6月21日の夏至の後、それまで高まってきていたものが極まって、人の意識全体において少し緩んだテーマがありました。
「自己実現とは何か」ということにおいて、他者の価値観や、自分がこうだろうと思う世間の価値観に左右され引っ張られていたものが緩んで、「それはそれぞれでもっと異なるものじゃないのか。」という意識の方へ進みました。
それはとても愛でたいことです。何をしていたら自己実現なのか、どうあることが自己実現なのか、今まで人の意識はその形にとらわれすぎていて、本当はもっとそれはそれぞれであるはずなんです。自己実現はそもそも形ではないからです。
今までが、今以上に「幻想の自己実現」にとらわれていたんですね。
「幻想の自己実現」においては、もっと正しくあろうとか、もっとイキイキ元気な方が良いとか、キラキラしたもののはずだとか、表面的なものにとらわれてしまいます。
だからこそ、その大なり小なりあったパツンと張りつめていたものから緩んで、幻想から解放されたりすると、その後多少の反動のようなものが起きます。幻想から降りると、現実がより見えてきますから。
少し力んで憧れていたもの、目指していたものから、日常の現実をまじまじと感じ始めると、こんな風に感じられやすかったり、こういうところが上がってきやすくなります。
「あぁ、この変わりばえのしない毎日が続いていく、、、。」とか。
「いつまでこれをやるのかな、、。」とか。
特に何かがあったとかなかったとかでなくても、あっても小さなキッカケで、色あせた毎日に今度は見えてきて、うんざり感が湧いてきます。
これがメランコリックに入っていく感じなんですね。鬱っぽくなったり、訳もなく気持ちが沈んでいるというような。
体調の不調で出ることで調整した人たちや、大きな問題にはならない身近な生活圏での不快やいざこざで出た人たちもいるかなと思います。緩んだことで気の低迷が一旦起きたからです。
7月から8月半ばまで、その中のどのタイミングからどのタイミグまでか、というのは人によってバラけていることもあると思いますが、この期間全体的にその感じが流れていました。
特に何がすごくあってというものでなく、昨日とあまり変わらない今日なのに、今日からなんだかすごくこんな感じに、、、というのは、「変わりばえしない色あせた毎日」と感じるのも、「あぁなんかほっこりだなぁ!」とか「さわやかだなぁ!」と感じるのも、自分の焦点の当たり方次第ということじゃないですか。
ただ、どのような状態の時でもそれがそうである意味があるので、いつでもとにかく焦点を切り替えて元気でいようと思う必要はありません。
特にこの流れで起きていた鬱っぽさや鬱状態というのは、全体の中でのプロセスの一環でもあり、この先の方向性があるからということがあります。
私たち人間全体は、自ら他者や世界に開いて交流し、利己的な願いではないところで協力して生きていく方向性を見ています。魂全体で目指しているという意味です。
それは、「本来の自分で生きる」ということがそうなんです。だからその前に「幻想の自己実現」から完全にではないにしても以前よりは目が覚めて、変に気が張っていた分が緩んだというのがあります。
「自己実現ってそれぞれでいいんだ。」ってちょっと力の入っていたものから解放された時、一時の上向きな感じがその人の中であったかなと思いますが、観察していて「あー、一瞬あったなぁ。」とそこを今振り返れるかどうかはそれぞれだと思います。
鬱っぽくなって、エネルギーが低迷すると、もう一つ現れやすいことがあります。それは元々の性格傾向だったり、今までずっと持っていた癖のようなもの。
例えば、私だったら、「連絡無精」みたいなのが通常以上に上がっていました。そういうちょっとした癖や傾向です。もともとの性格傾向が「生きてる?」と友人から連絡が来るような無精です。交流の内容そのものには前向きに普通にしているんですが、一個一個とっかかりに「よいしょ」感が強まっている、という感じでした。
その他、習慣的に持っていた思考のパターンなど、そういうことが現れやすくなっていたと思います。
ここ一週間くらいその全体の流れとして(プロセスとして)起きていた低迷感から抜けてきています。そして8月27日のおとめ座新月が、これからの9月10月11月に向けてのひとつの区切りポイントになりそうなので、あぁ、そういう今までの感じの、そういう今なのかと理解できる人たちもおられるだろうと、メッセージを出そうと思いました。
この鬱っぽさ、メランコリックさと共に働くのは女性性です。
あ~、もうどうでもいいわ、、ってなるのは一見ネガティブですが、ガンガン男性性働かせて欲しいものを取りにいく状態とは真逆であり、「緩み」を持てるというのが生産性や創造性とまた手を結んでいくと、異なる質のものたちを許し受け容れ、分からないこと、違和感なども適度に泳がし、「幅をもって」関わっていくということができるようになります。
自らが開いて他者と関わっていくのは、この「(揺り)幅をもって」の関わりが大切になるからです。
そのより成熟したあり方を人間全体で目指しているため、こういう流れがあるということを少し理解できたら、今の自分も余裕をもって見て、泳がせてあげることができるのではないでしょうか。
おとめ座新月のメッセージについては、こちらを見てください。
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