笑顔の教室 宮古~気仙沼
先月に引き続き、スポーツこころのプロジェクト、
”笑顔の教室”
を担当させてもらいに岩手県へ行ってきました。
前回の様子はこちら↓
http://ameblo.jp/tomihira/entry-11060664843.html
震災後の被災した”沿岸部”に入ったのは今回が初めて。
うまく伝わるかどうかわからないけど、この3日間で見て感じた事を、いつもの様に書いてみます。
ちょい長いですがw
まず大阪から向かった場所は仙台駅。
ここでスタッフと合流し、一緒に目的地に向かいました。
この仙台駅も当時は結構ひどかったみたいだけど、いま見る分には全然普通で、震災の跡は感じなかったです。
ここから新幹線で盛岡に入り、そこからレンタカーで2時間ほどかけて宮古市へ。
その日はホテルに夜遅くチェックインして就寝、移動疲れですぐ寝ちゃいました。
次の日の朝、小学校に移動です。
移動途中の風景
一見ガレキなんかないし綺麗な町の風景なんだけど、ところどころ基礎しか残ってない建物の跡があり、津波がここまでやってきたことが解らされます。
ちなみに車の車内からみたこの風景
この写真の右に見えるらせん状の階段を覚えていてください。
この交差点、津波到来時はこんな風景だったようです。
この写真の左側が、さっきの交差点です。。。
そんな場所を走りながら小学校へ向かいました。
小学校到着
ここで子供達とゲームをし、
教室でお話し。
黒板に書いてある絵は・・・持ちネタなんできにしないでくださいw
みんなでゲームしたり、話をしたりしてると、とても辛い思いをした子供の様には見えない。
みんな明るいし元気な子。
僕らからすると、それはすごく救いだった。
”みんな本当に頑張れよ!”
そんな思いを残しながら小学校を後に。
その後、宮古でお昼ご飯を食べて、
(いくら丼美味しかった!)
車で南三陸まで向かいました。
ここから南三陸までは、ずっと沿岸部を走りながら3時間半。
嫌でも被災跡が見えます。
初めて見てショックだった。
ただショックではあったけれども、テレビで見たそれより、大きなガレキが片付いているのもあって少しは綺麗になってるのかな?、なんていう風にも感じた。
でも段々あたりが暗くなってきて、あまりその惨状が目に入らなくなった。
この日は南三陸の立派なホテルで宿泊。
一人なのに部屋広っ!
食事も超豪華です。
ここのホテルは本当に豪華で立派なホテルで、朝起きたときに窓から見える景色もすごい綺麗。
絶景です。
でもこの絶景が、当時は惨状だったんです。
ホテルの立つ場所は、海抜30メートルくらいのがけの上。
けど、
津波のときは、この上の写真で見えるあたりは全部波に飲まれたんだそうです。
一体何十メートルの波が来たのか・・・
部屋の用意をしてくれてた仲居さんは、震災当日はこのホテルで海を眺めながら、自分の家が間違いなく流されてるだろう、て呆然と思ってたそうです。
そうやって笑いながら当時のことを語ってくれました。。
それにしても、このホテルも聞かなきゃ津波被害にあったホテルなんて全然j解りません。
たった8ヶ月で営業再開してこうやってお客さんを迎え入る、その復興の力に本当に頭がさがります。
この後、津波で埋まったけど営業再開した露天風呂に入り、
ぐっすりと眠りました。
翌朝
さあ、この日は気仙沼の小学校です。
向かう道中、昨夜は見えなかった被災の跡がはっきりと映ります。
↑道中はこういうプレハブのコンビニがたくさんありました。
1時間ほど走って小学校到着
↑また変な絵が描いてますが気にしないでくださいw
前日もそうだったんだけど、子供たちは本当に元気で無邪気。
夢や希望がたくさんでみんな目が輝いてた。
その目には本当にこっちが元気づけられた。
自分がこうやって学校に行っても、やれることなんて微力だし、子供達を救うなんて大それた事は出来ないかもしれない。
でも、ほんの少しでも、心の隅っこに何かちょこっとでも残してあげれれば嬉しく思う。
この後、教室が終わり学校を後にしたんですが、電車の時間をゆっくり取ってもらっていたので時間に余裕があり、空いた時間に町の様子を見に行きました。
気仙沼の港町の様子です。
何も語らないので写真を見てください。
震災当時にテレビで見たガレキの山はかなり片付いていて、これでもかなり綺麗になったんだとは思います、
けど、初めてみるこの惨状は本当にショックで、しばらく言葉がでませんでした。
この場所で自分と同じような人たちが、同じように生活し、暮らしていたはずなのに、、
この光景を見たこのときも、こうやって書いている今も胸のあたりが熱くなります。
これをなんで書いているのか、書いてなにがしたいのか自分でもよくわかりません。
どんな感想を書くのが正解かもわかりません。
でも、ここを訪れて見た人は、周りにそれを伝えなきゃいけない気がします。
旅の最後に、気仙沼の屋台村で食事をしました。
三色丼がすごく美味しかった。
ご馳走様でした。
この後、レンタカーで駅まで向かい、電車と飛行機を乗り継いで帰宅。
今日に至ります。
なんとなくうまくまとめることも出来ず、だらだらと長いブログになってしまいました。
でも、復興を心から願うし、少しでも、力になれるならなりたいと思う。
そして僕自身も含め、薄れていく記憶や思いを絶やさないように、これからも応援を続けたいと思う。
また東北へは絶対に行きます。
スタッフのみなさん、学校関係者のみなさん、子供達、みんなお疲れ様でした。
そして、どうもありがとうございました。
頑張ってください。