葛飾北斎・歌川広重・歌川国芳の浮世絵からみる当時の信仰 | FMのブログ

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昔のカメラNikon FM

浮世絵が開花した江戸時代。

 

葛飾北斎は江戸後期に多くの作品を残した絵師。

世界的有名になった絵画は富嶽三十六景シリーズの

神奈川沖浪裏・凱風快晴・山下白雨など。

多くの作品は海外でも有名になった。

1700年代の後半の江戸といえば政治も大阪から

江戸へ変わってから安泰の世になった時代でもあり

一般庶民の生活も贅沢や娯楽が生まれてきた時代で

もある。

 

 

 

 

 

 

 

 

北斎が没した後に阿波徳島藩主蜂須賀家お抱え

能役者:斎藤十郎兵衛という人物が(濃い)デビュー

する。蜂須賀公といえば日蓮正宗の大名信徒であり

昭和30年代まで日蓮正宗総本山大石寺にも、その

偉業を例えた碑も建立されていた。

 

斎藤十郎兵衛の別名は東洲斎写楽で俗に写楽として

知られる人物。わずか145余りの作品を残して

音信不通になった浮世絵師だが、かなり天才だった

との説が濃い。

 

突如消えた浮世絵師・・・写楽

阿波の国の大名だった蜂須賀公のお抱え役者なので

どちらかとえば武家の名もあり本業の役者であった

ので絵は人物絵が多い。

 

 

 

 

二人の浮世絵師

歌川広重

歌川国芳

 

1800年代になると浮世絵はブームとなり、絵師

になろうとする人も増えてくる。安藤重右衛門氏も

その一人で、当時有名だった浮世絵師の歌川豊国の

門を叩いたが、弟子入りを望む人で一杯だったため

入門を断られた。

その後、歌川豊広の入門を許され弟子入りしデビュー

を飾る。

 

東海道五十三次は、江戸後期の華やいだ庶民の旅行

に伴って旅先の模様を描いた浮世絵になっている。

 

 

 

 

 

一般の浮世絵師にみられる絵は繊細・庶民の流行を

描いた内容が反映されている要素だが、歌川国芳の

浮世絵は独特な浮世絵で有名になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日蓮大聖人の仏法が飛躍的に一般庶民に知れ渡った。

浮世絵を使った日蓮大聖人の教義や指導は多いに役にたった

わけで歌川国芳氏は多くの日蓮大聖人の絵を描いている。