世の中は日々の生活より忙しく、人生においてあまりに些細な事が取りざたされ続けて、世界のかたちを築いてる。
でも多くの遊牧民や小作人が社会の改革など知らず、変わり行く物事の恩恵を感じる事さえ無いように、世界の変化など些細なこと。
ある日、私、こんな話を耳に入れました。ある女の子たちの会話。
「ねえ、私、LGBTとかって駄目なのよ」
「え?なんで?」
「だって気持ち悪いじゃない」
「知らないんじゃない?」
「知りたくないわよ、気持ち悪いもの」
...
なんだろね( ̄~ ̄;)
しかし、暑いですね~。暑さのせいかスマホも動作が重く、全く繋がらない。一度、14日には書き終えていたのにアップ出来ませんでした。(ノ-_-)ノ~┻━┻
機械も異常に陥る暑さ。
こんな時のダイエットは不安に成ることもありました。
しかし、16日を終え、目的のひと月ダイエットを為し遂げました。゚+(人・∀・*)+。♪
で。結果、どうだったかと言うと、最終計測、6kと200g減。体脂肪は4%減りました。
これってすごい?(*^^*ゞ
ライザップなんて必要ナイナイ。
まあ、筋力はさっぱり付けていないので下腹部は柔々ですが、苦労無く痩せられました。初めの一週くらいだけは食の量に気を遣いましたが、その後はほぼ普段の食事。太る原因のホルモンとホウ素も全く減らさずに摂取していました。それでも痩せたぞ。
最後の週なんてギョーザ、シュウマイ、ポークソテー、タイカレー焼きそば、オムライス、ピザ、などなど、危険な食事ばかりしてしまいました。毎日、食後にお饅頭を食べて、アイスもフルーツもよく食べた。
あえて気遣ったのは”最後にひと箸躊躇う"こと。どれだけお腹に入れても、絶対に満腹にはしない。それから、
よく水を飲んで用足しに何度も通う事を躊躇いませんでした。
食に関してはご飯は控え目にしました。じゃがいもは一度に量を摂らないよう心掛け、パンはライ麦や12穀等、茶色系穀類を練り込んで作られたものをなるべく選ぶようにしました。クリーム系の洋菓子は封印。そのくらいかな?
暑さも手伝ったろうけれどダイエットは大成功。
17日にはお蕎麦を満腹気味に。18日にはじゃがいもと鶏もも肉をオリーブ油で煮たものを躊躇わないで食べました。17日には500g増えましたが、その後は再び下降中です。
しばらくは維持を意識しながら、少しずつ、ケーキとか~クレープとか~...戻したいけれど、もう太った体は嫌なので、特別な機会にだけ食べるようにします。これだけは意地の見せどころです。
何しろ、今、体も気分も絶好調です。太っていた時の体の傾きはいっさい無く、驚くほど元気いっぱいです。
でもね。スリーサイズは顕著に変わりました。ウエストが3cm減り、バストも、3cmも減ってしまいました。何故かヒップは1cm増。あれ?弛んだ?!Σ( ̄□ ̄;)。

たくさん書いた事が有ったんだけど、概ねカットしちゃいました。多くはトランスジェンダーの女子大入学のこと。あれ、どうなんだろうね。
全ての人に不可能がひとつでも減る事は何よりうれしい事ですが、私達の悲願はいつも後回し。トランスジェンダーの90%は意外と不都合なく幸せに暮らしています。
気を遣わずに自由に振る舞える世界は、みんなより少しばかり狭いけれど、自由はそんなに有意義じゃないから。
不自由に見付けた意義の方が、私には、たからもの。
夏ですね~...湿気がたっぷりで暑いね~…少しでも涼しくなりませう。ちょっとだけ背筋の寒くなる映画を観ましょう。
「逆殺館」です。
この映画は南アフリカ共和国の映画ですが、特に気にならずアメリカ映画のように観られる作品でした。
集った誘拐犯達はある家から少女を誘拐します。身代金を期待して彼等は隠れ家で次の展開を待っています。
彼ら誘拐犯達は全員、何らかのトラウマや事情を抱えていて、過ぎる時間に気を揉むばかり。
そんな時、不思議なことが起こり始めます。幻覚や誘拐した少女の異常な言動…誘拐犯達は動揺し疑心暗欺に駆られる者も現れ始めます。秘めた過去や事情に脅かされる誘拐犯達…そして語られる少女の真実。
この映画はオカルト映画です。論理外の異常な現象が起こります。しかしこの映画が惹きつけるのは、誘拐犯達の心の話。みんな抱え過ぎてるんです。
そこに私達は同情してしまうんです。
観ていてずっと「可哀そう...確かに悪い事をしたけれど、救われて欲しい」そう祈りながら観ていました。
私はホラー映画やオカルト映画、パニック映画が好きです。最近は自分の手術以来、ちょっと”血”を見るとぞっとしてしまうので、観る機会も減ってしまいましたが、それでもこの手の映画に好きな作品は多いです。
何故好きか。それはこの手のジャンルこそ、切実で明確な感情を見る事が出来るからです。
登場人物は少なめながら明確に配置され、その意思を持って行動し、時に愛する人に想いを届け、狂気を前に伝えられなかった事を嘆き、真実を垣間見、怒り、憤り、期待し、時に命を落します。この映画もそうでした。
疑心を感じる者も居れば信頼する者も居る。恐怖を隠したり信じて話したり、焦ったり、怒りに駆られたり、身が竦むほど怖がったり…あまりに人間くさい主人公達はとても魅力に満ちています。だから惜しい。だってホラー映画は殆どの登場人物が命を失ってしまうから。
しかし、丁寧に綴られ、じわりじわりと追い詰められて行く主人公達の奔走は、ある意味、アクション映画のよう。それが緊張感に満ちていて、ドキドキしっぱなしでした。私の落胆に反してなかなか犠牲者が出ないのも良いです。
ちょっとやり過ぎな幻覚シーンはげんなりですが、映像としてなかなかのショッキングな出来なので、背筋がぞくっとさせられるでしょう。
終盤の数減らしのような犠牲と、リアル故にただ逃げることしか出来ない不甲斐無さは如何にもし難いのですが、期待に応えてくれるかのようにある贈り物が届けられます。それはとても温かい感情。
まあ、残念ながらそれを味わうランタイムはさっぱりとってくれないので、唐突なエンドロールに「呆気無い」と零してしまうでしょうけれど、それでも満ちた緊張感とドラマ性に口に残った後味は悪くないかと思います。
色々と書きたいのですが、短いランタイムですし、知らない方が楽しめます。
題名は変ですよね。意味不明。おそらく同時期発売の「死霊館、エンフィールド事件」のパクリでしょう。こちらは遥かに良質な映画です。安全牌を期待するなら、確実に「死霊館」を観ましょう。
「エクソシスト」のような除霊オカルト映画で、実話を基にした、良く出来た作品です。実はこちらの作品はシリーズものでとても綺麗な女優さんヴェラ・ファーミガとパトリック・ウィルソン扮するプロのエクソシストが館や物に取り付いた霊に挑むもの。
1作目は「死霊館」。「悪魔の棲む家」で有名なアミティヴィルの館を題材にしています。これがまた面白い。2作目は「アナベル」。アナベルと言う人形に纏わる話です。夫婦の絆や信頼とそれに応えようとする思いが、社会性や複雑な因果までも紐解き、謎解いていきます。
3作とも素晴らしい作品で、オカルトを越えた上質の映画です。
比べて「逆殺館」はあくまで低予算のB級映画。役者はみんな地味。華も無ければ記憶にも残りません。
ですが、どのキャラクターもとても人間くさいので、観ている間、少しでも良い結果に成って欲しいと願わずにはいられません。そこが最大の魅力。拾い物でした。
先日「君と歩く世界」と言う映画のBlu-rayを入手しました。探し回ってようやく見付けました。

大概は海外版のパッケージの方が良いのだけれど、これは好き۹(๛ ˘ ³˘)۶❤
この映画は正直、傑作では有りません。でも、不思議と私の心を放しませんでした。初めて視聴してからかれこれ4年くらい?それでも心の片隅で私を誘い続けていました。
シャチの調教師ステファニーとバーの用心棒でシングルファーザーのアリが、バーの喧嘩で出会います。何かざわめきのようなものを感じたふたり。
しかしステファニーはシャチのショーの最中、事故で両脚を失ってしまいます。人生に失望するステファニー。命を捨てることさえも考えてしまいます。
そしてかけた一本の電話。彼女の元へやって来たアリはステファニーを海へと連れて行く。あまりに不器用なアリだったが、その隔てない態度に、ステファニーは悲観と心苦しさをゆっくりと癒して行きます。
しかしつい抱いてしまった再起への希望はステファニーを更に苦しめて行く。
主演ステファニー役はマリオン・コティヤール。アリ役にマティアス・スーナールツ。
人生順調だったステファニーが、障害者となって感じる絶望感は、正直、堪りません。私も自分の中の"不都合"に気づいた時は、人生が暗転したかのようでした。私は、まだ変えられる余裕...希望が有ったから、乗り越えられたけれど、ステファニーは違う。必死で手に入れた"私"と言う人生を全て一瞬で失ってしまった。あれもこれも無理なんだと思ってしまったら、世界に光すら感じられなくなる。映画の中のそんな閉塞感は息苦しく、涙を誘います。
脚を失う。その失望はステファニーから精彩を奪い、顔に当たる日の光さえも彼女を霞めて行くよう。一方、アリは刹那的な性交渉に明け暮れたり、格闘技に挑んだりと、シングルファーザーらしくない堕落な日々を送る。
そんなふたりが出会う。落ちぶれた女と駄目男は支えあう事すら上手く出来ない。否、もしかしたら支え合いたいと思っていないのかもしれない。
でも、やはり人を救うのは人だった。
可能性を失ったステファニーがアリの手で幾つかの可能性を手に入れて行く。海へ。そして明日への希望を抱かせてくれる。
比べてアリは思った以上に冷めている。男だからかもしれない。性交渉の出来る女がいただけとしか見て居なかったかもしれない。
しかしそんな彼でも、求めてくれる、呼べば来てくれる、そんな寄り添いが彼女の人生の隙間を埋めてくれる。
ただし。この映画では人と寄り添うことの煩わしさも描く。それは互いを引き離して行く。当然、求める気持ちは計り知れなく大きい。しかし望みのかたちのズレが歪んで行く。
人は欲深い。もしかしたらもっと自分は大きくなれるのかもしれない。お金を稼げるようになるかもしれない。夢はもう一歩。あいつが居なくても俺は大丈夫だ...
夢は生きる最大の強み。しかし、執着していると大事なものを失う。失っている事に気が付いて、慌てても大概は手遅れだ。
この2人は運が良い。ステファニーは窮した人生を容易く塗り替えるほど強くはなかったから。
いくらでも、時を取り戻せた。
この映画は障害を描いているけれど、それは問題にはしない。描かれるのは、男と女の愛や依存の仕方の違い。でも生きるということの中で、誰かと共に居られたら...そう願うこと...そこに添える言葉...“愛“は、性別を厭わない。
終盤、ステファニーがバーで同情されるシーンがある。アリのいい加減な態度のせいも有って、彼女は激昂する。彼女は育まれていた愛に気付いてしまった。
しかし、アリは本当にいい加減だ。
この映画には、何度も性交渉のシーンが有る。多くの映画なら、それは絆が育まれる姿であろう。しかしこの映画では、描かれる度、無味乾燥に見えてくる。私達は性の度に悲観に囚われてしまう。
アリの視線が外れている。言葉が粗暴になり、更に少なくなって来る。もう駄目なの?...
でも、彼の口にした労わりの様な言葉の数々が耳と心に残っている。
私は涙が零れました。どうして人は期待してしまうのか。我が侭だと分かっていても、そのひと言を...手を...抱擁を...愛を...例え私が貴方の重荷でも、そこに居てほしい…
ステファニーの悲痛。届かぬ求める心...しかしアリの胸にもそれは潜んでいる。
この映画はささやかな”希望”を振り撒く。私達に未来を想像させる。恥ずかしげな邦題「君と歩く世界」を待ち望ませる。
ふたりは幾度と相手の生きる(勝つ)為の奮起の対象と成る。アリが試合に負けそうになっている時に、ステファニーが義足で颯爽と歩いてくる。困難をものともしない強さを見せ付け、アリは受け取った意志を力に変える。私の大好きなシーンです。強い愛を見たような気がしました。
原題は「錆と骨」。この"錆(さび)"とは、詳しい意図は分からないけれど、口を切った時に感じる鉄臭い血の味のことらしい。
人生で得る様々なことは口に苦い。私の血なのにだ。
人は現実的にも比喩的にも骨を折る。彼女は体を支える重要な骨を失う。人の骨は思うより脆い。たくさんの希望が骨のように彼女を支える筈だった。今はアリが骨の一部。彼女を支える大事な骨だ。
時に折れるが、骨は治る。頑丈にすらなる。しかし、完全には元には戻らない...
ゆがみ、ひずみながら、ふたりは立ち上がる。
映画は、常に漂う欧州の低所得者の泥臭く血生臭い痛みが漂い続ける。服は汚れ、髪は乱れ、肌はくすみ、心は細っている。今にも命が抜けてしまうんじゃないかと堪らなく落ち着かない時間を過ごすことになる。
でも、それが人生と言うもの。その傷みの中に私達はささやかな希望を慈しみ、味わう。
私は何かを失った時に見上げた薄蒼色の空のように、清々しい爽快感と高揚感を感じました。
今でも思う。イマイチな映画。でも、もしかしたら大好きなのかもしれない。だから今、私の手の中にこの映画が有ります。
アリ役のマティアス・スーナールツは映画「リリーのすべて」のハンス。そして私の大好きな映画「遥か群衆を離れて」のガブリエル・オーク役。
良い人が似合う人。
今回はちょっと不器用だけど、いつも以上に人間くさい。それが更に彼の存在感を際立たせる。
そして私は感じてしまう。彼、素敵だなあ...って。:p
実は彼を「リリーのすべて」で観た時、私の親しい友も言っていたのですが「プーチンみたい...」私もそう感じちゃった。画体がいいのでコート姿だと堅い印象に感じるし、ちょっと愛すべき感じはしなかった。
でも、その感情を潤みのように目に携える彼は、はっと気付いた時、心を捉えてくる。