私達は真実に向き合って、幸せを知るのかな... | まりのブログ

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性同一性障害者の私が、思いのままに生きるために頑張って生きてます。
性別適合手術をしてから2年になりました。
私はトランスジェンダーとして誇りを持って生きてます

今年は暑いせいで蚊が少ないのだそうです。蚊に弱い私は嬉しいです。代わりになんと無くスズメと蝉が多いように思います。家の周りでは、毎朝、スズメが大合唱。近所の公園では生け垣が蝉の脱け殻だらけになっていました。
生命は温かいと繁殖が盛んになり、更に生き残り易いのかしら?!Σ( ̄□ ̄;)❤蚊は例外。
英国の男性に、私が「蝉が朝から鳴いてる。お祭りかしら?」と言ったら「蝉って?」と返されました。
写真を見せたら分かって貰えましたが、英国ってあまり蝉が居ないのかな?そう言えばフランス、パリもそれほど多くは無いように聞いたような気がします。
今年はどうだったでしょう。
今週は親友アンナがちょっと...いえ、ひどく体調を崩してしまって、気が気でない日々を過ごしていました。ひとまず大丈夫そうなので、ほっとしています。
彼女、私が出会った頃、緊急搬送されるなんて事を頻繁にしていたそうで、私との出会いが少しくらいは人生の楽しみを増す事になっていたらと、いつも強く願うばかりでした。彼女は私より大変な苦労を背負って生きているんだもの、誰よりも幸せに成って貰わなきゃいけないの。
今は逆に愛姪の姿と報せに、私こそが人生の楽しみを増し増しにさせていただいています。大好きなアンナ。今日の私が有るのはあなたのお陰です。

これ、送りました。慌てて4時間くらいで描いたので手抜きばかりなのですが、喜んでくれたので良しとします。えへへ。
これくらい。私の絵と技術の限界。
3月にゾーイの為に描いた時より、ソフトの操作がさっぱり思い出せず苦労したのですが、その割には悪くない出来かなあ...なんてちょっとだけ過信しています。
...ちょっとくらい勉強しないと駄目ね。見よう見真似なので。
最近、特に感じる体の変化の中で、気に成ったものがあります。それは音に過剰に敏感に。
よく聞こえる...とかでは無く、紙を切る音に非常に弱い。更にジャガイモを皮剥きでシャ~っと剥くあの僅かな音に身悶えしています。
子供の頃は黒板を引っ掻く音にもぞぞっとした記憶の無い私ですが、きっと今は駄目です。
先日なんてコンビニおむすびのパッケージを開けていてその僅かな音に、悲鳴をあげました。
こんな変化は...意外と面白い(~▽~@)♪...変態です。
これって女性特有?(*_*;


夏なのに海にもプールにも行けない手術傷未治癒の私は、買い物くらいしか楽しめず、また服を買ってしまいました。10着も!
衣装ケース10個+4段引き出しと横広2段引き出しが全部服。更に衣文掛けひとつ使ってる。正直、毎年、幾つか出し忘れるほど服が有る。なのに…
映画「ゴーストバスターズ」のベンクマン博士いわく
「形有るもの皆壊れる」
ベンクマンらゴーストバスターズがホテルを破壊しまくってから言う言い訳ですが、教訓たっぷりの私の好きな名言です。だから「物は買い過ぎても損はしない」と超訳して納得しています。それでもね...(;^ω^)ナハハ

前回、体重が最終的に500g増しで安定していたのですが、ちよっと気に成ったのでバストサイズを計ってみたところ、2cm復活。
ほっとしました。
しかし、そんな低級な私が全く関われない世界。
"ミスインターナショナルクイーン2018"をようやくちゃんと観る事が出来ました。
ミスインターナショナルクイーンとは、全世界からトランスジェンダーが集い、その美貌と鍛えられた女っぷり、そして教養と意識を競う大会です。
ミス・ユニバースのトランスジェンダー版ですね。
今年のテーマは”True Identity”。どう例年と差をつけるのだろうと思っていましたが、何度も言葉で伝える機会を作り、意志力を表現させたこと。そして、あくまで”トランスジェンダー”で在ることを選抜の段階から重要視したように思いました。
だから、如何にも「女性にしか見えない」と言う方は居なく、男性的特徴や雰囲気を残した方しか居なかったと思いました。お陰で、舞台裏にいた時は確実な照明と化粧で無敵なほどに女性的雰囲気を見せ付けていても、紹介VTRや繊細な照明が顔に陰を作ると、途端に男性的特徴を見せてしまう方が殆どでした。
それでいいんです。
私達はあくまでトランスジェンダー。女でありながら、永遠にトランスジェンダーなのです。自然の摂理を超え、心と言うかたちを重んじた、新たなる価値観に生きようと決意した新世代。"ノヴァ"なのです。
ちょっとね。映画「猿の惑星、聖戦記」で、言葉が話せない心優しき少女に与えられる新しい種族名が、何と無く私達にそぐうように感じました。
“ノヴァ”。”新しき生まれしもの”。
さて。今回のミスインターナショナルクイーンは、彩りに満ちていましたが、遊び心に欠けた形式ばった催しに感じました。タイのダンサーによるショーばかりに時間を取り、流れに欠け、個に重きを置かず、落選した子へのスポットライトがあまりに少なかった。お陰で鉄板のように前振りされていたブラジル代表の子さえ、記憶に残らなかったくらいでした。

ちょっと気に成ったのはトルコ代表の子。わざわざドレスで出て来たのに、手にした国旗で体を隠してしまうので、思わず案じてしまいました。
もしかするとトルコはトランスジェンダーに対しての偏見が強く、彼女は「私はトルコ代表よ!ここに居るわ!!」と主張したかったのかもしれません。
トルコって地方などでは女性の扱いがあまりに酷く、親族ですら人身売買のように売ったり強制結婚させたりするんです。あれだけ"開かれた数少ないムスリムの国"と親しみを見せても、やはりまだ人権など尊ばれていない地域も有るんですよね。当然、ムスリムの多くはそうで、映画「パトリオット・デイ」でもムスリムの男性と結婚した女性が「私は夫の所有物」のように言うシーンが有ります。ミスインターナショナルクイーンでも、以前エジプト代表の子が「私の国のあまりに酷い状態をあなたたちは知らない」と涙ながらに訴え、胸を痛めていたのを思い出します。
日本でも最近、女性に対しての平等とは思えない区別が露になりましたね。当然、女性でさえそうならば、トランスジェンダーなんて平等に扱われるはずはない。だからこそ、私達には"トランスジェンダー"である必要があるのかもしれない。その強さを見せ付けるべきなのかもしれない。見上げ、誉れ、憧れるような立ち振る舞いを見せ付けなければ成らない。それが今回のミスインターナショナルクイーンなんだ。きっと。

ミスインターナショナルクイーンは本当に素敵に満ちています。誰もが煌めきに満ちていましたが、私はその中の誰よりも、オーストラリア代表のジャクリーンを応援していました。彼女、本当に綺麗。美貌は勿論、スタイルも本当に素敵だった。何より目を見張ったのは、その、かたち。彼女、多分...あくまで多分、整形してない。胸はまさに私やアリシアのようでした。:p
やはり、その体の細さこそ驚愕なしろものでしたが、ふと見える男性遺伝子の名残。それがまた愛おしい。殆どそうは見えないくらいトゥルー・ビューティでしたけれどね。
次点はやはりタイ代表。最も女性的な雰囲気を醸していました。所作も立ち振舞いも綺麗で優雅でした。
他に、民族性を感じさせるモンゴル代表、そしてマカオ代表も中国的風貌と魅力を振り撒いていました。個人的にはトランスし始めみたいな初々しい可愛いげのあった、インド代表が好みでした。:p
ブラジル代表は本命視されていただけに確かに綺麗。ダイナミックで華麗、しかしちょっと彫像的で、今回のトゥルー・アイデンティティには違えているように思えました。
やはりオーストラリア代表です。もう、目が放せませんでした。スピーチも素敵で、多く、妥当な言を放つ中、彼女の「ここに居るみんなを誘い、手を取り合う」旨の思いは、正直、トランスジェンダーの為に、今、最も必要な第一歩だと感じました。
絶対、クイーンに成るべき子だったのよ。
結果は第二位。タイ代表が三位。
クイーンはベトナム代表の子でした。

私には全く関わることの無い世界。華やかできらびやか。
更に先日、ある番組の新宿2丁目特集を観て、そこにも私との違和を感じてしまいました。
あれ?私は何処に居るのかしら?
居場所が無く、ふわりふわりと漂う私。
ちょっと胸に隙間が出来たので、映画を観ます。
こんな時は「インティマシー、親密」でも観ましょかね。
この映画はいつ観ても、私の心を掻き乱すのです。
刹那の不倫に溺れる女。相手の男性のことは全く知らない。ただ日々の中で幾度と無く繰り返される刹那の情事。
彼女は日々の生活の中で、何かを見失い、何かを追い求め、しかし得られない充実を”不倫”から生まれるもので埋めている。彼女の生活はただ日々を重ねるだけではなく、少しずつ形が変わっている。
そんなある日、彼女は不倫相手の後をつけてしまう...

この映画、淡々と繰り広げられる地味な映画なのですが、ちょっと小太りで地味なケリー・フォックスが本当に素敵なのです。素敵は言いすぎ?可愛らしいのです。
特に尾行のシーンは必見で、音楽演出を含め、視点が見事で、緊張感が半端じゃない。スパイアクションのような映像と高揚感、更に煽る音楽が堪りません。
ですが、その後に起こるある出来事が、転じて衝撃的でした。息が詰まり、作品の全てが虚無に囚われる。何もかもが崩れ去る瞬間。
本当に些細なこと。それが彼女の胸に湧き出し溢れようとしていた計り知れない感情や理想の全てを、瞬く間に洗い流してしまう。ある意味、ホラーより怖かった。
気付く。思い出す。そうして思い起こす”恐れ”は驚異的なもの。
彼女は”不倫”を考え始める。自分に必要なものなのか。かつて、そこにはきっと”希望”が有った。彼女は家庭に持てなくなった未来への期待をそこに見ていた。
彼女はそれを自らに問い始める。夫にも、不倫相手にも。しかし、その答えは何処にも無かった。
彼女は、どうしたのか。
多く、西洋社会での結論は決まっている。倫理観に基づいて選択することになる。でもその倫理観って息苦しいんでしょうね。当然、私達も倫理に基づいた終局に安心する。
でも記憶に残った"不倫のいとま"と言うものは、あまりに神々しく、麗しい。
...この映画では体を合わせるふたりの姿を決して美しくは描いていません。それだけで無く、刹那過ぎて、どうも幸せなのか、充実を感じているのかすら分かり辛い。
しかし確実に彼女の心を支え、そしてあの尾行の刻に感じる高揚は何にも代えがたいと感じられる筈。
なら、どうすれば人生を倫理の器から逸脱する事無く、至福に満ちた日々にする事が出来るのか。
残念ながら、それは、きっと誰にも分からない。

重そうな映画のように描いちゃった。でも、普通のドラマ映画です。
傑作とは思いませんが、私の心に強く残った映画です。

この写真を見て。
本当に素敵。私の好きなひと、ジュリアン・ハフ。
マチュピチュで撮られた一枚です。
彼女の怠らない努力と情熱はアーティストの鏡だと思います。見てくれだけ形作って、自信だけで身繕いしたような美人とは違う。人間の芯から太く力強い。それがジュリアン・ハフ。
最近はミュージカルに全力投球ですが、当然、ご主人とも交友関係も充実、本当に人生の理想は彼女の周りに有ると言ってもいいくらい、素敵に満ちています。
はあ...もう...焦がれるばかり。
そんな彼女がまだ少し青かった頃の映画が有ります。「セイフ・ヘイヴン」。
ある日、息を切って住宅地を走り抜けるひとりの女。彼女はそのまま高速バスで街を去ります。
彼女はバスがふと寄ったとある湖畔の町に降り立ち、ひっそりと身を寄せます。そこには雑貨屋の子連れの男性が居て、彼女は距離を置こうとしますが、次第に心を通わせて行きます。
しかし、彼女には街を離れた理由が有り…

原作はニコラス・スパークス。「きみに読む物語」や「メッセージ・イン・ア・ボトル」も彼の作品です。
ああ...あれね。ベタなロマンスでしょ。と思うでしょうが、「セイフ・ヘイヴン」はちょっと違います。
多くの映画紹介にはジャンルとしてロマンスと共にスリラーと書かれるほど緊張感もあり、スリリングのシーンは怖めに描かれています。故に主人公ケイティが人との交流が深まることを躊躇ったり、つい、気強く振舞ってしまうところにも説得力が有ります。
しかし、この田舎町は何しろ温かい。アメリカには珍しいほど余所者を受け入れ、気遣いもしてくれる。まあ、ジュリアン・ハフだもの、可愛いから仕方が無いか...と思うのを超えて、素直に受け入れられて行く。
そしてこの物語にミソとして存在するお隣さんが居ます。好奇心剥き出しですが、その距離感を作り出すのが上手くて、ついケイティも突き放せなくなる。
おせっかいなアレックスもそう。気強く振舞う故にした誤解がふたりを近付けて行く。そして。
秘密。
この映画には幾つもの小さな秘密が隠されています。言ってもいい事くらいだけれど、言わなかったから、言ったら今の時間が形を変えてしまうかもしれない。そう思うと言えなくなる。それがまた小さな誤解を生み、誤解を乗り越える度に、またふたりは心を寄せていきます。
「喧嘩するほど仲がいい」と言いたくなるほど、小さな喧嘩をして、仲直りして進んで行く繋がり。これはニコラス・スパークスの真骨頂。

まあ、所詮はロマンス映画。あまり考えず、男と女が理解し愛を育んで行く姿を見届けてあげればいいのです。
アレックスの娘も可愛くて、そしてお隣さんの秘密も潤いをくれます。
残念なのはラスト。理由はあれ、状況もあれ、ある意味、暴力が勝ってしまうラストは私としてはがっかりでした。

“きみの秘密を知ったとき、ふたりの今日が始まる”
これは宣伝文句ですが、人が人と結ばれると言う事は、結局はこう言うことなのだ。
私の秘密を受け入れられる人が、私の傍らに寄り添う人なのです。
ジュリアン・ハフのような素敵な人生を送ってみたい。
信頼と愛に満ちた繋がりが欲しい。
共演はジョッシュ・デュアメル。
「トランスフォーマー」等でも活躍する俳優さんです。正直、好みではないのですが、何と無く気になる俳優さんです。結構、Blu-ray持ってる。好きなのかも?:p

ついでに、もしニコラス・スパークスにシンパシーを感じたなら「一枚のめぐり逢い」をぜひ。
ローガンは、湾岸戦争の最中、ある一枚の写真を拾おうとした時、背後で爆発が。彼は命を取り止めます。彼は戦友が命を落とす中、まるで幸運に導かれるように生還します。
帰国後、故郷に身を寄せる彼でしたがPTSDに心押し潰される日々。彼は一念発起し、あの写真を返そうと旅立ちます。
辿り着いた先は犬のトレーニングや預かりをする私設施設。そこには写真の持ち主の姉であるべスが母と息子と暮らしていました。
彼は写真の事を言えず、そのまま雇われる事に成り、田舎ならではの事情に揉まれながらもふたりは信頼を深めていく...

「セイフヘイヴン」に比べ、余所者に厳しいアメリカの一面を見せられます。まあ、街ごとでは無いので平穏では有りますが、初めはべスでさえローガンを毛嫌いします。
ニコラス・スパークスはアメリカの暗部を背景にする事が多いです。湾岸戦争やドメスティックバイオレンス、貧富の差、都会と田舎、コミュニティーなどです。
今作も同様。幾つかの作品ではちょっと描き方がどぎつく、今作の田舎街の有力者の息子による横暴な態度は如何にも悪役然としていて怖いくらい。ですが、故の閉めに繋がるので悲壮なオチは案じなくても大丈夫です。
話はコミュニケーションに難のあるべスの息子を中心に、心に隙間を抱えた者達の寄り添いと支え合いを描いていきます。
子供が出る作品は多く、甘い展開に成り勝ちですし、ご都合に成り勝ちでも有りますが...この作品でも例に違わず。私は初見、それに呆れてあまり好感を持たなかったのですが、心の距離に時間を掛けているせいか、彼等の複雑な思いや優しさが私の心に痕を残していて、今や大好きな映画の代表です。:p
べス役のテイラー・シリングは可憐で、素敵です。カントリースタイルもドレスもよく似合い、肢体もすごく綺麗。焦がれます。
対するローガン役のザック・エフロンはアイドル出身とは思えない"雰囲気"を魅せて、とても良いです。
監督は「シャイン」のスコット・ヒックス。美しく繊細な映像美に定評のある彼。確かに黄金色に煌めく紅葉は、目映いほどに美しい。それが割合、凡庸?な物語を彩り豊かに記憶に残します。