性別適合手術後、5日目。思わぬ事ばかり | まりのブログ

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性同一性障害者の私が、思いのままに生きるために頑張って生きてます。
性別適合手術をしてから2年になりました。
私はトランスジェンダーとして誇りを持って生きてます

朝の事。
恒例の血圧測定と体拭き。
昨日の晩から、新人らしき子が入っていて、今朝は彼女だけ。丁寧ではあるが仕事には多少、甘さがある。
足の裏やお尻は拭いて貰えた気がしない。愛想も今一歩である。
しかし、彼女、私が服の裾をちょっと直している隙に、私の体の横に隠して置いてあった"お腹冷し防止シーツ"を流れる作業で、するりと持って行ってしまった。
あまりの自然な奪いっぷりに、言葉が出ませんでした。
元々、回復室から持ってきちゃっていたものだしね、止められないわ。
しかし、今晩はお腹が冷えたらどうしよう。あぁ...私のシーツ...

朝食はお好み焼きパン?それとバナナ。バナナは固めでした。


現地時間9時40分くらい。
ようやくカテーテルが外れます。
はあ...これで面倒な管ともおさらばね。
あれ?変な器具。分娩スタイルでやるの?結構、大掛かりなんだなあ...
しばらくしてガモン先生が登場、先生は挨拶をして私の股間に向き合うと、液体を患部にかけながら、作業が始まりました。
作業は数名の看護婦さん達の暖かい見守りの元で行われます。
元々、これまた痛いと聞いていた作業、どんなものか緊張が走ります。
ずるりずるりと何かが動き始めました。しばらく動かす作業が続きます。...あれ?カテーテルって長いんだなあ...
すると、引き出されるものが何かに引っ掛かってぎゅっと捻られるような、つんとした感覚に襲われました。お腹の中の肉が引っ張り出されようとしているようで、ちょっと良いものとは思えませんでした。
とは言え、それも1秒あまり。
また穏やかなずるりずるりが続けられます。
ガモン先生のカウボーイかと思うような高らかなたけびと共に、作業の終了は告げられました。
先生の手には白い棒状の、ダイレーターのようなものが。先生はその下の方のメモリを指差して楽しそうに「14cm」と口にしました。
そっか、14cmか。メールの際には9~12cmと言われた膣の深さでしたが、手術前に言われた深さに出来たんだ。多くて15cmと言われる中、頑張って頂けました。
そっか...あれ?
カテーテルじゃないの?
先生は去り、見守っていてくれた看護婦さん達も早急に解散。インターンの後始末が始まるなか、相変わらずのチューブはだらりと患部に垂れ下がっておりました。
多分、今の作業は膣内のパックと呼ばれる穴を保持しておく器具を取り除き、ついでにダイレーター0号と呼ばれる一番細い"指し物"を入れて出来を確認したと言う訳ですね。
そして、あのつんとした感覚は、ダイレーターが膣内の奥の肉壁にぶつかった感覚ではないかと推測されます。
え?あんな感覚なの?もっとふわりとした柔い感じかと思っていました。あの感覚を、引き出されたのでは無く突かれたものだと翻訳するならば、"ふわり"より、"どすん、ぎりぎり..."です。
結構、苦痛かも。
でも、体表の性的刺激もくすぐったさの勘違い。なら膣内の性感とは.. .あんなちょっと言い様の無い感覚なのかもしれない。
まあ、Gスポットとか、他にも色々と感じる場所は有るようなので、そちらは追々。

しかし本当に申し訳ないです。
兼ねてから、術後の痛みやダイレーションの痛みをなるべく分かり易く伝えたいと言っていたのに、私、痛くないんです。
良い事なのに、駄目駄目です。
でも、もしかしたら、本当は"痛い"とは違うのではないでしょうか。そう思えてきました。稀に痛さを痒さと感じたりその逆のようなものって有りますよね。"それ"をひとまず痛いと感じて叫んでいれば、楽になるからなのではないでしょうか?
医者で泣き叫ぶ子供がキャンディを貰ったら泣き止む程度のような。
まあ、明日は本当のダイレーションなので、じっくり味わってみたいと思います。

昼食はオムそば。美味しいんだけど如何せんお腹が張り過ぎて、辛い。正直、入りません。
でも配膳のおばさん、好きなので、残さず食べたいと思います。
そしておやつはゼリーとチョコレート。


現地時間16時。
カテーテルをしたままシャワーです。良かった。ようやくシャワーに入れる。
汗でべたべたな髪はもう堪えられません。
私は勇んでベッドを降りようとしますが、何故かみんな慎重です。
大丈夫だって。ほら。
アテンドさん「目眩はしません?」
「大丈夫だよ」そう言って歩き出そうとすると、足が前に進みません。
あれ?摺り足みたいに成っています。
そうですよね、5日もベッドから動かずに居たんですもの、何らかの運動障害を起こしても仕方がありません。でも歩き方を忘れたみたい。人間って弱いなあ。
よろけながらも何とかシャワールームに辿り着きました。
部屋には椅子に防水の円座が置かれていました。私は促されて腰を下ろすと、シャワーが捻られます。
心地よい水の音、湯気。
はあ...たまりません。
お湯が肌の上を跳ねると、何とも言えない気分です。髪を洗える悦び、如何にも表現し難い心地です。
さてと、これくらいでいいか。
看護婦さんは案じるように何度も「大丈夫?」と呼び掛けます。
大丈夫に決まってる。
体も拭けるよ。手すりに捕まっていれば何だって出来るよ...ほら...大丈夫なのに...自分で出来るって...排水口も抜けた髪の毛で一杯...私、掃除が好きだからやっておきますよ...
清々しい気分、大丈夫...な筈。
でも...折角、拭ってくれた鏡も見られない...
私、目が回りそう...
私は卒倒したようです。
看護婦さんに抱えられながら、ベッドへと向かいました。
私、気を失った?ううん、そんな筈は。
色々と話したよね。何を話したかは覚えていないけれど、たくさん口にしたのは覚えてる。
歩いてベッドに向かうけれど、部屋の入り口からベッドを見た次は、もうベッドに手を付いていたような。
私、わたし...
朦朧とした意識の中で、考えられる事はさほどありません。
ただ、おかしいな...こんな筈では...そればかり。
私は解剖を待つ献体のように、ただ、運命の女神にされるがまま
そこに在りました。力無くベッドの上、私は無力でした。
はっきりと声が聞こえる。
「大丈夫?」
看護婦さん...
「...大丈夫」
そう言うとあまり感情を見せるのが得意ではなかった彼女が、はあ~っと息を吐き出し、とてもほっとしたようでした。
私はグレープジュースを飲み、瞬く間に落ち着きを取り戻しました。あぁ、良かった、無事だ。
私は大丈夫を示そうと、体を起こそうとしました。すると
「ダウン、大丈夫?」
「大丈夫」
愚かな私はそんなやり取りを何度かしてしまいました。
彼女はずっと私の傍に居て、母のような目で私を見下ろしていました。優しい笑顔。
私の2/3しか無い小さな体の看護婦さん達が、私を必死で助けてくれたのです。
そして、そんな中でも、私の髪を気遣ってくれていました。それがどれだけ有り難かったか。

私は順調に回復し、夕食の天丼にも手を付けられました。
何事も無かったかのように、何もかもが元に戻っていきます。
この天丼、初めてイマイチだ。
私は張るお腹を擦りながら、ひとり、愚痴を楽しんでいました。
しかし。

途端にのし掛かるように不調が襲いました。目は回らない。吐き気もない。ただ、深刻な体調不良。
どう表現すれば良いか、あえて言うなら、命の危機。
足が凍りつき、体がぼろ切れに成ったように頼りない。
それは悩むいとまも与えず、私をベッドに押さえ込みました。いくら体を倒しても、倒しきれないくらい私の体は助けを求めていました。
しかし、こんな時に、私は微塵にもナースコールを思い出せません。
嫌な予感。
私は更に襲い来る悪寒を感じました。もしこれが背筋を震わせたら、私は手遅れかもしれない、そう思いました。
私は看護婦さんが気を遣って下げたクーラーの温度を20度から30度に上げました。そしてタオルケットを顎まで引き上げて体を温めようとしました。
体は闇に飲み込まれようとしているかのようにベッドに沈んで行くようでした。
私は必死でスマホを手に取りました。
出かける前、何かが有った時の為にとPCのデスクトップに私は遺書を残してきていました。私の母は、時折、私のPCを勝手に起動しては、麻雀パイのバズルをするのが好きでした。最悪の時は見付けてくれるだろうと残した実はさほど遺書らしくない、それ。
私は母に「見て」とメールを送りました。「返信しないで、見ようとしたら倒れるかもしれない」そうも記載して。
今日、実は些細な事で喧嘩したばかり。仲直りはしたけれど、伝えられなかった事をたくさん書いたつもりの、それ。
それから私は友にもメールを送りました。「調子が悪いみたい。もし、新しい返信が出来なかったらごめんなさい」そう記しました。
そのまま、いつの間にか眠りに落ちていました。

どれくらいの時間が経ったか。
私は目を覚ましました。少し頭が重いけれど、大丈夫そうです。
水を口に含み、その冷たさに調子が戻っている事を確認しました。

それから、また3時間ほど眠りました。夜の2時。静けさだけの薄暗い病院。間違えて入れたオフタイマーで止まった空調。額に滲む汗。
ああ...生きてた。