こんにちは、ともこです。
今日は、ステップワーク・感情を観る
のワークに以前に一緒にアートワークをしてたときからの仲間である とこちゃんが来てくれました。
今日はわたしも一緒に描きました。
「否定」
「怒り」
自分も描こうと決めていたから、ちょうど、というか、それは必然的に、それらの両方を確認させてもらえる出来事が最近あって、
それはほんの3分間くらいのこと。
でも、とてもいい題材だった。
「否定」は、その瞬間、どういう心持ちで、自分をそこに置いたらいいのか分らなく、
落ち着きどころを探していたのを自分が感じながら、観ていた3分だった。
起きていることを真正面から観るのはイヤで、といって、どこを向いたらいいのか分らなかった。
テーマ自体は大きいのだけど、実際わたしに何か困ったことが起きてるわけでもない、でもそのとき相手から発せられるものに対して、まっすぐ観るのは心地が悪い。。
そんな感じのことで、相手の方が善意で表現してくれてるのは分るけれど、とても一方的な善意だなーと感じた、そんな感じのこと。
そのとき、善意だけに焦点を当てればいいかぁと、「ありがとう。」と言って終わらせた自分に、わたしはとてもモヤッときた。
しかし、3分の出来事なので、すぐ忘れてしまった。 その後の影響も特にない。
本当に次の日まで忘れてて、ご機嫌にしていたのだけど、ふと思い出したとき、モヤッとしたことに改めて気づいた。
なので、そこを自分から感じてみると、
「善意だけに焦点をあてよう」 とした自分は、「怒りたいわたし」より、なんとなくその場が収まることを選んだのだな、、 それは怒りたかったわたしに対して不憫だなーと気づきました。
そこまでは気づいてからの今日のワーク。
わたしはそこを再確認し、描いたことによって、自分の芯がまた少し強くなった気がしました。
もし、次また同じことがあったら、きっとわたしは、自分自身をそのときより尊重するだろうと思います。
自分を無視した本心からでない「ありがとう」より、わたしは自分の中に愛を見つけることができるから。
しかし、そう決めると、そういうことは起こらないもので、今まで結局もう起こらなかった、ということに何度もなっている。
今日一緒にワークをして、「そんな微妙なところに気づくんやなぁ」ってとこちゃんに言われた。
それはとてもうれしくて、わたしはそれを“微妙なもので”と表現したわけではなかったのに、
「そこを微妙なところ」って感じるんだ~ その微妙さ気づいて言葉で返してもらえた上で、その感覚をシェアできたこと、それはとてもうれしいことでした。
とこちゃんも、「否定」や「怒り」を描きながら、
そのとき、自分の中に何が起こっていたのか、
そして、どんなことがその感情の動機になっていたのか、
確認したようでした。
後半は、「ここまでの自分でなければ」自分にOKを出してあげない、というようなことについての話になった。
人にはOK出してあげて~って思えても、
実際わたしも、OKを出せないと、「それがしたいのかどうかさえ」 分らなかった人だから、
とてもよくわかる。
だからタイミングがある、っていうこと、それはその人の中にしかないもの。
そして実際は、そこに向かって地道に歩いている今があるのだ。
とこちゃんは、禅タロットもやっているので、
禅タロットも含めて、いろんな話をしました。
次回は「取引」「鬱」!
楽しみにしています。
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