夏の空気がひそやかに秋の空気に入れ替わり、気付けば街も其処彼処にも、秋の香りが満ちています。
もうお彼岸ですね。お盆からあっと言う間なので、ちょっと面倒くさい。...ゴメンなさい。
萎えた体に鞭打って、お墓参りに行って参りました。
しかし、私、以前にも書きましたが、お墓参りに行くと体調を崩します。ここ数回は大丈夫だったので、安心していましたが、今回、久しぶりに体が重い…頭に鈍い痛みが響き、貧血のような目眩が襲います。
ううう...実は数日前から、ちょっと体がおかしくて、もしかしたら今回の不調もそのせいかもしれません。不思議と夜になると体が冷えて、がたがた震えるほどの寒さを感じてしまうんです。その上、圧し掛かるような疲れが出て、目が開かなくなり、頭がぼんやり、全身がぐったりしてしまいます。早々に毛布を引っ張り出して被り、居間で体を休めていますが、それでも足りないくらい寒い。
ある日は宙が回るほどの目眩がして、意識も混濁していたようで、記憶が曖昧なくらい。ちょっとおかしい。体から熱量が減退しているような気がしています。
ホルモンを服用しているせい?
怪我の為に動かなかったから筋力が減ってしまい、体に熱量を循環させられなくなっているのかも。
そんな時に更に"別なもの"を背負ってしまったようで、ちょっといろいろ挫けています。霊的な話ではありません...きっと違う...(/ω\)キャー
ただ、そんな合間、ちょっと晴れた日、体調もほのり回復したので、自転車に飛び乗り、思い切って出掛けてみました。
そうして見て来た彼岸花。
とっても素敵に咲いていました。“儚い”を全身で体現しているような繊細な花は、あまりに哀れで、心に染み渡ります。
赤に白に黄色、橙...彼岸花にもいろいろ有るんですよ♪
秋桜も再度、咲き始め。
先日TVでLGBTの特集をしていました。
その中では生活の上での困難や社会保障の無い現実について語られていましたが、どうも痒いところに届かない語りに、溜め息が積もりました。そして最後に番組は「LGBTを学校で教育すべき」との全員賛成で締め括りました。
...私、どうだろうと思います。
人は自分と違うものを”違う”としておきたい帰来があります。特にそれを粗暴に表現してしまうのは年齢が若いほど過剰になる気がしています。
この教育が行われた後、学校ではある遊びが行われるような気がして成りません。
それは「LGBT探し」です。
子供は「禁じられた遊び」のように、亡骸さえ遊び道具にしてしまうほど無垢に忌まわしいもの。そこに生まれるのは穢れ。そして嫉妬や悪意。
それを心で洗って行く。それが成長。
偏見なんて教育ではなくなりません!!
なら偏見はどうすれば無くなるのか?
語りまくって正直にひけらかして、後は心に期待する。それだけ。当たり前じゃないさ。無理な人は無理なのさ。分かる人は分かるのさ。
だからこそ観よう足掻きの映画を。
「おとなの恋の測り方」
弁護士事務所で働く女ディアーヌ。彼女は携帯電話をお店に忘れ帰宅する。すると掛かってきた電話「携帯電話を店に忘れたよ」「どうして追い掛けて渡してくれなかったの?」「改めて渡せば、君の気を引けるから」
そんな出会いをしたふたり。
ディアーヌとアレクサンドル。
彼は言う「僕は目立つから」初めてのランチで彼女は唖然とする。彼は身長が136cmだった。
さすがフランス映画。本当に台詞が素敵。面白いを通り越してお洒落でイカす。素敵過ぎて、逆に面白さに欠いている所も多々あるけれど、それでも独特なセンスが常に漂う。
映画は”偏見”を描いています。
初めは粋なラブコメタッチ。それが次第に偏見と言う要素に晒されて行きます。
それは主人公達の表情から徐々に笑顔を奪い、陰って行く。台詞には言い訳めいたものが増えて来る。そして幾度かの傾きを更に幾度も修正して、彼等は縁を続けて行くけれど、どうしても目を反らして来た現実が彼らを襲う。
中でも母の偏見はキツイ。ヒロインの母なものだから更に辛い。見ていて一番、辛いシーンでした。
ただ障害者の父がガツンとやってくれます。
この映画は偏見を糾弾しない。いや、抗ってみるけれど、諦める。そうなのだ。偏見など消えやしない。あからさまにして笑って、その先には人と人との付き合いが待っている。
...かもしれない。
アレクサンドルは自らを茶化し、微笑みを振り撒き続ける。案じる周囲を払い除け、飲み込んで行くくらいに。
しかし、アレクサンドルは息子の問いに答える。「辛いよ」と。
アレクサンドルに偏見を持たなかったのは、ルチオと息子さん。特にルチオは容赦しない。そんなルチオを楽しみに。可愛いから。(*>∀<*)。
ヒロインはヴィルジニー・エフィラ。すごく可愛いい。「アデル」のヴィルジニー・ルドワイヨンを思い出すキュートさに惚れます。彼女の身長は175cm。アレクサンドル役はジャン・デュジャルダン、オスカーを受賞した「アーティスト」の彼です。彼は182cm。
なんとデュジャルダンの方が背が高い。それを逆転させたのは意外と古いテクニック。合成と画格のテクニック。お陰でちょっと比較差が曖昧な箇所も多々見られますが、気にならないくらい映画が楽しい。更に余りあるほどテーマがいい。更に更に惚れ惚れするほど可愛らしく素敵なメローでした。
ラスト。映画は台詞を捨てます。そう。彼等には言葉は要らないのだ。語るからこそ、聞くからこそ、偏見は人を悩ませる。心のままに、想いに正直に。それが幸せの高低差を埋める。
まあ...ふたりはもう語り尽くし、触れ合い尽くし、醜さも間違いも、そして慕い想う心も交わして来たからね。:p
ふたりはそれでいい。何より彼等には労わる心がある。なら私達はどうやって偏見を取り除いて行けば良い?
残念ながら答えは描かれては居ない。
物語は”あなたの周りにいる人があなたの考える普通だと思うな。みんな何処かにマイノリティを抱えているのだから...”とか”障害は当事者では無く、それを忌む心に棲む”と語るかのよう。
そして一番の見所はアレクサンドルと息子の対話。全くアレクサンドルの問題を問題としないふたり。しかし、ある時、晒された現実の話をする。
もしあなたがこの息子の話を聞いて、彼の話の中の周囲の人達に人らしい暖かさを感じなかったならば、あなたは大丈夫。世界はめいっぱい、あなたのものです。
偏見は世界を狭める。狭めた人は、少しでも自分の世界を広げようと、他者を排除しようとする。しかしそれはより狭い世界に成って行くのに気付かない。
ディアーヌはたくさんの経験をする。それはお金や環境、体つきの違いじゃない。"アレクサンドル"だからなのです。
改めて。LGBTに対策なんて要らない。教育なんて要らない。LGBTはアレクサンドルのように自らで世界を闊歩する。偏見持ちの誰がしかより遥かに豊かで愛と労わりに満ちた世界で。
先日のTV番組では「人生に不都合を生じたか?」との質問を呼びかけていた。
結果、多くの人が「無い」と答えたけれど、数百人の人が「不都合があった」と言う。
誰が誰を愛するかや、ベッドの中での事がどうあなたの人生を遮ったのか?髪の長い男性、スカートを履く男性、荒々しく生きる女性...彼等がどうすればあなたの人生を阻むのか。
人生はあなたのものだ。周囲に何が在ろうとも、誰が居ようとも。
前回、書いたルパート・フレンド君。
私、生涯、彼の事は特別視してしまいそうです。ドラマ「ホームランド」で...観ていない方すみません...お亡くなりになってしまいました。
クイン、大好きだったから、もう涙が止め処無く溢れました。愛する人の為に、アメリカと言う国の為に命を駆けて人生を潰してしまった彼。ラストはものすごく無駄なほど時間をかけて描いて、その彼の僅かな人生の遺品を見届けました。
第6シーズン。瞬く間の壮絶な戦いの軌跡を見届けました。
そしてひとつの区切り。アメリカから始まったテロとの戦いは、中東やドイツを巡り、そして再びアメリカへ帰って来た。そして、ひとりの死で、大いなる陰謀の主は無敵ではないと悟ることだろう。
戦いに勝つのは、愛と労わりと、罪の意識を必死で払おうとする足掻く男の信念だった。
壮絶な長旅がひとつ終わりを迎えました。悲しくも哀れな男の話...受け継ぐのはもうひとりの哀れな女。
しかし。残念な事に、彼の功績が無に成る第7シーズンへの繋ぎは、また衝撃的でした。
心の苦痛に喘ぐ壮大な”今、そこにある危機”を描いたドラマですが、囚われる事間違い無しです。
戦争と言えば、プレイステーション4で挑んでいる「メタルギアソリッド5ファントムペイン」は少しずつ慣れて来たようで、進みが良くなって来ました。
荒野で子犬を拾い、更に仲間が調教してくれて、今や成犬ダイヤモンド・ドッグ、DDとして戦場に同行するように成りました。敵の気を引き付けてくれたり、時に私を助けてくれたり、ちょくちょくいつの間にか何処かに行っちゃったりしますが、愛らしい片目のわんこ。
ただ、DDを同行させると白馬を連れて行けないので、広い荒野を必死で歩いて行かなくては成らないと言う、苦行を行わなければ成らなくなりました。
そんな長歩きの旅の途中、突然に襲い掛かった狙撃手の脅威。そう、女狙撃手クワイエットです。感覚で操作が出来るようになった私には、そんな強敵も容易く撃破。基地に連れ帰ることが出来たので、もう少ししたら同行出来そうです。ふふふ。
その為に頑張っていたのだよ。
でも、実はクワイエットには秘密が有るので、これから様々なドラマを紡いでくれることでしょう。楽しみです。
目下、暗殺指令以外、戦場で人を殺めること無い日々を送っております。こんなにのめり込んだ作品はそう有りません。
先日、「ラスト・フェイス」と言う映画を観ました。
時は今。国境無き医師団に所属し、アフリカで医療に携わる男。彼はその現状に心折れそうに成っていました。それでも使命感とささやかな笑顔を糧に命を懸けてまで治療を続けています。
そんな中、資金集めなど表舞台で活躍する女医が隊に合流する。そしてその行く先でも人は血を流し、命を落して行く。2人は極限の中で安らぎを求めるように愛の言葉を交わし、心を近付けて行きます。
しかしアフリカの現状は更に厳しさを増し、彼等の意志や愛は、挫けて行く。
とても素晴らしい映画!(*゚▽゚ノノ゙☆*。
一見地味な作品です。かつてアンジェリーナ・ジョリー主演で綴られた「すべては愛のために」でも同じテーマを扱っていて、あちらの方が遥かにエンタ性が高いので、観易い。しかし、あちらは自画自賛。こちらは自分達の存在意義にさえ悩む医師たちの骨太な物語。
描かれる繊細な出来事と決断の数々は、あまりに豊かであり鮮烈です。淡々と描かれる、言葉を失うような惨状の数々...その中に見るささやかな安らぎと平穏。その合間に交わされるたくさんの言葉。いくつもの心を揺らすような言葉が投げ掛けられる。
育まれた愛に浮かれる女医に現地スタッフが零した言葉「君が覚悟を決めたなら、ここから放れられない」、彼女の想いを揺るがし始めます。
彼等はたくさんの希望と期待と、未来予想図を抱いている。それがアフリカで尽く挫かされて行く。
どうすればいいのか?どうすることが正しいのか?
分からなくなって行く。
その中で彼らに笑顔を生ませるのは、子供の笑顔や人々の期待や喜び...そしてささやかに育まれる心の絆。
逃れられないこと。そして逃げてしまうこと。そのどちらも褒められず、責められない。ただ、出来るのにしないことには誰もが憤る。
どれだけ助けても失われて行く命がある。それを止められないことは彼等、そして私達の何かを壊して行く。
「すべては愛のために」を遥かに凌駕する素晴らしい語りは、心に響きます。医師の嘆きと、それを超えた不条理を全て見せ付けられます。
人は何故、暴力に走ってしまうのか?そしてこの映画は人は何故、無駄と知りながら人を救おうとするのか...を描きます。
主演はシャーリズ・セロン。私の好きな女優です。意志を持ちながら、挫ける自分を支えられず苦しみ続ける女医を演じています。共演はハビエル・バルデム。「007スカイフォール」で悪役を演じ、ペネロペ・クルスのご主人としても有名ですね。
彼はひとり失う度にひとり救おうとするかのようにアフリカに囚われ、医療に従じる医師を演じています。
二人とも、とても説得力のある演技で私達の心を掴んできます。彼等の目線は何を見据えているのか。そして何から目を反らし、何から目を反らせなくなってしまうのか。その行方は物悲しくも力強く私達の心を揺さぶります。
私はじわ~っと胸に湧く感情に堪え切れず、涙が零れ落ちました。
煽るような演出はしません。じっくり私達の頬に手を添えて、この呟きます。「見て。あなたの世界で起こっていることよ」と。
何より。ふたりの愛のシーンがあまりに美しく、全ての悲劇を洗い流すほどの幸せを感じさせます。少しだけ地に足が着いていない感じはするけれど、美しい光に包まれたふたりの解き放たれた無防備のからだは、更に人の美しさを際立たせる。
人は美しい。強さなんて要らない。連ね束ねるその豪腕さなど、その美しさには敵わない。
そしてひとつ気に成ったのは、作曲家ハンス・ジマーの復活を実感したこと。
かつて「戦火の勇気」など、主に戦争映画で最高の高揚音楽を奏でさせてきた彼が、「恋愛小説家」以来、どうも歌選びが中心に成っていて、才能を無駄にしているなあ...と思っていたから。
知ったかです。最近、どんな作品を担っていたかはよく知らないので決め付けちゃいけないけれど、今作の音楽はしびれた。
歌は多い。アフリカの情感溢れる歌から豊かなポップな歌まで流れ込んで来る。
でもそんな歌も素晴らしいスコアもこの映画の描く力には全く及ばない。
この映画は戦争映画です。意義ある戦争映画とは、逞しくあらぶる戦士を崇めた国家掲揚の為のものじゃない。
この映画を観ていると、私、特殊部隊もののゲームなんてやっていていいのかなあ...って悩んでしまいました。
戦いの中で私は私なりのドラマを紡いで引き金を引きます。涙を流しながら...
最後に。
更に失踪?
国家内の策謀によって晒し者にされ、監禁されているとか国外逃亡したなんて噂も耳にします。
私はあまりファンさんにシンパシーやファンとしての愛を感じたことは有りませんでしたが、それでもやっぱり綺麗な人ですし、羨望の目では見ていました。
同じように、たくさんの人が彼女に夢を託していたことでしょう。例え脱税が本当で裁かれるのだとして、作為が有ったのなら、罪は正されるべきでしょう。それによってたくさんの芸術作品が錆びて行く事が悲しくてなりません。ファンさんを含め、儲け主義の映画業界の人達は心を改めるべきです。
しかし。ファンさんがやり玉にあげられたのは、政治策謀のせいかもしれない?
釈迦の掌で国民を手玉にしていると思う政治家の人達よ、ファンをなめるな!中国国民をなめるな!
...この"ファン"はビンビンの事では無くて...分かる?(;A´▽`A)。
それに芸術に国は係わるべきじゃない。近頃の政治的プロパガンダを込めた無数の中国映画はどれだけエンターテインメントの殻に覆われていても、見ればわかる。その異様さを。特定の民族を揶揄し、政治と我が民族の勝利を美徳とする。そんな映画が無数に作られてる。
更にチャイナ・ドリームと銘打たれた世界進出でも、無数の歪めた我が徳をひけらかし、ばらまいている。
中国映画には私の心の映画が多くある。等身大の中国に住む人を描いた名作をたくさん挙げられる。でも近頃は...記憶にも残らない。
中国の映画界の話が有ります。
「ラスト・コーション」と言う映画に纏わる話。この映画は太平洋戦争時に日本軍の将校の愛人となり、二重スパイを生業とした実在の女性を描いたもの。
独特なエロティシズムと緊張感、そして民族を越えた心を描いた佳作だと思います。
しかし中国と言う国にとってはこの実在の人物は忌まわしい存在。故にこの映画の監督と主演女優さんは国外追放処分に成ったそうです。
映画とは...私達の最後のフロンティアであり表現の自由を守られた不可侵な場所では無いのかと、憤るばかりです。
ファンさんが、良いかたちで表現の場に戻れる事を祈ります。
悪い時はちょっと続くもので、祖母が3番目の肋骨骨折。"現在"とは。をもっと噛み締めて生きろよ...と誰かに言われて居るような気がします。