命の終わりが 始まりとして見せてくれたもの。 | ondalindaზ⋆∞のびのびとしたあなたを生きよう∞⋆✧

ondalindaზ⋆∞のびのびとしたあなたを生きよう∞⋆✧

OSHOタロットリーディング、内観、多次元的視点に関する各種講座、セッション、継続ワークをしています。
アルクトゥルスの光とアルシオンの波と共に✧

こんにちは ともこです。

久しぶりのブログです。

1月4日に父が亡くなってから、命のテーマは続いて わたしに 深く教えてくれていました。

2月2日に 祖母が亡くなりました。

父の母です。 96歳で 元気でした。

祖母は 父の病気のことは聞かされてはいませんでした。

わたしは 父の病気の間、祖母はその歳にも関わらず 元気でその気配がなかったので、何度も 妙な気持ちになりました。

それが如何にエゴイスティックかと思っても、代わりに父を助けてくれたら なんて思ったことも 何度もあったのが事実です。

情動的でとても人間臭く周りを振り回して 生きてきたように感じさせられる おばあちゃんでも、久しぶりに会えば 年相応に小さくなっているおばあちゃんを見て、こちらもとても人間臭く 勝手に仏の顔を彼女に探すという、そんな心理だと思います。

おばあちゃんが 父の病気のことを知らないのを知っていたので、子供が亡くなっても 母親がそれを知らずに生きることも この歳になればありえるのかな、、と思って また妙な気持ちになったりしてました。

おばあちゃんは知らないまま、父の葬式を迎え、その日は デイサービスに 行っていました。

その日の葬式中に おばあちゃんの様子が変わり、そのまま 身体状態が衰退し、2月2日に亡くなりました。

一緒に暮らしてはいなかったので、わたしたち家族がそのことを知ったのは、亡くなった日でした。

わたしは素直に おばあちゃんは おばあちゃんの深いところで父の死を悟り、「もう 逝っていい。」と思ったんじゃないかなと感じたし、父のそばにいくことが、おばあちゃんの素直なしあわせの選択なのだと感じました。

父を通しても 命の全ての選択を 父がしていたことを感じさせられたし、続いて 祖母からもそのことを感じました。

それは わたしにとっては 生きることも 死ぬことも 何一つ 同等に しあわせの選択として 自分が責任を持っていることとして感じたし、それは決して「重み」としてではなく、「希望」として感じられました。

少なくとも わたしには、その体感でここを生きているんだと、そう見させられることを選択しているんだと感じました。


わたしにとって、

この祖母とその長男である父、
そこで父と母の娘として生まれ7歳までそこで育ち、その後の人生の展開があったこと、

そして、
この家系のテーマを通して
意識の目覚めがありました。

その頃、ささやかなきっかけから、自分を見守る存在たちに声をかけはじめたことで、その時すでに亡くなっていた祖父母を始め、今の自分を繋ぐご先祖という存在たちとの 感覚による会話が起こり始めました。

必要がなくなれば、彼らはただ見守る位置に撤し、必要があり声をかければ、最初は驚きで震えるほどのサポートをシンクロニシティで起こしてくれました。

目に見えないものを 信じようとはなかなかしないわたしに、スタンバイOKの絶大な愛で いろんなものを見せてくれ体験させてくれました。

スピリチュアルの根底が 「ただある愛」であることを 体感として分かりやすく教えてくれた存在でした。

認識してから 10年かけて観てきた この大きなテーマの事実上の終わりは、
祖母の死で 確認させてもらったように思います。

そして明らかに次のテーマに新たな舞台で繋がっています。

この人生では父方の家系の取り組みであるのに関わらず、その時わたしは 母方のご先祖の存在や、サポートも まるで父方以上に 強く感じていました。

それは 頭で理解できないものでしたが、生きてる人間ひとりの何か(データの一部)を浄化(クリーニング)することは、全体のクリーニングにもなるし、特に家系のデータとなると、ご先祖のような近い存在たちには影響が強いのだと感覚的に分かりました。

生きてる人間にしかできないことがあり、それを待ち、応援している存在たちがいる。

父方だけでなく、母方にも影響することなのだと感じることができました。


そして 強いメッセージも注いでくれていたのですが、わたしの祖父母は父方母方 共に 皆ゾロ目でこの世を去りました。

9月9日

3月3日

10月10日

2月2日

なんて覚えやすい命日。 笑 

なので おばあちゃんもそうなのかと言っていたら 期待を裏切らないおばあちゃん。というかその真意にまだ気づいていないからのように感じますが。

祖母が亡くなった後も、222をやたらと見るし、なんだろうなぁと、ぼんやり思っていたら
先程 ルミナさんの記事が目につきました。


まだ しっかり読めていないので、わたし自身のためにリンク貼っておきます。

体感として すごく分かる感じがあって、わたしは幼い頃ですが ミトコンドリアのようなものを 空によく見ていて それを目で追っていました。

それは マトリックスの数字の羅列のようでもあり、それがそもそもあって、ブラウザーの画面のように現象が見える(起きてる)ことは、今やすごく分かりやすく パソコンの世界が誰しもに見せています。

小さい頃はずっと 半分幽体の世界で生きてたから、現実の奥のそれをこの目で見ていたんだなーと思います。

今は 頭の後ろから見てる感じでそれを感じます。

 ゾロ目が命日については、祖父母は 最後の瞬間まで きっと何かを教えずして 教えてくれていたんだろうなぁと、今はよく分からないけど これからまたいつか、何かが繋がる日が来そうです。

きっと それは

生命力の秘密について 知るような気がしてます。