2024年11月11日(月)、関門人道トンネルを抜けて、20年越しの念願でもあった関門海峡徒歩通行を成し遂げた。
山口県下関市へ出た。
この福岡遠征では、佐賀県、長崎県に続いて山口県も人生で初めての来訪だった。
これから巌流島を目指して行くが、その前に現在辿り着いた場所は、6年に及んだ源平合戦の最終決戦の地である檀ノ浦。
檀ノ浦の戦いで大将格だった源義経像。

それから、平氏の大将格だった平知盛像。

像の除幕を行なったという滝沢秀明さんの手形。

大河ドラマで平清盛役を演じ、この地を訪れたという松平健さんの手形。

同じく、大河ドラマで平時子(二位尼)役を演じ、この地を訪れたという松坂慶子さんの手形。


船着場には、巌流島へ行く船と門司港へ行く船が出ている。

門司港から関門人道トンネルを抜けて巌流島へ行く船着場まで、多少迷ったり写真を撮ったりしながらだったものの、凡そ1時間半ほどで辿り着けただろう。
福岡遠征の最終目的地である巌流島へ上陸する時が来た。

船に乗って、巌流島へ行く。

船に乗ったのは、何時以来だか全く覚えていない。
巌流島への行きは、オープンデッキが満席だったので船室へ入った。
長崎で乗ったトラム(路面電車)以上に、船とは縁がないだけに新鮮で爽快な気分だった。

そして、遂に福岡遠征の最終目的地巌流島へ到着した。

下関に世帯を構えていた二人は、武蔵と小次郎の決闘から255年後の1867年春に巌流島で花火を楽しんだという何ともお茶目なエピソードが記されていた。
巌流島といえば、宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘を行なった場所で、その銅像が最大のお目当てである。



決闘には宮本武蔵が勝利して小次郎の死活を見届けてから島を後にしたとされているが、一方では武蔵が小次郎を殺さずに戦闘不能の状態にした後で島を後にして、その後で小次郎の手下が小次郎を撲殺したという言い伝えもあるとされている。
どちらが真実かは、分からない。
武蔵が乗って来たとされる伝馬船。

当然、レプリカで※乗るな※と注意書きされてるが、ふざけて乗る奴もいそう。
BBQテーブルも有るが、暫く使われてなさそう。