愛する想いをビタミンに | まりのブログ

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性同一性障害者の私が、思いのままに生きるために頑張って生きてます。
性別適合手術をしてから2年になりました。
私はトランスジェンダーとして誇りを持って生きてます

つい、書き初めが「暑いね~」になってしまうほど、毎日、暑いです。台風もとうとう来ました。千葉は殆ど被害は無かったのですが、ここ数日、ちょっと私ごとですが、ホルモンバランスが崩れて言いようの無い不調に押し潰されていました。
だるいのね。すっごく。直ぐに眠たくなるし、何をするにも活力に欠いてしまいます。でも不思議と食欲だけは有るので、滋養にもなるし、食べられる時に食べておこうと頑張って食べていたら、1キロリバウンドしちゃった。あはは。
でも不思議なのは、昨晩、ピザを食べたのですが、500g減りました。ピザは痩せる。
もとい。早く始まった本格夏に重なったダイエットが厳しかったのかなあ。でも”太く短い人生”を目指そうと心がけているので「これも人生」と不調さえも楽しんでいます。
でもダイエットは止められないね。ダイエット前にはぴっちりだった細めのジーンズがゆるゆるに成りました。脚がジーンズの筒の中をするする動きます。結構、脚って細くなるものですね。劇的には減らないけれど確実に細くなってる。...まあ、胸だって3cmも減るのだから。!Σ( ̄□ ̄;)。
もう少し...痩せたいなあ。痩せた後の事を期待して小さめの服を幾つか買ってしまったからなのよね。
それもこれもアリシアのせいよ。あの筋肉ぴちぴちの体を見せ付けてくれるんだもの。美しい肢体をね。ふふふ。
映画「トゥームレイダー、ファーストミッション」を4K-HD-Blu-rayで観ました。言わずと知れた、アリシア・ヴィキャンデル主演の血湧き肉踊る痛快アドベンチャー映画です。
あああ...期待し捲くっちゃいながらも日本の宣伝の酷さに目を眩まされて、劇場までは観に行かなかった今作。発売日に贅沢4K視聴しちゃいました。
感想は...面白かったぁ~。私、初期の同名原作ゲームをプレイしていたのだけれど、どうもアンジェリーナ・ジョリーのイメージと被らなかったのよ。今回の映画化の際には、動画を観てアリシアと知らず「イメージぴったり」ってわくわくしていたものでした。だから、それがアリシアだと知ってしまったら、それだけで大満足必至なの。
でも、そんな贔屓をしなくても、充分、面白かったです。そうは言え誰もが気にしてしまうのは、やはり前2作アンジェリーナ・ジョリーの「トゥームレイダー」と比べてしまうところでしょうが、今作はもう少し等身大の冒険活劇なので、無敵超人ララ・クロフトだった前作は忘れましょう。そうすればきっと思ったより楽しめる筈です。
これはひとりの”少女”の物語なのですから。
アクションはテクノロジーやワイヤーワークを使ったようなものでは無く、脚と体を使って繰り為すスタントアクションがメイン。お陰で、決してアクション俳優ではないアリシア、ちょっとどんくさく見えるかも。でも故に追い立てられ叩き付けられ殴り飛ばされて、もう、怪我やら打ち身やら痛々しい。目を背けたくなる時も多かったです。でも、鍛えた腹筋や背筋がちらほら見える度、輝く瞳で凝視力満々、必要以上に興奮する私でした。ヾ(๑´=∀=)ノキャッ
話は、卑弥呼の秘めた力の秘密を暴こうとするララ・クロフトの父リチャードは、7年前に行方不明に成ってしまっていました。
ある日、遺品から父の知られざる秘密を解き放ってしまったララは、その手掛かりから父の行方を負う旅に出る。手掛かりは香港。そして日本へ。
そこに待ち受けるは謎の組織トリニティ。そして暴かれる卑弥呼の秘密とは?

生きているとは思えなかった父の生存の足がかり、歴史に裏付けられた伝説の欠片探し、謎の島、謎の組織...久しぶりに冒険映画の醍醐味を観た気がします。
最近のこの手の映画は派手な映像と仕掛けの中をただ進むべき方向へ進んでいたら次から次へとイベントが発生するような安直なものが多かった。「インディ・ジョーンズ、クリスタルスカルの王国」や「ザ・レガシー」「センター・オブ・ジ・アース」「ナショナル・トレジャー」、そして以前の「トゥームレイダー」がまさにそうでした。見せ場は世界各地の都市風景か観光遺産。
今作も目的地移動こそシンプルながら、基本は創作の島が舞台。でも、卑弥呼に纏わる未知や墓所の謎解き、父とのドラマ、更に日本と言う歴史的浪漫が織り込まれて物語で見せようとしている。これがなかなか成功していて、良い雰囲気を醸しています。まるでかつて冒険の興奮に心奮わせた「レイダース、失われた聖櫃」や「最後の聖戦」のよう。
それに、卑弥呼の謎は日本人としてはその扱いにほっとさせられるかも。良い話でした。
伝説は真実を元に語り継がれる。多くは、おぞましき衝撃の真実を暴き出す。しかしこの作品では伝説の向こうに臆された意外な真実を解き明かす。
あえて煽らず、私達の心に温かい"人の心"を忍ばせます。きっと。さぞや日本人なら。

今回のララは無敵ではない。人を殺した事も無い。ナイフに尻込みさえする。そんな彼女が始めて人を殺めてしまった時の嘆き、そして戦いの中で振り切ったような目つき、それをきちんと描いてくれた事が嬉しかった。
アメリカの映画は人を殺し過ぎる。アクション映画だからって、ホラーだって人の死に必然なんて有りはしない。
今回のララは本当に弱い。筋肉の見た目は充分でも初っ端から格闘技で負けちゃうくらい。身のこなし意外、弱いなんてものじゃない。心まで弱い。嘆くし泣くし、でもやる時はやる。父の為に。友の為に。たくさんの弱者の為に...ララは武器を手にする。とても感情的なのです。
アクションはものすごかったです。合成も有りますが、実物との合わせが上手い。当然、アリシアのスタントも、アリシアだもん、多くは自ら挑んだろうね。まあ、さすがに大部分はスタントマンでしょうけれど岩場や木々の中を器用に走り回るので、危なっかしくて必要以上にドキドキしました。悪役の傭兵さん達も"らしい風格"があるので、危機感も緊張感も途絶えません。
アリシアのララは殺戮兵器では無いので、敵と見れば手にかけたりしません。状況を見て行動選択し、敵を交わしたり身を潜めたりして、映画のアクションを多様に魅せ、単純にしません。
私、一時期「コール・オブ・デューティ」と言う特殊部隊ものゲームをしていた事が有って、その際に主人公が身を伏せて敵をやり過ごしたり草むらをこそこそと見付からないように移動したりするシーンが多かったのを思い出しました。“リアル”とは血生臭さより、人の意思が見えることだと思い知りました。ゲームもそうでした。正直、人を撃つゲームなので、初めてプレイした時は心が折れて直ぐに止めてしまったのですが、ドラマシーンで描かれた家族の物語が気に成って再戦、そんなこそこそ移動シーンとか犬を同行させたりするのが楽しくて、クリアまで頑張っちゃいました。
もとい。映画はこそこそアクションばかりでは有りません。銃撃戦もそれなりに、床が抜ける仕掛けや谷をジャンプしたり壊れる飛行機の羽根をジャンプしたり...あれ?全体的にジャンプが多かった。正直「また?」とちょっとだけ冷めた時も…
後半は石を不規則に積み上げた和製ピラミッドの中ばかりなので、映像も暗いし、地味に感じました。その中を走るので、4Kでも目が疲れる。
物足りなさは否めません。もっともっと観たかったのよね。アクションだけじゃない。どうせならあと30分増やして旅立ちまでのドラマをもっと描いて欲しかったです。友達とのエピソード。ララの私生活。狐狩りと称した自転車レースも二倍は見たかったです。
何しろアリシアの可愛らしい表情がいっぱいなんだもの。もっともっとよ。

アリシアって自分を消費するタイプだと思うんですよね。撮影で怪我をしても「この仕事は、こうなる事を覚悟した仕事でしょ。仕方が無いわ」って言っちゃいそう。
常にケ・セラ・セラで「人生は成るように成るものよ」と楽観を抱えて生きてる。そんな感じに見える。
私の生き方そのものです。私は嘆くけど。泣くけど。引き摺るけれど。明日より今日を見つめて味わって生きたい。:p
新生「トゥームレイダー」は余計なシーンを極力削ぎ落とした事で、常に前を見て生きるアリシアならではのララ・クロフトに形作られたように思えました。
何より。アリシアの腹筋と背筋が美しひ。アリシアいわくの「ささやかな胸を寄せてあげた」"それ"も、自分のささやかな胸と見比べながらほくそ笑む私でした。(///∇///)ボッ
双子トマト。実がくっついてます。
ストレッチ中。アリシアに負けないぞ。


先日、買い物に出掛けました。あまりに暑くて、信号待ちやちょっとした合間に日陰に逃げ込みながらゆっくりと自転車を巡らしました。
するとある国道の端で、どちらから帰ろうかと悩みながら日陰で休んでいると、坂の下から老齢の女性が上って来ました。女性は私と目が合っても表情ひとつ変えなかったのですが、私の前を通り過ぎ、ふと気付けば私の傍らに寄り添うかのように日陰に身を休めていました。
私はそっと微笑みかけると、女性は「暑いね~」と笑顔で声をかけてきました。「そうですね」と応えると、女性は隣人が気ままに世間話を始めるように、自然と話しかけてきました。
彼女は数百メートル先のドンキホーテに蕎麦殻を買いに行って枕を作ること、テレビで綿の枕は体に悪いと知らされたことを、如何にもな井戸端会議のように話を盛り上げてきました。私はちょっとばかり気負いながらも、そんな何気無い会話が嬉しくて、時間を忘れて話を楽しみました。
しかし暑い中を移動すれば、喉は弱り、私の声は調整をし忘れたリュートのよう。次第に発言も頷きも変な調子に...
そんな時、女性は息子さんの話をして来ました。独り身で、いろいろと出来ないことばかり、母親が面倒を見てあげなければまともな生活も維持出来ない。そんな母親の呆れと嘆きを零します。
すると、話が次第にゆるりと傾き始め、柔いオブラードに包まれながら、次第に私は息子さんのめがねに適うか探られているよう。今にもお見合い写真を出しそうなくらい。なはははは。笑って誤魔化しちゃった。そんな出会いも縁と言うもの。人生とは何が起こるかわからない。
私が低音で笑ったせいか、私の乗り気の甘さを察したのか、彼女とはさらりと別れ、胸に用意した盛られぬままの空の器をし舞い込んで家路に就きました。

私、にっこにっこしてるからね。なんだか人当たりは悪くないみたい。ちょっとほっとしちゃった。


運転免許証無くしちゃった~。
げっそりです。ゴールドを1年で無くしてしまった。
落したのかなあ...さっぱり分かりません。しかしいつ無くしたのか、何処で無くしたのか、何処に置き忘れた可能性があるのかさえ見当もつきません。
さすがに落胆しました。昔からよく物をなくすんですよね。それもさっぱり出てこない。
あああ...きっと中国の方の元に渡って写真すげ替えられて、私がふたり居ることに成っていたりして。
...それもなんか面白いね(*_*;ソウカ~?
みんみん蝉が...止まるものなんですね
残っていたさつま芋に水をあげてみました。今は蔓が3倍くらいに伸びてます。


再度、映画のはなし。
先週からマティアス・スーナールツ、マリオン・コティヤールの「君と歩く世界」を囚われたように観ていますが、そのマティアスの映画は殆ど好きなのですが、その中でもある作品が素晴らしく、何より、その作品が私の心に強く役者マティアス・スーナールツを住まわせる切っ掛けとなりました。
それは「フランス組曲」と言う映画です。
ナチスドイツがフランスに侵攻。フランスは目立った抵抗をする事も出来ずにいました。ルシールの住む田舎町も瞬く間に支配されてしまいます。
媚びを売る者、静かに目立たぬよう平静を装う者、そして抵抗する者… 
ルシールは行方不明の夫の母と静かに暮らしていました。そこに身を置くドイツ軍将校ブルーノ。ルシールは彼を忌まわしいもののように毛嫌いしますが、彼はあまりに戦争にはにつかわない人。
ふたりの心を紐解いたのは彼の書いた「フランス組曲」。更に夫の不義を知ったルシールは、彼との距離を縮めて行く。
しばらくは穏やかな時間が過ぎて行く。しかし、無数の思惑が錯綜し、ささやかな平穏は崩されて行く…

私は数多くの戦争映画を観ましたが、この映画はそのどれよりも心惹かれました。複雑な戦争と言う状況の中で、人は時に感じなくても良い憎しみを携え、時に敵味方を越えて尊び、愛した筈。多くは悲劇だったろうけれど、それでも、確かに紡がれたろう、縁の物語。それを目の当たりにする。
ふたりの縁を強める切っ掛けに「フランス組曲」が有る。戦争の中で戦争を忘れる憩いのような共感。それをそう容易くは育んではいけない立場がある。でも、生まれてしまった光のような感情を、ひっそりと時に大胆に、見られないように知られないように、密やかに...胸の内で、言葉で、温もりで、瞳で...繋がる。
なんて甘美か。残念ながらこの想いは愛に成らない。それどころかたくさんの涙に濡れる。その雫は希望と期待の痕を残しながら、語り継がれる事に成る。
実話なのです。
もう、読後の余韻が素晴らしい。切なくて私の女心は振り回され弾かれて叩きつけられる。柔い藁の上に、ほだされて、ぐっと包み込まれる感じ。:p
ああ...刹那の愛こそ、永遠か。それを妄想体感しちゃった。:p
マティアスは無骨ながら想い抱える深い瞳でブルーノの複雑な感情を語り尽くします。ルシール役のミシェル・ウィリアムズより魅力に溢れていて、事態が傾いてからの終盤が哀れでなりませんでした。
悪役の横暴なドイツ人やルシールの継母がまた憎らしい。分かりやす過ぎるほど。まあ、ちょっと明確な汚れ役有ってこそ、語りは進むと言うもの。
義母役はクリスティン・スコット・トーマス。かの逸品「イングリッシュ・ペイシェント」のヒロイン役で有名ですね。実は「トゥームレイダー」でも父の秘書役で出演していました。好きな女優さんです。

そうしてまた「君と歩く世界」を観てしまいます。
この映画、実は修正が有りません。性交渉のシーンも表現として派手ですが、そちらではなく、その合間。マティアス扮するアリがステファニーをトイレに連れて行くシーン。嫌らしさの感じない露出シーンがちらちらっと。
これで良いんです。
映画は芸術なのです。それでも修正するのなら、ルノワールの絵画も塗り潰してしまいなさい。すみません...
「ハングオーバー2」に抗議電話をして修正を入れさせた方の押し付けた"倫理観"が好きに成れないんだもん。
私は"嫌い"が嫌い。(矛盾です...)
そうして歪まされた映画たちに、悲しみを強く感じています。

なぜ、人が有りのままに居たい、在りたい、そんな気持ちを傷付けるのか、私は悲しくなります。
先日、ある国会議員さんが如何なる意図が有れ「LGBTは生産性が無い」と語り、更に多くの議員さんが賛同した事実には、正直、悲しくなりました。あげくパートナーシップ条例の有る杉並区でも区議の女性が賛同されていました。
理由とか理屈なんてどうでもいい。この世界で人が隔てられているのです。誰を好きか。誰と生きたいか。どう生きたいか。それだけのことで。
子供を産めないから社会保障はあげない?社会保証とは全ての国民に平等に与えられるもの。結婚、家族の数で優劣が有ってはいけない。
「これ以上、税金を使うべきではない」?
今まで一度もLGBTだからと税金で支えて貰った事なんて有りません。
確かにLGBTキャンペーンみたいのが有ったかしら?
でも、ポスターも効力の無い証明書も要りません。国民として認められないというなら、もう保障も要らない。
傷つけないで。
「全文を読めば正しさが分かる」と言う方が多く要ました。全文に何があるの?
社会保証が無い現実はいつまでも変わろうとしません。何ひとつ始まりさえしません。
差別。日本はマシだと言うけれど、ネットには溢れてる。消えない傷のように検索すれば山と在り、雪崩のように私達の心を砕き潰す。

ただし、ひとつだけ。
LGBT、特にトランスジェンダーの人の中で社会現象や政治に物申す方たちの多く、言葉遣いが良くないと思います。意思を持って書き綴った美しい言葉は人の心に住みこそすれ、乱暴で刃のような言葉は傷を残し、力や影響力を奮いはするけれど、歪んだ種を未来へと遺す事になる。
ただでさえ消えないネットの世界に、忌まわしい言葉は極力遺したくない。私はそう願いたい。