LGBTQ、映画、そして現実の夜明けを信じて。 | まりのブログ

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性同一性障害者の私が、思いのままに生きるために頑張って生きてます。
性別適合手術をしてから2年になりました。
私はトランスジェンダーとして誇りを持って生きてます

アメリカでは今また、差別と偏見への怒りと憤りに渦巻いています。町は怒号と暴徒に溢れ、混乱に包まれています。
そしてとうとう新しい動きが。それは、その抱えた思いを、暴力に変えてはいけないと言う思い。
歴史には、暴力はついて回りました。
「マルコムX」「ストーンウォール」「デトロイト」...「ホカポンタス」もかな?
正直、最近の「ヘイト・ユー・ギブ」は傑作と名高いながら、民衆を先導し争いの渦中に投げ入れる高校生の話とは...私はこの作品が嫌いでした。櫛で警官を嘲笑おうとした黒人青年が撃たれ、暴動に発展するのですが、白人側の公正でない部分は別の話。主人公が「櫛が怖いか!殺されると思うか!」と白人の同級生に櫛を突き立てて声高に言うシーンが有るのですが、私はこのシーンに悲しみを感じました。櫛でも人は傷つけられます。暴力で脅した彼女には狂気さえ感じられ、ましてや善人には見えなかった。
暴力とは?善き抗議とは?
私達は素晴らしい映画を知っている。もう私には記憶の向こうですが、それでもそのスピリットは忘れやしない「ガンジー」のように私達は諦めてはいけない。武器など持たず抗議するガンジー。だからこそ意義がある。手には例え櫛を携えていても、人に向けてはいけない。
"Blackouttuesday"


「サタデーナイトチャーチ、夢を歌う場所」
ユリシーズは悩みを抱えていた。誰にも言えない悩み。それを知った家族はそんな私を忌み嫌い、"普通"に戻らせようとした。
しかし父が亡くなって、言い様の無い焦燥に駆られたユリシーズは、思わず手を伸ばしてしまう。
母のハイヒールに。
彼、彼か?ユリシーズは男に生まれ、男として育ちながら、心に女を抱えている。
女か?
映画では答えは述べていない。
意外とトランスジェンダーなんてそんなものだ。少なくとも男ではない。そして性に縛られた観念の向こうにあるものに、強いシンパシーを感じている。靴、下着、ドレス、美しさ、穏やかさ、優しさ、慈しみ...
ただそれだけなのに、難しい。たかが一歩の勇気があまりに難しい。
この映画が描くのは、トランスジェンダーとして生きる事が難しい、そこにある現実。
その中で自分の価値を見出だされ、見出だし、大丈夫...そう思わせてくれる場所に出会えた、ユリシーズの"人生の始まり"を描く。
MtFと呼ばれるひとつの形でしか無いけれど、何よりLGBTQの中で最もその困難が険しく、永遠にその苛みから緩和することも、ましてや逃れる事など絶対に出来ないのがMtFです。
MtFとは"Male to Female"男性から女性へ移行する方々の事です。

この映画は、そんなユリシーズの繊細な心の動きを、意外?にもミュージカルスタイルで描きます。故に、心に来る言葉が次々と綴られ、時に優しく時に優雅に、時に力強く高らかに歌われます。
が、ちょっとクオリティはほどほど。歌もダンスも少々、拙い。しかしその歌いっぷりは、彼女らの期待であり夢であり、悲鳴のようでもあり、私達の小さな胸を揺さぶります。
今までにも苦痛と失望と、生きる道を見付けた心の高まりの狭間に置かれ、命を擦り切るほど悩み抜くLGBTQの姿を描いた映画を幾つも観て来ました。
私は、たくさんの希望と素晴らしい提言を、たくさんの悲しみの先に目撃しました。しかし、その心の高まりの瞬間に心を満たす煌めいたものを、ここまで見せられたものは少なかったと思います。
この映画は何よりサタデーナイトチャーチがある。そしてそこに集う人が居る。
ユリシーズは幸せだ。あんなに素敵な人たちとの出会いが有ったのだから。
トランスジェンダーは痛みに向き合って来たからこそ、受け入れる包容力が大きいと思います。それを実感します。力があるわけでは無いけれど、目の前の人の痛みは分かるし、見捨て置けない。そんな彼女たちの視線や言葉、そして溢れ出る感情の滾りのような歌が、非常に麗しかった。
しかし、素晴らしいばかりでは無い。ここはあくまでサタデーチャーチ。土曜日の夜にしか開かれない。
そしてこの映画は、サタデーチャーチ以外の現実も見せ付ける。家族との軋轢は勿論、生き抜く術、虐め、そして、愛などおそらく得られず、ひとりで生きていかなくてはならない、そんなトランスジェンダーの孤独をまざまざと見せられる。いや、通りを堂々と生きるトランスジェンダーの瞳に私達は目撃する。
なんて辛い現実か。
ユリシーズはその最たる辛さに直面する。
家族だ。
ちょっと叔母による否定はステレオ的だったかな、と思います。とは言え、多くのトランスジェンダーは、たくさんの人に、家族にさえ、人扱いされなかったり無視されたり、恥扱いされる。ある意味、"校正"と言わんばかりに責める叔母は、まだユリシーズに向き合おうとする、ユリシーズの為には成らないだけの人だったのかもしれない。
それでも辛い。やはり誰にも家族は一番の懐なのだから。

孤独に喘ぐユリシーズ。ぼろぼろに成り、願わぬ行為もしてしまう。誰もが一度は陥る人生の瑕を経験する。トランスジェンダーは一生、その瑕に晒され、残した痕にもがき続けるかもしれない。
でも、私達は生きている。運が良ければ、誰かの支えと寄り添って生きていける。
そのひとつにサタデー・チャーチが有るかもしれない、そう映画は私達に囁き、微笑みかける。
映画の終局は呆気なく、山場が無い。しかし、満ち足りた至福は用意されている。母による、考え、悩み、そしてこぼす、ユリシーズへ贈る拙い言葉は、非常にユリシーズ、そして私達の心を救います。
そして、我が生きる第一歩を強く踏み締めたユリシーズの堂々とした姿は、あまりに美しく、逞しくここに在ります。
↑彼の優しさは男の鏡です。ユリシーズが喜ぶように安心するように、一歩ずつ、心を開かせて行きます。まだ緊張するユリシーズにそっと、優しく口付けをし「ずっとキスしたかった」そしてその場を後にする彼。...カッコ良すぎます。

これはまだLGBTQのための第一歩。でも価値ある第一歩。「ナチュラルウーマン」の時も「アバウト・レイ」にも「リリーのすべて」の時もそう言い続けました。まだまだトランスジェンダーの人生は希望に満ちていない。日本でもたくさんの差別や偏見は容赦ない。
こんなLGBTQの映画がもっとたくさん作られて欲しい。差別や偏見を塗り潰し、描かなくて良いくらいまでに。


「ロケットマン」
レジナルド・ケネス・ドワイトは幼い頃から音楽の才能を開花させていた。
世界はロックにソウルにと新しい音楽に満ちている。レジナルドは、この世に生まれ落ちた自分を殺し、成りたい自分を新しく作り直せ、とのアドバイスに従い、自らをエルトン・ハーキュリーズ・ジョンと名乗り音楽界に乗り込んでいく。
プロデューサーの適当な対応から出会ったバーニー・トーピンは作詞の才能があり、エルトンは彼の詞に音楽をのせる。無数の楽曲が作られ、消え、そして運命の時を迎える。
ご存知、英国のビッグアーティスト、エルトン・ジョンの伝記映画です。
始まって直ぐから歌い上げられるエルトンの歌のビートが、胸にずんと来ます。映像はミュージカルとして表現されます。縦横無尽にカメラがワークし、エルトンの心を表現します。時に無垢な愛らしさに満ち、時に優雅に、時に粋がり、時に排他的、時に悲しみを携える...
これがもう非常に素晴らしい。ミュージカル?と思わず、ぜひ観て欲しい。ただ何かにつけて歌うばかりのミュージカルでは無く、その歌は、エルトンの生み出した本当の彼の"歌"が、彼の心を謳いあげています。
エルトンの音楽の始まりは、レコードの音をピアノで再現したこと。
エルトンが音楽が好きなのがよく分かります。ベッドに居ればそこにある暗闇にはオーケストラが控えている。彼が指揮棒を振れば楽団がスポットライトと共に演奏を始める。締めは当然、エルトンの優雅なピアノワーク。
エルトンは幼い頃から才気を見せ付けて行きます。王立音楽学校にも入学しますが、彼が求めたのはロック!
そしてそれ以上に求めたのは、両親の愛でした。たかがハグ。それが欲しかった。しかし父は彼の元を去ります。エルトンが音楽を心から愛せたのは、きっと、父がレコード好きだったからなのに。
...私は映画だったかな。父も映画が好きでした。私に幼い頃から映画を体験させてくれた。そんな父に認められたくて頑張ったけれど、叶わなかった。父はそんな私に「道楽は終わりか?」と告げました。
...だから。私はこの映画のエルトンの叶わぬ想いに、非常に胸を痛めました。そしてエルトンの"心を謳い上げる"数々の歌があまりに染みて、辛いほどでした。
そして、ランタイム15分。
「♪私を傷つけない、私を縛りつけない、生きる意味を教えてくれる、そんな愛が欲しい...」
エルトンの心の悲鳴。
もう私は、エルトンの虜でした。
しかし、エルトンを傷付けるのは父だけじゃない。母もでした。
さぞ、胸に空いた穴が彼を蝕んだ事でしょう。しかし、彼には音楽がある。
そして素晴らしい出会いも有った。
バーニー・トーピン。この世に倫理や偏見が無かったら、バーニーは永遠にエルトンの傍らに寄り添って居たかもしれない。
そう思う。だってエルトンと寄り添って生きている中で、彼がエルトンに差し出した詞は
"Your Song"
誰よりもエルトンを見て、真実のエルトンを見て、その全てを許容し、そして多く、傍らに居たのだから。そして居るのだから。
この映画の素晴らしい点のひとつは赤裸々なこと。同性愛は勿論、中毒症、親との同居、ハゲ、そしてエルトンはハンサムでは無いと言うこと。
それをエルトン自身が理解していて、更に彼は力に変えて行く。
そして生まれる最高の名曲。
「♪君のいる世界は、なんて素晴らしいんだ」
"Your Song"
私はこの歌が大好き。それが生まれるのを、印象的に愛らしく、時間をかけて描いてくれた事を心から嬉しく思いました。
エルトンは駆け昇る。音楽の世界で大成する。しかし膨大な得るものと同時に、あまりに大きなものを失っていく。そして更に、ずっと欲しかった絶対的なものがいつまでもそこに無く、そして永遠に得られない事を知ります。
愛とは。エルトンはずっとそれに悩む。
そして、こうなる。
アルコール依存症、コカイン・マリファナ中毒症、セックス依存症、拒食症、買い物依存症、処方薬依存症...

偶然にも、「サタデーナイトチャーチ」のユリシーズと同じ事をエルトンも叩き付けられてしまう。それはLGBTQの孤独の人生。
「あなたは一生、本当には愛されない。孤独の人生を送るのよ」
それを母に言われる。
エルトンはマネージャーのジョン・リードに出会う。エルトンは彼に心を捧ぐ。
しかし、彼はエルトンの心を完膚無きまでに潰し、そしてエルトンは自らを見失う。
父の家を尋ねたシーンは堪りませんでした。その失望は観ている全ての人の心を濡らすでしょう。そして母の言葉...そしてまた更に...
愛とは。
エルトンは、切なくも悲しい人生を辿る。しかし不幸なばかりじゃない。
彼には得たものも有ったのだから。
バーニー。歌。資産。そして...
この映画は、クイーンのフレディ・マーキュリーの伝記映画「ボヘミアン・ラプソディー」には映画としては負けています。大作と小品ほどに違う。あのライブ感には到底、敵わない。
ただ。私はフレディ・マーキュリーよりエルトン・ジョンに愛しさを感じました。
不器用で正直で、あまりに弱いエルトン。
抱き締めたくなります。

エルトン・ジョンを演じるのはタロン・エガートン。映画「キングスマン」シリーズの主人公を演じた美男子君。エルトンを、髪を剃ってまでして全霊で演じます。本人「髪が生えなくなったらどうしよう...」とヒヤヒヤしていたそうです。(;>_<;)。
あの、口は悪いが朗らかな笑顔が印象的なエルトン。その裏の影をタロン君は繊細に、時にエルトンらしくエキセントリックに魅せてくれました。
バーニー役を演じたのはジェイミー・ベル。「リトル・ダンサー」や「キングコング」等、大作にも次々出演しています。「リトル・ダンサー」の子役はいつの間にか優しげなイケメンに育っていました。生涯の友を、愛らしく演じました。
ジョン・リード役にリチャード・マッデン。
「ゲーム・オブ・スローンズ」でロブ・スタークを演じていました。私、今作では初見からエドガー・アラン・ポーに見えてしまって、怪しさ爆発でした。でもまごうこと無きエルトンが最愛を傾けた、最低最悪の良い男っぷりでした。:p
そして、エルトンをデビューさせたプロデューサー、レイ・ウィリアムズ役にチャーリー・ロウ。以前観たTV「サルベージョン」では主人公ながら軽薄兄ちゃん役で、あまり好感を感じませんでしたが、今作では足らずのプロデューサーながら、彼の優男ぶりにはちょっと惹かれていました。
なんかみんなイケメンばかり。常に画に成ります。更にイケメンのタロン君を不細工扱いする趣向には感動さえしました。もう「パタリロ」作家並みの好趣味です。やっぱり映画はこうでなくちゃ。
日本や韓国に多い、画に成らないコメディ芸人俳優とか要りません。ここは夢見る映画の中。素材は、全イケメンで問題有りません。
実際のエルトンを再現したパフォーマンスは最高でした。そしてこの映画「ロケットマン」!最高に素晴らしい映画でした。
LGBTQに勇気を与える、そして全ハゲ男性にも勇気を与えた最高の男、エルトン・ジョンを知ることの出来る最高の機会を与えてくれました。


☆先日からちょっと体調を崩してしまい、季節替わりにホルモンバランスが崩れると、体への負荷が多いみたい。
慌ててホルモンを適切に体に補充しました。
私、いい加減なもので、いけません。
最近は夜の散歩を楽しんでいます。
さすがにランニングする方をよく見掛けるようになりましたが、ちょっと前はまさにプライベートストリートでした。
あれこれ考えながら、孤独の未来を思い、負けないぞ!と「ライオンキング」の歌「ハクナ・マタタ」で洋々と歩き、帰りは「愛を感じて」で少し涙を滲ませて、ベッドに戻ります。
エルトンの贈り物は、これからずっと、私の心を癒します。
留めた髪型が、偶然、面白かったので。

人生に憤りを感じることもあるでしょう。でもそれを怒りや暴力で訴えるより素晴らしいことは、やはり、歌うこと。謳うこと。
それこそ、これからの"戦う"と言うことなのかもしれません。