5月16日は蠍座満月、そしてウエサク満月でした。
その日鞍馬山に行ってきました。ウエサク満月だからと計画を立てたわけではなく、行くことが決まった後ウエサク満月だったことを思い出しました。
7年前の2015年に鞍馬寺のウエサク祭に行きました。関西に住んでいながら、その日まで私は鞍馬山にも鞍馬寺にもお参りしたことはありませんでした。
そして、この7年間も行っておらず、7年ぶりでした。
2015年に見ていたデータを昨年からおさらいしつつアップデートするということが起きています。今はそれをこのようにもっと外にシェアをしたりと出す形で。2015年時には、自分の中で人にあまり話せれる状態じゃなく、ほとんどのことを自分の意識の中でのみ観ていました。
2015年の5月3日に鞍馬山に入り奥の院までお参りした後、ウエサク祭に。5月5日に姉夫婦と天河弁財天に行っています。両方、私自身が計画したことではなかったので、そういう流れが要ったんだろうと思いました。
2015年のその辺りに上がってきていたことがあって、今回鞍馬山に入ったことをキッカケに思い出しました。
この記事に少し触れているんですが、4月30日に愛媛県大三島の大山祇神社に行きました。山や大地の神様、火山のエネルギーと何かしら交流ができたらと思って行ったのですが、そこにチャンネルを合わせたら段階をもっと刻んで出てきたことがあり、それは思いがけず「刀(剣)のアップデート」でした。
ただこの時パイライトと一緒に持っていった方がいいと思って、”象徴としての刀(剣)”を持参していました。”思いがけず”というのは、大山祇神社に宝物殿があり、その宝物殿に国宝級の刀が沢山あると思って行っていなかったので、戦国時代の有名な武将たちの刀なども沢山奉納されていて驚きました。
こんなものがこんなところに集まっているの?!という種類も数も充実した刀の展示、鎧や弓矢、戦国時代のものは特に、その前の一週間は既に漫画&アニメ「犬夜叉」を合間におさらいしつつだったので、犬夜叉ワールドに来たのかと思いました(笑)
ここ2,3年、私自身の「刀(剣)のアップデート」は進めてきていたので、そことは少し意味合いが重なる部分と違っている部分があって、今回の刀(剣)のアップデートは集合的な意味合いがあるのだと大山祇神社で腑に落ちつつ、充実した時間を過ごさせていただきました。
そして、
このウエサク満月に鞍馬山に入って思い出したことは、
7年前の2015年鞍馬山に入った後に、子ども時代に見た夢で忘れられないでいた夢が上がってきていました。そのことを記事にしていたために、確認することができました。
次のような夢です。
小さいときにこんな夢をみたことがあったんだけど、
わたしは空を見ていて、そしたら大きな惑星みたいなのが近づいてくる。
それを見たらダメだと思ってるんですよね。
わたしは見ても大丈夫なんだが、他の人が見てしまってはダメって思ってる。
その空に現われた惑星を見ると、みんな記憶喪失になってしまうから。
そのことがすごく恐ろしく、見せないようにとするんだけど、大事な人たちがそれを見てしまう。
そして忘れていってしまう、という夢でした。
そのとき、自分が手に持ってたものがあって、剣のようなものを持ってた。
小学生低学年くらいに見た夢かな~
大人になってもずっと覚えてた。
??って感じるところや、腑に落ちないところ、違和感、ちょっとしたひっかかり、
それって大事だね~
いつか必ず分かるときがくるよね、その感覚に気づいていたら。
今回の旅で、必要なものをダウンロードしてきて、
次にしたいことが見えてきました。
この記事で、
「殺生丸、おまえはもともと刀を持っていたのさ。自分の中にな。―」というのは、そのままの意味だったこと、私が子どもの頃に見た夢で忘れられなかったその夢も、最後のシーンは「そのとき、自分が手に持ってたものがあって、剣のようなものを持ってた。」でした。
右手を天に伸ばして剣をその惑星にかざしていました。夢のそのシーンは今でも覚えています。何度も何度もそのシーンがその後も思い出されたために。
この夢の中で、私はこの惑星を宇宙人だと思っていて、ただこの惑星は戦う意思が感じられないというか、そのため私は剣を天に向けてかざしているものの、無力感にも似たような、、相手(宇宙人惑星)に対してなすすべなし感があり、、、この記事には書いていないのですが、2014年にこの惑星が意味するところが何だったのかは、自分の目覚めが進んだために思い出していました。
惑星は、高次元存在の象徴だった。そして、それは”私自身”でもありました。
自分が一番恐れていたものは、自分であったことに気づいたと同時に、その後もここを昇華させ統合させていくのに時間をかけているので、この記事の時はまだまだ複雑な感覚を持ち合わせていました。
2014年に石上神宮に暗くなってから行くことになった(別の目的で車で走っていて、迷って辿り着いたのが石上神宮の前だったため)その時に、目覚めが進んだということでしょうが宇宙意識の深いところで思い出したことがありました。そして、そこに行ってみたらと私に言ったのは、何年もゆるせずにいた人で、殺生丸の話でいうなら「死神鬼」の立ち位置に当たる人でした。
関係性がまだ良好だった頃、その人が私に石上神宮の「七支刀」の詳細が載ったパンフレットのようなものを見せてきて、「見て、これすごいでしょ。行ったことある?ここに行ってみたら?」と声をかけられたことがあり、その時の七支刀のインパクトとその人の言葉が自分の中に特殊な響きで残っていたため、誰もいない変な時間帯に石上神宮に迷って辿り着いた時に、「ここが今日の目的だ。」とすぐに解りました。
「尊厳を傷つけられた。」と許せないような気持ちになるようなことがあったとしても、私にとってはその人が私の目覚めに繋がる一役を買ってくれたのだということはもう十分に理解をしていました。それでも怒りは完全には昇華せず、昨年の1月に完全に感謝に変わったということがありました。「嫌うこと」も「許せないを許すこと」も含め、10年も私のこのプロセスをある意味支えてくれた存在なのだと思います。
七支刀(七支刀という名称ですが、七支刀も剣のカテゴリーで両刃のようです)、ともうひとつ十握剣(とつかのつるぎ)を象徴としてのアイテムで持っているのですが、七支刀は「闘う刀(剣)」ではなく「起死回生」「祈りの刀(剣)」であり、そこも殺生丸の天生牙のようだと今回「光の男性性の象徴」で殺生丸を読み解いている時に思いました。
私自身の刀(剣)のアップデートはこの2,3年進めてきている中で、「人を斬るための刀(剣)ではないこと」「闘うための刀(剣)ではないこと」は気づいていて、その方へとアップデートしてきていました。
「おまえはもともと刀を持っていた。自分の中に。」
「(子どもの頃に見た夢で)剣を天にかざしていたこと」
恐れていたもの(敵かと思った惑星)が高次元存在の自分自身であったこと。
この剣がもともと意味していたものは。
何を自分の中に立てる必要があったのか。
いくつかこういった集合的なメッセージ性の高い夢を過去に見ているのですが、
それらは私個人の為だけに伝えられたのではない、そこをいつか自分が体験を通して紐解いて、「人の進化のプロセスとしてあるもの」を読み解いて伝えるというのがあるのだと今はそう理解しています。
自分の中にもともと刀(剣)を持っていると発想したことがありますか?
私もあの夢の剣の意味について30年以上かけて今解かったわ!と思っているくらいなので(笑)、もともと刀(剣)を持っているという発想は誰しもなかなかないと思います。それはやはり刀(剣)の物質的な固定観念があるから。
でもそもそもは刀(剣)はどんなエネルギーの象徴だったのか?を感じてみたら、”内に持っている”ということも、”それを洗練させることができる”ということも、納得がいくと思いました。
刀(剣)を自分の中心に立ててみたらどんな感じがしますか?
かつては人間を虫けらとしか思ってなかった殺生丸が、りんを亡くした(と思った)ことで心を痛め、りんを通してすべての人間に慈悲を持った瞬間。はじめて愛で天生牙の本来の力を引き出すシーンです。
闘わない刀を愛で自分の中心に立てた瞬間です。
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