悲しき日常 | 夫が前頭側頭型認知症になりました

夫が前頭側頭型認知症になりました

2023年12月に夫が67歳で「前頭側頭型認知症」と診断されました。
現在進行形の介護をブログにしていきます。

主人が再入院して4日目。

退院して家にいたのが僅か4日だったせいか、主人がいない風景の方が日常のような感じになっていることに戸惑いを感じています。

いないことに慣れるのは良いことなのか、悪いことなのか。

 

ベソベソ泣いているよりは全然いいとは思うのですが、ずっと一緒にいたのにいられなくなり、もう家には戻ってこれないであろう、と思うと悲しくて仕方がないのに、日常生活では主人がいないことが当たり前になっていく。

 

すごく矛盾していて感情が混乱します。

 

主人がいないと家事が楽です。

仕事にも多くの時間を避けるし、自分の時間も持てます。

でも、ちょっとした出来事を話したり、一緒にご飯を食べてテレビを観て笑ったり、私が大嫌いな地震があったときに慰めてもらったり、そういう「当たり前」だったことがなくなっている。

 

そして主人だけが呼ぶ私のニックネームも呼んでもらえることがない。

前回の入院時も退院してきたときも、まだちゃんと私のことをそのニックネームで呼んでくれていましたが、これから先、いつか呼んでくれなくなる日がくるんだな、と思うと、悲しみが強くなります。

 

今日、何気なく主人のスマホを見たら、緊急ショートステイに行く前にLINEをしていたのを見つけました。

ちょうどデイから帰るときに、私宛に「今から帰る」とLINEをしようとしていたようです。

なぜ私が知らなかったかというと、間違ってお義兄さんに送っていたからなんです。

お義兄さんと私のLINEを間違えてしまったのでしょう。

 

実際はデイから帰ってきてすぐ家の前で緊急ショートステイの方の車に乗り換えさせて、騙す形で行ってもらいました。

すごく辛かったし、今更ですがそのLINEを見て「デイから帰宅するのを楽しみにしていたんだな」と思うと胸が張り裂けそうです。

 

再入院のときも「入院」とは告げずに連れていき、理解ができないまま入院させました。

主人の安全を守るためにはそれしかなかったのですから仕方がないのですが、辛い気持ちが消えることはありません。

 

それでも日々は当たり前のように過ぎていきます。

仕事の忙しさも変わりないどころか量も責任もどんどん重くなってきています。

その日常生活の中に主人がいない。

それが普通になっていくことが、当たり前だと思うことが怖いのです。

 

本当は、物理的にいないことよりも、私の大好きな主人ではなくなっていくことが怖いのかもしれません。

 

何度も何度も何度も「やっぱり認知症なんだ」と感じているのに、まだ信じきれていないのかもしれません。

 

これから先、もっともっと大変で悲しい思いをすることがあるのに、まだ序の口なのに。

 

少しずつ、心を追いつかせるしかないですね。