違うからこその絆。そんな映画は心に残る | まりのブログ

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性同一性障害者の私が、思いのままに生きるために頑張って生きてます。
性別適合手術をしてから2年になりました。
私はトランスジェンダーとして誇りを持って生きてます

う~ん、前回に続き、ジュリアン・ハフがね~、今、プチ・ブームなんです。
あまりに彼女の健康的セレブスタイルが素敵で、もう、たまんない。でも、セレブ生活に焦がれている訳ではないので、ヴィトンが欲しい~とか眺めのいいマンションがいい~なんて事は考えても居ません。
私達って出来る事を、つい、後先を考えて...とか悲観を恐れて諦めちゃっていることってたくさん有るじゃない。それを少しでも減らすことが出来たら、それはきっと幸せよね。確かにその為にはお金って重要かもしれない。でも、私にはもっと大事なものがある。ささやかなものに感じる幸せ。
私は道端でセリやワラビ、野草を見つけた時、心底、嬉しい。思わぬ豊かな道や、思わぬ草花を見つけて、目を輝かせてる。空が晴れても、時には雨にも、ビル陰に流れる心地よい風にほっと心休める。名も知らぬ人とのささやかな出会いは最高。カワセミを見て人生の好機がもう無いんじゃないかと思っちゃったりする。それに。
愛想を振舞う猫、怖がる猫に嫌われて、よだれと汚れでぐちゃぐちゃにきったない猫に見上げられて、どれにも至上の幸せを感じるの。
私にはジュリアンの麗しい人生を眺めるのも至福のひとつ。
みんな違う価値観の下に生きてる。労わりと喜びと、育みのある人生。そして有り余る自信。彼女の人生は素晴らしい。でも私には要らない。私なり。そんな人生を毎日、辿ってる。

お盆でお墓参りに行って来ました。
道中、ひどい事故を目撃したり、お寺までの細道の舗装がばりばりと割れていたり。お線香はごうごうと燃え上がって火傷しそうになったりと何ともハプニング尽くし。ちょっとひと苦労しました。
さてと、故人の墓を前にして、ふと、何を祈ったら良いのか分からなくなっちゃった。こう言う時って「安らかに」と言うべき?
いつもお願いばかりしてきた。でも今年は祈ることが無い。だって満ち足りているから。喧嘩もする。泣いたりもする。でも、それも素晴らしき哉、人生。
今まで私はうちでは放って置かれた。人生の困難を乗り越えられず、促しか助けが欲しくて投げ掛けてみても、家族は向き合ってくれなかった。
でも、ここ3年の私は恥も外聞も無く、全力で泣いて求めて話し尽くしたら、少しだけ素直に労わり合える家族に成ったみたい。私はずっと求めて来たの。正直に、包み隠さず話してさ、そうして抱いて癒して、何よりもあなたが一番と語り合える関係。そんな家族。
「良かれと思って」「知らないほうがいいと思って」「まあいいかな」...そんな事は私は望んでない。どうしようもないくらいくだらないことも話して欲しかった。心に僅かでも思ったなら「あなた、大丈夫?悩んでない?」と傾いた体を支えて欲しかった。
今は、結構、良い感じ。母とだけだけどね。
だから「幸せだよ」そしていつもと同じ「忘れてないよ」そう言い残して、帰宅しました。
実はタイに行った時に買って残してあった”ドリアン”の羊羹みたいなものを供えようかと思っていたのですが、変色しちゃってて断念しました。あれ、癖が有ってね~。ついつい食べあぐねていました。
祖母は南国のものなら何でも食べたから、喜ぶかなあ?なんて思っていたんだけれども、さすがにドリアンはどうだったろう。
私の祖母は戦時中、サイパンに居ました。歴史に知るサイパン玉砕直前に九州に帰って来たそう。もし、もう少し帰国が遅かったら、今、私はここに居ない。そんな事を考えていたら、運命ってものをたくさん感じさせられる。
ここにいること。あなたを知ったこと。明日があること。その全てが些細な偶然と行動力で紡がれたもの。
だから、私は祖母に感謝します。大好きだったおばあちゃん。私の命がある限り、忘れません。でもごめんね。私の子に、あなたの事を伝え遺せない。
厚化粧ぎみ?。新しい家族です。ガアガア♪


最近、テレビでもLGBTを題材にしたトーク番組が多く流れています。とてもとても良い事だと思うのです。性的少数者だけならず、人を卑下したりする行為そのものが無くなると思うから。同情でも良い。アルビノを淘汰しなければそれでいい、みたいな。:p
ただね。“LGBT”で食べていっている人や秀でた美貌や特技を持っている人ばかり、いつも同じ人が出るものだから全く多様性が無い。中でも先日は噂の”おか米”の方が「炎上しちゃいました。そんな意図じゃないんだけれど」旨の話をされていましたが、みんなにある意味「いいじゃんね~、理解されてるんだよ」と相槌促しちゃったら、嫌がる人の気持ち、社会的に潰しちゃうよ。
私、”オカマ呼び”にさほどアレルギー感じていないので、正直、どうでも良い話なのですが、やはり「生産性が無い」発言も含めて、”嫌がる気持ち”は論理や数で潰しちゃいけない。当然、逆も然り、LGBTを嫌う人にさえもその気持ちを”その他大勢の相違”で潰しちゃいけない。

ある人がこんな話をしていました。「以前、学校でLGBTの話をされて、映像を見せられたとのこと。その時に映像に出ていたトランスジェンダーの方は如何にもな男顔で頭は禿げていたと言う。当時は笑ったそう。でも、今、テレビで「女性にしか見えない」と持て囃されているトランスジェンダーを観ていると、不思議とあの方を思い出すんだ」
...私みたいにどんくさいパタリロも居る訳で、マライヒばかりではないのだ。イケメン・アニメばかり観ないでちびデブ主人公の「さすがの猿飛」とか観なさい。(古い?)
トランスジェンダーは、お洒落な人ばかりではない。頑張っているけれどね。トランスジェンダーは「女性にしか見えない」「女性より女性らしい(変な言葉だけど言うよね)」ばかりではない。
仕事にもうまく就けないトランスジェンダーはまだ居る。私だって顔を背けられるほど嫌うご近所さんが居る。それは私の家族にも向けられている。私だって躊躇ったんだよ。長い長い時間、躊躇ったんだ。何故なら、家族がどんな扱いを受けるかと案じたから。
それが現実になってる。
でもね。たくさんの理解も貰った。だから大丈夫な振りをしてる。気にしないで生きられている。
そのくらいのトランスジェンダーが殆んどなんだから。...だよね?!Σ( ̄□ ̄;)ワタシダケ?

先日、アメリカ・バーモント州の州知事選で民主党の公認立候補者にクリスティーン・ハルクイストさんが選ばれました。
彼女、トランスジェンダーなんです。
元々、民主党はトランスジェンダーを前向きに受け入れてくれていましたし、オバマ氏は"たかがのこと"ですが、性自認によって選べるトイレ使用を提言し、法律にしてくれました。
残念ながら各州で殆ど撤回されてしまいましたが...
まあ「どうせ、票取りのため」なのかもしれませんが、メッセージは投げ掛けられる。
トランスジェンダーだけど変わらない。トランスジェンダーだから変えられる、と。
世界で最も有名なトランスジェンダーは秀でた美貌の持ち主かもしれない。でも最も記憶に残るのは彼女になるかもしれないぞ。


映画「ダイ・ビューティフル」がDVDに成りました。が、Blu-rayに成りませんでした。
この映画、フィリピンで突然死した、あるトランスジェンダーの方の実際の話。
家族は彼女を埋葬する際、男性として埋葬しようとしました。しかし彼女の遺言は「女性として弔われたい」
彼女のトランス仲間は彼女の亡骸を毎日、華やかに彩り、想いを遂げてあげたと言う話。
どうやれたのか、どんな諍いがあったのか...は映画で観たかったんだけど、その彩り豊かな装飾やメイクもみんなHD画質では観られない。
う~日本くらいだぞ。テレビがHDなのにわざわざお金払って入手するソフトがひと世代前のものなんて。
Blu-rayを開発したのは日本のソニーなのに。


今、映画「幸せのレシピ」を観ています。
これ好きなんです。本当はオリジナルのドイツ映画「マーサの幸せレシピ」の方が良い映画だと思っていますが、観易さと愛着は「幸せのレシピ」の方が格段に上。なのであえて「幸せのレシピ」が好き。
ケイトはプライドを携えて厨房を駆る主任料理人。充実した仕事人生を送っていたけれど、ある日、妹が交通事故で亡くなってしまう。妹には娘のゾーイが居て、ケイトはゾーイを引き取る事に。ケイトは妹を失った悲しみに暮れるけれど、ゾーイとの生活は、その悲しみを忘れるほどに人生を大きく変えてしまう事になる。

主演はキャサリン・ゼタ・ジョーンズ。ゾーイ役にアビゲイル・ブレスリン、イタリアンの料理人役にアーロン・エッカート。
以前紹介した「二ツ星の料理人」にエッセンスは似ているかも。私、料理もの好きなのかなあ。でもこちらはもっとほんわかしたウイットと暖かいエッセンスに満ちてます。
この作品は人種を利用した明確なキャラ分けがとても効いていて、オリジナルではドイツ人、イタリア人と言う気質の違いを、更にマーサと言う灰汁の強いキャラを被せて見せようとします。
リメイクでは如何にもなアメリカ人ではないけれど、あえてアメリカ人のケイトとイタリア人、そしてちょっと調子ズレの有るゾーイ。その三人が次第に心を近付けて、かけがえのないものに成って行く過程が、じっくりゆっくり描かれて行くのです。
何より、その絆を引き離す理由にも成りかねない家族の”死”が全編に渡って彼等の関係に光と影を投げ掛けます。常に心休まらない、だから労わる。でも、心もとない絆だから、時に無責任になってしまう。...でも。
映画でそう言うものを描くのはとても難しい。箇条書きに理由を語らせたり、胸に届くような幸せの瞬間を並べ連ねれば、説得力を植え付けられようもの。
でも、この映画はそれに弱い。だから、傑作には成らなかった。でもね「♪ライオンは眠らない」のシーンに代表する記憶されるシーンの数々が、終盤へと私達を導いてくれる。
みんな、生きるのに必死。あくせく忙しいのではない。自分の安全を守る為に全力もせず、惰性にもしない。ほどほどの変わらぬ毎日を維持しようとする。
その為にプライドや正論を振りかざしたりもする。
しかし、ケイトは失敗する。ゾーイとの関係にも厨房の関係にも歪みを起こしてしまう。そして、つい、自分を守ろうとしてしまう。心の望みは違っているのに。

...この映画では、スパイスのように人種と言うエッセンスを利用した。最近は人種や性的マイノリティなど、タブーばかり。この映画が何かを否定したりしている訳ではないけれど、この作品だってアフリカ系を使ったら批判も有ったかもしれない。でもだからこそ浮かび上がる、人それぞれの違い。
それは受け入れるのが大変だけれど、まざると素晴らしい味や風味を作り出す。それこそ「幸せのレシピ」なんだね。

まあ、ゾーイだから。愛姪と同じ名前だから、愛着100%。それにゾーイのぬいぐるみだらけの部屋は私の理想なんだよね~。それに、私、ずっと昔からキリンのぬいぐるみが欲しかったの。:p
ニューヨークの下町の風景も素敵で、等身大のアメリカ人の街角の姿がたくさん観られます。昔の映画はね「恋のためらい」の花市場のように素敵なロケーションをふんだんに観られたもの。最近は”有名な場所”ばかりを見せるものが多くていけません。
音楽もとても良い曲ばかりでした。OPからEDまで堪能できます。
何より、本当に食事が美味しそう。美しい。でも一番、美味しそうなのは、この手の映画のいつも通り。人と人とに囲まれた、笑顔の中に彩る食べ物に他ならない。

「人と人が出会い、人生を変える」、そんな事は世界に無数に転がっている。
そしてまた、あるふたつの映画が有ります。
ひとつは「最強のふたり」そして「サヨナラの代わりに」。
「最強のふたり」は、あるアルジェリア系の貧しい男性ドリスが失業手当の為に、”仕事探しをしている証明”を貰おうと、ある大邸宅に現れます。
彼は仕事に全く興味無し。そんな態度に悪戯心が湧いた富豪の男フィリップはドリスを採用してしまう。ドリスはふって湧いた仕事に期待と共に面倒くさささえ感じていましたが、持ち前の楽観的な性格で日々を楽しみ始めます。そんなドリスの破天荒さはフィリップの期待を越えて、彼に刺激を与え始める。
しかし彼は相変わらず、嫌味な男。何故ならフィリップはずっと死を考えていたから。彼は全身麻痺なのだ。

この映画は実話です。本当にそんな事をしたの?と思うくらいの大胆な事を次から次へと繰り広げてくれます。
あくまで実話。亡き妻への悲しみと不自由な体への憤りを抱える男の話。
でも、すごく面白い。ドリスを中心に、セレブの社会を茶会しながら人生は一度きりだからとばかりに弾け捲くる日々は、本当に爽快で楽しい。フィリップが全身麻痺である事を忘れるほど、本当に楽しい。
しかし楽しければ楽しいほど、湧いて蝕む”悲観”はドラマの核と成る。
フランス映画は性格の違う登場人物の触れ合いを描くのが上手い。先日紹介した「フレンチ・ラン」では無骨な捜査官と軽薄詐欺師、「コルシカン・ファイル」では頼り無い探偵と危ないマフィア...
いつも、登場人物の友情や縁、絆、そして因果は私達の心に素敵な痕を残します。
今作も例に違わない。
主演はオマール・シー、フランソワ・クリュゼ。こちらも「幸せのレシピ」のようにフランス人とアルジェリア人の肌の色から気質の違いまでエスプリに昇華して、素晴らしい物語に仕上げています。
趣味から会話から価値観から全く噛み合わないふたりが、覆いを少しずつ剥いで等身大のふたりに成った時、雇い人と雇われ人の垣根が取り除かれて行く。
障害者ジョークも次から次へ。そればかりと言っていいほど多く、確実に日本ではタブー。さすがにあざとく引け目を感じてしまいそうなところ、そう感じさせないのは、主人公たちの豊かな表現力あってこそ。ベテラン俳優のフランソワとルーキーながらその持ち前のユーモアに満ちた、画体に似合わない可愛らしさを振り撒くオマール。
最強のふたりです。

そして「サヨナラの代わりに」は、あるセレブリティのケイトは夫と友人に囲まれて幸せに日々を送っていた。ある日、ピアノが上手く弾けない…そして始まった筋萎縮性硬化症、ALS。彼女はプライド高く、知人や夫に見せざるを得なくなる自分の姿に嘆き悲しむ。
そんなある日、世話役の仕事に応募してきた女性ベックはあまりに破天荒。自暴自棄からか同情か、ケイトはベックを採用する。しかしあまりに不足過ぎる仕事への適応力にさすがのケイトも呆れるばかり。しかし。
どんな人間にも抱える人生と人間性が有るもの。それが露に成ると、ふたりの心には奇妙な絆が生まれていた。ふたりのリレーションシップはそれぞれの人生を変えて行く。
しかし、それでも容赦無く迫る、終わりの日。

「最強のふたり」に比べ、笑いは少ない。こちらは女性ふたりの物語。「最強のふたり」は障害者が希望を得る物語だけれど「サヨナラの代わりに」は世話見の雇われ人が人生観を変えられる。
彼女は酒場で歌う歌手志望の女の子。歌を作り、舞台には立つけれどいつも緊張で歌えない。強がっているけれど、きっと自信を胸に抱けるほど人生を成し遂げては来なかったのでしょう。私みたいだ。:p
ふたりの出会いは、そんな弱いベックに与えられるたくさんの感謝と意義が、彼女に自信と意志力を育ませる。
人は人に与えられるものがある。富では無い、きっと足りないものを補う”労わりの手”。ベックはケイトに、ケイトもベックに時に厳しく、時に優しく手を添える。
それは最悪のとき、あまりに強い力と成る。
一緒に居て欲しい人。私にはそんな風に求められることは無いかもしれない。でも夫婦だからでは無い、契約だからでもない、理由の無い寄り添う必然。それこそ”愛”。
ケイトは失われて行く絶望に晒される。その失望はとても切実だ。ケイトはそれを必死で隠し、取り繕おうとする。粗相や不可能になって行く自分の姿を、友達は勿論、夫にさえ隠そうとする。そのプライドは病気以上に彼女からたくさんのものを奪って行くが、同時に曝け出して行く感情や想いが、小さな絆を育んで行く。
ケイトが絶望に苛まれ「赤ちゃん欲しかった...ピアノもひきたかった...」と嘆くシーンは胸に来ます。ベックは全霊で応えます。夫には出来なかった、役割を超えた人としての向き合い。泣いてわめいて互いを知り、変に取り繕って気を遣って、突き放して...でも二人とも分かってる。互いが必要だってこと。
主演はヒラリー・スワンク、エイミー・ロッサム。
ヒラリーは「ボーイズ・ドント・クライ」で性同一性障害を抱える役柄を演じて話題になりましたね。オスカー常連です。
エイミーは「オペラ座の怪人」や「デイ・アフター・トゥモロー」で可憐な姿を見せていましたが、今作では正反対。教授と浮気してたり、男連れ込んだりしちゃう。私はこんなエイミーの方が好きです。
「君と歩く世界」のマリオン・コティヤール似のキュートな女の子ですが、デビュー時に比べて、最近、注目されてない?
個人的にはこれからの女優さんだと期待しています。
前回紹介の「セイフ・ヘイヴン」の彼ジョッシュ・デュアメルが夫役を演じています。実は優しい人なのに、弱さ故に過ちをしてしまう哀れな男性を演じていました。

リスクとは。不幸かもしれない。そう見えるかもしれない。でもね、多くの人には絶対有り得ない特別な経験をする。人生が短いかもしれない。不可能も多いかもしれない。でも、記憶に残る経験が出来る。
私も素晴らしい出会いをたくさんしてる。最高の姪が居る。きっとこれからも素晴らしい出会いと経験をして行くことでしょう。
この世に"不幸"は有るかもしれないけれど、"幸せ"が無いなんてことは有り得ない。先ず、始めてみたら良い。誰かのために。
きっと還ってくる。みんな欲しいからね。繋がりの至福を。

風に煽られて。ほえ~顔。

それにしてもお墓参りは疲れます。
私、お墓参りに行くと、いつも疲労感に苛まれてしまいます。お墓そのものが駄目とか霊的ななんたらはさっぱりなのですが、毎度、ぱたりと倒れます。
ここ2年ほどはさほど疲労感は感じていなかったのですが、暑さからかしら?今年はちょっとだけ体が重くて、一日中、眠いです。
亡きお婆ちゃんが「ゆるり生きろ」と背中を抱いてくれているような...思い込みしてます。