」と関われたから、そうなります。

無意識で。それを受け取らなければその世界からは生きられないですが、

根もやさしくないと思っていましたが、何度も何度も何度もそういうから、

「けんじは本当は根はやさしい人だ」

「けんじは本当は根はやさしい人だ」

「けんじは本当は根はやさしい人だ」

だんだんと

「そうなのかな」と起きてきます。自分の心の中に。

だからその世界から生きられるようになる。


ただ「けんじは本当は根はやさしい人だ」って、表面用は、そのそうじゃないということなので、

外側の評価は、「kenjiさんはほんとは・・」って、表面上はあれだけどってやつで、


「けんじは本当は根はやさしい人で、そうじゃない部分もやさしい人で・・」

ともし言われ続けていたとしたら、もっとわかりやすい人になったのかなって思います。

こんなの人のせいにしたらダメですけどね。

気づけば、そこから自分が変えていけばいいだけなので。


言葉が世界をつくるってやつですね。

ただ思いと一貫していないとダメですけどね。

心の中にあるものは違っていて、「けんじは本当は根はやさしい人で、そうじゃない部分もやさしい人で・・」

たとえば教科書読んでやったとしても、「悪化」にしかならないです。

だから知識としてではなくて、「掴んでいく」ということが大切です。


ぜひ自分がつくるというセンスを、磨いて欲しいなあと思います。

それが「理想」を叶える唯一のアクセスです。

お互いそんなふうに関わりあえたら、理想的じゃないですか。


「自分がつくる」のです。

今後の人生、ここに1番エネルギーを注いでもいいかもしれません。

注いだほうがいいです。それが恋愛でできればハッピーで、仕事でいえば成功者です。

どんなにお金や時間を注いでもいいから、
「自分がつくる」のです。ここを上達させていけばいいです。(お金は稼ぎながら投資感覚ですね。)

僕がそれが最短距離で最高に幸せになっていく方法だと現時点で思います。


以上です。

求めていると一生やってきません。つくればいいんですね。

求めて、探したりしたいなら、いいんですよ。みつかるかもしれません。でも叶わぬまま骨つぼに入る可能性があります。

子供が欲しいなら年齢制限もあるだろうし。


僕は求めていました。探していました。そのままきっといれば一生独立だったでしょう。

「どこか僕は公人みたいなところが結婚は無理かも」
「そういう星に生まれている」とか、
いい言い訳、理由探ししていました。

それもしやっていたら、一生独身だったでしょう。

僕はつくりました。


別に探して求めていても幸せに生きれます。幸せでしたから。

「ちょっと踏み出せば別の世界がみえる」

それはきっとめちゃくちゃ自分が欲しいもので、でもそれは手に入れた時に感じるもので、べつに手に入れないなら手に入れないで、それはそれでも楽しく生きれます。

たとえばハワイや、そこに素晴らしい景色がある、オーロラがある。

みなくても、行かなくても、生きれます。しかも幸せに。

ただ僕は言えるのは「どんな世界中の景色よりも、その素晴らしい景色がみえている」ってことです。

その景色を1人でみにいくのじゃなくて、その景色を共に味わえる人といけば、より幸せじゃないでしょうか。

求めるのではなくて、探すのではなくて、「自分でつくる」というところに立つことが、僕は手に入ります。求めていても、探していてもみつかるかもしれません。あきらめてもいいでしょう。

ただ「自分でつくる」というところに立って行動すれば、手に入ると言いたいのです。

失敗やうまくいかないこともあるかもしれません。でもそれは仕事でもどんなものでも同じです。

手に入るかどうかは置いておいて、「その可能性をもつ」ということは楽しいです。

叶うかどうかはわからないけれど、可能性をもちながら、叶うかどうかなんかおまけでその道のりを楽しめる人を、人生の達人だと思います。

叶うかどうかに、手に入るかどうかに執着したら、下品な大人です。

「甲子園目指すぞ」といった時に「甲子園なんて行けるわけがない」と言ったら、そんな高校球児をどう思うのでしょうか。

「おまえは真面目か」と。

夢は夢でいいのです。そこに全力で歩む道のりが、歩む過程が楽しくて、天国で、極楽。ゴールはおまけ。

行く過程を無視して、ゴール、結果にたどり着いても、そこが楽しみなら、ほんと人生のほとんどを損をしていると思うのです。

「歩む過程が楽しくて、天国で、極楽。ゴールはおまけ。」

叶う、叶わないじゃなければ、誰にでも平等に与えられる幸せになれる心です。
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現在、村川朋美さんの幸せの循環を生み出す、「幸せのペイフォワード」の申込が、33名となりました。(募集は5月21日からです。)

僕は最大の貢献とは、
ここに書かれておりますが、

 
[コーチングを仕事にする] 専業プロコーチインタビュー01:エグゼクティブコーチ、本多喜久雄さん。  

 
本多さんのインタビュー記事です。(一部引用)

ーーさっきおっしゃった「自分をわかちあう」とは、どんなイメージなんですか?  
 
 
「人ができる最大の貢献は、自分自身を提供すること。」と思っています。  
 
違う表現をすると、   
 
「自分を、まな板の上に載せる。」  
 
「あなたの成長の材料に、好きなところだけ食ってくれ。」
 
 
と、自分自身を差し出す感じです。   
 
だから、クライアント候補の人と会っている時も自分自身の深いところを見にいって、目の前の人への貢献の意図から、すべてをわかちあうのがいいと思うんですよね。 

 

「人ができる最大の貢献は、自分自身を提供すること。」

それは、

  「私が知る顕著なクリエイターは、

 生き方そのものが表現の手段になっているアーティストたちだ。

 絵を描くわけでもなく、彫刻を彫るわけでもない。

 彼らが使う媒介は、自らの存在そのもの。

 その存在に触れられるとすべてが命の輝きを増す。

 彼らは見ているが、描く必要はない。

 彼らにとっては生き方そのものがアートだからだ。」

               ドナ・J・ストーン

このことにつながると思うのです。


朋美さんのブログに、


自分自身を持ち出す。  
 
その人の中に自分自身の深いところを見に行く。  
 

 このふたつ。  
 
これをやっていくことが何よりその目の前の人と深くつながって、循環が起きていく鍵なんだって私自身感じたのです。

私は渡り鳥スタイルに参加していたのですが、そこから人のご相談に乗ることが多くなりました。

人と深く関わっていくことが多くなってきて、その方の悩み解決していくために、色々会話していくのですが、

何は何かとても偉い人になったり、素晴らしいアドバイスができなければお客さまに満足してもらったり、喜んでもらう結果を出せないと思っていました。


何を伝えたらいいんだろう。

何を言ってあげたらいいんだろう。

どんな風に伝えてあげたら伝わるんだろう。


「目の前の人に寄り添う」ってずっと言っていたんだけど、

それというのはその人の悩みを私が解決してあげたい!してあげなければという想いが少なからずあって、


何を伝えたらいいんだろう。

何を言ってあげたらいいんだろう。

どんな風に伝えてあげたら伝わるんだろう。


いつもそうやって頭の中でかんがえているのですが、うまくいかない。



それに「解決してあげたい」というのも何やら上から目線よなぁ。

それって人を変えようとしている感じがするし、私って傲慢よなぁ。とも思っていて、



だけどじゃあ「答えは自分自身の中にありますよ」と言い放つだけでも、なんか違う。



それだけ言い放って「わかりました」となって、その後その人の人生が良い方向にグイグイ動いているかというと、動いていない。


じゃあどうしたら良いんやろう。私が人に影響を与えて、その人により貢献していくために、その人が笑顔になっていくために私ができることってなんなんだろうって思っていたときに、


「自分の経験を語る」「自分自身を分かち合う」ということをやって行きましょうと、ほんとにずっとkenjiさんにも言われ続けていました。


そして「自分の経験を語る」「自分自身を分かち合う」


それをやっていくと、今までうまく伝わらないな、力になれていないなと思っていたその出会う人たちの心にあっさりと響いて、変化が起きていく感覚があったのです。


何かとてもすごいアドバイスをしたとかそういうのではなくて、

何かとてもすごいスキルを提供したとかそういうのではなくて、


やっていたことは、「自分の経験を語る」「自分自身を分かち合う」でした。これを最大限やれたときに、目の前の人が自分自身で変化していく。


そんなことが本当にたくさんあって、そのときに如何に私が自分自身のことを棚に上げて人に何かしようとしていたんだろうという、

初めて自分の中に在るいいかっこしいの自分を発見しました。しまくりました。



自分自身のことを棚に上げて人に何かしようとしたって響くわけもないんだ。

私は一体どんな偉い人になろうとしていたんやろうと。

 


私が人のためになによりできること、やっていくことは、


「自分を、まな板の上に載せる。」


「あなたの成長の材料に、好きなところだけ食ってくれ。」



こういう風に自分全てを持ち出していくことなんだと思ったのです。



これが循環を起こす鍵になる。



自分自身の体験を提供していくことで、人と繋がる。

自分丸裸にして差し出して、心開いていくから、相手の人の心も開かれる。

それがやっとやっとわかった。



かっこつけてたら何にも伝わらないし、人とも繋がれなかったです。



自分自身を丸裸にする勇気が持てました。




「何を伝えたらいいんだろう。

 何を言ってあげたらいいんだろう。

 どんな風に伝えてあげたら伝わるんだろう。」

ではなくて、

「答えは自分自身の中にありますよ」と言い放つのではなくて、

「自分を、まな板の上に載せる。」


「あなたの成長の材料に、好きなところだけ食ってくれ。」


こういう風に自分全てを持ち出していくこと。

これが循環を起こす鍵になる。


自分自身の体験を提供していくことで、人と繋がる。

自分丸裸にして差し出して、心開いていくから、相手の人の心も開かれる。


かっこつけてたら何にも伝わらないし、人とも繋がれない。

自分自身を丸裸にする勇気が持ちたいなら、

何かをもし伝えたいなら、もし何か届けたいものがあるなら、

ぜひ村川朋美さんの幸せの循環を生み出す、「幸せのペイフォワード」のコミュニティに入ってきてください。
半年で3000円(5月末までのお申し込みの方に)

破格です。

 

以下、申込いただいた方から新たにいただいた新着メッセージです。

 

ともみさん。  
気づきを得たい、体験を分かち合う事で成長させていただいているのを実感しております。  
もっともっと欲が出てきているのです、そしてともみさんがブログで書かれているメッセージにワクワクしています。

どうぞよろしくお願い致します。

  

 少し前までの私は、人に何かしたいと思う気持ちは嘘じゃなく持っているはずなのに、実際にそうすると、奪われるとか、自分が削れる感じがしていて。その矛盾がすごく苦しかったのですが、そんな私の前に与えて与えて与える人が二人も現れた!  

一人は愛しの魔女先生♡   

そしてもう一人が村川朋美さん。      

読者登録のあいさつで、ちらっと悩んでいることを笑い話みたいに書いただけなのに、そこからしばらく、すごく深いところまで掘り下げて私の想いを引き出してくれた人。   

だから朋美さんが「みなさんのことを心から想っています。」という言葉が心底信じられるのです。   

今、私がクレイで相談を受けるときに、削れる感じもなく、ただ、できることがあるならさせていただく というスタンスになれたのも、朋美さんのおかげです。   

これから半年間、朋美さんの在り方をめいっぱい吸収して、そして、私も幸せの循環を生み出していく存在になります☆  

  

よろしくお願いします。  
貢献だけでなく、分かち合いをもっとやってみたいです。  
セミナーをやっても単発で終わる、そんな感じが嫌で、継続した分かち合いを通じた関係性を自分でも作っていきたいです。

  

朋ちゃんのWSに参加したことがきっかけで、アロマの世界を知ったり、それを仕事に活かしたいなと思うようになったり、、、私の中に刺激と変化をたくさん与えてもらいました。  
そして、朋ちゃんがどんどんキラキラ輝いていくのをブログやFBを通して    凄いなーと見てました。  
ふと、自分に立ち返り、改めて自分のやりたい事を考えると「あ、 私は…お客様に寄り添ったネットショップを作りたい」って、ふと思いました。  
ネットショップって「欲しい商品を早く送る」だけのイメージがあるけど、うちはオーガニックや敏感肌に特化した商品を集めてるので、 安心安全とともにお客様の困ってることにも個々に対応できるような、そんなお店にしたいなって。     
そうは言っても、さて実際どうするのか。。。    是非このコミュニティの力を借りて、私も幸せを循環できるようになりたいな!と思い、申し込みました。  
よろしくお願いします(^^)

  

自分さえよければの世界にいるので、  
幸せを循環させる一員になりたいという風には思えていないのですが、いつもともみさんの発信を見ていて、   ともみさんのいる世界は、とてもステキな世界だなと思っていました。  
どんな世界なのか、もう少し覗いてみたい
という、こんな理由で申し訳ないんですが、参加させてください。よろしくお願いします。

 

その他の方の申し込まれた方のメッセージはこちら



「人ができる最大の貢献は、自分自身を提供すること。」

ぜひその中から仕事をやっていきましょう。

今までとは違う景色がみえることをお約束します。

今までのやり方も他のやり方も悪くないでしょう。

だけどその世界がより経済的にも豊かになり、精神的にも自由であり、心が満たされるものであればいかがでしょうか。

本にはよく書いています。「与えればうまくいく」「売上は結果だ。人を喜ばせることでうまくいく」

だけど知識だけを真似をしても疲れないですか。本に書いてあることやっても、そう言われてやってもしんどさだけが残るのではないでしょうか。がんばりの割に結果がでない!

僕はさんざんさんざんやりました。

解き放ってやっていきましょう。


「循環の世界にようこそ!」


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「僕は人を話を聞いて涙することなんてないのですが、この方と話をすると涙が出てきてしまう。」、そんな人を紹介しておきます。

山田眞佑里さんです。

ブログ  

    
以下、山田眞佑里さんのメールです。
    
『4月から「グリーフケアセラピスト養成講座」が東京と札幌で始まり、9月末まで続きます。
  
グリーフとは「悲嘆する」ことですが、グリーフ=死のイメージがあります。
  
日本のグリーフの設立は、福知山線路事故の遺族のケアからスタートしています。
  
終末医療のホスピスなどでもグリーフケアが病院で行われていますが、「死を扱う科」として、十分な活動が行われていません。
  
医療関係者や臨床心理士などが死を扱う場合、科学者なので「あの世」を否定しています。
  
愛する夫を失い、自分も死にたいと思っている妻が、
  
「夢枕に主人が立ったんです。私のこと心配しているんですね。」と言ったら、「幻です。」と返答するのです。
  
私は、「応援しているんですね。」と言える心のケアがしたくて、私こそグリーフをすべきだと思いました。
  
命の尊厳にきちんと向き合う勇気があるからです。
  
何の枠組みや制約もない民間レベルで、「グリーフケアをする」と決意しました。
  
2020年には160万人が年間亡くなります。
  
人間関係が希薄な社会で、死を分かち合うことは大切なことです。誰もが心の苦しさを相談できるコミュニティを創ります。
  
でも、それは対処法でしかありません。私の目指すグリーフケアは、悲嘆=死を扱うのではなく、有限の命を扱うことにしました。
  
有限の命の輝きを増し、命の可能性を拡げる活動をしていきます。
  
今年に入って、両親の勧めで、セッションに来てくださる10代~20代の若い世代が増えています。
  
皆素晴らしい可能性の塊なのに、自分を承認できずに、心の傷を抱えています。
  
生きる勇気を失っています。
  
私は、この世代こそ、「命を輝かせる」活動で寄り添いたいのです。
  
そのためには母親に「力を与える愛し方」を伝えていきます。
  
グリーフケア講座では、心のしくみ、機能、心の傷から生じる性格構造、心を癒すことについてなどを伝えていきます。
  
真剣に本人以上に本人を愛する姿勢で向き合うセラピストを育成していきます。
  
聞く力、伝える力、思いやる力、洞察する力を持った母親を育成して、子どもの自殺を減らしていきます。
  
私の中では、グリーフケアセラピスト養成講座は、究極の「母親学校」を創ろう!というコミットをしています。
  
そのために本気で「グリーフケアセラピスト」を育成していきます。
  
保育士さんや小学校の先生、保育園の園長先生、5つ星ホテルの人事部教育トレーナーや老舗旅館の女将さんなど、頼もしい仲間がご参加くださっています。
  
それぞれの未来のセラピストが地域や、まわりの人々、ご職業の出会いの中で、人々を勇気づける活動をすることを間接的に応援していきたいと思います。
  
年内、コミュニティサイトを構築して、グリーフケアのご相談の窓口、セラピストのご紹介など情報サイトを創設したいと思います。
  
そして、学校や施設に行って、親子セミナーがしたいのです。
  
最近、心が壊れかけた10~20代の子どもがセッションにいらっしゃいます。
  
親子や夫婦でカウンセリングも今年に入って多くなりました。
  
若い世代の子どもたちは、大人を選べません。大人と同じ目線で夢や目標を語れる環境が少ないのです。
  
私は、子どもの夢を真剣に聞いて、応援する集団も創りたいと思っています。
  
嬉しいことに私のお客さんは今、出産ラッシュです。この子どもたちの未来を守ると決めています。
  
これからは、宗教や人種の枠を超えて、「愛」を語ることにチャレンジしていきます。
  
愛を語るのは若者からは、うざいことかもしれませんが、「うざい人」がいた時代には、人との深いかかわりがありました。
  
うざいことがクールな時代にしていきますよ!
  
私は、地球の母親になるとコミットしています。
  
母親の愛は、大きくて深くて、「こんなに思ってくれる人と出会ったことがない」体験です。
  
愛はあふれているのに、ただ愛し方や心の表し方がわからないお母様方を応援し、勇気づけていきます。
  
若い母親はみんな私のこどもと思って、セッションに向かっています。
  
一人では間に合わないので、愛の溢れるセラピストを育成していきます。
  
それと同時に、年内に古神道の神職の教職をとりたいと学校にも通っています。
  
渡来人が日本に入ってくる前の仏教や儒教の影響を受けていない時代の古神道は、日本人の霊性です。古神道は宗教でも学問でもない、心の在り方です。
  
「心の写し鏡」として活用していこうと思います。
  
そして日本人として誇りとパワーを取り戻してほしいのです。
  
古神道はどんどん新しいものと調和して、生み出していくパワーがあります。
  
否定も枠もないからです。今後の世界は宗教や覇権国家パワーだけでは限界が来ています。
  
同じ給水タンクを共有する仲間の概念でしたか、地球も環境ももちません。
  
地球という母なる生命体に生きる世界の仲間というガイア思想は、自然に己を見出す古神道の在り方と同じです。
  
神道には神社本庁という枠や制約があるので、古神道という枠にこだわります。
  
古神道こそが新しい愛を語る器として、理解が得やすいと思っています。
  
グリーフも古神道も後ろ盾もない、資金力もない、民間レベルからムーブメントを起こしていくことが大事だと感じています。
  
無から産みだすことこそが、清浄な感性を生むからです。
  
すべてオリジナルで新しいカタチを模索していきます。
  
まだまだスローなスピードですが、自分の進む道に心の迷いはもうありません。』



最近いただいたメールですがほんとうにみんなにわかちあいたくてシェアさせていただきました。ほんと応援したくて。

何度か過去ブログでご紹介させていただきましたけどね。もう1度。

ブログ  


ぜひ山田眞佑里さんのエッセンスに触れてください。
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