そろそろ冬が近くなってきて、寒くなりましたね。
厚着に成ると、私の「女」を認識して貰う要素が見えなくなってしまうので、ちょっと悲しい反面、お洒落し放題の季節の到来に目がぎらついております。:p
この時期のモールやデパートは、天国のような彩りに満ちておりますが、昨年、購入しておきながらあまり着られなかった服が衣装ケースに山と成っているので、今冬のショッピングは我慢我慢で堪えています。
しかし。
最近、毎日、なんとなく不調続きなのが問題です。「なんとなく」なのが問題で、どう対処して良いのか分かりません。
健康状態そのものは特に問題ないのですが、何事もどうしても捗らないのです。
「なんとなく不調」は圧し掛かる不可思議な重みのようなもので、もしや「鬱」なのでは?と不安に成った事も有りました。
しかし、私が「鬱」なんぞに成るものか、考えてみても…「有り得ませんなあ」としか結論出ません。お馬鹿ですもん、しょげてもめげても挫けても、3分限界。心の問題では無いでしょう。
ならば「姿形が女に成る時期」の14ヶ月が過ぎて、ホルモンバランスも「女」に成って、私の体が軋みを上げているかもしれません。
もう少し体が「女」に慣れるまでは、この調子の悪さが続くのかな?...と、前向き頭でほくそ笑んでおります。:p
でも、やっぱり今も、なんとなく…不調です。
あれれ、そう言えばいつの間にか15ヶ月も目の前ね。
顔付きも胸の膨らみから腰の肉付き、体のラインと言うラインが女性的に成り、その仕草や歩きっぷりに至るまで女性的だと言われるほどに成り、最近は、さほど違和感の目も感じられなくなってきました。
あえて言うなら、172cmの身長に5cmほどのヒールの靴を履いているせいで、177cmの女となればちょっとばかり目を引く様で、周囲の人と目が合う事も頻繁です。
声では思ったほど違和感を持たれなく成りました。特に何もしていないので、何故でしょうか。声ってそんなに性別判断に重要じゃないのかな?声質より話し方の方が大事なのかもしれませんね。
それと絶対に笑顔です❤女の武器です❤頬のお肉を膨らますようににっこり、全力笑顔であなたのハートを射抜いてみせますわ。:p
先日、BSスカパーで「プリティーウーMEN」と言う番組が放映されました。既に3話放映されていたようで、その再放送も拝見しました。タイの性転換事情に始まり、トランスジェンダーのタイのミスコン挑戦まで、様々なトランスジェンダーを中心にしたLGBTの実状を紹介する番組でした。「T」がメインなのはここ最近でも珍しいのでとっても期待していました。
幾つかの情報やドキュメンタリーはとても有意義なものでした。私もいつか性別適合手術をしたいので、的確で分かり易く心構えをさせて貰ったような気がします。
中でもレギュラー以外の方の初めての挑戦ドキュメントやミスコン挑戦には、媚びの無い「個」を見る事が出来て、とても素晴らしいものだったと思います。
ただそれ以外、同性愛者が非同性愛者をナンパするドキュメントやトランスの子がナンパされるか?とか、正直、そんなドキュメントは観たくなかった。それに、何より、テレビ慣れして行くトランスの子達を見たくありませんでした。
結局、タレント化したトランスが「いかに浮世の存在に成ってしまうか」を見せ付けられただけだったからです。
商品価値だけなのかな、トランスも。私みたいにお肉ぷりぷりのおブスはトランスの中でも価値が無いものなのね。ぷい。
...本当は結構、楽しんだんです。:p
より良い次回を楽しみにしています。
ここで、ようやく本題です。
しばらく世が「LGBT」と盛り上がりながら、確実に除外されてしまっている最後の「T」たるトランスジェンダー。
テレビで耳にする事もめっきり少なくなったなあ…と思っていたら、ここ数日、驚くほど耳に飛び込んでくる事態に。
普通なら喜ばしいことなのですが、今回はちょっと大変な事態かも…しれません。
先日、経済産業省に勤めるトランスの方が国を相手に訴訟を起こされました。
その内容が「女子トイレを使わせてくれない」から賠償金を請求すると言うものなのです。
…正直、この問題は難しい。ですので私はネットで人の声に耳を傾けてみました。すると8割の方が「訴訟を起こした」事に批判されていました。「わがまま」や「筋違い」「賠償金は税金」と言った文言が並んでいます。
分かる。分かるんだ。
遺伝子とは言え男性が女子トイレに入ってくると言う事、私の陳腐な女心であっても喜ばしいとまでは思いません。だって、男の子って、始終、女性に対する好奇心でもんもんとしているんですもの。(世の殿方、スミマセン)
でもね、私達はちょっと違うんだ。性同一性障害を抱えるトランスジェンダーって言うのは女性に対して憧れしか感じないんですよ。
そして女子トイレって言うものは聖域なんです。すっごく入るのを躊躇っているし、入ったとしても聖域でやましい考えなど湧く筈も無いのです。それに、私たちにも当然のように「理性」が有ります。トランスジェンダーは変質者では有りません。
例外がいるとするならば、それは、偽者くらいです。ってだからって何するのよ、覗くの?耳をそば立てるの?
何より、トイレって用を足す場所なので、みんな迅速に済ませて出て行く場所です。1分くらいお許し下さい。
多くの女性は「嫌う人権」と言うものを掲げていました。それほどに私達を「変質」な者として認識しているようなのです。
ううう…私たちって罪深い者なのね。男性からは奇異の目で見られ、女性からは変質者扱い。聞けば聞くほど、思えば思うほど悲しくなってしまいます。
世の男性の方々、私の男子トイレの使用をお許し下さい。
ただ。私、あの訴訟はナンセンスだと思っています。
差別をされたと訴える為に相手からお金を取ろうとすれば、差別が無くなったとしても仲は良く成りようが有りません。歪みは生まれる筈です。
ネットで頻繁に「性同一性障害を抱える者たちは面倒くさいから話をしたくない」と言った意見を目にした時期が有りました。
それは私達トランスが、自分達の気持ちを知って貰いたい、誤解を解きたいとするあまり、相手の気持ちを忘れてしまったからだと思います。
「偏見」や「差別」にさえも、積み重ねられた経験が有る筈です。何らかの理由が有って私達を遠退けたり嫌ったりしているのです。それを察し、私達は自分たちをも守らなければ成りません。
こんな事に気を使わなくては成らないのかと思う方もいるかもしれません。でも簡単な事です。「間違ってる」と言わず、「どうしてそう思うの?」と聞けばいいのです。
だって自分も間違っていると言われたく無いんだもん。みんながそう思っている筈です。聞いて示して納得して貰わなければ、上っ面だけで解決しても、些細な切っ掛けでまた嫌悪は再燃してしまいます。
人間関係は大変なのよ...
私たちは全トランスの方々を背負って生きています。私たちの一挙一動は私たちを見る人達にトランスへの思い込みを生むのです。粗雑であれば、「トランスは面倒くさい」と思われるかもしれません。代わりににこやかで寛容であれば、「トランスって友達に居たらいいね」と思われる事でしょう。そう思いませんか?
私は「誰が悪い」とは思いません。他人はみんな私達を見ています。そしてその印象から「それが何か」を判断するのです。ただ、私達は思ったよりたくさんの人に見られていて、その大多数が「私たちの個」としてでは無く、「トランスジェンダーがいる」と思って私達の「それが何か」を見定めようとするでしょう。
もしあなたが誰かに「思いの丈」や「自分が何であるか」を伝えたいのなら、そして後輩への愛が有るならば、見本たる生き方をしましょう。
私達はリスクを抱えています。だからこそ、まあいいやと生きず、心に正しい生き方を見せびらかすべきだと思うのです。
成りたかった自分に見た目だけでなく心も成るべきです。自分の為に、そしてみんなの為にもね。
ただし。言うべきは言い、戦うべき時は戦うべきです。それが本当に言うべきで戦うべき時ならば、躊躇う事は有りません。その時は、やっつけちゃえ。( ´▽`)b
私、ちょっと悔しいんだ。
私はたくさんの人と区別する事無く笑顔で向き合いたい。喧嘩をしても、想いを全部吐き出して、疲れきったら抱き合って泣きたい。正直に、そしてお互いの笑顔の為にはなんでもしたい。たとえ問題が起こっても、それを明日への肥やしにして行きたい。
しかし、「トイレ」?どうする事が正しいかは、実の所、分かりません。でもこう思います。
「性同一性障害」を権利の主張の為の手札にしてはいけない。それは差別や区別を無くす為に最も大事な事だと思います。
トイレに入る時、「トイレ使って良いですか?」と声を投げ掛けて、誰も居なかったら使うとか、そのくらいの事をしていたのなら、批判される事は無かったんじゃないかなと、思います。でも逆に少数の尊重は大事なことです。大勢、または力を持つ者こそ少数や弱者を尊ぶべきなのだとも思います。
「愛」と「いたわり」。どちらにも欠けていたから、こんな面倒な事に成ってしまいました。
それ以外にも、性同一性障害を抱える者同士の間で起こった殺人事件も起こってしまいました。まだ犯人は逮捕されていませんが、故に人は良からぬ想像してしまいます。
どうしても少数の考え方や立場は、疎外されがちです。故にか、こう言う事件に「性同一性障害」などのキーワードが現れる度、イメージが固められ易いのです。かつてオカマやニューハーフが「男性と見れば性的な目で見ている」と言ったようなイメージを持たれてしまった様にです。そんな筈は有りません。
性同一性障害やトランスジェンダーと言う銘を利用して、女性に近付くような方々も居ると聞きます。彼等が私達と違うと言う事を理解して貰えるでしょうか?
正しい知識と情報と洞察によって、偏見を抱かないで欲しいとつくづく思います。
それから、最近、二度目の性別変更に悩む人が多いと聞きます。
一度女(もしくは男)に成って、また戻そうとするのだそうです。なかなか法律的に難しいのだそうですが…
理由は詳しくは分かりませんが、結局のところ性同一性障害ではなかったと思い直す人が多いと言う事でしょうか?
これはちょっと残念です。
性別を変えたと言う事は、精神科の診断を経て、性別適合手術もしくは虚勢手術をした筈です。そこまでしたのに性別を戻すって…なんて贅沢な事でしょう。仕事の問題や結婚を考えてなのかもしれません。でも、そう容易く「やっぱりやめます」なんて事を申請する様になれば、これから性別を変えたいと願う人達が、厳し過ぎる審査基準に断念するなんて事に成りかねません。今だって容易いものではないのにです。
私は長い年月を悩み、苦悩し、苦しみ喘いで、ようやく決意しても1年悩んでから新たな人生を始めました。友、親、人生設計、子供、老後…たくさんの事を考えました。決意してもまた初めから考え直し、同じ自問自答を何度繰り返したかわかりません。
だからこそ、後悔する事が有りません。家族が私が思っていた以上に苦しんでしまっても、その悲しみに向き合って、癒す為に全力を尽くし、そして共に生きて行く覚悟をしてきました。
孤独でも、傷付けられても、決して悔やみません。性別を変えられたら、体を変えられたら、この至福の下に何を悔やむと言うのでしょう。それこそが私の「生きる」なのですから。
私は思い、信じています。それが「性同一性障害」と呼ばれるものなのだと。
私はみんなに何年も悩んで欲しいと思います。心の底から吐き出すものが無くなり、涙も枯れるほど泣き尽くしたら、自分がどうしたいのかがきっと分かる筈です。
私達のような少数者を除いた多くの人達を表現しようとして、それを「普通の人々」と表現したならば、人はそれぞれ違うから人括りでは無いと言われるかと思います。ならば私達も同じです。人それぞれ違います。性同一性障害だから個性なのでは無く、私は私、あなたはあなた。
もしあなたが私を愛せなかったら、私を愛さなければいいのです。でも、だからと言って性同一性障害を抱える人達全員を嫌わないで下さい。みんな、私とは違います。
人は人を愛します。そして時に人は人を嫌います。でも、それは「何か」では無く、誰であるかなのです。ね。
私達は「性同一性障害」そのものでは有りません。「性同一性障害を抱え、思いに正直に生きたい私」です。
えへ。自分でも意味不明。伝わってないですよね。:p
すみませんでした。次回こそはフォトを…
追記。
関係ない話ですが、フランスで起こったテロに哀悼の意を捧げます。人が人を傷付ける事がいかに空しく悲しくおぞましいかを再認識させられます。
私の愛する親友はパリに住み、あのレストラン街の対岸で働いています。彼女はひどく心を痛め、今も嘆きの中にいます。
どうしたら良いものか、どう声をかけてあげればよいものか...。私自身も胸が痛いです。
Bon courage! Ma chere France♥Ma chere amie Anne.