計画通りの人生を諦める覚悟を持て。この先に待つ人生を生きる為に。
ジョーゼフ・キャンベル
人生は計画通りに行かないのでは無く、計画通りの人生など人生足りえるのか?、と語っているのだと思います。
あなたの思い通りの人生...それはさぞ至福に満ちていることだろう。でも私は、足りなくていい。そして苦渋を味わい、涙し、そして苦痛に喘ぐ日々でもいい。
それでも、今の私は幸せだ。
そう。人生は計画通りには行かないのだ。
私、先日から朝起きると非常に体調が悪く、重度の風邪をひいたような状態に成りました。
鼻水が出て体が重く、熱っぽい。しかしベッドの中はぬくぬくで体もしっかりぬくもりに包まれてる。よたよたとベッドから出ておたおたと着替えをして、食卓に着く頃には体調もけろっと治り、鼻水もどこかへ消えている。(*´ω`*)?
ただ、不思議なほどの体力減退を感じていて、寒気が酷い。何事も手につかず仕舞いでした。
そんな数日が続き、一昨日だけは朝から調子は良かったので、紅葉を見ようと出掛けました。ちょっと寒いかな...と思っては居ましたが、雲間から日が出ると温かい。大丈夫だ。
そう思って居ましたが、徐々に冷えてくる首筋。そして4時間も経った頃、体が冷え切って節々が痛い。震える脚で必死に家に帰りました。
なんとか家に辿り着き、体を温め、食事をし、ゆっくり体を休めていました。しかしゆるり襲い来る吐き気と目眩...そして偏頭痛。
そしてそのまま、ぱたり、倒れてしまいました。
しばらくしてからお風呂でしっかり体を温め、程好く回復しましたが、そのまま深遠に沈み込むように眠りに就きました。
こんな感覚は初めてで、以前、お店で倒れた時の感覚に吐き気と偏頭痛が足された感じ。
翌日も今日も、体力切れで倒れ、体を休めてまた動き出すを繰り返していました。今もまだ体がぎりぎりで成り立っている感じですが、何とか生きてます。
これがホルモンのせいなのか、ただ冷えたせいなのか分かりませんが、そんな不調も我が人生。
楽しんでいます。(~¯︶¯)~フラフラ~
塩害に負けず、咲き乱れておりました。でも、駄目に成っちゃった木も有って、来年はどうなるかしら...と遥か一年後を案じます。
とうとう映画「REC」のBlu-ray買っちゃいました。
でも2です。1は何回も観ていたので、あえて2から行ってみました。
で、再見。
あれ?...こんなだったっけ?何とも微妙。最近でも他の手持ちカメラ(POV)映画を何度も観ていて、覚悟もしていたし、何より一度観ていた作品だから...
平凡な日常...そして予兆から接触、惨劇、展開、罠にはまり、失望、狂乱、暴走、終結...
多くはそんな構成をゆる~く展開していくものでしたが、「REC2」は始まった途端から忙しない。既に1作目でパニックが熟しちゃってるところから始まるから、観る方に準備の時間も感情移入の時間もくれやしない。瞬く間に事態に飲まれ、怒涛のように襲い掛かる狂人と化した住民や救命士たちの中で、腰も降ろせず、事態収集の為に荒唐無稽な真実に挑まなければならない。
観ている私はふらふらです。振り回されて「助けて~」(´xωx`)...それに...グロテスク過ぎる...
これ「ミューズ」と違いすぎたのは、”計算された芸術性”に欠けたこと。あの美しい映像美がここには無かった。バタバタ走り回り、見える、見えない、見えちゃった、見てられない...そんな”偶発性を装った計算された見せ具合”を楽しむ映画となっていました。
しかし。「ブレアウィッチ・プロジェクト」の頃と根本違うのは、カメラの性能。起こっていることがちゃんと見える。パニックが、画面の中の隊員達ごと私たちまで飲み込んで襲ってくる。((ヾ(≧皿≦メ)ノ))ウギギギ...
はあ...疲れた。
それでも緊張感と怒涛の感情溢れる素晴らしい映像魔術が、殆ど長い1カットで綴られている驚きは衝撃的。
堪りません。私の演出魂が刺激されて、わなわなと奮えました。
ただ、2度目ともなるとPOVでは無く、じっくりとした演出で映画を観たいもの。
だからこその"POVを捨てて撮られた完結編である4"に期待して、現在、到着待ち。はてさて。
最近、本当に映画のクオリティが上がっていると実感します。それもB級で。
「ベルリン・シンドローム」もそうでした。
内容は平凡かもしれない。しかし作り手の想いが1シーン1シーンに込められていると感じられる作品でした。
故郷オーストラリアに今までの人生を置いて来たかのような女クレア。彼女はドイツ、ベルリンでさ迷い歩く。
ある日、ドイツ人の男性と知り合う。
彼は自分に共感してくれるような男性。だから心が近付くのにそう難しくは無かった。
しかし、体を合わせた翌朝、部屋から出られなかった。彼によると鍵を置き忘れたらしい。
翌朝、鍵は有るが扉は開かなかった。閉じ込められた?彼が帰宅し、質問すると彼の態度は一転した…
この映画、とても美しい映像で綴られています。ベルリンそのものが美しいと言うことも有りますが、その切り取られた数々の映像が美しい。計算されたカット割、深みを描く陰影、電飾の光や日の光、星の煌めきや雪...それらがクレアの機敏な心を体現するかのように、あるがままの力を撒き散らす。
最近はハリウッドもハリウッドブルーと呼ばれる青い夜が見られなくなって来ていますが、この映画ではあまりに美しいそのブルーを観られます。
私はこのブルーが好き。映像もよく見えるし、黒を深い蒼に染め、世界を妖艶に彩るブルー。今作のネオンや街の色とりどりのエッセンスに溢れたブルーは、非常に美しかったです。
そんな街に降り立った女、ひとり。彼女はホステルに泊まり、似たような年代の若者と知り合います。しかし誰もが恋人との旅の途中。親しくなったと思っても、最後はひとりにされてしまう。
私の居場所。彼女はそれが見つけられない。
そしてクレアはひとりの男性に出会う。更にその縁が、運命かもしれないと思い始める。英語を話せること。少したどたどしい事も愛しさに繋がった。
自分の好きなクリムトの画集を見る彼。真摯な眼差し。強引でない優しさ…だから信じたい。傷付けたり迷惑をかけたりしたくない。だから、初動が遅れる。
そうしている内に恐怖や心理的防衛本能が肥大して、クレアは身動きが取れなくなっていく...
監禁。自由を求めて人を信じ、彼女は自由を奪われた。何度も何度も心で呪ったことだろう。
「こんな筈じゃ無かった。こんな旅をしなければよかった。何で私はあそこで信じてしまったのか...」
そんな後悔が尽きなかったろう。
彼女を生かしたのは希望。しかしそれが次から次へと奪われて行く。積極的抵抗も瞬く間に完敗を喫する。彼女は更に世界を狭められて行く。
...人は例え奴隷であっても、幸せに成ろうとする。幸せに成れる。彼女はその最悪の世界で自由を保とうとする。
私たちに"不幸"と感じさせるのは「可能かもしれない」と言う希望だ。しかしそれが挫けるまでは言葉通りの"希望"があるのだ。クレアは希望をささやかに持ち続ける。それが彼女の心を打ち崩さなかった。
この手の映画や事実によくある「何故抵抗しない?」と言う疑問がある。クレアも、鍋もあればおそらく包丁も有る部屋で抵抗を挑まない。チャンスを感じるシーンを幾度も見せられれば、人によってはストレスでしかないかもしれない。
でも、あなたなら出来る?力で捻じ伏せられ、酷い怪我を経験し、何重もの鍵が無ければ逃げられない高所の一室で、何が出来る?
失敗したら...どうなるか想像しても抵抗出来る?
クレアは絶望をも感じながら、少女フランカ、母のネックレス、唯一見ていない部屋、窓の外、雪、花火...たくさんのものに希望を垣間見ていた。そして隙を見る度、何らかの行動を続けた。...尽く挫けても。
ラスト。彼女は序盤には無機質に見えていた街の人ごみの中で、無数の希望を見る。彼等は自分を見ても居ない。その苦悩の日々など知りもしない。壁数枚の外に居て気付きもしなかった。でも、それらがあまりに美しく目に飛び込んでくる。
その時、ブルーは無い。あまりに美しい、光に満ちた色とりどりの世界。世界は素晴らいと心から感じたことだろう。そして母の元に一目散に帰りたかったろう。依存しても愛の無いあの部屋より、いつでも帰って来なさいと見送ってくれた母の懐に...
...あ、書いちゃった。今までも話の本筋は書かないようにしてきたけれど、今回は良いよね。大丈夫、ハッピーエンドです。
この映画では悪をただの悪とは描いていない。
優しい風貌、優しい言動、優しい態度...決して暴力による強要ばかりではない。
そして彼女の知らない場所で語られる幾つもの不安な要素。ベルリンが壁で分断されていた頃のこと、様々なベルリン特有の是非が背景に漂う。もしかしたらベルリンの歴史に纏わる教育や環境の不遇が端なのではないかと思わせる。
そして母の話。良き過去の家族の姿も聞き、そしてその顛末も見聞きする。
彼も被害者なのではないか?彼の心が解き放たれ、癒されたならば、より良い終わりかたも有るのではないか?
そう期待しました。しかし...張った糸の上のようなぎりぎりの状態は、思わぬことで崩壊する。
その時のクレアの絶望は尋常じゃない。必死で取り繕い保ってきた最悪を回避する"偽りの城"が、崩れ去る。
…いつ壊れるか分からない緊張感はすごい。まどろみ、張り詰め、壊れる、そしてまた繋がる...張り詰めた糸。
些細な言葉が"終わり"を予感させる...
クレアは詳しくは語らないけれど、少なからず揉めていたろう母から押し付けられた?ネックレスは彼女の心の潰えない煌めきであり、希望そのものだったろう。
あまりに酷い話だけど、たくさんの希望の欠片が、この映画を生かしていた。
今作も一般的には評価が低いです。
でも、時折、情感をいっぱい吐き出すようなスローや光と影が織り成す美しい映像は必見です。そして丁寧に描かれるクレアの寂しい心は、私達の心の一部に重なってくる。
ことが起こる前、前半のメローシーンの独特な緊張感は逸品です。セックスや愛の触れ合いなんて、音楽が流れて微笑みと信頼だけに満ちてやしないもの。ぎりぎりまで緊張に鳥肌が立っているようなものです。そんな緊張感が描かれて、生々しく鮮烈で見応え有りました。:p
良い部分も悪い部分までも包容して、私は満足し、終局のクレアの笑顔を見届けました。
題名は原題も「ベルリン・シンドローム」。ずっと「ストックホルム症候群」のような意味を孕んだ言葉なのだと思っていましたが、調べても分からなかったので、造語なのだと思います。
でもこの監督は新しい何らかのかたちを生み出したかったのかもしれません。もしくは原作者が。
原作は2012年に発刊された同名小説。もしかしたら原作者が同様の経験をしたのではないか?と案じるほど、映画的だったり扇情的だったりする事は有りません。
116分。評価は低くても、私の心が痺れた映画です。
主演クレア役はテリーサ・パーマー。
私、この子好きなんだ。ぎろっと睨んでいるような意志力のある目が大好き。
この映画では役作りの為か体がすごく絞られていました。お陰で顔付きも体つきも如何にも悩みを抱えた放浪少女。初めは疎外感からか肩を窄めて弱々しかったけれど、ことが動き始めてからは、しっかり立って力強ささえ感じられるように見えた。
彼女は人生に立ち向かい、考え、そして生き抜いた。世界や人生を見る目、覚悟はきっと違ってる。極限で得た強さはきっと彼女を幸せにするだろう。
それも彼女の役作りと素晴らしい演技ゆえのことだ。
それにしてもテリーサ、あばらが浮くほど体が細い。しかし羨ましきかな、しっかりとした胸肉。横から見た時の胸までのラインがすごく綺麗で「やっぱり好きだわ」と見た目にも惹かれる私でした。:p
なので、テリーサの「ライト/オフ」と「アイアム・ナンバー4」もちょっだけ。
「ライト/オフ」は「死霊館」のジェームズ・ワン製作のスリラーです。
ある夜のこと。倉庫で働いていた男女が命を落してしまう。その男性の娘レベッカは家族と上手く行っていない。自堕落な生活から立ち直ろうとしていたけれど、まだ上手くは立ち直れて居ない。
そんな時、弟マーティンが助けを求めて来る。彼は「暗闇が怖い」と言う。精神的に不安定な母に任せられないとレベッカは預かろうとするが、自らの行いのせいで思いのままには出来なかった。そんな時、過去に苛まれた悪夢が彼女を脅かす。
何とかして弟を救い出さなければいけない!
低予算満々の映画。でも無駄が無く良く出来ています。
また、ちょっとドロップアウトしたような役がテリーサにはよく似合う。腕にはリストカットの痕、過去の写真のような朗らかな笑顔も美しい輝くような髪も、もう記憶の向こう...そんなレベッカが全力で人生に立ち向かい、家族を守り、立ち直ろうとする、そう、人生再起の話なのです。
あえて題材はホラーなのにスリラーとしたのはドラマがしっかり描かれているからです。
悪も絶対的なものでは無く、あくまで心の闇のようなもの。そこにちょっと超自然科学が組み込まれ、絶対無敵な悪ではないところが映画的にも魅力であり面白さのエッセンスになっています。
そう。ここで襲い来る悪鬼はあくまで人である。ちょっとばかり強いけれどね。その強さは題名にあるとおり、決まりごとがある。それはライト(光)です。
多く、ジンクスを持つホラーはその根拠も曖昧で、更にそれを有効に扱えていないものが多い。「エルム街の悪夢」も悪鬼フレディの力にも弱点に関する決まりごとも話が進むうちに破綻してしまう。
比べ、今作の謎の存在ダイアナは、”光”に対する決まりごとを徹底して貫いた。急に無敵になったりしない。それに、その決まりごとを利用したアクションが面白い。言っちゃうと、光がとても頼りに成り、その奮い方がユーモアに満ちているのです。
更にこの映画が素晴らしいのは、彼氏の存在。平凡なあんちゃんなのですが、冷たく当たるレベッカにさえ真摯に向き合い、最後まで寄り添ってくれる良い男。怯えて逃げて「すまない」なんて平凡な"贖罪メロー"も必要ない。こんなに信じられない惨事に苛まれても、彼が一番に想うのはレベッカなのだから。悩むより、怯えるより、今、すべきことをし続ける。
ホラーの登場人物は数減らしのコマではない。ビショップで有りナイトなのだ。散るときは散るが、次の一手に意味を残す。さあ、全力でクイーンを守るのだ。
犠牲者は少なからず居る。でも、その犠牲者の一部は愛の為に命を落す。またこれが堪らない。みんなの想いや愛が、心に強く響く筈。
それがこの映画をただのスリラーにもホラーにもしなかった所以です。ダイアナの由縁も終盤の"決意"に繋がり、観る者の心を揺さぶります。
陰影のある映像は美しく、派手な色の壁やネオンの光までも光を妖しく、そして頼りとしての力の輝きに満たしている。その中のテリーサは、また妖艶で美しい。目力がまた全力発揮。恐怖から背けるのでは無く、恐怖を見据える、意思に満ちた優美な瞳で、私達を導く。
元は2分半程度のフェイクビデオだったそうで、ドラマは無く、本当の映像のように見せかけた脅かしビデオ。その怖さが尋常ではなかったらしく、満を辞して映画化した訳ですが、あまり評価はされなかったみたい。
81分の映画ですが、お腹いっぱいに成るくらい充実した時間を過ごせること、間違い無しです。
ホラーとは。全てのジャンルを網羅することの出来る唯一のジャンルである。私は、そう思っています。
そして「アイアム・ナンバー4」こちらは一転、ヒーロー映画です。...そのプロローグです。
実はこの映画は当時、流行っていた「トワイライト」や後の「ハンガーゲーム」のようにシリーズものに成る筈だったのですが、収益が芳しくなくて打ち切りになった作品でした。私も始めて観た時は、その中途半端な終わり方に「続編が無いないなら」と記憶の隅にしまってしまったもの。でもずっと心に残り、観られる機会には必ず観てた。そしてかのタイに行った時に再見。面白かった。
ジョン・スミスは叔父のヘンリーと街から街へと転居ばかりして暮らしていた。恋も出来ない。友も出来ない。ジョンはいつも胸に寂しさを抱えていた。
実は、彼は宇宙から来た宿命を持つ9人の内のひとり。
ある日、脚に刻まれていた印が光り輝いた。また引越ししなければならない不運と成り、更に9人の誰かが命を失ったとの報せでも有った。
ジョンはヘンリーと新しい街へ。大人しく暮らせと躾けられるが、ジョンは恋をしてしまう。いじめや友情、親子の諍い...多くの学生のように青春を謳歌する中、彼の足跡を辿る何者かが迫っていた...
テリーサは謎の女を演じています。サングラスをかけ、その行動や立ち振る舞いは粗雑...いえ、カッコいい。バイクに跨り、ホント、カッコいい。彼女の出るシーンは全部カッコいいのですよ。残念なのは登場シーンが少ないこと。私の心はちょっとばかり満たされません。:p
が。要は物語。プロローグで終わってしまうけれど、これがなかなか見応え有り。
悪漢や狂信的宗教団体から逃げる...と言ったようなロードムービー的描きから始まり、辿り着いた街で暗殺者に怯えながらひっそりと暮らそうとする。名前も平凡の典型ジョン・スミス。スポーツもクラブも馴れ合いも禁止。そうして溜まる若者の性。それが関係を複雑にし、更に危険を呼ぶことに。
以前からドラマ「ロズウェル」や映画「スターマン」で描かれて来た定番ストーリー。それだけじゃないね。「スーパーマン」だって同じストーリー。
まだまだ未熟な主人公が次第に力を発揮して、それが人の縁を裂いたり繋げたりする展開はとても魅力的です。
ジョンがヒロインのサラに言う「場所の価値って、そこにいる人で決まるんだ」...サラとその家族をも尊んだ、素敵な台詞です。ジョンの、ここに残りたいと言う願望も込めた素敵なシーン。定番メローもそれなりに。
更に能力の表現はなかなか派手で力に満ちていて、視覚的にも充分です。
迷って来たわんちゃんもまた可愛くて、あげくにそのわんちゃん、ものすごく大活躍してくれます。期待以上に。演技も素晴らしい。
ちょっとね、モガドリアンと言う暗殺者がギャグを担ったり、思ったより弱かったりと残念な部分も有りますが、何しろもうテリーサが最高で、彼女が活躍する続編に期待しない人は居ないでしょう。
ヒロインにはディアナ・アグロン。彼女もテリーサに負けず劣らずの美人。主人公ナンバー4役はアレックス・ペティファー。無骨ながらなかなかのイケメン。
素材は完璧ながら、既存のストーリーベースを超えられなかったことが不発に繋がってしまったとは思いますが、充分面白く、続編への期待を孕んだ佳作です。
特に特に、繰り返し言っちゃうテリーサです。登場シーンは全て、インパクト強烈です。
そしてそして。昨日、DVD「きみがくれた物語」が到着。主演は当然テリーサ・パーマー。なんと原作はニコラス・スパークス。「メッセージ・イン・ア・ボトル」や「セイフ・ヘイヴン」の原作者です。
なので、とってもメローな物語です。わくわく。
原題は「The choice」どのような選択が描かれるのか楽しみです。
秋や冬は心が寂しくなります。
そんな時には素敵なラブストーリーがぴったりなので、どっぷり愛の綴りに浸りたいと思います。
トランスジェンダーの話をまた聞きました。
インドネシアで2人のトランスジェンダーが60人もの男性に追い立てられ、金属棒で殴られ、髪を切られ、裸にされて更に殴られ続けたそう...
トランスジェンダーは神の理に反した異端であるから、人として存在してはいけないものらしい。
裁かれるものだと言うならば、神による裁きのその時に、指でも何でも指して哀れめば良いのに、どうしてわざわざ人が、神さえ"忌むべき"と説く"暴力"で、生きることさえも阻むのか。
これを"悲しみ"以外にどう表せば良いのか。
それから、イランの女子サッカー代表チームの8人がトランスジェンダーだったそう。
言い辛いし、言うべきでは無いけれど...8人はいかにも男性に見える。
つい先日までトランスを宗教上否定していたイスラム教の下で、認められていくのはとても素晴らしいことなんだけど、何とも複雑な気持ちにさせられる。
更にイランでは徴兵に関して女性だけで無くトランスジェンダーの入隊も歓迎すると謳っている。これって、どういうことか。
昔、ロシアでも女性部隊なんてものがあって、必然で生まれたのかもしれないけれど、実は迫る女性たちに躊躇った敵の居を突く戦術だったのでは?と思ってしまう。
まさかトランスジェンダー入隊歓迎もそう言うもの?人間の盾?
勝利の為なら利用出来るものは利用する?
"平等"と喜びさえしていたけれど、真実は...考えたくない。

明日は良い日になりますよう...