病魔の治療と症状の闘い | FMのブログ

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昔のカメラNikon FM

現在、C型肝炎を患っている人は30年前に比べて半減以下まで減りました。

平成に入って間もなく白血病・血友病患者から、ある病気を示唆されたのが発端になったC型肝炎が、

当初は白血病や血友病患者だけの感染病だと疑われてきたが、C型肝炎が日本人に感染したケースで

最も多いのがアメリカから輸入された止血剤に含まれていたC型肝炎ウィルスによるものだった。

 

このC型肝炎に病気を薬剤によって感染が広がったことを示唆した医師の団体が明らかにしたのが

アメリカから輸入された止血剤に、問題があると提唱し独自調査して明らかになったのが薬害

ウィルスの始まりである。

 

アメリカは日本政府に止血剤の使用について早い段階で使用を控えるように指示をだしていたのですが、

当初の医学において様々な用途でアメリカから輸入された止血剤が医療の現場で使われていました。

その輸入していた止血剤は血友病や白血病患者のために出血したら止まりにくい血液の病気を患って

いる人に投与するための薬なのですが、用途は他にも見出されていく。

 

出産時の大量出血や交通事故による出血、それに手術にも使われた。

 

もちろん血友病などの患者には当然出血を抑えるために投与されていたのだが、早くも止血剤を投与

された患者が数十年の年月を得て肝炎になっていることを疑問視した医師団が調査を始めた。

原因を突き止めると止血剤の有無に関わっているのではないか?という疑問から輸入元であるアメリカ

の製薬会社に調査を依頼するも回答はすでに出ているという返事が返ってきた。つまり、アメリカの

製薬会社とアメリカ政府は日本政府に早い段階で止血剤にはC型肝炎ウィルスが入っていることを示唆。

その上でアメリカも止血剤は早い段階で使用を禁止していたというのだ。

 

日本の病院で問題の止血剤を調べたら、ほぼすべての止血剤にC型肝炎ウィルスが入っていることを

確認。それをもって薬害ウィルスの存在を突き止めた。しかし、医師団が恐れたのは血友病や白血病

患者だけではなく多くの別の患者にも使われていたことを明らかになってきたためである。

 

集団感染が確認されたのを期に日本政府と医師会は事実を認めた。

やがてC型肝炎ウィルスの薬害ウィルス訴訟が始まり、ニュースを賑わせ、瞬く間に血友病・白血病

患者の数を超えてしまったのだ。

 

当時の裁判所は、この訴訟問題で賑わせたが次第に下火になっていく。

なぜ下火になったのか?C型肝炎で感染した皆さんが訴訟で納得のいく判決を受けたわけではない。

SEX感染による感染だとか、訳の分からない難癖をつけては却下され賠償金も受けられず、やがて

C型肝炎による感染症で肝硬変から肝癌へ移行し亡くなってしまった人が大部分を占めてしまう。

国にとっては静かになったと思うかもしれないが、実際に裁判ではC型肝炎ウィルスに感染した

ある女性が法廷で示唆されたのが日常的な性生活が乱れていると指摘され却下されたケースもある。

 

あなたの親類に梅毒になった人がいるというだけで女性は無性の淫乱的な行為に走って感染した可能性

を示唆してきたのだ。女性にとっては法廷でそのような行為を示唆されるなど思っていなかった

のだが、それを平然と追求してきたり、女性にとって語りにくい行為を堂々と語り出し指摘してきた

ケースもあった。

 

しかし、C型肝炎ウィルスはセックスなどでは感染しないことが明らかになって再度再審をやり直す

ため控訴に持ち込んでも、覚せい剤の使用や不衛生な医療道具による感染を示唆してきたという。

その女性には覚せい剤や入れ墨と繋がる過去の経歴などは一つもなかった。

 

それでも国は認めようとはせず、最終段階で止血剤を病院で使用したというカルテや当時の主治医の

証言がない場合は信用できないと一斉に言い出したのだ。

つまりC型肝炎訴訟は全ての感染者(正規で病院で止血剤を投与された人)を認めると国の財政が

傾く可能性があり、国としては認めるわけにはいかないというものではなかろうか・・・・・?

 

C型肝炎の感染を裏付ける証拠として投与されたカルテが無い場合は無効ということになったのが

現在も横行しており、そのカルテが出せない患者たちが、次から次へと肝硬変や肝癌で他界して

いった。

 

自分の場合は交通事故で骨折し手術を受けた日が、昭和58年の3月7日だった。

厚生省のHPに問題の止血剤を導入した病院のリストが公開されているのだが、そのリストには

手術を行った病院が昭和58年に21本の止血剤を導入したことが記載されていました。

しかも、自分が手術を終えた手術室を出る際には、看護師が「この点滴は、この病院で初めて

使うお薬ですよ」と説明していたのを記憶している。そして病室に戻ると手術を行った主治医

が止血剤の説明をされた。やはり手術室を出る際に看護師が言ったことを復唱するかのごとく

同じ事を言っていました。

 

つまり、その病院では自分が初めて問題の止血剤を投与されたことになるわけです。

止血剤を投与されたのは全部で2本でした。抗生物質の点滴と並んで同じぐらいの大きさの

容器に入った透明のガラス瓶が今も記憶している。

 

もちろんC型肝炎が明るみなって慌てて、その病院に電話をかけた。手術をしてから5年目の

年だったのでカルテの存在を明らかにするためである。

病院側は資料は別のところに保管しているので、現時点では明らかにできないとの返事が

ありました。それでもカルテのコピーが欲しいと言ったら、資料は他の患者さんの分も含めて

大量にあるので自分ひとり分のカルテを出すという作業には応じられないとの返事が返って

きたのだ。

 

裁判所などの書状がない限りカルテは出せないと説明された。

その翌月に弁護士を依頼してみようかと思っていることを告げてカルテを求めたのですが

病院側は既に破棄しているとの返事が返ってきた。カルテが無いと言われて絶望的になって

諦めていたのですが、2015年に母が他界して実家の片付けをしていたら、当時、手術を受け

たのが母子医療の制度を使っていたわけで福祉機関から確認のための資料が出てきた。

 

几帳面に保管していた母に感謝した。

その母子医療の通知には、昭和58年3月7日の手術費用についての記述がありました。

病院から手術費用の請求書のコピーが付属されており、その費用の欄には手術で使用した

道具や医薬品、そして手術技術費用、麻酔技術費用などがキメ細かく記載されていたのです。

 

手術で使用した医薬品の欄には「フェブリノゲン/ミドリ十字(止血剤)2本」と書かれていました。

その単価も記載されています。

 

主治医の指名と麻酔医師の指名と手術の助士だった看護婦の指名も記載されていました。

最後に請求書を作製した会計士の指名も記載。

 

カルテがないと裁判をしても却下されるだけという弁護士に電話で告げると、証拠になる可能性

が大きいとのことだった。発行したのが役所の福祉医療機関なので疑う余地はないとも言っていた。

 

2018年にC型肝炎の治療を行ったのですが、その治療の始まりから完治したカルテをすべて病院で

コピーしてもらったものを含めるとC型肝炎が止血剤によるものだと明らかに判明できる内容に

なっている。

 

和解がほしいのではない。

今まで苦労した人生を考えるとお金にされるのは、悔しいんですよ。

仕事だって同世代に人と同じ作業をしても身体が付いていけないなどの理由で解雇を何度も受けた。

あんな作業ぐらいでバテてしまう自分が悔しい思いをしていたら社長から呼ばれて「明日から、もう

来なくていいよ」と言い渡されたことは何度もあった。

 

金銭的に行き詰まり、母や姉を苦しめたことも只多くあったことを思い出すと悔しさの捌け口を

どこへ向けたらいいのだろうか?

 

しかもC型肝炎の元となっている止血剤ですか?これって自分が受けた手術で必要だったのだろうか?

そんな疑問が脳裏をかすめる。この病院で初めて使用する止血剤ですよ~。よいお薬ですから早く

治そうねぇ~・・・・・。今も聞こえる当時の看護婦の声と主治医の助言・・・・。