人の違いなどこの世には無い。それを気付かせるのは映画かもしれない。 | まりのブログ

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性同一性障害者の私が、思いのままに生きるために頑張って生きてます。
性別適合手術をしてから2年になりました。
私はトランスジェンダーとして誇りを持って生きてます

もう梅雨?と思うほどの雨に、外出機会を奪われて、ちょっともんもん気分で映画三昧。
...ああ...なんて不健康な...
気持ちにぽかりと穴が開くと、ふらりAmazon眺めては、暴走、不安定なマイリストにぐったり疲れさせられて...
何かをしなきゃと焦っては、風雨に買いに行けないコスプレ生地に、思い巡らせ、自堕落心が萎えさせる...
いかん。
ダイエットがゆるりながら順調なので危うかったチャイナを久々、着てみました。ちょっと...着方が悪く、依れていますが...
まだお腹まわりが"ぽよんぽよん"しているので、あと3キロ痩せを目指しております。現在2キロ半痩せました。
水飲みダイエットは、私、水を飲み過ぎると口内炎に成るので控えめにして、ココナッツミルクダイエットに半分シフト。毎晩、ココナッツミルクたっぷりのトムヤムクンを食しています。
これがまた良かったみたいで、お菓子にアイスにパンに麺類におむすびにと、糖分グルテンたっぷりの危うい習慣してますが、毎日、少しずつ体重減少しています。
最近はアボカドにはまってまして、ココナッツミルクと生姜メインのトムヤムクンと食すると絶品です。

更に更に、先日、母と買い物中に母のジム友にばったり会いまして、「可愛いね~」と言って頂いて、浮かれるお馬鹿一匹ここにあり。☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
お褒めは何よりの"美"への餌です。:p
春は終わり。でも、うちの庭では、も少し花が咲いています。


久しぶりに、これぞ"良い映画"を観ました。
まあ、良い映画と言うものは、往々にして痛快で意気上がるような作品では無いのですが、この作品もそんなものです。しかし、胸に痕を残す、良い映画でした。
「ウインド・リバー」
アメリカ北方の、春になろうとする中でも、未だ雪に覆われた大地広がるネイティブアメリカン居留地、ウインド・リバー。そこで少女の遺体が発見された。
駆け付けたFBI捜査官ジェーン・バナーは現地、部族警察局のベン・ショーヨーと野生生物局のハンター、コリー・ランバートと共に犯罪捜査を始める。
何故、被害少女ナタリーは裸足で近い民家から10キロ近くも離れた場所で亡くなっていたのか...そして誰に暴行されたのか?ジェーンは悲しみと悔やみに包まれた遺族らの姿にあてられながら、コリーの独特な着眼点に救われて、手掛かりを着実に集めていく...


サスペンスのようですが、どちらかと言えばドラマ。ミステリーを紐解くような快感は味わえません。
この映画ではネイティブアメリカン居留地と言う環境と、そこにある執行権の在り方、そして連邦警察FBIの関わり方が有り、そして民族、更に失われ行く民族性をも絡めていきます。
殺された少女ナタリーはネイティブアメリカン。警察官らもネイティブアメリカン。そしてハンターのコリーはネイティブアメリカンの女性と婚姻関係にあった白人、FBI捜査官ジェーンはマイアミ出身ネバダ勤務の白人。
映画はこの"違い"は特に障害としては描きません。ですが、時に罵声の理由に成ったり、それを乗り越える人の絆を浮かび上がらせます。
中でも、コリーの立場が良くて、過去に原因不明で娘を失っていて、更に白人、そして被害者家族の親友なのです。ジェーンが被害者宅に赴いても敵意でしか応じて貰えませんが、彼が来ると被害者家族の顔色が一転する。
親友の堕落した息子は侮蔑をぶつけながらも、彼にだけは正直に情報を口にしたり、ネイティブアメリカンの誰もが迷わず彼を信じる在り方は、とても意味深いです。
それは、彼の人間性や彼等の関係図を描いているだけでなく、ある意味、ネイティブアメリカンコミュニティの崩壊でもあります。
以前から描かれるネイティブアメリカンコミュニティの姿は、閉鎖的で今でもプライドに縛られ、攻撃的だったりする。映画「ジェロニモ」等に見る、更なる悲劇を招く、残念ながら、愚かな一面だったりもする。
しかしこの映画ではそんな一面は既に崩壊している。きっと白人はネイティブアメリカンを見下しているだろう。いざと言う時には"殺してでも"とする理由にされないとも限らない。だからみんないつもびくびくしている。そして言い様の無い憤りを抱えている。
しかし事件が起こり、彼等に有るものは、ただの悲しみや辛さでしかない。風習さえも忘れられ、かつて寒さや飢え、戦争の中でも生き抜いたネイティブアメリカンの強さはここには無い。
そこに"民族"は力にも、ことを為す"理由"にさえもなら無い。
そして、愛や絆は誰と誰の間にも育まれ、嫉妬や暴力は肌の色に拘わらず奮われる。

基本、過多な台詞や説明的な台詞は控えめです。しかし紡がれる台詞は非常に素晴らしく、中でもコリーが被害者ナタリーの父に語る、遺族の会で聞かされたと言う言葉は、じわり胸に響く素晴らしい名文でした。
ジェーンが「死因が殺人でなければFBI捜査官を動員出来ない」と捜査続行をちゃんとしようと努め、
「あの検死結果だと上司に呼び戻される。大した戦力じゃないけれど、私まで去れば絶望的よ」と続ける。
自らの力の頼りなさと、それでも紛いなりきFBI捜査官である自信をも垣間見せ、とても人間臭く親近感を抱かさせられました。
義理や人情が溢れ、誰もが親身に事件に向き合います。人口の少ないウインド・リバー故の繋がりが、独特な世界観を確立させ、映画に深みを醸しています。
事件は陰惨で切なく、その真実は不条理に近い。陰謀や計画的なものではなく、感情的で衝動的なもの。覆いを剥ぎ、足跡を見付ければ、後は辿るだけ...
結末への道程も呆気なく、辿るだけで話は終わる。
そしてほっとする。
映画はハッピーエンドなどでは有りません。陰鬱で寂しさに包まれています。だだ、彼等は分かっている。生きることで亡き者を生かすと言う事を...
この映画に渦巻いた感情は、その迎えた終わらせ方で吐き出されます。その方法は全く褒められたものではありませんが、最もフェアで、思わず"正しい"と感じさせられてしまうものでした。
晴れない悲劇。しかし、皮肉にもあなたの釈然としない気持ちは、法外の方法で、概ね、晴れるでしょう。
しかし、そこにのし掛かる感情は非常に重く、彼等に、そして私達に凍える罪悪感と未来への責務を抱かせる。
コリー役はジェレミー・レナー。「アベンジャーズ」でホークアイを演じた彼です。安定した演技で、複雑な感情を抱えながら冷静に物事をこなしていくハンターを演じます。ピューマの話では彼の冷静さと共に、失われない人情を垣間見せています。
ジェーン役はエリザベス・オルセン。TVシットコム「フルハウス」で子役を演じていた事で有名ですが、彼女も「アベンジャーズ」でワンダ役を演じていました。更に私的には「マーサ、あるいはマーシー・メイ」のマーサ役で彼女にはお世話になりました。私の心を救ってくれた一作でしたものね。
ジェーンの直向きさはあまり理由として語られませんが、「FBIの割りに熱心なのは嬉しいが...」と言われてしまうほど親身に事件に向き合います。
彼女のキャラクターは私達の心を牽引し、事件への没入を手伝います。
本作は初公開時、全米4館から始まり、最終2000館に拡大公開されたそうです。
それくらい価値のある作品でした。


「デッドプール2」
正直、前作を観た時、序盤のあまりに下らないジョークに頭を抱えて落胆しました。しかし折角のビッグタイトルだから...と死んだ目で見続けて、気付けば別映画のような大アクションに、気持ち混濁...ふと、なんか良いものを観ちゃったかしら?と不思議な気持ちに成ったものでした。
ただし再視聴には至らず、さっぱり内容覚えてません。
で。今作は「序盤のジョークは駄目なのよ。でもアクションが始まれば楽しめるのがデッドプールなんだよね」
と、言い分け胸に抱えながら、再生ボタン、ポチ。

デッドプールことウェイドは世界を股にかけて悪人を成敗する毎日。家に帰れば最高の恋人が待っている。
こんか幸せな充実した日々はない。
しかし、彼の家をつきとめた悪人に恋人は命を落としてしまう。ウェイドは自暴自棄に成り自殺を図るが、デッドプールの特殊能力は死ねないこと。そう、彼は遺伝子異常者。世界各地で発生している、進化の体現者、ミュータントだった。
ウェイドはそんなミュータントの保護を目的とした集団エックスメンに見習いとして事件に参加する。
現場では施設で能力を使って大暴れをしている少年、自称ファイアーフィストと出会う。彼は施設の管理者達に暴行を受けていると主張、デッドプールは職員を撃ち殺してしまう。
デッドプールとファイアーフィストは刑務所に入れられるが、未来から来た男ケーブルに、ファイアーフィストが命を狙われる。デッドプールはファイアーフィストを救おうとするが、ケーブルは未来に起こることを語る...

はあ...やっぱりでした。序盤のジョークはゲンナリするほどつまらない。テンポも悪いし過剰な残酷性もいただけない。ただ、その表現方法は見事。スローモーションや奥行きを見事に利用して見せる、絵巻のような映像。それはあまりに贅沢なもので、一見の価値があります。
残酷。ひどいもの。しかし、まざまざと見せ付けるその様は、痛々しくも滑稽で醜悪、さっぱりカッコ良くは見えない。露骨に見せられれば、私達は作り手の意図をおもんばかり受け取って、残酷さの向こうに有る意義深い映画愛を感じ取る。
中途半端に修正し"想像"と言う最悪の心の悪意を育ませてしまう日本の"倫理事情"に比べて、遥かに人の心を蝕まないと感じさせられます。
更に無数のパロディが素晴らしい。80年代のネタが多いので、分からない人が多そうですが、映画をたくさん観ましょう。知れば100倍楽しめます。最近、よく観る「セイ・エニシング」パロディやオープニングの「007」パロディなど、もう宝箱のようなパロディはお腹いっぱいを越えて笑いの渦に飲み込みました。ちょっとくどいけれど...
でも何より素晴らしいのはアクションシーン。迫力満点の連続で、更にセンス溢れる映像表現の極地、素晴らしいのひと言です。特にケーブルの近未来端末の表現方法は新味に溢れ、武器の改造見本が投影で出て来たり、シールドとして守ったり、意図せずシールドが爆発を広げなかったりと多用に扱われます。街中でのカーアクションでは、大型バスから装甲車両、スクーターまでを縦横無尽に巡らせて、ノンストップのハイテンションな銃撃と格闘が繰り広げられます。
また合間のジョークもこの辺りに成ると可愛らしいもの。くどさは控えめに、笑いはアクションにまで絡んでくる。
デッドプールの仲間となるドミノがまた本当にかっこいい。最近では「ブラックパンサー」辺りの影響かアフリカンな香りが流行りですが、今作のドミノは70年代ブラックの香り。ハリー・ベリー似のザジー・ビーツが最高のアクロバットアクションを披露します。
彼女もミュータント。その能力は"運が良い"。
そんなもの?デッドプールもそう言い続けます。しかし彼女の運の良さは彼女の自信と成っていて、一挙一動があまりに優雅で美しい。
車道を歩いても車に牽かれないと分かっている。車が横転して弾き飛ばされても体を地面には打ち付けないと分かっている。そんな自信を持ち備えた彼女の余裕ある姿と表情は、優雅で、色香に満ち溢れていました。
ドミノの他にも仲間がたくさん出てきます。エックスメンは勿論、デッドプールのチーム"エックスフォース"も頑張ります...多分。
そしてこの映画はかなりマイノリティを意識して作られています。ただし、ファレリー兄弟的ですが...
最近は、特に日本ではマイノリティに対しての言葉の多くを"差別"として挙げ、メディアや表現の場から消し去ろうとする傾向があります。
私は、間違いだと信じています。かつてファレリー兄弟は「ふたりの男とひとりの女」で先天性遺伝子異常で肌が白くなるアルビノの青年を登場させました。彼は主人公に「ミルク!」と馬鹿にされ笑われます。しかし主人公が危機に陥った時、彼は主人公を助けるのです。そして言う。「君は僕を無視しなかった」
更にファレリー兄弟は「ふたりはクギづけ」で体が張り付いた双子、シャム双生児を主人公に迎えます。
二人が街に出ると通りがかる若者は「化け物!」と言い放ちますが、双子は笑顔で彼等の関心を喜んで手を振り返します。
罵倒が良いと言っているのではなく、気を遣われて、無視されたり避けられる事ではマイノリティは救われないと言う事です。
多くの人とは違う。それはそれなのです。
人は男女だけでは図れない。当たり前です。でも美しい、太っているで可能不可能が有るように、マイノリティや障害にもそれがある。避けても何も始まらないのです。
今作「デッドプール2」では良くも悪くもマイノリティ表現が見せつけられます。
ゲイらしいインド人。レズビアンのミュータント。ブラックと名に付く白人。エックスメンの"メン"への言及...自然な形にもブラックジョークにも、たくさんの拘わったと思われる台詞や表現の数々が描かれていました。
しかしそれらはあまりにブラック。苦い笑いに満ちています。
きっとマイノリティの地位向上には役には立たないでしょう。人によってはそれらの言葉を借りて悪態や侮蔑に利用するかもしれない。
でも、私は楽しかった。"マイノリティ"が人に笑みを生んでいるのだから。ありのまま。それが世界の繋がりの潤滑油に成っている。こんなに素敵な事はない。
さらけ出された"違い"。この次は鼻が大きいと言う"鼻マイノリティ"が"性別マイノリティ"の次に笑われるかもしれない...そんなもの笑い飛ばしてやれ!
先ずは描かれることを楽しみ、存在を誇りにしよう。

「ふたりの男とひとりの女」では主人公は、黒人の兄弟たちの中にひとり生まれた白人として存在する。おそらくそれに悩み二重人格に成ってしまうのだ。彼の悪い面は、様々な不遇にある人やマイノリティを馬鹿にするが、その裏側で何より求めるものは、家族からの愛なのだ。肌の色やかたちでは無い、"愛こそ全て"と謳い上げる。
それから彼は、体が成長しない遺伝子障害の男性を馬鹿にするのだけれど、その男性は「馬鹿にするのか!」と大逆襲し、主人公をめためたにやっつける。
「差別」なんて違えば起こる。良いことな訳はない。当たり前のこと。だから、めげず、挫けず、勝ってやれば良い。先ずは笑いに代え、地位を得て、そして勝者になればいい。筋肉つけたり、術を身に付けて、圧倒してやればいい。
その時、マイノリティはどんな言葉を発するのだろう。そしてどんな映画を作るだろう。
「デッドプール3」では無いだろうけれど...
少なくとも今は、「デッドプール2」こそマイノリティの明日に橋を架ける逸品だと思いました。