私達の未来の危機に、思う映画。 | まりのブログ

まりのブログ

性同一性障害者の私が、思いのままに生きるために頑張って生きてます。
性別適合手術をしてから2年になりました。
私はトランスジェンダーとして誇りを持って生きてます

お陰様で、体の調子はとても順調に回復しております。杖を使わなくてもあれこれし始めていますし、"寝る"事に躊躇わないようにようやく成りました。
腕が上がらなかったので、健が切れた?なんて怖れも有ったので、ちょっとばかり不安も有りましたが、大丈夫そうです。
まだまだ痛むし、肩も脇腹もびりびりと張っていますが、私、活きてます。

最近、さっぱり流れなくなったナタリー・エモンズによるトリバゴCM。今の淡白なトリバゴのCMが流れる度に「ナタリーはいずこ?」と悲しんでいましたが、ふと「手ピカジェル」のCMで切れの有る踊りを見せる女性にナタリーの気配を感じ、調べてみたら...
やっぱり(*>∇<)ノ。
ナタリー・エモンズ嬢でした。
なんだろう、彼女のちょっとたどたどしい日本語に胸に来るものが有るのです。
地味に嬉し。
でも。あの振り付け。"手ピカジェル"の舞いには思えません。
日本の振り付け師っていつもダサい。:p

致死性のコロナウィルスに身を小さくする日々、"今、そこにある恐怖"を映画で体感してしまいました。ただし、ホラーでは有りません。
「イット・カムズ・アット・ナイト」
ごく近未来。
世界はウィルスの驚異に晒されていた。ある家族は山奥の一軒家に閉じ籠り、病に犯された祖父を安楽させる。
夜。何者かが侵入。彼等は銃を手に反撃、男を拘束する。絶えない気配、疑心暗鬼...
それは夜にやって来る...
じわり迫る恐怖。扉の向こうに何かが居る...祖父の異常な死と防護マスクが雰囲気を煽ります。祖父は顔や肩に腫れ物か腐食かが出来ています。老人だからか病が進んだからか、死期を待つ絶え絶えの状態。家族はマスクで顔を覆い、手袋を填め、祖父の体を家から外の森へと運ぶ。彼等は涙と悲嘆に心を濡らしながら、祖父を生から解き放つ...
序盤は不安たっぷり。マスク姿の奥で言葉少なく綴られるドラマは感傷までも語ります。
外に出る扉は赤く染められ、危険域であることを示唆しています。闇はおぞましく、静寂は不安を掻き立てます。じわっとした時間の流れ...耳に入るは彼等のひそやかに立てる音、吐息、そして自然の奏でる音...
映画はウィルス映画として淡々と進みます。初めは3人家族+1匹の犬。
情報を不足させ、私達にウィルス大感染(パンデミック)が起こった時の不安感を体感させているのだと思います。20分を越える...いえ、全編にわたり、私達は情報不足の中で彼等と共に不明の恐怖に苛まれます。
その間に起こる数々の事件に、私達は動揺し、怯え、家族の決断を目の当たりにさせられる。常に決断は正しいのか?...考えさせられます。
そして起こり得る、別れと出会い。
その度に「あなたならどうする?」と映画は投げ掛けてくる。
何しろ全編を通して漂うのは、不安。そして私達に"信じること"を試してくる。その事に、映画はひどく意地悪に情報を不足させ、そして残酷に展開する。誰もが、希望を常に抱き、良かれと言葉を伝え、労りを配ろうとする。しかし人は思い込む。得た分だけ不安も抱える事になる。労りの言葉は幾ら積み重ねても足らない。
...ため息の連続です。誰もが願う筈、
「最悪だけは起こらないで。信じる思いを信じたままにさせて」と。
しかし。
家族の元にある家族が転がり込んでくる。やはり不安は尽きないが、善悪の天秤は、人間らしさを尊べと彼等に囁く。
しかし多くの映画がそうであったように、異分子が入り込めば必ず何かが起こる。事有るごとにトラブルの気配が絶えない。それも全てに"死"が付きまとうから堪らない。
更に家族の思春期の息子が常に危うい。何でもしたい盛りであろう彼が、突然に山奥に閉じ込められたら...ひと一倍の不安と好奇心、感情の乱れに晒される。夢さえ彼の心を追い詰める。支えは犬、そして孤立こそも彼を暴挙の手前で踏み留めている。
そして家族。それは絶対的な信頼で繋がり、疑うこと無く背中を預けられる。疚しさも抱かない。ただ、来訪者には違う。物事が尽く調律を失っていく。湧き立つ疚しさは抑えられず不安と入り交じり、彼の心を蝕み始める。
そして、赤い扉が開いている事件が発生する...
映画は、"家族"と"それ以外"をどう扱えるか?を考えさせる。

大した映画では有りません。あなたの想像は、想像のまま。皮肉でシニカルな展開です。しかし、気付いたら終わるほど、瞬く間の90分でした。
原題でもある「それは夜にやって来る」は、おそらく恐怖心。闇に見えず、音や気配に怯える時間。そしてたかが扉の向こうにさえ怯える猜疑心。
誰を信じれば良い?抱いた疑いをどう伝え、どう露にし、どう解けば良いのか...
これは、ウィルスに晒された世界の、あまりに小さなリアルです。
...楽しい映画では無く、希望も有りません。ですが、今、そこにある危機とその向こうにある真の恐怖を描いた見事な作品でした。
主演はジョエル・エドガートン。「キンキーブーツ」の靴工場の彼です。あの優男は他の映画では、意外と骨太な男を演じています。
こちらのポスターの方が印象深いです。

最近、少し前の作品の再燃がマイブームなのです。
「アイアム・レジェンド」
ロバート・ネビル博士はニューヨークに居る。ただし、独りで。
文明はある癌の特効薬によって滅んだ。
生き残った人間はおそらく僅か、いや、ただ一人かもしれない。そんな中でロバートは一匹の犬サムとニューヨークを歩く。通りには野生の鹿が走り、動物園から逃げ出したろうライオンがコンクリートの街をジャングルに変える。
ロバートの毎日は、音声メッセージを世界に流し、生きるための食料探しとワクチンの開発に勤しむ日々。
ずっと、彼は闇の中に恐怖と希望を見ていた。そこには、薬によって変貌した、かつて人間だった"もの"が潜んでいた。
公開当時は"アクション超大作"との売りのせいか、前半淡々、後半地味だなあ...最後に何かひと押しが足りないなあ...
そう思いました。
改めて観て、やはり驚異的な終末映像は素晴らしく、更に滲み出るようなロバートの孤独と希望への執念が胸に響きました。
とは言え「アクアマン」などを観てしまった今となってはVFXはちょっと古く感じるかも。合成も映像そのものも精細に欠きますし、思ったより終末映像も陰鬱さに欠きます。雲泥の差ほどに低予算の、映画「死霊のえじき」の方が終末感を感じられるでしょう。
それでも"無人のニューヨーク"は圧巻でした。タイムズスクエアや国連ビル、凱旋門に戦闘機を載せたままの空母...メイキングを観ると、それらを多く現実のニューヨークで撮られている事に驚かされます。
VFXばかりでは無く、ドラマも充分。ロバートがひとり生き残り、治療薬を見付けるために日々を管理しながら資源を調達、研究を続け、その合間に文明の名残にすがる姿はとても愛らしい。更に、眠る度に観る"あの日の記憶"は、切なく、心揺り動かされます。
何より"犬"のサムの存在は映画に生命の息吹を与え、その始まりも終わりも涙無きには観られません。それはロバートが命の危険と寄り添って生きている事を知らしめます。
ダークシーカー。癌の特効薬によって姿を変えたかつての人間たち。光を嫌い、太陽光に過剰反応する。おそらく言葉は発せず、群れを成し、人を喰らう。
別れ。そして出会い。失敗。決断...
映画は怒涛のように終わりを迎えますが、ドラマは最後まで人の心と共に描かれます。
短いながら、ロバートと生存者のアナ、イーサンの触れ合いは素敵でした。ロバートは独りでの生活が長く、別れもあり、更に研究が上手く捗らない為にイライラしてしまいます。それに長い時間で作り出した自分だけのプライベート空間に他人が踏み入ってあれこれ勝手にされたら誰でも「止めて~」と成りますものね。でも彼は生存者を心から期待していた。だから、ある方法で謝る。
それはアニメ「シュレック」。何度も観たアニメの台詞をすらすらと口にする。
それで?と思うけれど、そんな些細な事が人の心を和らげる。"誰かの為にする"そんな誠意が人を繋ぐ。
「人とのつきあい方を忘れた?」とアナに言われて答えられないロバートのあたふた振りは、まさに人との距離感を忘れたロバートの無垢さ故であり、自分の世界と今日までの行いに対する恥ずかしさでも有ったことでしょう。
何せ彼の"独りの世界作り"はビデオ店にマネキンを並べて店員マネキンにナンパ話をしてみたり、サムに話し掛けたりしていたのですから。でもそんな姿は、あまりに愛らしいものでした。
もっと時間を掛けて、孤独の男の冒険や独りの世界作り、そして社交性を取り戻していく姿を見たかったです。

これだけは確信を持って言える。"アクション超大作"は嘘です。題名も「アイアム・レジェンド」より「アイ・リブ・ヒア」の方が良いように思います。
原作はリチャード・マシスンの「吸血鬼」。
過去2作の映画化も、インスパイアされた「ゾンビ」を含めダークシーカーはよろよろ歩き。比べて「アイアム・レジェンド」のダークシーカーは跳ぶは跳ねるはで壁まで登る凄さ。アクション性を込めようと頑張ったようですが、お陰で、印象も哲学も違ってしまいました。
元は"変貌"、こちらは"進化"の趣きも。おそらくそうなんでしょうね。
特典映像に別エンディングが収録されていて、そのバージョンでの視聴も可能でした。
最後の十分程度なのですが、なかなか良いエンディングで、得した気分に成れました。
観た方達の90%くらいの方が別エンディングを好み、支持しているようですが、私は違いました。

☆内容を書いてしまいますので、未視聴の方は読まないで。

オリジナル劇場版では、ダークシーカーなる変貌種に追い詰められ、ロバートはアナとイーサンとラボに逃げ込みます。
ダークシーカーとは強化ガラス一枚。
アナとイーサンは怯え、ロバートは悩みます。
ダークシーカーのリーダーがガラスに体当たりをし、ヒビが入ります。
するとそのヒビが羽根を広げた蝶の姿に見えます。ふと、ロバートはうずくまるアナの肩口に蝶の刺青を見付ける。
心に浮かぶ記憶。
今は亡き我が子が愛らしく、手で蝶の形を作って「蝶々」と幸せそうに口にする姿...
ロバートはふたりを壁の中に潜ませ、自らは手榴弾を手にダークシーカーの只中に飛び込む。
...後日。北へ向かう一台の車。アナとイーサンが乗っている。車は止まり、生き残った人々の街に辿り着く。その手にはロバートが作り出したワクチンの鍵がある。

で、別エンディングは、ダークシーカーなる変貌種に追い詰められ、ロバートはアナとイーサンとラボに逃げ込みます。
ダークシーカーとは強化ガラス一枚。
アナとイーサンは怯え、ロバートは悩みます。
ダークシーカーのリーダーがガラスに体当たりをし、ヒビが入ります。そしてリーダーは体液を手でガラスに跡を残します。その形は...まるで蝶。ロバートはふと、ワクチンの被験者にしていた女のダークシーカーに蝶の刺青がある事を確認します。
ロバートはアナに強化ガラスを開けるように支持。彼女は怯えながらガラスを開放します。
ロバートは被験者と共にダークシーカーの中へ。そして彼等に彼女を返すと、リーダーと女は恋人のように頬を擦り寄せます。
後日。3人を乗せた一台の車が北へ向かい、ニューヨークの街を後にします。

さて。ハッピーエンドである後者が好まれる事は分かります。緊張感もドラマ性も高まり、ドラマ好きな私にも願ってもない展開かと初めは思いました。
しかし。ダークシーカーに人間らしい感情を見せて、驚愕の!としたかったようですが、人食いのダークシーカーに人間性を見ても破綻しか感じませんでした。女を取り返すのために目の前の人間を食わない理性が有るなら、元々、人なんて喰らいません。
...いえ。ダークシーカーと言う種に進化したら人では無いのかもしれない。ダークシーカーは進化し、人は下等生物とされ、生態系順位が下に成ったから捕食される身に成った...のかもしれません。"ロバートたちを見逃した"のは、上の者の"憐れみ"だったのかもしれません。

...私はやっぱりオリジナルで良いかなあ。
犬を人のように愛せる人間、憐れみを持てる人間、希望を持てる人間、信じることの出来る人間、悲しみに涙出来る人間、自らを犠牲に出来る人間...そんなものを"人"だけに描いてくれたオリジナルを私は支持します。
とは言え、エンディングを決められず二つ作ったと言うよりは、映画愛ゆえの二択だったように感じられ、収録してくれた事で、非常に得した気分にさせられました。こう言う特典は満足を高めてくれます。
他に多数のメイキング、そしてビジュアルドラマが収録されていて、動く紙芝居みたいなものですが、オマケとしてちょっと嬉しい。
世界各地で起こった小さなエピソードを綴ります。

「イット・カムズ・アット・ナイト」も「アイアム・レジェンド」も犬が愛らしく描かれています。種が違えども愛を感じられるのが人間。犬には出来る。なら、人には?
極限状態でいかに人間性を保ちながら決断していけるのか?私達は今から考えておかなければいけませんね。


☆寒いね~まだ1月だもの、もう少し寒い日があるかと思います。
春に成ればあれこれしたいし、体を治すぞと張り切って、自家製トムカーガイに挑んでみたら、食してそのまま、ぐったりばたり。
非常に疲れて倒れ、またあちこち痛たた。
ふぃ~参った。