女として生きる覚悟を観る映画と軽薄青春裏社会映画。 | まりのブログ

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性同一性障害者の私が、思いのままに生きるために頑張って生きてます。
性別適合手術をしてから2年になりました。
私はトランスジェンダーとして誇りを持って生きてます

日々、時が経つのは早いと口にしますが、子を見ている時が一番それを感じます。
姪っ子ゾーイが得意技を会得しました。
それは"死んだ振り"。もう、大笑いです。(*σ>∀<)σおそらく、わがままが効かなくなって、階段を昇ろうとするアンナたちを邪魔して注意を引こうとしたようです。
またその様が見事で、一段目を完全封鎖、まあ、愛らしい。スゴい。らぶらぶです。子こそ宝。忙しく瞬く間の人生、ありがたや。
直接、育てていないのに無責任です...
ゾーイに思い馳せる中、あまりに背徳的で不謹慎な映画に心揺れてしまいました。
「触手」
メキシコ、デンマーク、フランス、ドイツ、ノルウェー合作映画です。
夫の暴力と浮気に悩むアレハンドラ。
彼女はその苦しみから逃れようとするかのように、導かれるまま山奥の小屋へ。
そこには触手を持った何かが居た...
凄い題名と裏腹に、メキシコにおける女性の生き辛さを日常の中に描きます。
"鮮烈に"では無く、ごく平凡な雰囲気の中に描きます。平凡と言えど、のんびりはしていません。社会派映画並みに痛々しいです。
本作を観ると、以前、紹介した「ザ・マミー」を思い出します。あちらも南米のシニカルな辛さの中に摩訶不思議な現象を見せました。
とは言え、どちらも、超常奇跡の話では無く、物語を決断し、終わらせるのは、あくまで人。苦しめるのも人...
主人公たち女は、全編に渡り、苦しんでいます。劇的な苦しみだけで無く、慢性的苦しみ。更に、最近は前向きに描かれる事の多くなった、夫アンヘルの同性愛も描き、「ブロークバック・マウンテン」のように、妻の虚しさを浮かび上がらせます。「ブロークバック・マウンテン」は、その上に"愛"を描き上げましたが、今作はあくまで苦悩の種、日常生活の鬱積や未来への不毛感も積み上げて、胸を掴まれるような生々しい感情を犇めかせます。
そこに漂う奇妙な存在。"触手"
宇宙生物らしいけれど、その存在は曖昧に思えます。あまり出てこないし、受け入れてしまう主人公らに、観ている方は理由や正体探しをしてしまう。
その内、ふと"意味"を探している事に気付く。
ああ、あれはきっと映画「ポゼッション」の"あれ"だ。
あちらは愛を求めて生み出した化け物であり愛人だったけれど、こちらは"救い"を求めたから神的位置の"空の果てのもの"だったのかもしれない。それは醜悪だが、生殖、そして性交と言う根本的なものしか求めていない。裏切る事も無く、ただ待っていてくれる。そして邪魔なものを排除してくれる。
ただ、女は表情が乏しいまま始まり、終わる。それはやはり彼女の傍らに"愛"が欠けているからかもしれない。"純然たる救い"は感情に肥えた"人"は満たせないのかもしれない。
ささやかな表情らしきものが見て取れるシーンを思わず思い返してしまう。しかし、思い出せないくらい非常に不幸な女の話。
でも、もうひとりの愛らしきものと生きてきた女は幸せだったか?私達は?
考えさせられる。
心が波打ち、笑ったり泣いたり...時には絶望も...どちらが幸せか、分からなくなる。
思い返す度に奥深さが癖になる、まさに「ポゼッション」の気持ち悪さがある。
不快だが、心の一部を捉えて離さない。
そんな風に感じてしまう私も、何かに救いを求めているのかもしれません。

人の残酷さは満ち満ちており、感情が無ければ幸せを感じられるのかもしれない...
愛の無い性交。男を見つめ、去ろうとする男の背中を、表情無く、ただ見つめる女。
去り行く男に何かを乞うように、いや、その乞うものが分からず、ただ救いを求めるように「朝まで居てくれる?」とこぼす...
この世では女は"男の何か"でしかない。彼女、俺の女、妻...最近では夫にさえ"◯◯のお母さん"と呼ばれるらしい。名前など無いのだ。
更に妻は夫の全てを受け入れ、足りなければ「俺は家を養っている」と言う言葉の向こうに言い訳を言う機会さえ押し潰される。女の人生は夫の姓の下にしか無く、家族としては子の包み袋程度。更に性交は器でしかない。
この映画は、そんな女性たちの滲み出る悲しみに満ちている。
ふたりの女。それは魂の器の両面。ふたつの"人生の選択肢"として描かれているよう。説明は特に無い。
劇中の「死体が山積み...」そんな計り知れないたくさんの空しさを埋め、女はまだ"たくさん"を棄て続けながら、空しさを抱えて生きている。
ほんのひと欠片の何かを与えてくれるもの。それは触手?...最後にアレハンドラを抱き締めるもの、かもしれない。
この映画は女性の為の女性映画だ。残念ながら女性は決して観ないだろうと思われるのが、残念なりません。

素晴らしい映画。「ポゼッション」を埋めて芽吹いた新芽のような映画でしたが、何しろ口に苦い映画でした。
なので口直しには絶品の映画。
「新宿パンチ」
パンチパーマ並みのクセっ毛青年、方正は青春を謳歌したい健康優良青少年。しかしパンチのせいで、不良には絡まれるは、女の子と良い縁も得られない。
そんな方正は一路新宿へ。しかしパンチ故に警察にもやくざにも目をつけられて、散々。
でも、バッティングセンターで出会った水商売のルミとの縁を始まりに、新たな人生が始まる予感?
え?俺、キャバクラのスカウトやるんすか?
コンプレックスを力に変える、そんな勇気を貰えるサクセスストーリーです。まあ、そうは言え、そのサクセスを成し遂げる映画では無く、彼の幸せを目指した物語。
パンチで散々な目にあいながら、卑屈にならず、出て行った母を恨むでも無く、揚々と、明るく生きる彼の姿は、とても愛らしいです。
新宿に出る目的は、歯の奥がジャリジャリと言う不思議な現象に悩み、折角の女性との縁を潰してしまった事から、父と母が出会った新宿のテレクラに望みを託す...そんな若者の安易さ。
映画は彼の青春をお気軽、軽快に描きます。
方正は、軽薄童貞なくせにしっかり純情。そんな彼と出会った水商売のルミ。彼女は真っ直ぐに向き合ってくる彼と綱引きしながら、そっと、時に大胆に絆を深めていきます。日々を刻み、食を共にし、更に、幾つかの人生が絡みながら、忙しない新宿の生活の中で人生までも変えていく事に成ります。
これは、社会の底辺で幸せを拾い集めて行こうとする、若者たちの青春群像物語。
不思議と人情押しをしていないのに、ほっこり胸が暖まる映画でした。
縁って大事、真っ直ぐな心って良いね、そして生きるって素敵だなあって思える逸品です。

合成麻薬が山場のネタなので、折角の軽薄ネタに別次元の恐怖がのし掛かって来るようですが、重くは描かないので、さほど気にせず健康優良裏社会の物語を楽しめるでしょう。
「触手」と違い、純な男の優しさと愛らしさを味わえます。

主演は小澤廉。2.5次元の舞台で活躍している方らしいです。
ヒロインは吉倉あおい、スラッとした健康的な女性でありながら新宿で水商売を担うに役不足はありません。...誉め言葉に聞こえないかな...
既知の役者さんが少ないけれど、みな、演技は名の有る俳優より上手いです。
父役に今や懐かしき"鼠先輩"が配されています。
Imdbによると近日、全米公開予定らしいので、評価されてる?私は好きです♪


☆寒かったり温かかったり、体にこたえます。
体が弱くなったと思う度、私はある人の映像を見るようにしています。
エイミー・ジョンストン。
いつぞやに紹介した「ラスト・アライブ」の彼女。逞しく身が軽い麗しき人。
アクション映画は勿論、超絶スタントも軽くこなします。
人生のかたちをやり直せるなら、彼女のように私をかたち作りたい。
肥っている場合では無いのだ。