今年は寒さ厳しく...私だけかしら?
薄着は普段はしとりません。:p
ふと思い出されるあの夏の暑さ。さすがに忘れ始めていましたが、見回してみたらその痕跡は悲劇的に刻まれていました。
しかし...今は寒い。北海道では初雪とも聞いていますが、気持ちよく晴れているのに寒くてなりません。
更に今冬は全国的に寒いらしいので、不安が拭えません。
極度の冷え体質のこの体が持つものか、自信も有りません。女性ホルモンは体を守ってくれてたくさんの症状が治ったりもしたけれど、感覚的には私を追い詰めます。
ひじょ~に寒さが身に染みます。染み過ぎて...食べ過ぎてます。食べて熱量作らないと、体が持ちません...
秋の香りは瞬く間に冬っぽい。だって紅葉がイマイチ冴えないんだもの。そんな時、前回は梅の花を見ましたが、なんと普通に桜が咲き乱れてもいました。
寒桜では有りません。春とはちょっと咲き方が違うみたい。
一昨日、母と買い物に出掛けた際、母の運動友達に会いました。その方は母に身を寄せ親しげに話しかけてから私のほうを向くと「あら?...娘さん?」と言いました。
私は固まり、母も一瞬、躊躇ったものの、友達に飛びつかんばかりに身を寄せ返して「そうなのよ、私の娘なのよ」と大きな声で言い放ちました。
!!ヽ(゚д゚ヽ)(ノ゚д゚)ノ!!オロロ~
その方、話好きで噂の現況と成りがちな方なので、母の周辺で噂が回り、何が起こるか、ちょっと怖いです。:p
でも。どうしても抜けなかった母への信頼への"最後の薄壁"が、崩れ去ったように感じました。
ここ数日、ちょっとしたすれ違いが続いていて、家庭内にさばさばとした空気が漂っていました。でもね、そのさばさばした空気どころか、実はずっとそこに空いたまになっていた陥没のような穴まで、柔らかく肥沃なもので埋められたような気がしています。
ゆっくりでもこうやって埋められて行く心の隙間。それを感じられるだけで嬉しい。
私は家族と離れなくて良かった。そう思います。
手術を機に実家に2年。その間、さめざめとする事も、失望に枕を濡らす夜も有りました。
でも、今は結構、幸せを感じております。
先日、決意し、映画「REC」シリーズのBlu-rayを揃える事にしました。
...この映画、相当なグロい映画。なんだろう...前述、母とちょっとしたいざこざの間、無性に私を包む、不思議な感覚。それが私の心をある方向へ傾けていました。
それは...スチームパンク?ゴシック?よく思春期の少女がダークリーな感覚的センスに囚われるように、私も私を堕として行きます。そんな私に似合うのは...なんだろう...ひと先ず「REC」です。
まあ、おそらく、先日紹介した「ミューズ」が本当に好きなんです。同じ監督の作品なのです。ジャウマ・バラゲロ監督に魅了されちゃったんです。
だから、その綴りの原点?である「REC」をじっくり堪能しようと思いました。...後悔しそうですが...
あるテレビクルーが消防署の隊員に密着中、出動要請が入ります。彼等はそのまま同行しますが、到着したアパートでは老女を案じた住人たちが待っていました。
老女は一室で椅子に身を携え、背を向けています。声をかける隊員と警官...すると老女は警官に噛み付きました。パニックになるアパート、そしてアパートを出ようとすると何故か封鎖されている。
外に出られないで弱っていると、噛まれた警官が住人を襲った。阿鼻叫喚のアパート。如何にして脱出するか、狂乱の正体は何なのか?そしてクルー達はアパートに秘められた真実に辿りつく。
丁度その頃、アパートの外では通りの完全封鎖が行われていた。そこに現れる謎の一団。彼等はバチカンから派遣されていた。
犬に噛まれた老人。彼は応急治療をし孫の結婚式へと赴く。しばらくの至福の時間。しかし、異常は幸せの饗宴を悪夢の宴へと変えようとしていた。
惨劇からしばらくして。
かのテレビクルーのリポーターであったアンヘラは船の上に居た。彼女はことの現況として捉えられていたのだ。しかし異常は彼女の外で着実に伝染、そして蔓延し始めていた。
船は逃げ場の無い恐怖の場所と化す...
これが「REC」4作のごく大まかなストーリーです。
バチカンとあるように、宗教色が強く、でも映画はおぞましきゾンビホラーの体を見せています。
正直、強烈極まりない。ハリウッドの規制に縛られたものでは無く、全部見せてくるヨーロッパ色。スペイン映画ですから。衝撃極まりありません。パッケージも触れられないほどおぞましい。
でも戦いの中で見る、労わりと生き残るための執念はとても力に満ちていて、いくら時間が経っても私の記憶からも心からも消えようとしません。
1と2は手持ちカメラ系。3は監督も違い毛色も違う手持ちカメラとシンプルな撮り方を合わせた融合型。4は正道2の続きでありながら、手持ちカメラを捨ててオーソドックスな映画に成っているらしい。
らしい。...まだ4は観てないのだ。( ̄ー ̄ゞ☆
幾つか納得の行かない点も有る荒々しい作りではありますが、意外な展開に驚かされる事間違いなしの映画です。
私に取り付くこのジャウマ・バラゲロのセンスが消えるまでは、ダークな感覚が取り付きそうです。それだけ私は「ミューズ」が大好きなのです。そんなジャウマのセンスを垣間見た作品が現れました。
映画「フェブラリィ、消えた少女の行方」です。Google等では「フェブラリィ、悪霊館」と記されています。
悪夢を見る少女キャサリン。思わぬ妊娠に心悩むローズ。そして何かを抱え、さまよう女ジョアン。
キャサリンは発表会に来ない両親に悲しみを抱える。
妊娠して思うように行かないローズはキャサリンとふたり、ふたりのシスターと共に学校の寮に残ることに。
しかしキャサリンは奔放でずかずかと話すローズと割が合わない。それはローズも同じ。あまり触れ合いをしたがらないキャサリンに不満を感じていました。
次第にその行動が怪しくなるキャサリン...そして...
一方、ジョアンは寒空の下でバスを待っていると、ある夫婦に誘われて車に同乗する。
自分の事を話さないジョアン。そんな彼女に夫婦は9年前に亡くした子の話をする。
映画はあまりに美しい映像で描かれています。そしてゆっくりとじっくりと綴られる素晴らしいテリング。ささやかで印象的な台詞も豊かで、心を惹き付けます。
ありふれた神学校での片隅の少女の物語。少し切なげで愛らしい。
しかし。少しずつ露になってくる不安な要素。それは思っているより少女たちの心を蝕んでいる。笑顔の裏には計り知れない複雑な感情が渦巻いていると感じられる。
不穏な態度や行動、不可解にさえ思える言葉の数々が不安を煽り、幾つもの謎に「もしかしたら...」と、私達は案じ始める。そんな読み解きは、物語を豊かに広げて行きます。
きっと繋がって行くだろう幾つもの縁と心。先の読めない展開に希望と不安が入り交じり、ちょっと混乱さえしてしまうかも。待ちわびる親と言う存在、見えない本当の思い、じわり忍び寄る不穏な気配、フラッシュバック...
この手の映画にはそぐわない映像演出のお陰で、青春映画か?スリラーか?はたまたホラーか?が全く分からない。
...更に、この映画、悲しい事に邦題が残念なのです。
DVD版の副題「消えた少女の行方」と言う題名のお陰で、混乱を招き、人によってはネタが想像出来てしまう可能性が…
更に「悪霊館」なんて副題もあったせいでオカルトかホラーかと先入観を持たせてしまう。ホラーでは無いのに。
私は思います。この映画は、母の死と父の不在から心を喪失した少女が、その悲しみのやり場をどうする事も出来なくて、噂や伝聞を元に思い込みをしてしまい、そのまま取り付かれたように狂乱してしまう話...なのです。きっと。
ティーンエイジャーの追い詰められた心の話なのです。
一度だけオカルト的映像が有るのですが、あれは完全にミスシーンです。あのシーンが気になってしまったら、現実感を保てないことに悩んでしまうかもしれません。
無視しましょう。
この映画は、とても丁寧に作られた破滅型青春映画です。観て感じられるよりも"冷静"にものを見ましょう。悲しみに暮れ、嫉妬し、怒りと憤りを抱え、怯える少女が見えてくる筈です。
そこにある心はあなたの中にも有り、一度は感じたことのある「胸が苦しくなるほどの、堪えられない辛さ」なのです。
もしそれを知らないと言うならば、あなたは幸せだ。でも知ってしまった人も居る。そんな人はこの映画に何かを感じることでしょう。もしかしたら胸を痛めるかもしれない。それはこの映画が、あなたの心に映った"真実"を描いた映画だから。
...私達は彼女のように”堕ちる”必要は無い。彼女の叫びを聞き、胸に抱き、善かれ明日を生きよう。
美しい映像、静かになだらかに不安げに低音を響かせ続けるスコア、適切な演出と適切な間の妙、時間軸を弄り、徐々に明らかになってくる真実。そして迫る狂気のとき。
巧妙で印象的な台詞に飲み込まれながら、私はこの映画に漂う、闇と寄り添う鬱蒼とした空気と、窓から差し込む力無い冬の光に、深く、囚われました。
役者も素晴らしい。主演はあまり有名な子達では有りませんが良い演技をしています。そしてジョアン役にエマ・ロバーツ。以前、紹介した「NERVE」の子です。かのジュリア・ロバーツの姪っ子ですね。
以前「ナンシー・ドリュー」を観た時は「どんくさい演技をする子だなあ」と思ったものですが、今は落ち着いて演技もなかなか、それどころか美人に育ち、私は結構好きです。
2015年作品。視聴者の評価は著しく悪いので、お薦めはしない方が良いのかもしれませんが、私はこの「フェブラリィ」が好きです。
そろそろダコタ・ジョンソンも「サスペリア」のリメイクで主演するし、これからセンシティヴで冒険心のある映画が多く作られるかもしれませんね。
もうひとつ。久しぶりに観たら、やっぱり堪らなかったので、紹介します。
「デタッチメント、優しい無関心」
高校の代理教師として赴任したヘンリー。生徒の態度も無関心な親の態度も最悪で、日々、希望を失っていた。
そんなある日、売春をおこなう少女エリカと出会い、いつの間にか依存の関係が始まる。
しかし教育現場はますます酷いものになって行く。
映画は低予算に多い安いカメラを手持ちで対象を追いかけるような、ドキュメント風味の撮影。アップを多用し、常に落ち着きが無く騒がしい。
それが成功しているかは何ともいえないけれど、緊張した空気感が漂い、常に心穏やかに保てないヘンリーの心を体感するようです。
ヘンリー以外にもたくさんの個性有る教師と生徒が登場しますが、何よりエリカの存在感は秀でています。とても繊細でリアル。その魅力は、私達の心の一部を同化させ、救われることを心から望んでしまう。
そして、メレディス。この子が実は映画のミソなのだ。登場シーンは少ないながら最も人間らしく、心が崩れ去る姿を私たちに匂わせ、そして叩きつけ、希望を打ち砕く。
人はその表層しか見ていない。目立つところだけを見て、対応し、救おうとする。
だから、メレディスみたいな子には、
「あなたは大丈夫だから」
そう言い訳して、歪んで行く隙間にいる”未来”を見捨ててしまう。そこにあるのに。そこにある大事なものを見忘れる。
見忘れられた。それがメレディスそのもの。
この映画では教育現場の全てを見せ付ける。生徒と教師だけじゃない。教師と教師、そして学校から外の世界との繋がりとリアクションを生々しく見せる。
人生は辛い。いくら笑ってもいくら出会っても、拭えない痛みのようなものが纏わりつく。
この映画は辛い。しかし、苦痛の陰でささやかに生み出され続ける”縁”と言うものが、朝の澄んだ陽の光のように、力なく、しかし眩しく私達に注がれる。
この映画で生まれたものの殆どが、壊れる。そして壊される。人はそう簡単には変われない。希望も現実を変えるような幸運も与えられやしない。しかし無力ながら必死に足掻く教師の背中と真摯な瞳に、私達はうすっぺらな希望らしきものを見られるかもしれない。
"労わり"はすれ違ってばかり。でもやはりそこに、人を救う、唯ひとつの大切なものがあるのだと、私達の胸が気付く。
ヘンリー役にエイドリアン・ブロディ。苦悩と無気力を演じさせたら一級の人。
そしてエリカ役はサミ・ゲイル。テレビがメインの活躍の場なのかあまり映画には出ていないけれど、センシティヴで素晴らしい演技を見せています。
当時は14か15歳くらいで、この娼婦役を演じたらしい。WOW。まさにワオです。
描かれるもの、映画そのものも、全てが不完全なのに、全てが素晴らしい映画。クライマックスが無いのに、涙が零れ、胸を力強く揺さぶられる映画。
どんな映画よりも衝撃力のある映画です。
そして、ラスト。「アッシャー家の崩壊」の朗読が胸にじわり焼き付き、痕を残します...