山崎製パン会社員が強盗致傷で逮捕 | FMのブログ

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製パン大手山崎製パンの会社員が逮捕・・・・

 

製パンの社員が強盗致傷という非常に重い犯罪に走った。

自分が7歳のころに入社した製パン会社が第一屋製パンだった。

通称名は第一パンで本社は東京小平市にある日本大手製パン会社

でもあったが、80年代から山崎製パンが第一位の座を奪い日本

の製パンメーカーとしては最大の企業になった。

 

とにかく製パン会社の熾烈な闘いというか、第一パンは2位に

下がり今では3位以下の会社になった。

先代から2代目に引き継がれた第一パンですが先代は昭和22年

ごろ大田区東六郷あたりで屋台のコッペパンを販売していた。

第一屋菓子店と言う屋号は今の引き継がれているが大田区東六郷

は東京鎌田のエリアであり多摩川沿いにあるエリア。

 

鎌田といえば鎌田行進曲でもお馴染みですが創価学会の3代会長

池田大作先生が第2代戸田城聖会長の御書講義で有名になった

会場があった。当時は個人宅だったが肺結核を患っていた池田先生

が戸田先生の御書講義に誘われて入信を決意したという話も有名。

 

もともと大田区は池田先生の地元であり海苔で有名なエリアでも

あった。そこへ戦前には水上飛行機の波止場が設けられた。

当時の大田区の海は海水浴場で夏場は賑わう地域だったわけで

夏の避暑地として大田区・川崎・横浜は潤っていた。

 

そんなエリアで育った池田先生の思い出が残る地域で戦後に

屋台のワゴンにコッペパンを載せて牽いて歩きながらパンを販売

する。コッペパンはジャムやバターなどさまざまなものがあり

注文を受けてナイフでコッペパンを半分を切り中にジャムやバター

などを塗ったものを提供していた。もちろん油で揚げたパンに

砂糖をまぶしたものもヒットした。

 

母が勤務していた第一屋製パンは八尾工場だったが80年代後半に

池田工場に移転する。八尾工場は配送センターになってしまい

母は自転車で20分ぐらいの通勤から2時間以上の通勤になった。

 

多くの人が挫折する中で母は地下鉄の始発か次発に乗って出勤。

池田工場の最寄りの駅が阪急蛍池駅でそこから自転車で更に30分

走らねばならかった。

 

これを概ね20数年間勤めた。月曜日から土曜日まで毎日残業2時間

をして帰宅する母は朝は始発電車に乗るため、いつも早朝4時に

起きて洗顔し勤行を済ませ、いそいそと駅へ向かった。

 

そんな母が金属30年を迎えたころ、本社から社長が来られ30年勤続

の表彰状とバッジを授与されている。

 

とにかくペンキ屋一筋、現場まで電車で通った親父よりも自慢だった。

身長わずか148cmの小柄な身体で頑張った母に感謝したい。

 

母はつよし・・・・