◆「他者」って何?・・・読者さんからの質問に応えて | 『なかいま自分教』ガイド

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世界の様々な思想・哲学・宗教を探査し、最後にたどりついたのは『なかいま自分教』でした。
『自分教』にたどりつきつつある人が増えていると思います。
そのような方々を応援し、かつ自身の『自分教』を磨き上げる為にブログを書いて行きます。

みなさん、こんにちは!とうしんです。

2023年も2/4立春を越えて、実質的なスタートをしました。

そんな中、すっかり御無沙汰が基本になってしまった当ブログですが、まだまだ継続していく気は満々であります。

というのも今年はそろそろ第2作目を書きたい衝動に駆られておりまして、このブログを活用しながら少しずつ原稿を書いていく計画があります。

とうしん、客観的にみて(口からでまかせの)しゃべりも上手なのですが、やはり文章の説得力や表現力にかなり定評がある様なのです。

それに文章は読まれる方の思考を育てていく効果もあり、やはり「ヌーソロジー~自分教」の様な新しいゲシュタルトを伝達するのに最も重要なツールだと改めて自覚しております。

ということでブログ執筆のハードルを下げるべく、今まで以上に文体やコンテンツ・スタイルは気ままに暴れると思いますが、引き続き暖かい目で見守って頂けますよう、よろしくお願い致します。


さて本日は、関西ヌーソロジー研究会のとあるメンバーの方とのやりとりで、皆さんともシェアした方が良いと思われる内容がありましたので、それに少し編集を加えてここに掲載したいと思います。

とうしんの文章は、いわゆる「ポエマー」の方のそれと正反対の位置で、「自分の思い込みを言い放つ系」ではなく、「自分の思いつきを丁寧に解説する系」であります。

以下のメール内容は、そんな「とうしん節」が遺憾なく発揮されておりますので、是非ともご一読ください。


 

************* 転用ここから *************

○○さん

先日は大阪教室にご参加下さり誠にありがとうございました。

定期的に顔を出して下さる○○さんには、いつも本当に励まされています。

それで懇親会での○○さんのご質問に対して、何か歯切れの悪い回答ですみませんでした。

大阪勉強会の日は、いつも前日徹夜で準備するのが恒例でして、レクチャーが終わって懇親会、次のお茶会の頃にはもう「脳力」が20%ぐらいしか使えない状態になっており(笑)、いつも後から申し訳なかったと振り返っております。

それに○○さんの質問が核心を突いているだけに、うまく答えられず・・・でもボクがああいうモードになる時は、「質問の内容が良い」のと「答えるのに万全の体調が欲しい」時なんだなぁ、と改めて後から確認した次第です。

さて、頂いたご質問は「他者とは?」・・・でしたね。

まず、はっきりお答えすると、それは「外部」のことです。

外部です。まったく外、別の世界・・・それが他者です。

いま私たちはそれぞれの「自己」を生きています。

例えばあの懇親会にいた13人、全員がそれぞれ「わたし」であると。


ここはご賛同下さいましたね。それぞれ「わたし」として、「自己」を生きている。

あの場所の店の空間、お互いの顔、みんなの様子・・・
いま目の前に見える風景のすべて・・・

実際のそれはすべて各自の「内側の風景」です。

それを最近の脳科学では「脳内イメージ」を見てるとか言ったりしますが、とにかくみなそれぞれ「内側の世界」を見ているだけですね。

目の前のモノや他者なども、実際はすべて「内側」として見ています。これが「人間型ゲシュタルト」です。

ようするに「普通の人の常識的な見方」です。
この時の「内側の世界」を「人間の内面」ともいいますね。

そして人間型ゲシュタルトというのは、このこと自体に気づいていない・・・という状態のことでもあります。

各自がそれぞれ「自分」の殻の中に閉じこもっていて、要するに全員が「主観的世界」を見ているだけで、客観とか外の世界はいっさい見えていない。そしてこの事に全く気づいていない。

それに気づかないことで、あろうことか、全く見えていないはずの「客観世界」というものを「想像上」で作り上げて、そちらの方を「実在している」と勘違いして、認識している。

要するに普通の人が「客観世界・外の世界」と思っているのは、実際は「想像上」の世界です。

ですが、この「想像上」の世界は「科学・数学」によって「記述」することができる為に、結果としてそちらが「真実の世界」となり、「大いなる勘違い」「共同幻想」の中に全員が落ち込んでいます。いわゆる「時空」というやつです。

時空は科学で記述される為に、実験したり、ロケットを飛ばしたりして、予想通りに動かし確かめることができてしまうのです。

でもこれは「生命」と全く関係がありません。

この領域では「永遠の今・ここ・わたし」を記述することはできません。この領域「時空」は「瞬間の連続」であり、「生命」は「永遠の持続」であるので、お互いが全く「別のもの」だからです。

不思議なことに賢い人達のほとんどが、その賢い頭脳をもってしても、この様なことに全く気づいていない。

この状態が、本当の意味での人間型ゲシュタルトです。

まずこれに気づくことが、第一歩なわけですが、すると、次には「外側」って何?・・・となるはずです。

確実に存在しているけれど、実際には見えない、見ていない世界・・・。

ボクがよくレクチャーで出す例えとして・・・

あの勉強会の日で言えば、あのビルの中にはたくさんの人がいて、あのビアホールのあの時間にもたくさんの人が食事していたけれど、おそらく私たちは、「この先、一生出会うことのない人」が、あの日あの時間のビアホールの中で、何人もいたハズです。
そういう、ちょっと考えると背筋が寒くなるような「外部」が、実際に隣り合わせ、すぐ真横に存在しているのですが、私たちはそれに気づきません・・・。

これが「外部」です。
そしてこれが、ヌーソロジーが言いたい「他者」です。

ついでに言うと、この「他者」が実際に見えるようになり、この「他者」側に意識が侵入する様になることが「意識進化」の道と思われます。

あともうひとつ、あります。それが「内側の他者」です。
これが、今回ご説明した「別人」「人間の反対」のことです。「もう1人の私」です。

私を支えている「もう1人の私」・・・。

これもよく私が例えるのですが、ちょうど「胎盤」の様なイメージです。

胎盤は、赤ちゃんと同じ細胞で出来ています。
受精の時点で二つに分かれた双子の片割れです。
それが、一方は「赤ちゃん」になって生まれて、今日の私の身体へと・・・。
もう一方は「胎盤」となって、赤ちゃんを支える側になり、役目を終えて消えていく・・・。

その様な、陰の世界に消えて(潜象界)、そこから私を支えている、もう1人の私のことです。


これが「人間の反対」に対してボクが持っているイメージです。

この「人間の反対」が「内側の他者」なのですが、まずこの「内側の他者」と交差することで、本当の意味で「変換人」の意識になります。
 

その後で、「外側の他者」、「本当の外部」にまで意識が侵入できるようになります。それが「ヒト」の意識・・・という訳です。

とりあえずはこんなところで。

ヌーソロジーで「他者」という場合は
このような「本当の「外部」」という意味と
内側の「もう一人の私」へ向かう「別人」の方向性
そんな感じで取り扱っています。

取り急ぎ、お返事まで。

ではまた、教室でお会いできるのを楽しみにしております。

川瀬とうしん


************* 転用ここまで *************

ということで、本日のブログはここまで。

今年はいっぱい更新するぞ~。よろしく!

とうしん