私のもとへは
瞑想に関しての質問、生きかた、考え方などに、ついて多数の方々から質問やメッセージが来ます。
以前から、そういう方とのやりとりを記事でまとめて
皆さんに紹介できたらいいな。と考えていました。
※やりとりを簡潔にポイントだけを抜粋しています
今日からその企画をはじめてみます。
サラリーマンでも最近は、瞑想センターに行ったりすることが
多いみたいです。
それだけ瞑想や精神世界などに関心を持つ方が増えたということでしょうか。
なので在家(世俗生活しながらも修行に精進している方)や
出家(坊さん、ヨギ)などを一括りにして
求道者と呼ぶことにしますね。
求道者38歳
求道歴7年
独身
臨済宗出家 禅僧
求道者
あらゆる瞑想の教えの中で神を強調する方法と初期仏教や禅の坐禅、瞑想のように全く神などの存在を教えない方法ありますね。
「神を信じない者が瞑想によって神との霊交を求めるのは不可能ではないでしょうか?」
私の回答
あなたが疑問に思う気持ちは、とてもわかります。
神様は目に見えないし、触ることもできないし、話すこともできないので、五感で感得できない存在(神様)を信じるのは、本能的な直感に基づくしかないのです。
現代人は特に宗教や神を信じないという人がたくさん存在しますね。
これは、もう実験してみるしかないんですよ。究極をいえば‥
ただインド人は、古代からこのあたりのことを実験していて、神様を信じないと瞑想できないのか? の検証を行いました。
この態度は、立派ですね。なんでも実験してみる態度、試してみる気持ち。
※ガンジーは実験する天才でしたね。
するとですね、不思議なことに信じてなくても、信じてる人と同じような結果を得るのです。
聖音も聞こえるし、ウンマナにも入るし、サビカ、ニルビと進んでいくわけです。
当たり前ですが、瞑想を続けて結果を得ると、最初は信じてなくても、だんだん信じるようになります。
「光が見える」とかも最初は疑り深い人は信じません。
※実際に私がそうでした。
でも見えるんです。誰でも。ある程度の修練を重ねれば。
これは神を語ることを避けているテーラワーダ仏教の瞑想でも見えることを説いています。
ちなみにミャンマーの瞑想で有名なパオ森林僧院では、この光を二ミッタと呼んでいます。
テーラワーダ仏教では鼻先、クリヤヨガでは眉間に意識を保つ違いがあります。
日本の禅宗もこの流れの教えを確実にうけているのです。
しかも、この現象は松果体や延髄の輝きの反映だとパナマハンサ・ヨガナンダ大師は断言しています。
ですから科学的手法ということを、しつこいほど強調しているのです。
SRF通信教育テキスト オーム瞑想、ホーン・ソー行法の手引き
信じた方が進歩が速いことは大切なポイントです。
極論をいえば、どっちが効率的かの問題になってくるんです。
信じない人が最後まで行けるかどうかは、結論がありません。
最後まで信じていない場合でも、最高位のサマージは経験できます。これは保証できます。
ただ、どうしても頑固に最後まで信じない場合は、普通のニルビカルパ・サマージで停滞します。
それでも最高位レベルであることに違いはありません。
なので神様を信じる信じないは「あなた次第です」でも瞑想が深まるにつれて
見えない力を感じていくことは明らかです。
理屈で考えるより実験したほうがいいです。
ただ私個人的には神仏を信じて瞑想した方が「気持ちよい」ので
今では神仏と深い瞑想のなかで些細なことでも語り合います。
天気のことなども時には語り合います
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