さっさんが死んじまったとこまで来たけど、何日か更新できませんでした。

思い出して辛くなってしまいました。

でも行かないとな。もっと先に行かないとな。

とにかく俺はさっさんと、日本一になると約束した。約束したからやらなきゃいけない。俺は男だから。約束は守る。

さっさんが死んじまってから何かに取り憑かれたように練習した。
そして東京大会。

夢にまで見た東京のチャンピオンになった。





iPhoneからの投稿
毎日病院に行った。サロンから病院は近かった。さっさんがそこにいる事を決めた。
みんなの近くに居たかったんだってさ。

次の東京大会も同じスタイルで行った。なんとか通過。練習はほとんどしなかった。
関東甲信越大会の直前、新しいカラーを教えてもらった。後にこれがオンリーワンと言われるようになる。
関越はまた賞を逃した。「地方審査員には分かってもらえない」なんて言ってた。
完成度が低いだけなのに。
ギリギリ全国への切符を手にした。

全国直前になっても俺は毎日毎日病院に行った。さっさんはどんどん弱っていって、笑顔も言葉も少なくなっていった。
でも毎日必ず俺に「日本一になって下さい!」と言った。
信じてるって。

で、全国大会。たいした練習もしてないのに、優勝する気満々でいた。本番で大きなミスも無かった。撮影クルーは集まっている。
でも心のどっかで、まさか俺がねって所があったんだと思う。

結果は4位。全国大会で賞が取れた。
帰ってまたさっさんに報告。「ごめんなぁ。」
今度はさっさんは真面目な顔して言った。
「なんかの間違いです。優勝だったはずです」

俺が自分自身信じてたよりもずっと強く、さっさんは俺を信じていた。
自分が情けなかった。

それから容態は悪化していき、さっさんは家に帰る事になった。歩く事さえ出来なくなっていた。ご飯も食べれなかった。
それでも、大好きで俺も連れてってくれた環八沿いのラーメン屋に行きたいと言い、お母様に車で連れてってもらい、一口も食べる事は出来ずにただ箸でかき回したあと「幸せだ」と言い、「海が見たい」と羽田まで行って大好きだった海を見て、
「病院に帰る」と言ったらしい。

そしてモルヒネなんかでだんだんおかしくなっていった。

冬になっていくある寒い日の朝4時くらいにメールが来た。

「いままでいっぱいのありがとう」

陽さんを起こして見せた。「こいつ先輩に向かってタメ語だよ!ハハハ!」



さっさんはそれからすぐに、天国へ行った。
面構成の作品。

カラーはホワイトで行く事にした。ネープから浮き上がってくる一部分はレッドブラウン。これは血液の色を意識した。

「何か新しいものを、ビックリさせるものを」という今までの気持ちは無かった。
「これで東京のチャンピオンになってやる」と思っていた。さっさんが大切に思っていた東京大会。

手応えがあった。
だけど結果は準優勝だった。
優勝したのは後に全国チャンピオンになる小栗先生だった。
まだ関越、全国がある。

さっさんの分も頑張った。さっさんの為に、さっさんの為に。

日本一になればさっさんは治るんじゃないかと信じていた。
この馬鹿な考え方はこの後しばらく続く。

いつしか俺は、さっさんの為だけに俺だけが頑張っているという妄想の中で生きていた。周りが見えていなかった。
家族も仲間も師匠すらも見えなかった。俺が勝てばさっさんは治る。それしか考えていなかった。

そんなクソ馬鹿たれが日本一なんてなれる訳が無い。

日本一になる資格は無い。

関越も全国も惨敗。それでも家族、師匠、仲間は全力で応援してくれた。
入院中のさっさんに「ごめんなぁ。日本一なれなかったよ」と言ったら、
「いいすよそんなの。みんなは元気ですか?」と言った。
言葉が出なかった。俺は今まで何をやってたんだろう。

まあ、自慢の弟分のさっさんはそんな事を言う奴だった。

自分の使命が少しずつ分かり始めた初めての全国大会だった。