四国遍路15 | 元極道の僧侶+整体師 玄龍

元極道の僧侶+整体師 玄龍

三重県伊勢市 整体道場 愚狂庵
薬に頼るのは嫌い。病院の検査で異常なしだったが
辛い症状がある。
一度、整体をしてみませんか?
気の力で導く痛みの少ない整体。

~健康で美しく元気な体を~
諦めかけていた症状の最後の砦
当院の整体はこんな方にオススメです。

昨夜は最高の野宿が出来ました。

気温もまだまだ朝夕は寒いですが次第に暖かくなりつつあります。

春の兆しが嬉しい野宿行脚の我々です。

徳島は桜が丁度満開の頃であります。




八重桜が美しい。


さて我々は一宿の供養の報恩のため出立の前に懺悔清掃奉仕を皆でさせて頂きました。



河村君



西野氏が本日は積極的に先陣を。

懺悔清掃奉仕も終えて
目的地である18番札所の恩山寺へ。




四国遍路は道中にこのような目印が至るとこにあります。

恩山寺は境内に行くまでが結構な坂道を登りながら行くのであります。

伊勢の太江寺(愚僧の修行寺)も急な坂道ですが全く比較にならないくらい厳しい坂です。

12㎏の荷物を背負いながら腰が折れそうでしたが漸く到着したら正面に弘法大師の巨大な仏像が。




快晴なので弘法大師を囲む緑の森林がより神秘的な空間を醸し出していました。





何となく凛々しく逞しく見える河村君。

我々は山門で一礼合掌して

手と口を清め(柄杓をとり、左手、右手の順にかけ柄杓から左手に受けた水で口をすすぐ)

鐘を二度突きました。
この作法には驚覚(きょうがく)と呼ばれています。佛を呼び起こして此方へ向いてもらうことが目的であります。

そして本堂へ向かい納め札を納めました。

それから灯明や線香をあげて御賽銭を入れるのが作法であります。

それから仏前勤行次第を読経して
ご本尊の真言を唱えます。

この作法を次の大師堂でも同じように行います。

西野氏も信仰心を最初はあまり持ち合わせてないと言って同行した初日はただお賽銭と合掌のみでしたが
気付いたら我々と共に勤行の間は真摯な態度で静かに祈りを捧げていましたので愚僧はなんだか安心しました。

今度は19番札所立江寺へ向かいました。




道中の鯉のぼりが鮮やかに翻っていました。
なぜか故郷(沖縄)の家族を思い出しました。


その近隣には建設現場の仮設事務所をお遍路さんの無料休憩所(お接待)がありましたのでそこで我々は休憩をとることに。

その中は非常に綺麗であります。
行き届いた配慮があちこちに見えて有り難かったです。
そのなかでも一番驚いたのが
夜間や救急の病院の一覧表迄ありました。しかも事細かに記してくれているのです。





このような心配りは本当の徳を積んだ方ではないと出来ないであろうと思いました。

それから19番札所立江寺へ到着。




愚僧はこの寺院に何か大きな力を感じたのです。

また季節の花が美しく咲き誇っていました。



皇室とも縁が深いようであります。


真っ赤の牡丹が眩しいくらい綺麗でした。





髭がだいぶ伸びてきました。


そういえば昨夜は本当に不思議なことが夜中に起こりました。

23時頃に休息についた我々でしたが
愚僧が何かの物音に起きたのが始まりでした。
静まりかえったお遍路休憩所(野宿場所)に
何やら日本語でもない言語と共に袋のガサガサとする音で目を覚ました愚僧。

我々は野宿ですから一応は常に緊張感から脱け出せません。

貴重品の盗難や暴走族の溜まり場、居酒屋帰りの酔客等も我々が注意をしていることであります。

なのでその時もそんな緊張感から目を覚ましたのですが
どうしても連日の行脚の疲労で寝ぼけているのです。

何かその者は御経を唱えてるようでもありました。
はっきり覚えていません。

袋のガサガサした音がバサッと鳴り響きました。

愚僧は河村君を起こしましたが中々疲労があるなかでは起きてくれません。

やっと起こして事の経過を説明しながら
二人で周囲を探索してみたところ
一枚の袋の中にいなり寿司のパックが2つ入っていました。
時間は夜中の12時30分過ぎですから地元のお接待とは考えにくいのであります。

しかも野宿場所は電気など当然ありません。

我々が居ることすら他人が確認することさえ難しい状況下なのです。

そのいなり寿司は誰が何の目的で置いてくれたのか?

これは考えれば考える程に不思議な感じがします。

四国遍路にはこのような霊験談が多く残され伝えれています。

愚僧はあまり霊的なことを表立って主張するような人間ではありません。
それは愚僧を知ってる方々ならば御理解頂けると思います。

でも先日も野宿した時に(夜桜のなか)
川の流れを聴きながら満天の星空の下でうとうとしている最中に般若心経がはっきりと聴こえていたのです。

繰り返し流れる般若心経は2時間ほど続いて止まりました。
その時も河村君に確認しましたが
河村君は聴こえなかったようです。

愚僧はそういう霊験を高める目的でこの四国遍路行脚をさせて頂いてるのではありません。

しかしこのような不思議な事実が愚僧の面前に現れてくるのであります。

だからそれはそれで感謝として敬って受けとめたく思う次第です。

話しは逸れましたが
19番札所を打ち終えて皆で昼食をとり

20番札所の鶴林寺へ。

その道中の直線距離が長いこと長いこと。




溜め息を何度もつきながら・・

何度も肩に食い込む荷物を姿勢を保つように上げながら・・

腰が折れそうで折れそうで堪りません。

足のマメは増える一方で激痛を堪えて引き摺るように愚僧も河村君も午後はお決まりのように歩いています。

暑くなれば暑いと文句を言いながら
寒ければ寒いと愚痴を溢しながら
我々はトボトボと愚かに歩き続けています。

でもそこに磐石な大自由で絶対な安心があります。そこに人類のすべての罪を己の肩に背負ってみようと気迫籠る魂があるのです。

質素倹約でカップラーメンやらコンビニのおにぎりや缶詰めで命を繋ぐ感謝の源泉がそこにはあります。

どうしてでも生かして止まない大いなる命のリレーのアンカーのような心持ちでいることも烏滸がましいけれども時にはあります。

誰にも頼まれず認められず
誉められもせず期待されもせずに人知れず
行う懺悔清掃奉仕の下座行にも芸術性が潜んでおり又宗教の真理が多分に存在して儒教や道教の教えもあるかも知れません。でもないかも知れません。

愚僧の新天地の境涯、生活すべてが他人の尊い奉仕や慈悲や浄財により生かされてることは奇跡でもある気がします。この奇跡は仏の光明の力が感謝という形で現れています。この力は世界を光明化する程のものであります。愚僧の拝みあう奇跡の生活は社会を変える威力を備えています。





今後は社会の混乱を変えるかも知れません。
又変えれないかも知れません。

愚僧はなにもわかりません。

分かるのは愚僧が愚かだということのみであります。


四国遍路野宿行脚の行のなかでも
その愚かさを深淵なる霊覚によってもっと掘り下げたいと願います。

だから
悩んでる方々に伝えたいことがあります。

それで良いじゃないですか。
あなたはあなたで良いじゃないですか?
誰になろうとしているんですか?
あなたがあなたであることが真理なんですよ。
その他にはなにもありません。
もっと愚かになって下さい。
偉くなろうとすれば疲れるのはあなたですから。
愚かな自分を笑ってあげて下さい。
肩の力を抜いて。


本日は20番札所鶴林寺前の道の駅で野宿します。やはり夜は冷え込みます。

明日は天候次第でまたしても遍路ころがしの畏怖される20番札所鶴林寺を打つ予定です。

疲労困憊の夜は明日の遍路ころがしを考えると憂鬱であります。

でも歩く以外には道はありません。

  
人生と同じでしょうか。

歩き続けるしか道はありません。



疲れたら休めばいいし景色を楽しめば良いのです。




最大の逆境には最大の感謝が控えている。

地獄で仏に出逢うことの感謝が地獄を極楽へと霊変させる唯一の妙法である。





南無大師遍照金剛

なんくるないさ~


歩行  29182
距離  21,3㎞
消費㌍ 1010㌍