★「十種神宝」とヌーソロジー | 『なかいま自分教』ガイド

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皆さん、こんにちは。とうしんです。

昨日11/23は宮中におけるお祀り『新嘗祭』の日でした。天皇陛下がその年に収穫された新穀などを天神地祇(てんじんちぎ)に供えて感謝の奉告を行い、これらの供え物を神からの賜りものとして自らも食するという大変重要な大祭です。

その前後、22日は奈良県・石上神宮にて鎮魂祭(みたまふりのまつり)・・・本日の24日は島根県・物部神社にて鎮魂祭(みたましずめのまつり)・・・が行われます。

同じ「鎮魂祭」でも前後で読み方が違いますね。前日に「みたまふり」で生命力を沸き立たせて、後日の「みたましずめ」でその生命力を定着させる・・・という意義が読み取れます。そしてここには天皇家と物部家との間にある深い関係・・・実に深い奥義が隠されています。

そんな11月、先日11/12に開催した2023第4回統心オンライン講演では『「十種神宝」とヌーソロジー』というテーマでたっぷり3時間の講演をさせて頂きました。お陰様で大好評でした。

◎半田広宣さんから、直接以下の様なお言葉を「X」に頂きました。

川瀬さんの「十種神宝」レクチャーを拝聴。ヌーソロジーの解釈をさらに敷衍して、とてもわかりやすく丁寧に解説しています。日本人全員が聴いた方がいいと思う内容。ほんと、「十種神宝」は恐ろしいほど研ぎ澄まされたイデアの象徴表現です。――2023/11/22

◎参加者のお一人、Rさんからは長文の感動メール。(一部抜粋)

この講演を聞いた日本人全ての霊性は絶対に高まると思うので、ぜひ一人でも多くの方に聴いていただきたいです。自分の内に宿る霊なる認識力と神性が高まり、まさに自分からアプローチして深い世界へと向かうようになっていける気がします。私はそう感じました!

《2023年第4回統心オンライン講演・録画視聴・・・12/31まで》
 

さてそれで、先月と今月の大阪ヌーソロジー教室では「十種神宝」をテーマにして、ヌーソロジーの角度からさらにあれこれと掘り下げています。

以下は先日発振したメルマガからの抜粋ですが、『「十種神宝」とヌーソロジー』に関するちょっとしたメルマガレクチャーの様にまとまっていますので、自分教ガイドでもシェアすることにします。

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************* メルマガ抜粋 ここから *************


◆今月の定例ヌーソロジー教室/大阪・京都◆

今月のテーマ:「十種神宝」とヌーソロジー パート2
~ 鏡像交換を抜け出し、実像交換に至る道を探る ~


●「十種神宝」をヌーソロジーで解明する

先月の教室及びオンライン講演において「十種神宝」に対するヌーソロジー解釈の全貌を明らかにした。

初めて聞いた方はきっと驚かれたに違いない。ヌーソロジーの観察子構造が、実にそのまま「十種神宝」に当てはまるなんて…と。

私もこれを初めて半田さんから聞いた時は(2016年)、驚きでアゴが外れそうになった。決して大げさではない。

そもそも「沖津鏡-辺津鏡」の「2枚鏡」はそのままヌーソロジーの「自己・他者」構造にダイレクトで当てはまる。これはほとんどそのままだと言って良い。

そこから派生する「生玉-死反玉」が、その形状の意味すること、これまたそのまんま「ψ5/位置の等化」と「ψ6/位置の中和」となる。

その流れで「足玉-道反玉」が「ψ7/位置の変換」と「ψ8/位置の転換」になるのは必然。

「足玉・道反玉」は形状が観察子の文脈にそってそのまんまであり、2016年当時の半田さんにおいては、これらを「陽子・中性子」構造と読み込んで実に見事な解説であった。

問題はここから先だ・・・3つの「比礼」。2016年に聞いた時は、このあたり全く実感が伴わず、観念遊戯の域を出なかった・・・ヌーソロジーあるあるである(笑)




●遂に「剣」の奥義を解明!

と・・・その前に、先月の最大の目玉は何と言っても「剣」の奥義解明だったはず。

長年に渡り、半田さんが孤軍奮闘・叫び続けて来た「一本の線になれ」「モノの中に入れ」「素粒子になれ」・・・が、新鮮な衝撃を伴って実感できたのではないだろうか。

・・・これぞまさしく「剣」・・・「奥行きの覚醒」。

「剣」の奥義がヌーソロジーにとって最重要マターであることがよく分かったと思う。

このあたり、統心レクチャーの面目躍如である。決して観念遊戯に終わらすことなどしない、させない。

こうして解明された「2枚鏡」「1本の剣」「4つの玉」の土台の上で初めて華開く「3つの比礼」。

「蛇の比礼・蜂の比礼・品々物比礼」がそれぞれ「ψ9/位置の等換・ψ10/位置の融和・ψ11~12/位置の同一化」に当てはまっていくことは「直観的」に感じられたであろう。


※ここまで読んで「十種神宝のヌーソロジー解説」に興味を持たれた方は、ぜひとも「第4回オンライン講演・録画視聴」か「大阪教室10月号新作動画」をご覧頂きたい。

《2023年第4回統心オンライン講演・録画視聴・・・12/24まで》



●そして「3つの比礼」の解明へ

さてと問題の「3つの比礼」であるが、前回の説明がいくら面白かったとしても、観念遊戯に過ぎないと言われれば反論はできない。

だからこそ、より詳細な検討が必要になってくる・・・それが今月のテーマである。

3つの比礼・・・中でも10個神宝のラスト「品々物比礼」は、そのままヌーソロジーにおける顕在化プロセスのラスト「位置の同一化」に当てはまると思われ、特別に重要な意義を持っている。

それにこの「位置の同一化」は、顕在化スケジュールにおける2023年と2024年の働きに相当するため、いまこの事について思考し取り組むことはこの上もなくタイムリーであり、地球精神の大いなる助けを借りれること間違いなしである。

ということで今月は統心と共にこのナゾに挑戦しようではないか。


●統心の戦略

さしあたって統心は、以下のような見立てをしている。

【1】鏡像交換の実態を把握する。

●肉体・顔は他者側にある?

私たちは「鏡像交換」の魔法の中に眠らされている。まずはその眠りから覚めなければならない。

鏡像交換の魔法とは何か…その本質はずばり「肉体」と「顔」は「他者空間に所属している」…という「事実」である。

そう、これは事実なのだ。妄想でもなんでもない。まずはこの事実を空間構造として理解し腑に落とすことだ。その理解の上で、感覚の変容に注目する。

「鏡像交換」という事態をヌーソロジーでは「他者の他者」と言う。イデアサイコロジーであれば「他我化」だね。

そのため人間は「自我」を「他者の他者」として認識する。人間世界の混乱と葛藤はすべてここに起因している。目覚めの第一歩は、この状況から抜け出すことに他ならない。


【2】なぜ鏡像交換が生じるのか。それを元返すことは可能か?

●まず「肯定」から始めよ

否定から始まると否定に終わる。肯定に辿り着きたければ肯定から始めるしかない。

矛盾している様に思えるだろうが、鏡像交換という「人間悪」の根本原因に対して、否定で臨むのは筋違いだ。

否定に始まるものは否定に終わる。それを「魔釣り」と呼ぶ。これは統心哲学のイロハだ。

肯定というゴールは肯定というスタートによって成される。こちらが「真釣り」。一厘の秘密である。

顕在化の道は「真釣り」である。だからヌーソロジーは変換人を「別人」と呼ぶのである。

人間と変換人では欲望も動機もビジョンも、すべてが反転している。まったく「別もの」なのである。


●ヌーソロジーに「罪概念」はない

さてそれで、忌まわしき鏡像交換を肯定するということはどういうことだろうか。

何のことはない・・・「高次にある何かの低次射影」として捉えるということだ。要するに「転倒構造」…「人間は転倒している」…これがヌーソロジーのお約束である。

従来「人間悪」として見做されていたものの根本原因は、大抵がこの「転倒構造」に由来している。そう見るのがヌーソロジー。

だからヌーソロジーにはユダヤ精神の様な堕落概念がない。原罪概念がない。救いをもとめて渇望の病に落ちた一神教信者にとって、真の意味の解放はここにあると言いたい。


●鏡像交換の反対は何か?

話を元に戻すと・・・忌まわしき「鏡像交換」を高次の何かの射影として見るということ。

では一体何の射影か・・・それは鏡像交換の反対・・・ずばり「実像交換」ということになるだろう。

そう、高次では何らかの「実像交換」が成されているのである。それを顕在化することこそが、目下、顕在化のゴールと言っても差し支えないだろう。

実際、これについてはヌーソロジーではよく言われている…「君と君の君」…。例の詩人・河村悟氏から広宣さんがインスパイアされたものだ。

確実に高次では「実像交換」が起こっている。その低次射影として、人間世界に「鏡像交換」が起こっているのである。


●では実像交換とは何か?

先ほど、鏡像交換の本質は…肉体・顔が他者空間に所属していることである…と言った。では実像交換の本質は何か。

恐らくこういうことだろう。

真の自己とは何か…自己を認識している究極のものは何か・・・それは「自己以外」「自己とは全く別のもの」「自己に対して究極の差異を持っているもの」・・・と推測される。

自己に対する究極の差異とは何か・・・それは正しく「他者」である。他者とは「絶対的に自己ではない」ものだ。差異である。

つまり、自己を認識しているのは他者なのだ。究極においてそのようなことが起こっている。真の自己をウラ支えしているのが真の他者である・・・と言っても良いだろう。

ここを掘り下げると面白いことになる・・・もしかして「わたし」とは「あなた」だったのか?・・・と。

ここに到達したいのである。観察子で言えば「ψ5」と「ψ*5」の交換。この回路の復活・顕在化こそが辿り着きたいゴールなのだ。


●ψ11の顕在化へ

そして「ψ*5」とは「ψ11」の別の現れなのである。・・・ここらあたりを観念遊戯と言うなかれ、避けるなかれ。むしろ真逆だ。この構造思考こそが「現実界」へと接触する可能性を持っているのだ。

思考が現実に接触すること・・・これ以上の奇蹟があろうか。これはまさしく魔法だ。呪術だ。錬金術だ。・・・そして、これこそが哲学の本質だ。ハイデガーが目指したものだ。

ψ11の顕在化とはそういう次元なのである。そしてこれが「品々物比礼」の顕在化でもある。


今月のテーマ『「十種神宝」とヌーソロジー パート2』・・・今回はとても挑戦的な教室である。

この「実像交換」のナゾを解明するべく、西田哲学の「絶対無」の思想や、メルロポンティの「奥行きと同時性」の概念なども持込み、ヌーソロジーと十種神宝の文脈に従って、「三つの比礼」の解像度を上げて行くことにしよう。


興味がある方はどなたでもお越し下さい。

とうしん勉強会は、いつでも初めての方オッケーですよ。


★11/21(火) 京都教室ヌースライブ
場所:ウィングス京都 会議室11(地下)
午後6時半~9時

◎京都教室はライブ感覚重視
統心のフリートーク中心に自由にやっています。
毎回楽しい会となり、とても好評です。

※京都は「場の変容」を体験する実験的ライブです!


★11/25(土) 大阪教室ヌースレクチャー
場所:江之子島文化芸術創造センター ルーム6(地下)
午後1時半~5時

※今回はいつもと同じ「阿波座」ですが、地下のルーム6です。ご注意を。

◎大阪教室はビデオ撮りするレクチャー形式
テキスト・スライドを作り上げ、構成しっかりで臨みます。
時間もゆったりで、アフターも楽しいです。

※構築美の大阪レクチャー、懇親会も盛り上がります!

※京都&大阪のW参加で意識進化をブースト!


・定員20~30名(制限はありません)
・体調の悪い方はご遠慮ください

《お申し込みフォーム》


************* 転用ここまで *************

ということで、本日のブログはここまで。

それではまた。

とうしん

※写真は2023/11/23 夕方の大阪市内。珍しい気象現象である「サンピラー(太陽柱)」が偶然に撮れました。