10月下旬、愛猫*が虹の橋を渡った。
生後すぐ、へその緒が付いた状態で保護して育てた子。
子供のいない私たちにとっては娘と同じである。
保護してすぐ行った動物病院で「この子は生きられない」と獣医に言われ、
3年前に腎臓病が発覚し、そのときも「もって数日」と言われ、
亡くなる直前に心臓肥大で胸水が溜まり「1~2日中かも・・・」と言われたのに、二週間も頑張った。
享年20歳2か月。
その愛猫がいよいよ息を引き取るという瞬間、私たちは晩御飯の最中だった。
愛猫は既に歩くことができず寝たきりだったので、リビングの私の席の隣の座布団に寝かせていた。
嫌な予感がしていた私は愛猫の方を向いて食事をしていたので、その瞬間を見逃さず、いよいよだと思った瞬間に愛猫を両手で包んで声をかけ続けた。
私の両手に包まれた愛猫が、フーッと長く息を吐く。
3回ほどそれを繰り返して、息が止まった。
「やばい!息が止まった!!」
私が叫ぶ。
しかし主人はテレビを観ながら食事の手を止めない。
「早く!そばにきてあげて!!」
何度も何度も言うが、知らん顔して食事を続けていた。
「なぜ?こんなに可愛がって20年も一緒にいた子が亡くなったのになんでご飯食べてるの?」
私はもう愛猫の死と主人への不信感でほぼパニック状態だった。
やっと主人が愛猫のそばにきて「頑張ったねぇ」と言って頭を撫でたが、
「この人、やっぱり感情が少しおかしいんじゃないか」と恐ろしくなった。
ペット葬儀社に連絡をし、翌々日に葬儀になったが、
そのときも主人は「挨拶してあげて」と言うまで愛猫には触れず、やっと少し撫でて、
「えー、カチコチに固まってるじゃん」と驚いていた。
「気にするのはそこじゃねーだろ!!!!」と内心思いつつも、私は悲しみでいっぱいだったので突っ込む気力はなかった。
私は愛猫の死に号泣しながら、火葬の間もおとなしく待っていられず、ふらふらと館内を歩き回ったり外に出たりする主人を横目で見ていることしかできなかった。
注)愛猫*
このブログのアイコンにしている子です。
我が家にはもう一匹7歳になる黒猫くんがいるのですが、
私はこのアイコンの子を溺愛していました。