最高の年の始まりは... | まりのブログ

まりのブログ

性同一性障害者の私が、思いのままに生きるために頑張って生きてます。
性別適合手術をしてから2年になりました。
私はトランスジェンダーとして誇りを持って生きてます

元日は初フォトが削除されてしまい、残念至極にございます。所詮、私のエゴか自惚れだものね(*`ω´*)ฅ
薄着では有りましたが、規制に値するほどの露出は無かったのに(その辺はカットしたし:p)...世界で日本くらいよ。"ありのまま"が忌まわしく扱われるのは。
人間と言うものは美しいんです。肌理や窪み、時には"染み"や"くすみ"さえも美しい。
...分かって貰えないんだ。
で。今更ですが、初夢見ました~~~!
しかあし、壮絶な夢でした。
私は連続殺人犯を追う刑事で、世界を駆けずり回って?近所の殺人犯を捕まえました。夢だからね。変なんです。
映画の観過ぎかなあ。
富士山も鷹も茄子も見ませんでしたが、犯人逮捕して捕らえられていた子供を助けていました。:p

2019が始まりました。
近所の神社に行って来ました。
色々と願いたかったんだけど、家族と、私が寄り添うみんなが健康でありますように、と願ってきました。
たっぷりの滋養が効いているのか、最近は体調を崩さず安定しています。ちょっと太っちゃったのが難ですが、このくらいが私の体のバランスなのかもしれません。
でも、太るなら胸肉増幅お願いします。
服のデザインのせいで分かり辛いですが、インスタント爆乳です。q(q''∀`*)イヤン
何故か「どうだ」とばかりのわたし。
おせちを食べて、ごろごろして、お馬鹿な遊びばかりしてました。

でもそんな時、ふと爪が紫に...調べてみたら、血液に酸素が足りないからなんだそうです。
慢性閉塞性肺疾患や肺繊維症、心不全や心血管奇形、ヘモグロビン異常...なんて可能性が...
写真より色味は濃いです...
ちょっとだけ、心が挫けてます...


「世界一キライなあなたに」が私の中で止まりません。あの初めて観た日から一日も欠かさず観ています。
良いんだ~。(・∀・)b

ある日、元気付けようと話した過去のだっさい思い出。ただ笑うだけの些細な記憶。
でも。彼は覚えていてくれた。まるで記憶を共有し、そして同じように喜び、笑い合おうとするかのように。
思わず「懐かしいね」と零しそう。
私だけの特別な記憶。でも彼は覚えていてくれた。
大した事じゃない。でも、そっと胸の奥を温め、幸せの笑みをくれる。
私、笑ってた?
それに気付いたら、もうひとつ気付いちゃった。
私の胸に育まれていた、ある気持ち。
これは蜜蜂タイツのはなし。

私もある人に、ここで、ある映画の話を投げかけられたことが有ります。ちょっと前の私さえ過去にしかけていたある映画のこと。私は思わず驚きを感じてしまいました。
そんなことは誰もしない。たくさんの下らない話の中で、ただ過去は今に塗り潰される。それが大概の現実。
でも違った。
一年前に話した人が、一年後に声を投げ掛けてくれたこともある。それがどれだけ嬉しかったか。
私は日々をのんびりだらりと生き過ぎて、ついそう言うことを適当にし勝ち。でも、する人が居る。
そう言うものを受け取った時、何かがビビッドに胸に来る。


お正月からアメリカのTVドラマ「ゲーム・オブ・スローンズ」を観ています。
動機はエミリア・クラーク。(9*´∀`)♪
でも観始めてエミリアを忘れるほど、その重厚なドラマに魅了されています。
舞台はある架空の中世世界、七王国。そこには魔法が有りドラゴンの存在の痕跡が有り、無数の部族と王、そして忌まわしき言い伝えが有ります。
世界は狂王と呼ばれた王の死後、戦乱こそ無かったが、倫理は乱れ、退廃と腐敗が染み付いている。
見識のある者は、不定期に到来する長い冬の気配に警戒している。
物語は、中でも平穏な北の地、ウィンターフェルと言う小国の王、ネッド・スタークの下から始まります。

はあ...面白い。登場人物がみな其々の想いを抱え、秘めていて、その行方が気になって止みません。
この世のありとあらゆる感情や因縁がふんだんに込められ、入り組んで縺れて、凄惨かつ麗しい物語が紡がれて行きます。それもある玉座のため。
ある者は玉座になど興味は無い。しかしその玉座に座る者のため、または
座ることに成ろう者を訝しがって玉座の傍らに立つ。
ある者はかつて父が玉座に座っていたのだから、私にその玉座に座る権利が有ると主張する。
ある者は正当な継承権の為に玉座を狙う。
ある者は家族のため。ある者はただただ欲のため。
そしてその狭間で命の危険からただ身を守ろうと逃げ回り、武器を取り、戦いの渦中から逃れられずに居る者達がいる。
血生臭い。息が詰まるほど穏やかではない。
なんと醜い物語か。本当に醜悪で最悪な物語である。
第一話から近親の秘め愛を見られたからと、子供を殺そうとしてしまうなんて件りを見せられる。数々の残酷性と赤裸々なエロティシズムも嫌う人は多いでしょう。
でも。
裏切りや不審の中にささやかに刻まれ、続く縁が有る。
父親が殺され、謀反の家とされたある貴族の娘は鍛冶屋の男性と旅をする。彼はいわく付きの男。
野人と怖れ卑しまれた北の民族は、南方の七王国の誰よりもこれから来たる冬の到来を恐れ、その先を見据えている。そこに同行する南の貴族の落とし子。
失われたドラゴンを支えにする女と何やら過去の有る男。...などなど、書いていたら限がない。
全ての人物が過去や血縁、家の名によってしがらみに縺れ、幾度となく繰り広げられる失望と悲嘆に多くの"いさかい"や別れを経るが、そこには確実に信頼や労りが亀裂を繋いでいる。
これが観る者の心を惹き付ける。
そしてささやかに垣間見る、偏見への向き合い方。これがこのドラマの隠れたテーマのようにも思えます。
この映画には幾つもの偏見が描かれています。かの「ウィロー」や「ふたりの男とひとりの女」で見る、体が成長しない障害を抱える人達。
彼等は「ゲーム・オブ・スローンズ」では”小人”と呼ばれ、多く、もっと酷い言われ方をされている。でも彼ことティリオンは全く挫けない。誰よりも世相を見極めようとし、時に狡猾で、時に慈愛に満ちている。そんな逞しい姿があまりに素敵なのです。
同性愛、近親愛、男性器を失った男、落とし子、火傷で顔半分を失った男、下半身麻痺の少年、そして娼婦。無数の心に疚しさを抱える者達が存在し、彼等は時に罵倒され石を投げられる。しかし時には、愛される。
気の弱い無能な男や、友を裏切った卑劣な者や、疚しい過去をもつ者にさえ、同様に。
時には勝利をその手にした王にさえ罵倒や卑下の言葉が放たれ、時には疚しき愚者にさえ賞賛と敬意が与えられる。
時は中世。法治は無く、権力によって都合よく形作られた示しと言う不合理な裁きの憲。人は剣や呪いを操り、たくさんのものを殺め破壊する。そうすることが正義や名誉であるかのように。
しかし、その刃を止めた時、彼らの間に育まれる大いなる絆は計り知れない。その決断は差別を越えて人を繋ぐ。

この世界は歪み、澱んでいる。そして差別が満ちているけれど、私達の生きる世界より活き活きとして見える。
ドラゴンだ~。
スターク家の守りの狼。こんな絆も。

現在、第三章半ば。
入り乱れる思惑、混迷する戦況、打ち崩される日常、犠牲と失望、宿命と裏切り、出会い、別れ、ささやかな愛と信頼、そして迫る冬と屍の気配。
2019年春、第八章たる最後の物語が語られる。楽しみでなりません。


映画「フォロイング」を観ました。これ、すっごく観たかったんです。だってタイ国が舞台だから。

タイ、バンコクを旅行するジュリーとジム。2人は空港で半ば強引にタクシーに乗せられ、運転手のゴゴと共に街の観光を楽しむ。そしてふたりは、婚約する。
ホテルに着くと長く滞在していると言う英国人のロバートとビリーと知り合い、夜の街に出掛ける。
ビリーはジュリーのスカーフを懐に隠し、祠を見に行かないか?と誘う。祠は郊外の森の中に在り、そこは祠の墓場だと言う。そして彼女のスカーフが祠に在る小さな仏の像に巻かれていた。彼女は不思議がりながらもそれを手にすると、ロバートとビリーは見計らったようにその場を去る。置き去りにされ、慌てるジュリーとジム。
しかしジュリーの体調が悪くなり、幾つもの幻覚を見始める。ジムはゴゴを呼び、ゴゴに促され、彼の育った村へと向かう。そこで僧侶がお払いをし、ジュリーは平穏を取り戻す。
しかし異常な現象は終わらない。ジュリーは病院に運ばれることになるが、実は入れ替わりに、ある英国人の女性が同様の状態から回復し退院したと言う。
ジムはロバートとビリー、そしてその英国人女性を追うが、ビリーはジムに「助けを求めるといい」とある男を紹介する。
もう完璧でした。全く不満が有りませんでした。
贅沢は言える。でもこれ以上もこれ以下も必要ない。素晴らしい作品でした。
タイには街のあちこちに祠が有ります。この映画では霊の家(ゴースト・ハウス)と称され「幸せな霊がそこに住み、供物を与え、それらは人の家には入らない」そう語られる。
しかし当然、良い霊が住むのなら悪い霊が住むこともあるのかもしれない。街でジュリーは何気無い祠を覗き込もうとすると、老婆?に「やめなさい」とばかりに追い払われます。
漂う危険な気配。落としたお金は演技が悪い...そんな"縁起"も私達を日陰の世界へと誘おうとする。
私達はこの世とあの世の狭間と寄り添って生きているのかもしれない。その入り口はところどころにあって、つい覗き込んだ時、何があなたを覗き返しているかわからない。まさにニーチェの言葉のよう。
「深淵を覗き込む時、深淵もまたこちらを覗いている」

今のバンコクはとても栄えていますが、その栄えた中心部の傍らには、墓場のように朽ちた繁栄の残骸が聳えています。私が歩いた街でも次から次へと古いホテルやモールが取り崩され、残された僅かな外壁に守られるかのように、そっと祠が佇んでいました。
寂しげに...朽ちかけて...でも誰かが供物を捧げています。
時には果実や食に纏わる彫り物が置かれ、服や衣装に関するものが置かれていたりもする。もしかしたらここで商われていたのは服屋さんだったのかしら...なんて思ったりしました。
人の営みの始まりと終わり。運を切り開こうと結んだ"やおよろずの神"との契約は、人の運が尽きてもなお、そこに佇んでいる。
如何にも"あわれ"。
神はそこにはもう居ないのかもしれない。なら、今は何がいるの?
"うつぼ"と言うものを聞いた事があるだろうか?
思いあるものが入る筈の空箱には、なにがしかが入り込むと言う。神や精霊が去った"うつぼ"には行方を見失ったものが入り込んでいるかもしれない...

他にも、この映画では間違いないタイが見られます。
些細なことですが、窓が開かないこと。スコールの防水対策?なのか外側の窓は開きません。風俗店の様相(私は行きませんでしたが:p)、市場や寺院、物乞い、猿...そして祠。
ありのままの、おそらく考証間違いないリアルなタイが描かれていると思います。そう言うリスペクトが、この映画を安易なホラーにしなかった要因だと思います。

さて。ロバートとビリーは何故、ジュリーとジムにそんなことをしたのか?祠で何をしたのか?
...おそらくあなたの想像は的中します。
悪霊に狙われたジュリーは、如何にして救われるのか。
当然、多くの映画がそうであるように、この映画も現代医学では無く、風土に根付いた呪いの力を頼ります。
そこで出て来る堕落したシャーマン、レノがまた良いキャラクターなんです。いい加減で適当、調子ものでガッカリするほど堕落してる。でも、彼は悪人じゃない。あれこれ奪ってやろうとなんてしないし、嗾けられこそするけれど、動き出したら最後まで寄り添ってくれる。両分も分かっていて調子良くも深入りしない。
この映画では「情」と言うものが語られる。
愛すればこその恨み。ゴゴは縁を持った2人を最後まで助けようとする。悪い事をしながらも「やめよう、彼等はいい人だから」と呵責に悩む姿。他人を巻き込んで犠牲を伴うことに、挫け、諦める…
全ての登場人物が人間臭い。それがとても素敵でした。
この映画は確かにホラーです。ですが、異常な事態の中で、人が如何にして手段を探し、講じ、そして想い、信じ、寄り添い、戦い、そして救いを喜ぶ。そんな前向きな姿に惚れ惚れさせられました。
愛のためならと、全力で奮闘するジムに愛されたジュリーは、幸せです。
やっぱり人との縁を何よりとするタイらしさなのかもしれない。この映画はまさにタイの映画でした。

悪鬼の正体に関しては早々に提示されるので書きますが、ワタベと言われる日本人女性の霊です。忌まわしい愛憎の事件が発端となっています。そのせいか、演出や脅しの見せ方が日本のホラーによく似ています。「リング」や「呪怨」ね。
昨年観た「ミューズ」のような繊細さは無く、実直なオカルト映画の様相ですが、何しろ人が命を落さない。事故だけ。そう言うところも好きです。

最後に、バンコクとは「クルンテープ」"天使の街"と言う意味らしい。そんな感じしてた。
大好きな街、バンコク。やっぱり素敵でした。


さあて。世界は混沌、争ってばかりですが、ある人が言いました。「政治家がいなければ、世界は平和なのに」
私達だけは争いなき人生を歩みたいですね。
良い一年を。