箱根旅行計画 | 娘がやっている栄養療法を父と母もやってみるブログ

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娘が2026年中受予定。娘のチックを治そうと4年前から栄養療法に取り組んでます。

娘が夏休みに入ったので、箱根にでも行こうかと計画中です。


箱根は妻が妊娠中(8ヶ月くらいだったな?)に行って以来なので、9年ぶりです。

今はなき対星館に泊まったのはいい思い出です。


新宿

↓(ロマンスカー)

箱根湯本

↓(登山電車)

彫刻の森

↓(登山電車)

強羅

↓(ケーブルカー)

早雲山

↓(ロープウェイ)

桃源台

↓(海賊船)

箱根町港

↓(徒歩)

ホテル



1日目はこんな感じで移動ばかりですが、いろんな乗り物が乗れて楽しみです。


本当は大涌谷で降りたかったが、娘があの硫黄臭で気分でも悪くなったら困るのでパス。


芦ノ湖に着くのが遅れると、箱根駅伝ミュージアムや、箱根寄木細工関所からくり美術館が閉まってしまうが、そこまで欲張らなくてもいいかなと思う。




2日目はプランが2つあって、プランAがこんな感じ


【プランA】

ホテル

↓(徒歩)

成川美術館

↓(徒歩)

箱根神社

↓(徒歩)

元箱根港

↓(遊覧船)

箱根園

↓(ロープウェイ)

箱根神社元宮

↓(ロープウェイ)

箱根園

↓(バス)

桃源台

↓(ロープウェイ)

早雲山

↓(ケーブルカー)

強羅

↓(登山電車)

箱根湯本

↓(ロマンスカー)

新宿


元宮には行かないで箱根水族館に行くのもいいか。

ただ、このプランは娘には少しハードだから箱根園には行かないプランがこちら


【プランB】


ホテル

↓(徒歩)

成川美術館

↓(徒歩)

箱根神社

↓(徒歩)

元箱根港

↓(海賊船)

桃源台

↓(ロープウェイ)

早雲山

↓(ケーブルカー)

強羅

↓(登山電車)

箱根湯本

↓(ロマンスカー)

新宿



本当は元箱根からバスで箱根駅伝の復路を辿るように帰りたかったのですが、おそらく娘がバスで吐くだろうから、バスはやめて来た道をそのまま戻ります。


いずれにしろ、移動ばかりで娘がぐずらないかめちゃくちゃ不安です(笑)




ところで、箱根に行くにあたり、いろいろ図書館で借りて読んでいるのですが、ちょいと抜粋して貼り付けておきます。




鎌倉箱根伊豆の旅(松本清張、樋口清之)



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箱根では、箱根七湯(湯本、塔ノ沢、堂ヶ島、宮ノ下、底倉、姥子、芦ノ湯)というのが、江戸時代から有名であった。いまはこれに、木賀、強羅、小涌谷、湯ノ花、元箱根、蛸川、それに仙石原と大平台を加えて、箱根十五湯という。しかし、仙石原と大平台とは温泉は湧かず、大涌谷と宮ノ下から引き湯しているので、ほんとうは十三湯である。

とにかく、箱根は全山温泉のような感じである。泉源はすべてで百八十三あるといぅ。単純泉はすくなく、弱食塩泉が多い。硫化水素泉や明ばん泉がこれについでいる。泉温もわりあいに低いし、湧出量もすくない。これが箱根の大きい悩みで、いまでも新しい泉源のボーリングがほうぼうに計画されている。だが、こんなことは、温泉客にはあまり苦にならないらしい。

ここは熱海のような、かえって疲れて帰るような温泉ではなく、静かに都塵をはなれて家族連れで休養するいわば健康な温泉地として栄えている。それは、江戸時代からの伝統であった。

箱根の温泉が発見されたのも、道後温泉(愛媛県)、玉造温泉(島根県)、有馬温泉(兵庫県)、走湯温泉(伊豆山温泉、静岡県)などにくらべてずっと新しい。郷土史家岩崎克彦氏の研究によると、平効時代末の湯本温泉がいちばん古く、建久年間(1195年ごろ)の木賀温泉がこれにつぎ、つぎは13世紀の芦ノ湯、14世紀の底倉、15世紀の塔ノ沢、16世紀の宮ノ下、17世紀の堂ヶ島とすすんでいった(『箱根七湯の起源について』)。そのほかは、江戸時代と明治年間の発見であるから、箱根温泉が現在のようにそろうのには、八百年ものながい時間を要している。

箱根の温泉は、おもに早川の渓谷に集まっているが、芦ノ湯や姥子のように、中央の火口丘のまわりにあるもの、須雲川の沿岸にあるものと三群に分かれている。明治以後、国道1号線の開通で、早川渓谷が便利になったので、旅館は多くここに集まった。


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箱根は冬寒く、仙石原では零下5〜6度ぐらいに下がり、まれには零下21.1度に下が

ったこともあるのに、芦ノ湖は凍らない。芦ノ湖が火山の上にあるので、水温が高く、どんなところでも年間4度以上はあり、一種の「熱帯湖」だからである。


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火口丘や外輪山の中腹以上は、すべて自然林が残り、春の花、初夏の新緑、秋の紅葉と、さまざまに眺めを変える。ことに、その山林にはヒメシャラ(サルタまたはサルスベリともいう)が多く、その緊密な材質は、早くからここに箱根細工という精巧な木工芸を発達させるもととなった。いまでは、箱根神社の裏の林相が、県の天然記念物として保護されている。


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いまでも、箱根の観光行事として有名な箱根湖水祭(七月三十一日)は、この神社の信仰から起こった。湖上祭りは、湖水の九頭竜明神に、三升三合三勺の米の飯を湖底に捧げる祭事である。夏の箱根の行事として、美しい船の装いと、献灯祭の花火と明かりは、観光客の目を楽しませる。




つげ義春の温泉(つげ義春)



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あくる日は小田原を経て箱根へ行った。意外と旅好きの子どもにせがまれてもう一日のばすことにした。貧乏人の私には、箱根は縁のない所と決めていて、これまで来たことがなかった。
賑やかな湯本駅前から須雲川の対岸の方を眺めると、ホテルが並び宿屋が多いように見えたが、昔から古風な宿屋のある塔ノ沢の方へ国道を歩いて行った。湯河原以上に車の通行が多く、猛スピードで走るので、歩道のない道を命がけで歩いた。
車から避難する裏路でもあると助かるのだが、国道一本しかない。私たち以外歩いている人はまったくいない。危険で宿から外へ出ることもできないのだろう。出ても塔ノ沢には宿屋が二、三軒きりで店屋もない。純和風の高級旅館で私たちにはとても泊れそうにない。国道から逃げるため塔ノ沢から登山電車に乗って大平台へ行った。スイッチバックで登って、早川の渓谷を眼下にして、やはり天下の険といわれる険しさだと思った。
大平台は展けた丘の斜面の新興の温泉。民宿のように小型の宿屋が二十数軒ある。
森も溪谷もなく景色は単調。宿代が安いのだけがとりえで、一泊五千円の八千代荘に投宿した。しかし冷凍食品ばかりの料理には食欲が失せた。食堂で食べる式で、二十人からの老人客にとり囲まれて、静かな老人たちで、なんだか寂しい気持ちになった。この宿に決める前に、小さな宿屋に一度入った。宿屋造りをしていない普通の町家の構えで、民宿風でもない下宿屋のような感じで、部屋も三つほどしかなかった。あいにく窓のない暗い部屋しかなくとりやめたが、主人は教師のようなタイブで、勉強でもしたくなりそうな宿屋で、変った宿屋が好きな自分は、あとで面白そうに思えて、そちらに泊ればよかったと悔まれた。
翌朝は九時に部屋を掃除にきて、追い出されるように宿を出た。また登山電車で終点の強羅まで登った。会社の寮や団体施設のやたらに多い所で魅力なく、そこからロープウェイで登る大涌谷や芦ノ湖も、期待はずれになるだろうと、行ってみる気になれなかった。
引返して宮ノ下に下車。宮ノ下、堂ヶ島ともやはり国道に面してうるさい。宿屋は四、五軒と少く、大型高級宿ばかりで外人客が多いという。そのせいか骨董屋が二、三軒目についた。文化財級という豪壮な富士屋ホテルのすぐ横のパン屋で食パンを一斤買った。早川渓谷で食べるつもりだが、谷間へもたやすく降りることができない。さんざん降り口を探し回って、降りた谷は、旅館からの排水でひどく汚れていた。かなり深い谷で、谷底まで見物するものはいないらしい。
何もつけぬパンを三人でちぎって食べて、だんだん侘しい気持ちになった。大平台以外は、やはり貧乏人の来る所ではないようで、箱根の印象は、一部を見たに過ぎないが、東北地方の鄙びた温泉地に馴染んできた私には、どうして人気があるのか解らなかった。
(昭和60年8月)

八千代荘を調べてみたらなくて、弥千代旅館というのならあるが、これだろうか。
一人一泊1万円ぐらいみたい。

富士屋ホテル横のパン屋ってこれかな。
2軒ある。食パンが有名みたいだから渡邊ベーカリーの方かな。









昭和30年代の神奈川写真帖