愛こそ、人を繋げ、許し、人生を得る。映画「エブリシング」と中国ドラマ「明蘭」 | まりのブログ

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性同一性障害者の私が、思いのままに生きるために頑張って生きてます。
性別適合手術をしてから2年になりました。
私はトランスジェンダーとして誇りを持って生きてます

お彼岸です。いつものことながら、お墓参りで体調不良に...お線香が合わないのか、何か妖しげな某かに影響受けやすいのか...
まあ、前者でしょう。
倒れてます... ……(o_ _)oパタッ

久々にアメリカ映画を観ました。
「エブリシング」2017年アメリカ映画。
マディはガラスの内側から外を眺めている。ずっと。いつも。生まれてから。ずっと。
彼女は免疫不全で部屋から出られない。
彼女の世界は家とネットと想像の世界だけ。
そんなマディの家の隣りに引っ越して来た家族。父親はあまり良い人では無いみたい。息子さんは...イケメン。
窓から見ていたら、彼が挨拶してきた。彼はオリー。私にコミュニケーションを求めている。
チャットを送る。彼からの返事。質問。優しい言葉。
マディは瞬く間に彼を好きに成ってしまう。
そうして始まったふたりの繋がり。でも私には希望がない。ここから出られないから...

以前、2001年映画で「バブルボーイ」と言う映画が有りました。ジェイク・ギレンホールが免疫不全の青年を演じ、彼は愛のためにバブル(密閉された球状のスーツ)で世界に飛び出して行きます。コメディ性の高い映画で面白い映画でした。
本作は比べてごく真面目。どちらかと言えば「タイヨウのうた」こと映画「ミッドナイト・サン」に似ているかと思います。こちらの難題は色素性乾皮症で、日光に当たると遺伝子までもが傷付き、細胞が死んでしまうと言う病気でした。
本作のマディは免疫不全。大気中の様々なウィルスに対し免疫が少なく、晒されれば、体調を崩し、命の危険も有り得ます。

そんなマディの生活は、部屋の中で出来ることだけ。そして、窓から庭を見る毎日。部屋は外に居るかのようにデコレートし、意外とお洒落。それでも18年もここに居たら、ただの平凡な我が世界。
する事と言ったら、ネットで似たような症状の人達と対話したり、ネットサーフしたり、運動器具で運動し、看護士のカーラとその娘のローザと話をしたり、そして医師である母との時間。
母とはゲームをしたり映画を観るのが好き。お気に入りは「月の輝く夜に」。古い映画。
生活には困らないけれど、心はいつも満ち足りていない。思い馳せるは、窓の外の世界...
マディはいつも窓の外の狭い世界を見ていました。

そこに、彼が現れた。彼は私に微笑んだ。
誰だろう...なんて名前だろう...
聞きたい... 話したい...でも、私は檻の中から出られない。
すると窓の向こう、彼の部屋から彼はチャットを求めて来た。思わず繋げてしまったふたりの縁の始まり。
私は自分の置かれた状況を話します。
「哀れんでいるでしょ?」
彼はこう答えた。「今はネットとか、世界は広がっている。哀れんでなんかいないよ」
私はそんな彼に惹かれていく。満ち足りない世界に途端に色を増していく彼の存在。
私の変化に、カーラは気付いていた。
だから私はお願いした。
「彼と会って話がしたい」

カーラは、その願いを叶えてくれる...

正直、この映画は特段の新味も、開眼するような刺激も有りません。この後の展開も、まだ2/3くらい有ると思うけれど、誰もが想像出来る程度。
しかし、本作で描かれた幾つかの拘りは、映画を非常に引き立て、観る者を飲み込みます。
それは情報量です。
マディの世界から見える外の世界は非常に少ない。彼を欲しても、窓から見える世界には彼が居ないことが多い。
序盤こそ、世界の狭さに「撮影、楽だろうなあ...」なんて思いそうに成りましたが、そこから掬い上げるのは、マディの想像。
マディが日がな作る、見事な建築模型が有ります。カフェや図書館など非常に見事な出来映えです。そこには自らの足掻いても変えられない現実の象徴たる、宇宙飛行士のフィギュアを置いています。
マディの想像はあくまで室内。外はまるで外宇宙のように未知でしかありません。
マディは、オリーに出会ってその建築模型の世界でたくさんのデートをします。想像は、ふたりの距離を無くし、隔てるガラスも取り去ります。しかし、それはあくまで想像。
消えない渇望。募る寂しさ。
オリーは「行ってみたいところは?」
マディが望むのは「5キロ離れた海」
無理だと分かっている。外界からの手は、私の希望だけれど、同時に大きな失望と悲観をも私に刻む... 
そんな私に彼は世界の最高の海を見せてくれた。

私はもう外への渇望を捨てられない。
マディは飛び出す。
この時、マディを包む世界が、マディが受け入れられる情報のキャパシティを超えている、そんな感覚を味わえます。うるさいとかやかましいのでは無く、溢れんばかりの情報が飛び込んで来て、マディがそのどれもを受け入れようと必死な感じ。
あなたが海外に行って、初めての朝のような感じです。分かる?
全てが目映い光のよう。風や音、勿論、光も、その全てが刺激となって包み込む。新鮮な響きのよう。それは五感全てに浸透する。
マディはオリーを旅に誘う。
どうせなら行こう!遥かの海へ!

オリー、非常に人間が出来ています。ずっと、若者の甘さのように、安易にマディを解き放たせようとしてきましたが、いざ、マディが羽根を広げて飛び立とうとすると、彼は何よりマディを案じます。マディを車に乗せ、運転しながらも、マディを何度も見やり、飛行機でも、現地でも、常に無理をさせないよう、そっと促します。
でも愛しているから。したいことをみんなさせてあげたいから。オリーは促しても、引き留めはしません。マディのために...
ふたりは心を越え、愛をかたちにします。
素晴らしい時間...
しかしそれが、マディを追い詰めてしまいます。

この映画は「ミッドナイト・サン」のように刹那の映画では有りません。"僅かでも最高の人生を"と願い、謳うものでは有りませんでした。
いえ、それも有り。ですが、本作は、ある衝撃的な事実を経て、ある、マディの、達観へと辿り着きます。
それは。
病気だったから不幸だった?いいえ、病気だったから私はあなたに出会えた。
そんな、辛い人生を非常に前向きに捉え、不幸さえ乗り越えていこうとする思いの力を見せ付けます。

しかし。マディは苦しみの末、希望を捨ててしまいます。
ふたりの出会いは無意味だったのか?
いえ。オリーは父による不幸の人生を変えるために彼が甘んじる世界から飛び出していくことに成ります。
良いこと。しかし、マディは心に残してしまいます。たくさんの出来なかったこと。伝えなかったこと。
マディは... 思わぬ事態が自分に振りかかっていたことを知ることに成ります。
そして、人生の最も偉大な結論に向き合います。

本作は賞味99分。展開も少なく、瞬く間に話は転がっていきます。
母の描きもカーラやその娘ローザの描きも非常に甘く、弱いです。
しかし、ここも少ない情報量が私達をマディと同じような感覚に陥れます。
人を見ても、その知れない心内や見えない実生活を感じるように成ります。お陰で必要以上に案じてしまったりすることでしょう。
マディとオリーは労りと優しさに助けられます。そしてふたりの中に湧き起こる気持ちが、静かな時間の中に溢れ、私達に共感を促します。
しかし、見えない思いが傷付けることも...
マディは経験を通じてたくさんのことを知り、悟り、考えるようになります。
人の心は見えない。窓の向こうの世界も思っていたものと全く違うこともある。
また、それが全てでもない。
例え世界が期待と違っていても、それは全てが悔やみや憤りに晒される訳でも無い。
嘘偽りでも、無じゃないように。

単純な映画だからこそ、キャラの心情をおもんばかり、彼等の見ている世界を感覚で感じ取るような観方が必要に成るかもしれません。もしマディと同調出来たなら、きっとこの映画は二倍も三倍も見えてくるものが有ります。
それはきっと、あなたに問い掛けます。
「あなたの人生に与えられたものの美しさを知っている?」

本作はセルとしてBlu-rayやDVDが発売されていなく、私もレンタル落ちのBlu-rayを購入しました。残念です。
画質も良く、非常に良いBlu-rayでした。
映画そのものは、胸がいっぱいに成るほどの充実を得るものでは有りませんでしたが、等身大の触れ合いを描くドラマに、非常に清々しい気持ちに成りました。
涙を誘う感動映画では有りませんが、マディが充実に満ち足りていく姿に、心が濡れていくのを感じる、そんな映画でした。


中国ドラマ「明蘭、才媛の春」最終回。


観終えました。全73話。長い長い旅でした。まだまだ観足りません。
どうせなら100話くらいまで続いて欲しかったです。それくらい、面白かったです。
前回は50話くらいまで。顧廷燁(こていよう)と明蘭(めいらん)が結婚したところまででした。これで安泰... な訳は無く、終盤戦が始まります。
大まかにして
第一章は「母の死」
第二章「盛家での概ね穏やかな日々」
第三章「恋の障害に落胆。明蘭、旅に出る」
第四章「耐えることを止めて」
第五章「大失恋と敵の目。そして愛の樹立」
第六章「魔物棲む顧家」
第七章「敗北?そして仲間たち」
...そんな感じ。
50話以降は6、7章にあたります。
壮絶でした。今まで以上に、常に命の危険が付きまといます。それどころか、人の命がたくさん費えます。
そして同時に、悪が非常にのさばります。
最後の難足る厄介者は、康夫人。実は明蘭の実家、盛家の正妻、王若弗(おうじゃくふつ)の実の姉で、彼女は康家で邪魔となる側妻やその子に手を掛け、幾つもの殺害の噂が絶えない、そんな方でした。
しかし本家、王家が前皇帝時代からの宦官で、更に名誉を戴いている為、康夫人は非常に態度がでかく、のさばっていました。
また王若弗は盛家での実権が大奥様に有り、また、側妻、林噙霜(りんきんそう)がのさばっていた為に、実の姉に縋ろうとした為、非常に大きなトラブルを招いてしまいます。
それは、大奥様こと、明蘭の祖母の殺害。
康夫人は貴婦たちの集まりで、その威厳を奮う顧廷燁の亡き父の後妻、秦氏に一目を置いていました。彼女に媚び入れば、自らの威厳も上がる、そう考えていました。
だからこそ秦氏が気に入らない明蘭は、標的に最適でした。
しかし、耐えることを止めた明蘭は尽く、康夫人に食って掛かります。そして康夫人は鼻を折られることに。
康夫人は妹の王若弗に、大奥様が居なければ、あなたは盛家の実権を手に入れ、威厳を手に入れられると唆します。
またそんな時に、大奥様は王若弗が悪婦たる康夫人と付き合い、盛家、そして明蘭に災いを招く切っ掛けを作っていると叱り、口答えする王若弗を一日正座させる罰を与えます。
それが王若弗のプライドを傷付けてしまいます。
王若弗は言われるまま、毒入りのお菓子を大奥様に届け、大奥様はそのまま昏睡状態に。その報せを聞いた明蘭は慌てて帰省。厚意の太医の診断により、毒による昏睡と知らされます。
明蘭はその卓越した推理力と洞察力を駆使し、更に戦略家も唸るほどの人使いで、次々と証拠を集め、万全の策を講じます。
そして康夫人を罠で捉えます。
... ここで3話まるまる、4話にまで至る、壮絶で充実した、康夫人撃退の舌戦が繰り広げられます。これが非常に素晴らしい。また緊張感たっぷり。康夫人を救おうと画策する王家一同とのやり取りが非常に巧みで面白い。
また、この王家の大奥様の、泣きと脅しの波状攻撃が強烈でした。しかし、明蘭も負けては居ません。その出方を常に予想していて、やり込めてしまう手腕が、堪らなく爽快でした。また、父、盛紘(せいこう)が明蘭に振り回される姿はウィットたっぷりで、彼の想像を超えて明蘭が事態を掌握していくものだから、その度に「何?!」と、口をあんぐりする様は笑いを誘います。
しかし。思わぬところで、厄介者が乱入します。それは盛家次女の墨蘭でした。
彼女は常に明蘭の威勢を挫き、見下してやりたいと願っていました。
そんな彼女が、この康夫人のことを知ってしまいます。
墨蘭はかつての母の侍女を使い、厨房で火事を起こさせ、その隙に康夫人を逃がしてしまいます。康夫人はそのまま秦氏の元に逃げ込み、匿われます。
第二の難敵、いえ、実は最強の黒幕、顧家にのさばる顧廷燁最大の難問、秦氏。泣きと巧みな策略で人の気持ちを捉え、手中にし、巧みに使います。当然、秦氏は手に入れた駒を無駄にはしません。
後、明蘭に出産の時が訪れます。その出産は予定より早く、顧家は慌ただしくなります。
その隙を好機と見た秦氏は、灯籠を上げ、それを明蘭らの住む澄園に落とし、火事を起こします。
その隙に康夫人は澄園に忍び込み、明蘭に刃を突き付けます。
死力を尽くす康夫人の刃は、明蘭へ。その寸前、康夫人は倒れます。
顧廷燁でした。

しかし。彼は先の康夫人捕縛の頃、皇帝の勅命で地方に塩税の査察に出ていました。しかし、盛家での事態を知るや、盛家に駆け付けます。
更に今回も皇帝への報告を後回しにし、澄園に帰り、また更に妻の傍らから離れようとしなかった為に、皇帝からの信頼を失ってしまいます。
やはり、ここぞと思ったのは秦氏。そして王家、更に皇帝の威力を削ぎたい皇太后、また更に顧廷燁の母の本家、白家は前主人が顧廷燁に事業の全権を託した事を恨んでいました。
彼等が一丸となり、康夫人殺害の件を、嘘偽りだらけの直訴で、顧廷燁を葬ろうと企みます。
また、彼等には秘密兵器が。
顧廷燁の最大の失敗、元側女、朱曼妹(しゅばんじょう)です。彼女は顧廷燁の財産を売り払って自らの肥やしにしていた事がバレ、兄と、顧廷燁との間の息子を連れて逃亡しましたが、元より子への愛情も無い曼妹は子の命より我が利益のことばかり。
結局、息子を死なせてしまいます。
それを顧廷燁のせいだ!顧廷燁が殺した!と吹聴して回っていました。
何とか顧廷燁によって地方軟禁状態にしてことを恩情的に、穏便に済ませていましたが、秦氏はそんな朱曼妹を駒に据えます。
多勢に無勢の演技合戦は、確実に顧廷燁を追い詰めてしまいます。
そして顧廷燁は牢屋へ。

明蘭は、産後の弱体した体を引き摺り、宮中へ向かいます。直訴を訴え、一日、しかし、皇帝は聞く耳を持ちません。敵意を剥き出しにしていた、明蘭のかつての愛する人、斉衡(せいこう)も、正しいことをすべく思い直し、力を貸しますが、朝議から追い出されてしまいます。
明蘭は決死で厚意の皇后にまで助けを乞いに赴きますが、ここでも、あしらわれてしまいます。
絶体絶命。
秦氏はしたり笑い。
斉衡は明蘭らの為に、白氏と朱曼妹に自白させようと、捜しますが、ようやく見付けた白氏は殺されていました。

そして。顧廷燁は爵位剥奪、財産没収、流罪を申し付けられます。
そんな時、辺境、燕雲16州による国境侵害が起こります。顧廷燁は、その才を訴える皇帝の息子、桓王(かんおう)や沈将軍らにより、兵卒として国境への派兵に駆り出されます。
秦氏はまたもやここぞと「戦場では何が起こっても不思議じゃない」と、顧廷燁への最後の画策を計略します。
時を同じくして、皇帝の体調不良、開戦など、宮中、国内が慌ただしく成っているこの時を見計らって、皇太后による逆転劇が始まります。
皇帝の側妻であり、皇太后の間者、劉貴妃、そしてその兄の馬将軍による謀反です。
都は血と炎に飲み込まれます。
澄園は謀反の軍が押し寄せ、一触即発に。また裏口からは秦氏が殺し屋集団と謎の女を澄園に送り込みます。
果たして、明蘭はこの事態を乗り越えられるのか、そして皇帝は謀反に抗うことが出来るのか!謎の女の正体は?その目的は!

一大茶番劇が始まり、終わります。:p
この意味は、ぜひ、見届けて味わって欲しいです。終盤はあまりに強烈な悪の謀的嘘八百に、唖然とするほどです。
命の危険が非常に明蘭たちを苛んでいるだけに、進まない事態に焦れるわ、辛いわ。
堪りません。
しかし、それも概ね全て、解決します。
そして浮き上がるテーマ。

「これが暮らしなんだわ。私は平凡な暮らしが好きよ。何も起こらない方がいい」
明蘭の言葉。
みな、争い、奪い、潰し合い、そして失った。それは明蘭も。失うところから人生が始まった。
しかし明蘭はたくさんのものを守り、救い、そして温めて来た。それが実る終盤はあまりに温かく、素敵な輝きに満ちていました。
顧廷燁が爵位を失った時、明蘭は子、団(だん)の為に祝宴を開きます。
しかし誰も訪れません。
そこにやって来たのは「笑ってやろう」としたり顔の墨蘭。
しかし直ぐに明蘭が今まで救ってきた、たくさんの"友"が集います。彼女らは嫌みを言う墨蘭を黙らせると、明蘭と変わらぬ友情を誓います。親友の余嫣然(よえんぜん)も遠方から訪れます。また同じく遠方から盛家本家の従姉妹たちもやって来ました。...涙が溢れました。
また、主従の縁を離れ嫁いだ侍女、丹橘(たんきつ)も、夫を連れて訪れます。
この時代、友情を築けないことが一番の悲しいことだったかと思います。
家と家の関係は損得ばかり。親が仲を違えば、子の友は敵と成ります。見栄や家名のために友と縁を切り、時に従兄弟や家族をも恨めと教え込まれる事も有りました。
それを良しとしなかったのは、明蘭、そして顧廷燁でした。
そして、顧廷燁の親友、盛長柏(せいちょうはく)は、保身に走る父に「たとえ盛家が潰されても、義を通す」と貫き通します。母、平寧群主の保身に散々振り回されながらも、正しき道を失わなかった斉衡。更に秦氏の息子、顧廷緯(こていい)でさえも、恨みと野心に囚われる母に、止めるよう忠告していました。
...彼等によって、そんな因習めいた愚かな遺産は、潰えるかもしれません。

終局。顧家の霊廟が燃えます。過去から続き、受け継がれてきた因縁、因襲が終わった瞬間です。
これは非常に不幸な話。過去、それも親に縛られた子たちの嘆き。
そしてそれを乗り越えるのは愛だと謳う、素晴らしい家族の物語でした。

大満足です。今まで、ここまで満足したドラマが有ったかと思うほど、素晴らしく、感動的な物語でした。
しかし。最終話を中国版で観たところ、BSで放映されたバージョンには無いシーンが有りました。それも非常に意味深い良いシーン!

およそ2分。正直、がっかり。非常に冗長でワンパターンな通販のCMをあんなに流すなら、2分くらい流してください...


☆終わっちゃった... 明蘭が終わってしまった... 
でも明蘭ロスに悩むかと思いき、まあ、中国ドラマが多過ぎる。
毎日、お腹ほくほくです。
タイドラマもね~来月は「Until we meet again、運命の赤い糸」を観られそうです。第一話だけは観ているのですが、なかなか引き込まれただけに、観られる喜びに浮き浮きしています。

しかし... 体調不良。頭が重い...疲労感が抜けません...
更に、何故かAmebaから禁止ワードを書いているとの警告を頂き、さっぱり見当がつかず、修正していたら、ブログ消失。実は過去にも、もう数十回も同じ"消失"に出会っています。今回は体調のせいもあり、さすがに落ち込みました。
でも、頑張って書き直しました。伝えたい思いまで再現出来ず、中途半端なものに成ってしまいましたが、もし、あなたに届くものが有りましたら、嬉しく思います。心より感謝を込めて。