パスワードを記憶の片隅から引き出してでも書きたかった5年ぶりのブログ
皆さんこんにちは。
大変お久しぶりです。
IDを忘れてログインできなくなっていたこのアメブロですが、ひらめいて入れて見た最近使ってないパスワードがドンピシャで当たり(3日掛かりましたが)、さてブログを再開する、って宣言するほどの事でもないけれど、5年ぶりにちょっと書いてみようと思います。
Twitterでつぶやく程度では伝えきれず、Faebookやインスタでフィードに埋もれてしまうのにはちょっと寂しい、そんな中年男性の備忘録(大きな独り言)には、PCデスクの前である程度姿勢を正して書くこのブログが、最適な気が今更ながらしています。(スマホでも書くんでしょうけどね)
さて、書くのちょうど5年ぶりなんですね。
最後に自分で書いた記事を読んで、あーあの頃か、と。
そしてこれ、たった5年前の出来事だったのかと、改めて驚きと言うか、
ここ5年間で自分の周りに起こった数々の変化に正直ビビりました。
この時にぶつけた車からはすでに2台を乗り継ぎ、今は過去に乗ったことのないホワイトカラーの車に乗っています。
僕の肩書は
”格闘家”や”元K-1ファイター”
から、
”会社経営者”そして”社長”
に完全にシフトチェンジしました。
どこのどなたが書いてくれたか知りませんが、ウィキペディアにも”現在は企業家”と編集されていた事をついさっき知りました(でも企業家ってなんか変な言葉じゃない?)。
このブログの表紙も完全に詐欺です。この写真は確か29か30歳、干支一周り以上昔の物なんで、今とはかなり風貌が違います。
僕の今の日常はこうです。
この写真を撮影中、見ていた周りのスタッフからの「何してんすか?ww」と言う声が気になり、微妙にかっこつけようとしてつけきれませんでした。
ここは僕の会社ですが、社長室や役員チェアなんてものはなく、割と殺風景で簡素なこのデスクが僕の一日のほぼ大半を過ごす場所で、ここで仕事(するフリ)をしています。(ちなみにさっきまで見ていたサイトは、「厄年計算サイト」です。数えで43歳の僕はいつ厄から抜けるのでしょう?)
現役時代は重い時で100キロ近くあった体重も、今じゃ85キロ前後をうろうろしてます。
まあ、週一のウェイトトレーニングだけは続けているのである程度筋力は維持できてますけどね。
(自慢ですがまだベンチプレスで120キロ3レップスはいけます)
そしてこの数年で、僕だけでなく、僕のいた格闘技界も大きく変化しました。
たまに試合会場に行っても、僕の事なんでまるで知らない若い選手がたくさんいます。
というより若い選手はほとんど僕の事なんてしりません。
チャンピオンになったり、大きな実績を残していないのでそんな物なんでしょうが、少なくとも現役時代、格闘技、K-1バブルだったあの時代、試合は地上波ゴールデンタイムで放送、他にもテレビやCM、雑誌、色んな仕事をさせてもらえた事で多少の露出はあったし、僕程度の選手でも街を歩けばちょこちょこ声をかけられたものです。
それが今となっては、会場に行っても選手でさえ僕の事を知らない。
寂しくないと言えば多少は強がりもある気もします。
現役時代、”2位じゃだめだ!1位にならんと!”って思ってた事、
今になってやっぱりあの思いは正解だったんだなと思うし、それ以上に、
”あー、時代ってこんな風に変わるんだな”
って事を強く感じます。
そして今でも思うのは、やっぱり好きでやっていた事、と言うよりもすべてを賭けて打ち込んでいた物なので、未だに試合をしてみたいなって気持ち、それはやっぱり強くあるし、この数年間で、”もう1度試合してみようかな?”、って本気で思い立った事は一度や二度ではありません。
僕が引退したのが35歳、今から約7年前ですが、正直リングの上で味わう興奮を超えるような気持ちは未だ味わっていないし、この先もない気がします。
ただ、、、
じゃあリングに上がっていない今はどうなのかと言うと、、、
今は今でとても楽しく充実しているし、やり甲斐のある仕事もあります。
興奮するような出来事もまあ少ないですけどたまにはあるし、正直経済的には選手時代よりずっと安定しています。
選手を辞めると決めたあの時から、ずっとリングから後ろ髪を惹かれる思いはありました。
でも、あの時選手をすっぱりやめた事、選手をやめた分、ビジネスの世界にすべての力を注ぎこんだ事、その選択は間違っていなかったと思うし、その結果もある程度は出てきた感触もあります。
さ、
文章書くのは元々得意ではないので少し疲れてきました。。
ちょっとここから本題と言うか、わざわざ5年ぶりに書きたかった事の本題に入ります。
元々の僕の幼少期の夢は、
「強くなりたい」
と言うものでした。
これが時を経ち、「空手」に出会った事によりもう少しわかりやすく、「空手で強くなりたい」になり、その後の90年台からの格闘技ブームの渦中に運良く入れた事により、「K-1のチャンピオンになりたい」という壮大な目標へと進化していった訳です。
選手生活は、始めて空手の試合に出た15歳から、引退する35歳までの20年間。
その間を、強くなるために費やしてきたわけです。
この夢は、僕が引退した年、2011年で一旦区切りを迎えました。
夢をかなえられたかと言えば、かなり中途半端な上がり方でした。
でも、”強さ”ってのは当たり前ですけど肉体面だけではないわけで、今現在会社を経営をしていく上でも、求めているのはある種”強さ”なわけで、そういう意味ではまだ夢の途中でもあるわけです。
そして、僕が現役選手だった時代、その時僕達を支えてくれた人達っていうのは、その後者の”強さ”を持った人達だったんですね。
(これは今でも支えてもらっていますが)
舞台を作り上げてくれた人達、周りにそれを広めてくれた人達、その舞台に立つ選手を育て上げてくれた人達、
そのどれもが”強さ”を持った大人たちでした。
そういった人たちがいてくれたおかげで、僕はリングで戦えていたわけです。
本当にたくさんの人たちに応援してもらいましたし、当時からも、やっぱりいつか結果を出して恩返しがしたいと、
そんな風に考えていました。
でも、現役を引退した事で、ある種志半ばで潰えてしまった部分もあり、その人達に恩返しはできぬままになってしまいました。
そして今になり、起業した会社が順調に成長したことにより手にした、別の意味での”強さ”も多少はあるわけですが、その部分で恩返しをしようとしても、当時僕がお世話になった方々は自分なんかより当然はるか先を走っているわけで、僕なんかがその人たちに返せるものなんてある訳がありません。
じゃあ僕がお世話になった方々は、僕らに何の見返りがあって良くしてくれていたんだろう?
僕からいつか何かを返して欲しいから、先に分け与えてくれていたのか?
そう考えてみると、恐らくその2つともNOな気がします。
その時に、パーっと頭に真理がよぎった気がしたんです。
そうです。コペルくんのように。
(すみません最近”君たちはどう生きるか”を読んだので)
受けた恩と言うのは、次の世代に受け渡すものなんだと。
与えてもらった物は、次は自分が与える番なのだと。
そうやってDNAが引き継がれていくのだと。
その昔、ごはんをおごってくれた先輩にお礼を言うと、
「いつかお前が後輩におごってやれ」
って言われたことを思いだしました。
僕のやるべきは、かつての自分のように、夢を持って強くなりたいと頑張っている人間をサポートしてあげる事。
そして、それが十分出来る様に、新しい強さをもっと身に着ける事。”強さ”を持った大人になること。
これこそが自分のこれから目指す物であると、そんなふうに考えた訳です。
これはおそらく、僕が現役時代から続けてやらせて頂いている”夢先生”の仕事の影響も色濃く出ています。
僕が子供の前で講演をするとき、”目標や夢は文字に書け”、”周りに発言しろ”って事を最後に伝えてます。
そうする事によって自分の心の地図にも目印が付けられるし、目標を公表する事によって助けてくれる仲間が自然と周りに出てくると考えるからです。
正直言うと今はまだ具体的に何をしようか、っていうのはありません。
いや、まったく無いわけでもないんですが、、
ただ、いつも子供の前で話しているように、こうやってブログに書くことによって、もしかしたら何か夢をかなえるチャンスが回ってくるかもしれません。
そんな思いもあり、5年ぶりにブログを書いた次第です。
いやー、5年ぶりにログインしたと思ったら滅茶苦茶がんばって書きました。
ホント疲れました。
これを最後まで読んでくれた方、本当にどうもありがとうございます。
そして、もし何か僕が協力できそうな事、同じ価値観を感じてくれる方がいれば、是非僕にコンタクトをとってください。
SNSでも、リアルでも。
先ほど書いた今ちょっとだけ考えている事、それは格闘家のセカンドキャリアに関するビジネスだったり、現役選手をサポートできる効果的な仕組みづくりだったり、単純に選手を育てる場であったり、そんな事だったりするんですが、もし心当たりやピンとくる方がいれば本当に声かけてもらえると嬉しいです。
あ、明日は大阪のJFKOの大会、明後日は名古屋のホーストカップの会場にいてます。
これ読んでくれた人ともし出会えれば、名刺の一つでも交換しましょう!
ちゃんと会場に名刺入れ持っていきますのでw
長々とすみません。
お読みいただきありがとうございました。
これきっかけでブログもまたちょこちょこ書こうかな。
その前にカバー写真とか表紙を変えないと。。。