人間の「霊的解放」について | 『なかいま自分教』ガイド

『なかいま自分教』ガイド

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今日は2015年8月8日。2015は2+0+1+5=8だから8・8・8の日となり、スピリチュアルの世界では何やらライオンゲートとか言うらしい。ではちょうどいい機会だからライオンのように吠えさせて頂こう(今日もこの文体で書かせてもらいますね)。

前回のブログで「客観は存在しない」ということを明言した。これは意識進化の第1ステップである。これから始まる新時代を開く、認識革命の第1歩なのである。

これは何も難しいことを言っているのではなく、また目新しいことを言ってる訳でもない。よくよく考えてみれば人間は生まれてから今日まで、誰もが「自分の視点」「自分の世界」だけしか見たことがないのであり、これは死ぬまできっとそうである。だから見ている世界、知覚している世界は全て「主観」なのであり、「客観世界」とは頭の中で想像している世界だということ。そしてそのどちらが現実なのか?と真面目に問えば、やはりどう考えても「主観」の方が現実だろう?ということである。しかしながらここが一般常識では転倒しているのである。一般常識では「客観世界」のことを「現実」というのであり、「主観世界」の方は「妄想」という訳だ。「主観でものを言うな!」などと誰でも身に覚えがあるでしょう?

だが「主観世界」の方が現実ではないかという発想は、哲学においては「現象学」そして「超越論的主観性」というものであり、また仏教におけるもっとも伝統的な「唯識」がまさにそうなのである。あの玄奘三蔵が中国から遙々と天竺に渡って学んだお経も「唯識」であり、その後その内容が日本に伝えられて成立した奈良の興福寺・法隆寺・薬師寺などはみな「唯識」を学ぶ寺である。唯識は正当で堂々たる仏教における認識方法である。

そして科学の分野においても、脳機能科学の発達によって「内部表現」という主観世界が「現実を形作るメカニズム」もある程度分かって来ているし、量子論の世界では人間の「観察」が現象に介入することが明らかになっている。量子論的実在論・・・つまり「観察者のいない宇宙は存在しない」という結論にも繋がる重大な実験「ホィーラーの遅延選択思考実験」の成功が本年6月に科学誌ネイチャーにて報道されたのは記憶に新しい。

このように「客観は存在しない」「全ては主観である」が市民権を得る日も近い。これがはっきり分かれば「引き寄せの法則」とか「鏡の法則」「ホ・オポノポノ」などスピリチュアルにおけるゴールデンルール達がもっと身近なものとなり、人間の自由度は格段に増すことだろう。誰もが魔法使い、ハリーポッターの世界だ。だがこの感覚がなかなかどうして難しく、一度掴んでもすぐに流れてしまう。「あの覚醒をもう一度」なんてのはスピ系周りでは誰もが抱いている気持ちのハズだ。ここで留まるだけでなく、さらにその先に進めないでいる理由をも今日は明らかにしていこうと思う。

さてヌーソロジーでは、人間の意識が進化してきた歴史を「空間認識の次元対称性」という観点から整理するユニークな視点を持っている。半田広宣氏がこれを書籍で発表したのは19年前の1996年であるが、今でもこれは極めて斬新なものであり、既存の世界観の盲点を突いており、閉塞感のある現代に光をさす内容であると確信する。これが上記の「スピ的停滞状況」からの突破口となるであろう。

空間認識の次元対称性とは
①二次元対称性時代
②三次元対称性時代
③四次元対称性時代
④五次元対称性時代

と言ったものである。

ヌーソロジーの文脈では、いま2015年は既に④「五次元対称性時代」に突入しているのだが、現実は依然として人類の大半が②「三次元対称性時代」に留まっている。①から順を追って説明していこう。

①二次元対称性時代

これは天動説の時代、中世までの人間の意識状態である。当時は地球を「平板」と捉えていた。私たちの住む世界(地球)は平らで、東西南北の境界は底なしの滝になっているなどとする世界観。天動説と地球平板説により、宇宙にはある絶対的に不動な方向性が存在した。それが「上下方向の絶対性」である。
つまり空間的に前後・左右という平面的世界観の対称性(自由度)はあったのだが、上下方向の空間対称性がなかった。分かりやすく言うと・・・
 上は上、永遠に上。天国、神の玉座、支配者、お上・・・のあるところ。
 下は下、永遠に下。地獄、罪人、地を這う人々、被支配者、大衆・・・のあるところ。
空間の上下における対称性を獲得していない認識は、そのような意識の人間が集まって造り出す社会に以下のように反映する。・・・身分差別、固定的な身分制度・階級制、封建的支配の社会・・・。絶対王政だけでなく、教会が大衆を支配をした暗黒の時代・・・。つまり上下の固定的な空間認識は差別を固定的なものとして捉えてしまうということだ。

二次元対称性

②三次元対称性時代

それが近代に入り、コペルニクスの唱える地動説の時代を迎える。約500年前のことだ。同じ頃に大航海時代を迎え、マゼラン艦隊の世界一周達成により地球が球体であるということが証明された。その後も天動説から地動説への移行には何百年もかかっただろうが、ある一定数の人が地動説・地球球体を「客観的事実」と認識することで、その数が閾値を超えると人類の集合意識に大きな変化をもたらすと考えられる。百匹目のサル現象だ。

地動説・地球球体認識は空間認識における上下の対称性、上下の自由度をもたらした。それが「三次元対称性」である。考えてみて欲しい。それまで絶対的であった「上下方向」が相対的なものになってしまった。上は下にもなり、下は上にもなる。空間認識において絶対的に上とか下とかいう方向はない。上下は入れ替え可能となったのである。上下方向に自由度が生まれたのだ。

このような空間認識上の変化は人間の意識に、そしてその意識が集まって形作る社会にどのような変化をもたらしたのか。

上下方向が絶対的ではないという空間認識が人間にもたらしたもの・・・天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず・・・全ての人間は平等に造られている・・・努力次第で何にでもなれる・・・。自由・平等・友愛・・・近代精神である。人間の本質的平等、基本的人権、そして差別意識からの解放。階級制度、封建的支配制度の終焉。絶対君主制の打倒。三次元対称性の時代に至り、人間の意識はこのように目覚めたのだと言える。

そして宗教改革・ルネッサンスなどを経て次第に人間の精神は解放されていき、音楽・芸術・科学はこの400年間に著しく発展した。自然破壊や核戦争など負の側面はあるものの、人間の精神は飛躍的に発達した。それが近~現代という400年余りの期間なのである。

三次元対称性

しかしながら、いまや人種差別・階級制度・封建社会は過去の遺物であることが常識だが、実際にはその残骸はいたる所にあり、今日の我々は完全に目覚めたとは言いがたい。差別意識は依然残っているし、形を変えた階級支配、封建的システムは残っている。これは日常生活で目の当たりにしているだろう。そして民衆の意図に反した得たいの知れない巨大な力が世界的に存在し、世界各地でおこる紛争、10億近い飢餓人口、深刻な自然破壊、原発問題・・・これはつまり我々の目覚めがまだ中途半端であるということの証である。

この意識状態で戦争反対を叫んだところで大した成果は上げられないと私は主張する。原発の全面的廃止も難しいだろう。だが意識進化にはまだ先がある。その先を見ていこう。それが今後人類の行くべき未来、方向性を指し示すことになる。そして意識進化の方向性がある閾値を超える時、世界は大きく変わる筈である。

では一体なぜ私たちの目覚めは中途半端なのだろうか。それは人間は物質、つまり単なる肉の塊ではなく、世界は外側(物質)だけの存在ではないという事に起因する。もう一つの世界、内在世界というものがある。心の世界、霊とか魂とか言われる領域。スピリチュアルと言われる領域があるのはもはや周知の事実。実は現代に山積する問題の多くは、このスピリチュアル領域の方に目覚めがまだ起こっていないからだと考えられる。アストラル・ヒエラルキー・・・霊的階級制度の存在・・・私はこう呼びたい。そう、霊とか魂、心の世界に、まだ厳然として封建制度、差別的価値観が蔓延し、根深く巣くっているのである。

霊的特権階級の存在。肉的には生まれながらにして平等ということは誰も疑うことはない。しかし霊的に生まれながらにして不平等が平気でまかり通っているのである。原罪、カルマ、救世主、選民思想、霊能力や超常能力の格差、覚醒のレベルなど・・・。そして死後の世界と言われるところには、頂上において神かその眷属が取り巻き、まぶしいまでに光り輝く存在を中心とした厳然たるヒエラルキーが存在し、全てはその光のもとに統治されるという。この地上でいかにごまかし生き延びても、死後にその本性を隠すことはできない。全ては白日の下にさらされる。そしてその光の裁きによって自ずからふさわしい階級に振り分けられていく・・・。

これは一見すると救いをもたらしてくれそうな情報だ。この世で報われることの無かった心優しき魂にさしのべられる救いの手、希望の光・・・と言えなくもない。だがここに大きな違和感を感じるのは私だけだろうか。死後も存続するとされる魂に設定されたある特定の価値観とそれに基づいた序列、ヒエラルキーの存在がどうしてもひっかかる。霊的世界がこのようであれば、結局は地上にもまた新たなる帝国を生み出すことになるのでは?霊的世界の権力を後ろ盾にした地上における権力の登場。既に宗教組織に多く見られる形態である。これは宗教組織だけでない。普通の企業や人間の集まる組織には全て見られる霊的序列でもある。霊的強者と霊的弱者。情報強者と情報弱者。心的強者と心的弱者。

このような世界には愛がない、愛を感じられない、と私は思うのである。いや霊的世界のヒエラルキーは愛の大きさによるのですよとか言う言葉はきれい事に過ぎない。きれい事はみな既に聞き飽きているだろう。きれい事は何の解決ももたらさない。

さてヌーソロジーではこの状況に明快な解決案をもっている。ここは期待して欲しいところだ。それが③四次元対称性へのシフトである。

四次元対称性

③四次元対称性時代

三次元対称性の獲得によって、上下の自由度を得た人類の意識は、人間の本質的平等の理解にいたり、人種差別や階級制度を撤廃させ、地上における多くの封建制度を終焉させた。(独裁国家や人種差別が現存しているところはあるが、それは少数だ)

だが霊的差別が残った。魂の自由がまだ獲得されていないのだ。人は肉的には生まれながらにして平等なのだが、霊的には生まれながら依然として不平等なのだ。性質的・能力的な差異は事実としてはあるのだろうが、ここで言いたいのは霊的な「価値」についてである。本質的に不平等、あるいは霊的世界にある種の封建制度があるということである。

だが人間の意識が三次元対称性から四次元対称性へ移行することで、ここに突破口が生まれるというのがヌーソロジーの文脈である。では四次元対称性とはいったいどのような状況をさすのだろうか。

ヌーソロジーでは四次元対称性を感覚化する為には、まず「ミクロ・マクロ対称性」と「時間と空間の対称性」について考察するように要求してくる。「ミクロ・マクロ対称性」とは、ミクロ(極小)方向とマクロ(極大)方向が同じ、宇宙大に拡大する方向と素粒子一粒に向かう方向が同じであるという驚天動地の空間認識である。またそれは時間と空間の対称性とも密接な関係がある。時空対称性とは実にアインシュタインの相対性理論によって約100年前にもたらされた知見だ。発表当時、理解できる人が数人しかいなかったと言われる相対性理論も現在では多くの人が知るところとなった。この相対性理論と2010年に解き明かされた「ミレニアム懸賞問題」の一つである「ポアンカレ予想」により、宇宙は「三次元球面」というカタチであるという認識に達する。そしてそこから「空間認識の反転」という意識進化上の大事件に至るのである。初級ヌースレクチャーではこの辺りの思考手続きを分かりやすく丁寧に解説しているつもりなので、機会があればまた見て欲しい。→初級ヌースレクチャー全六回

少々難しくなって申し訳ない。自分教はアプリである。いかに使えるかが重要なので、証明のプロセスよりも結論的なところを重要視していく。その結論とはなにか。ミクロ・マクロ対称性、時空対称性の考察は「空間認識の反転」という結論に向かう。空間認識の「反転」とは何か?ずばり言うとそれは「内と外の反転」である。つまり、四次元対称性とは空間認識における「内側と外側の対称性」ということになる。これは内在と外在が入れ替え可能・・・外在が内側となり、内在が外側となるということ。ややこしい?単純化すると目の前、つまり外在世界が内側、自分の内側の世界になるということ。何のことはない、前回のブログで宣言した「客観は存在しない」「全ては主観である」と同じことである。

整理しよう。四次元対称性とは「内部と外部」の対称性のことなのだ。空間の上下対称性を獲得した近~現代の人間が次に獲得すべき対称性とは、この「内部外部対称性」なのである。空間の外部と内部が入れ替え可能であり、同じものとして見えてくる空間認識。つまりメビウス的ねじれ空間の認識のことであるが、この認識を人類が獲得することでどのような意識が新たにもたらされるのであろうのか。

三次元対称性で人間の本質的平等・基本的人権を我々は得た。「人は肉的に生まれながらにして平等」。四次元対称性はその次の段階、人間の霊的平等・霊的基本的人権といったものをもたらすのである。「人は霊的にも永遠に平等」であるということ。ここから霊的封建制度の終焉、スピリチュアル・ハイアラーキーの解体となる。手順としては、人間が霊的平等を獲得することで意識進化が進み、「その結果として」霊的封建制度、いかなる種のスピリチュアルハイアラーキーも解体を余儀なくされるということになる。いかなる救世主伝説もここで効力を失うだろう。

もう少し解説しよう。内部と外部の対称性を認識することで、外側が内側になり、その逆もそうなる。つまり内側と外側を隔てていた境界がなくなるのである。「全ては内側」と言う言い方もできる。つまり「客観」「外側」は消失する。

それが何故霊的解放に繋がるのか。客観がなくなり全てが主観となる。全てが自分の内側になるということは、自分が存在世界における「真の主人」という状況をもたらすのだ。自分だけの世界、内部空間の発見である。そしてその内部空間における神、王は私なのである。これはトランス(変成意識)の解説の時にまた説明するが、この内部空間を発見した状況がまさしくトランス状態である。そしてトランスは「何が先手を取るのか」が大変重要で、先手を取ったものがそのトランスの主導権を「絶対的に」握ることになっている。人が内部空間を発見する時、つまり「外部は存在しない」ということを知る時は、全てが内部になるので、その時にもたらされたトランスは内部が主導権を握れる。つまり自分自身が主人になれるのだ。これこそが「霊的解放」なのである。

お分かりだろうか。いままでの宗教をはじめ人間にまつわるあらゆる現象は、究極的に言えばこのトランス主導権の取り合いなのである。もう人間社会における全ての営みがこれだと言っても過言ではない。トランス主導権を取られるということは霊的に従属することになるのだ。しかも永遠に!・・・肉的従属は死ねば終わるが、霊的従属は永遠なのだ。なんと恐ろしいことであろうか。

これは何も特定の宗教団体から解放されるとかいったローカルな話題にとどまらない。企業をはじめ社会制度そのものを大きく動かすことになるだろう。それぐらいインパクトのある事件、ディープインパクトである。ちなみにこの段階で人間の死は克服され自我が終焉すると冥王星の意識体オコツトは伝えている。ヌーソロジーではこの状況を「生きたまま死後の世界に突入する」と言っている。

実を言うと時代は既に次の④五次元対称性まで進んでいる。だのに我々のレベルはまだその前段階の③四次元対称性を獲得できずに足踏みしてるのである。このあたりをちゃっちゃと済ませていこうではないか。これこそまさしく自分教が目指しているものである。

ライオン

もう少し語らせてもらう。ライオンゲートの日なので勘弁してね。

内と外の対称性が見えないことが霊的封建制度を造り出すのである。はっきり言おう。霊界、いわゆる神、救世主、あの世とか・・・すべて「外部」だ!そのことに気づいて欲しい。・・・孤高の霊能者にして超人気ブロガーがいる。彼の説く世界は多くの人を魅了し、実際に多くの魂を救済している。スピリチュアルブロガーの中では最も良心的な人物と言って良い(ここで断っておくが、私は他の人と同様に彼に最上級の敬意を抱いている)。だがその彼が説く内容に私は少し違和感を覚える。彼の言う「内在神」が「外部的」なのだ。何やら人の生活一部始終を監視する閻魔様か、「良心の呵責」の旗の下に「ねばならない」「すべきである」と一方的で内的な圧力をかけてくる。彼もまた「内在神」は「本当の自分」であると説くのだが、その「本当の自分」から死後に許しを得られるように「生活をただせ」と訓示を垂れてくる。死後の世界での裁きを逃れるためにと。

内外の対称性が見えた意識からは「内在神」はまさしく「自分」なのであり、死後に自分を裁くような存在ではない。そんな「外部的」な存在ではない。内と外は分かれていないのである。全てが「自分」なのである。全てが自分であるということこそが真の主体性につながる。内在神が自分と分離していたのでは、そこに隷属的立場、隷属的関係が生じてしまう。その不自由性が罪悪という状況を作り出すのだ。いかなる犯罪も不自由から生まれるのである!自由が罪悪をもたらすということは断じてない!これでは即時の救いが得られない。そして死後の世界での救いという淡い期待を持つようになる・・・これでは前時代の浄土信仰となんら違いもない。

他の多くのスピリチュアルや宗教も同様である。いまだに教祖や救世主、霊的リーダーや霊的組織などの「内的な圧力」支配に甘んじている人達は一度よく考えてみて欲しい。その精神性がある限り、迫り来る戦争問題や原発問題など何一つ解決することはできないだろう。その精神性では無理だ。ましてや一つの宗教による霊的独裁国家なんかできたらこの世の地獄だ。既に慢性的な地獄にいるので気づいてないのかも知れないが。

④五次元対称性時代

ちなみに次の④五次元対称性について少し言及しておく。その先も見えていないと③四次元対称性が定着しないからだ。というか、この四次元対称性は次第に分かってくると思うが、実におぼろげではかない。この段階では人の意識はいったりきたりする。なぜなら現実界、外在、社会性、肉界の刺激量が依然として「幅をきかせて」おり、巨大だからだ。この巨大な刺激の日常の中で、各自の内部空間ははかなくもろい。発見できたとしても泡沫の夢となり消えてしまう。外在勢力、幅の空間の勢力はそれほどまでに強い。

五次元対称性とはずばり「双対性宇宙論」である。双対性宇宙、自己他者宇宙。宇宙の本質は「自己と他者」であるということ。これこそがヌーソロジーのキモである。最重要、根本、核なのである。私の予想としては、この「双対性宇宙論」は「超ひも理論」や「5次元ブレーン宇宙」と密接にリンクすると見ている。その筋のエキスパートと共に研究していきたい分野である。ここがハッキリしてくると、「双対性宇宙」の描像が誰の目にも明らかになっていくだろう。ここにおいて初めて人間は時間から解放されることになる。四次元対称性の段階では、まだ「時間の不可逆性」が克服できない。双対性宇宙においては自己側と他者側では時間の流れが逆となっており、その中心(重心)から見れば時間そのものが錯覚であり、永遠の無時間領域をイメージできるようになる。ゼロポイントフィールドというものも実感できるようなるだろう。その時初めて「永遠の今・ここ・わたし」を生きれるようになるだろう。

まずはその前の四次元対称性、内外の対称性を認識に立ち上らせていこう。その為の自分教である。自分教では何度も何度も反復しながら、四次元対称性、内外の反転認識を獲得して、各自が内部空間を発見し、霊的自立を果たしていくことを願う。

ということでライオンのごとく吠えたライオンゲートの日のとうしんでした。ゴーマンかまして失礼しますた。はい、おしまい。

【8月度の関西ヌーソロジー教室】
◆大阪ヌース教室 土曜昼
8月22日(土)13:00~17:00
場所 江之子島芸術文化センター

◆京都ヌース教室 火曜夜
8月25日(火)18:30~21:00
場所 ウィングス京都


ナビゲーター:統心
お問い合わせは関西ヌーソロジー研究会まで