HSPの方と

お会いしたりメッセージをいただく中で

 

周囲に理解者はいるか

家族がHSPを理解してくれない、など

 

「理解」についてのお話は伺うことも多いです。

 

個別にお伝えさせていただいたことを

こちらにも書かせていただきます。

 

 

まず「理解」の前に

周囲にHSPであると伝えているか?

というお話も出るのですが

 

わたしは、ですけど

 

家族や本当に近しい友人には

HSPだった!と伝えましたが

その他の方にはあえて伝えることはしていません。

 

家族・友人にもあえて伝えたというより

自分のダメだと思ってたとこは

じつはこういうことだったんだよー!という

会話のひとつとして話した、という感じです。

 

なので

子どもがHSCかもーという友人以外は

その後HSPが話題に出ることもありません。

 

それと

初めましての方とお会いする機会も多いので

 

そのときにこういうことやってますという

自己紹介でチラッと言うことはあるし

 

名前も顔も出してやっているので

意図せず知っている方もいらっしゃいます。

 

でも

 

わたしをHSPと知っていようがいなかろうが

前と後で変わった人はいませんし

 

わたしもHSPとして接してほしいワケではないので

今後もあえて伝えることはしないと思います。

 

 

わたしは女性にしては168㎝と身長が高いのですが

身長が高い人向けの対応をしてくる人がいないのと

敏感と知って対応を変える人がいないのは同じだと思っています。

 

まぁ稀に失礼なことを言ってくる人もいますが

それはまた別の話です。

 

そもそも

HSPへの接し方って何だろう?と思います。

 

自分のものさしで相手を判断しないことは

HSPへの接し方にもしかしたら繋がるのかもとは思いますが

それはHSPに限らずどんなことでもそうですよね。

 

 

では「理解」について

 

理解者はいるか?ということは

よく聞くのですが

 

HSPを理解している人、という定義では

わたしの周囲にはいないんじゃないかと思います。

 

HSPと知ってから出会ったHSPの友人は別として。

家族や昔からの友人はHSPではありません。

 

 

でも

 

わたしを知ろうとしてくれて

わたしと向き合ってくれる人はいます。

 

それはHSPと知ってからではなくずっと前から。

 

 

わたしはHSPと知った当初からこう思っています。

その当時のブログの一部をこちらに。

 

 

これからの生活も、今までと同じで、

わたしは敏感に、感じとっていくんだろうし、

 

それを周りに伝えたら、

気にしすぎだよ、と言われるであろうことも変わらない。

 

疲れやすいのも、傷つきやすいのも、

周りの感情に振り回されやすいことも、

 

HSPだと知ったからって、

現実に起こることはなんにも変わらないんです。

 

わたしは敏感なんだから、気を使ってよね。

というのは、違いますしね。

 

HSPであることの受け取り方

 

 

※HSPと知った当初なので今と理解が異なる部分もございます。

 傷つきやすいのではなく痛みを深く感じる

 感情に振り回されやすいのは自己肯定感の低さによるもの

 感情に気がつくことと振り回されることは別だと思っています。

 

 

ここでお伝えしたいのは

 

それを周りに伝えたら、

気にしすぎだよ、と言われるであろうことも変わらない。

 

ということ。

 

 

理解するのかしないのか

もっと細かく言えばどう理解するのかは

相手の領域で

こちらがコントロールできるところではありません。

 

自分にとっては不十分な理解でも

相手にしてみたら

十分に誠実に理解しているのかもしれません。

 

それは測れないんじゃないか、と思います。

 

 

「理解してほしい」という気持ちは

誰だって抱く感情なので否定はしません。

 

わたしも思うし

信頼している人には「わかってよ!」と

感情をぶつけてしまうこともあります。

 

でも

 

自分にとって

あまり都合のよくない理解だからといって

「理解してくれない」と感情をぶつけてしまっては

 

聞く耳はもってもらえません。

 

相手がどう感じるかも

考えなければならないと思います。

 

 

まずは「理解してほしい」というのは

一体どういうことを指すのか考えることが大切だと思います。

 

一概に「HSPの理解」といっても

それぞれに定義は異なると思います。

 

 

わたしで言えば

「理解」というより「知ってほしい」と思っています。

 

HSPじゃないとHSPの感覚はわからないと思いますし

逆を言えばHSPでない人の感覚はわたしにはわからないんです。

 

HSPは人の気持ちがわかると言われていますが

わたしは「わかる」とは思っていなくて

→HSP”人の気持ちがわかる”の本当の意味

 

だから

「どうしてわからないの?」とか

「どうして気づかないの?」となっていたワケですし

 

正直「わからない」という意味ではお互いさまだと思います。

 

 

しかし

 

少数はそれだけでみんなと違う扱いを

意図せず受けることもあるので

 

わたしで言えば

「気にしすぎ」とか「神経質」とか

レッテルを貼られてきたワケですが

 

あなたの感覚だとそう感じるかもしれないけど

そうではないんだよ、

 

ということ…プラス

 

わたしはそう言われるととっても悲しいから

決めつけないでほしい

 

という自分の望みもあります。

 

 

なので「HSPの理解」というより

 

"自分の感じていることを

決めつけで判断されたりすると悲しい"

 

ということを

「知ってもらいたい」となるので

 

「HSPを理解して」じゃなくて

 

「わたしはこうしてほしい」という伝え方をするようにしています。

 

 

家族に対してわたしが伝えたことは

「疲れているときはそっとしておいてもらえると助かる」とか

 

「神経質、で片づけられると

 わたしの感じていることを全く見てくれていないように感じて

 悲しいから言わないでほしい」

 

といった感じでしょうか。

 

 

もしかしたらみなさんも

「HSPの理解」というより

 

「自分の感じていることをぞんざいに扱ってほしくない」とか

「どう感じているのか知ってほしいな」という思いなのでは、と思いました。

 

 

ただ、ここで気をつけなければならないのが

 

先にもお伝えしましたが

理解するかしないかは相手の領域ということと同じで

 

望みを伝えたからといって

そうするのかしないのかは

やはり、相手の領域なので

こちらがコントロールできないことなんですよ。

 

そこで

「どうしてわかってくれないの⁈」となってしまうと

 

相手からしたら

押し付けられているように感じてしまいます。

 

なってしまうんですけどねー汗

 

でも、そういうときは

 

伝え方を変えるか

わからない、またはわかろうとしない相手を

こちらが知ろうとすることしかできないかなーと思います。

 

 

人と関わるって面倒なんですよ。

 

自分の思いどおりになんて絶対いきません。

 

そこで自分のことだけわかってもらおうとすると

相手にしてみたらとっても勝手な人に映ったりしてしまいます。

 

「わかってよ!理解してよ!」

 

自分が言われたらどうかな、という視点で見てみれば

わかりやすいかな、と思います。

 

 

 

でもね、

先にも言いましたが、

 

「わかってよ!」と

感情をぶつけてしまうのは

相手を信頼しているからで

 

そんな関係性を築けていることに

まずは感謝だな、と思います。

 

腹立つし、

なかなかそうは思えませんけどねははは

 

 

自分の望む形ではないかもしれないけど

ちゃんと愛を持って接してくれているかもしれない。

 

こちらにも都合があるように

あちらにも都合があって

そうなっていることを忘れない。

 

そうすると伝え方も変わるし

相手も変わるかもしれません。

 

 

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