昨日の記事
音楽家として表現者になりたいと
憧れたのに
自分に才能がなくて諦めた
という話を書きました
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今日は
なぜ才能がないにたどり着いたか
という(ちょっと怖い?)話を書きます![]()
ホラーではありません
幼少期
「才能ないね」と
先生方に言われましたが
言われたとしても
それでも
自分の道を見つけることは
出来たかもしれません
「それでも好きだからやってやる!」を
引き出せる人もいるから
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才能がなくて絶望したのは
誰かの評価ではなかった
ということなんです
自分が
「そこに楽しむ才能がなかった」
を体験してしまって
絶望でした
才能って技術ではなかった![]()
才能ってちゃんと出来るかじゃなかった![]()
才能って楽しむことだった![]()
に気づいちゃったんです
ピアノを演奏する仕事にも
就いたことがあるのですが
あれだけ憧れていたのに
願いが叶ったのに
実際にやってみた
楽しくなかったという絶望![]()
出来ないと思うことよりも
これが結構しんどかったです💦
なぜなら
今までの
自分の感性も
過去の道筋も
全部否定したくなっちゃうから💦
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でも
よく思い直して見みると
音楽好きから始めているんです
ピアノも好き
歌が好き
アレンジも好きだったはずが
途中から
試験が始まり
「才能ないね」となり
「歌も声が出ずらい体だね」となり
音楽を披露するのは
テストの時ばかりなので
評価のために練習し始めます
練習しなきゃダメ
上手く演奏しなきゃダメ
失敗しちゃダメ
他の人に負けちゃダメ
・
・
・
いざ演奏しようとなると
冷や汗が出て
失敗する度に自分にダメ出しして
楽しいのか?
いや、楽しくないな?
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試験に合格して専門ルートに
入って出会った先生に救われて
少しづつ
楽しい
練習したくなる
を取り戻しましたが
コンクールもありましたので
誰よりも劣っている![]()
最下位かもしれない![]()
足を引っ張っている![]()
迷惑かけているかも![]()
いらない存在かもしれない![]()
と続いてしまうのです
自分で演奏するのは好きだけど
人前で演奏するのは
苦手
得意じゃない
好きじゃないかもしれない
怖い
になりました
「やらなきゃ」が
生み出したことに
いまなら気づけますが
幼少期からの
体調不良もピークを迎え
連日倒れていましたので
声が出ずらいとなりました
学校卒業して
音楽は趣味
仕事は音楽を離れようと思い
最初は両立させていましたが
仕事でも大変さがピークを迎え
いよいよ
耳が聞こえづらい
となり
音楽を辞めて
仕事に専念し始めます
しかし
仕事も
表面上は上手く行っていましたが
自分の中身は支えがない
ボロボロの状態でした
今、振り返れば
音楽をストップしても
「やらなきゃ信仰」は
止まっていなかったんです
音楽をやめたからといって
「やらなきゃ」が
なくなったわけではなかった。
仕事では
ちゃんとしなきゃ
期待に応えなきゃ
迷惑をかけちゃいけない
もっと頑張らなきゃ
そんなふうに
別の場所で
「やらなきゃ」が
始まっていました。
だから
音楽を辞めても
私はずっと
自分を追い立てていたと思います
「やらなきゃ」って
一見すると
自分を成長させるための
言葉に見えるけれど
実は
「今の自分ではダメ」
というところから
始まっていることがある。
だから
やってもやっても
「まだ足りない」
「もっとやらなきゃ」
になっていく💦
元々見えないものが見えることを
黙っていたので
ますます神経質になっていく💦
そして怖いのは
「やらなきゃ」を
続けているうちに
最初は好きだったものまで
「やらなきゃいけないもの」
になってしまうこと。
好きだったはずなのに
楽しくない。
やりたかったはずなのに
やりたくない。
夢だったはずなのに
苦しい。
そして
「私には才能がないんだ」
「本当は向いていなかったんだ」
と結論を出してしまう。
つまり何が言いたいかというと
大抵の問題って
才能の問題ではなく
「やりたい」が
「やらなきゃ」に
すり替わってしまった時に
起こる問題
なのかもしれません。
私の場合
音楽を嫌いになったのではなく
音楽をすることに
「評価されなきゃ」
「失敗しちゃいけない」
「上手くなきゃ」
というものが
くっつきすぎていた💦
だから
好きだった音楽が
怖くなった。
これって
音楽に限った話じゃないんですよね。
仕事も
勉強も
人間関係も
人生そのものも。
「やらなきゃ」が
強くなりすぎると
いつの間にか
「私はどうしたい?」
が分からなくなる。
2027年までに
「私はどうしたい?」から
言葉を紡いでみる
最初に出てきた言葉も
その奥を拾おうとしたら
違う言葉が出てくるかもしれないので
何度も
書き出してみてほしいです
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ここまで来て
宿題はやらなきゃ
仕事はやらなきゃ
だよね?
と思った方、鋭い![]()
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そうなんです
「やらなきゃ」にも
いろいろあると思います
「やらなきゃの発生源」
これがどこにあるか?で
違いがあるかもしれません
① 責任としての「やらなきゃ」
任された仕事や
自分が上達するための宿題
これは
やったら手放せるもの
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② 自分を否定しないための
「やらなきゃ」
やらないと、自分がダメな人間になる
やらないと罪悪感が出る。
今回、私が書き出したのは
②になります
練習する
宿題する
仕事をする
その行動をやるかやないかではなく
行動の先に
何を見ているのか!?
が大事になるということです
宿題を「やらなきゃ」と
思うことが悪いわけじゃない。
仕事を「やらなきゃ」と
思うことも悪いわけじゃない。
私たちは、生きていれば
「やらなきゃいけないこと」がある。
問題は
「やらなきゃ」の後ろに
何がくっついているかで
見えてくる
「約束したから、やらなきゃ」
「仕事だから、やらなきゃ」
これは、責任の話。
でも
「やらなきゃ、私はダメ」
「もっとやらなきゃ、認めてもらえない」
「やらなきゃ、人に負ける」
となった瞬間
「やらなきゃ」は
行動のための言葉ではなく
自分を追い立てる言葉になってしまう。
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「やらなきゃ」が悪いんじゃない。
「やらなきゃ」に自己否定が混ざったとき
自分の気持ちが分からなくなって
道が見えなくなる
今回のまとめ
つまり
「やらなきゃ」と思っていることを
整理することは
『やらなきゃ』を
やめるのではなく
『不安を消すために自分を動かす』
ことをやめてみよう
「やらなきゃ」は悪!とか
「やらなきゃ」はやらなくて良い
という話ではなく
責任として必要な
「やらなきゃ」は使う。
不安から生まれた
「やらなきゃ」には気づく。
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ごくたまに
やりたいこを見つけて
「やらなきゃ」と思うんですけど
ダメですよね?
という落語のような返しに
才能を感じられる![]()
やらなきゃ
という言葉が悪いんじゃなく
やらなきゃ
と駆り立てる先に見えるものが
夢や希望に広がるなら
大いにやれば良いよね❤️
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山に登りたくて登ったのに
途中で「もう辛いな」と思うことはある。
でもそれは
「本当は山に登りたくなかった」
ということではない。
休んでもいいし
今日はここまでにしてもいい。
それでもまた登りたければ
明日続きを登ればいい。
「頂上に行きたい」
という気持ちと
「絶対に頂上まで行かなきゃ」
という気持ちは
似ているようで違う。
前者には、選択がある。
後者には、恐怖がある。
この違いに気づけたら
楽になることもあるかもしれない
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その違いに気づけるようになるのは
神言-kamigoto-からの
アコースティックライブがおすすめです![]()
今日はこれを楽しみます❤️



