昨日の続きで、外国人力士について。
日本相撲協会の公式サイトの、一月場所番付表から、外国人力士を抽出してみました。
http://sumo.goo.ne.jp/hon_basho/banzuke/index.html
階級ごとにまとめてみます。(←我ながら、よくやりますねぇ。)
【幕内】 15人(42人中。36%)
白鵬 翔 モンゴル / 宮城野
把瑠都 凱斗 エストニア / 尾上
琴欧洲 勝紀 ブルガリア / 佐渡ヶ嶽
日馬富士 公平 モンゴル / 伊勢ヶ濱
鶴竜 力三郎 モンゴル / 井筒
旭天鵬 勝 モンゴル / 大島
阿覧 欧虎 ロシア / 三保ヶ関
碧山 亘右 ブルガリア / 田子ノ浦
栃ノ心 剛 グルジア / 春日野
時天空 慶晃 モンゴル / 時津風
臥牙丸 勝 グルジア / 北の湖
隆の山 俊太郎 チェコ / 鳴戸
朝赤龍 太郎 モンゴル / 高砂
旭秀鵬 滉規 モンゴル / 大島
魁聖 一郎 ブラジル / 友綱
【十両】 5人(28人中。18%)
玉鷲 一朗 モンゴル / 片男波
黒海 太 グルジア / 追手風
翔天狼 大士 モンゴル / 藤島
阿夢露 光大 ロシア / 阿武松
城ノ龍 康允 モンゴル / 境川
【幕下】 16人(120人中。13%)
荒鷲 あらわし モンゴル 花籠
千昇 せんしょう モンゴル 式秀
東龍 あずまりゅう モンゴル 玉ノ井
鏡桜 かがみおう モンゴル 鏡山
竜王浪 りゅうおうなみ モンゴル 立浪
鬼嵐 おにあらし モンゴル 朝日山
貴ノ岩 たかのいわ モンゴル 貴乃花
龍皇 りゅうおう モンゴル 宮城野
魁 さきがけ モンゴル 放駒
風斧山 かざふざん カザフスタン 錦戸
青狼 せいろう モンゴル 錣山
仲の国 なかのくに 中国 湊
舛東欧 ますとうおう ハンガリー 千賀ノ浦
荒闘司 あらとうし モンゴル 入間川
若三勝 わかみしょう モンゴル 間垣
大河 たいが モンゴル 式秀
【三段目】 9人(200人中。4.5%)
透川 とおるがわ モンゴル 峰崎
大露羅 おおろら ロシア 北の湖
保志桜 ほしざくら モンゴル 八角
高世 こうせい 中国 東関
大鷹浪 だいおうなみ モンゴル 立浪
千代翔馬 ちよしょうま モンゴル 九重
龍帝 りゅうてい 中国 二所ノ関
華瀬川 はなせがわ 中国 朝日山
魁心 かいしん ブラジル 友綱
【序二段】 1人(202人中。0.50%)
高春日 たかかすが モンゴル 春日山
【序の口】 0人(33人中。0%)
全部で46人。見事に上の階級ほど外国人力士の比率が高いです。
幕内では、3人に1人以上が外国人となっています。多く感じるはずです。
これを国別にまとめると次のようになります。
■モンゴル 28人
【幕内】 白鵬 日馬富士 鶴竜 旭天鵬 時天空 朝赤龍 旭秀鵬
【十両】 玉鷲 翔天狼 城ノ龍
【幕下】 荒鷲 千昇 東龍 鏡桜 竜王浪 鬼嵐 貴ノ岩 龍皇 魁 青狼 荒闘司 若三勝 大河
【三段目】 透川 保志桜 大鷹浪 千代翔馬
【序二段】 高春日
■中国 4人
【幕下】 仲の国
【三段目】 高世 龍帝 華瀬川
■グルジア 3人
【幕内】 栃ノ心 臥牙丸
【十両】 黒海
■ロシア 3人
【幕内】 阿覧
【十両】 阿夢露
【三段目】 大露羅
■ブルガリア 2人
【幕内】 琴欧洲 碧山
■ブラジル 2人
【幕内】 魁聖
【三段目】 魁心
■エストニア 1人
【幕内】 把瑠都
■チェコ 1人
【幕内】 隆の山
■カザフスタン 1人
【幕下】 風斧山
■ハンガリー 1人
【幕下】 舛東欧
モンゴル人力士が外国人力士全体の61%を占めています。
次に多いのが意外にも中国で、4人いますが、全員が幕下以下なので目立ちません。
幕内に2人いるのが、グルジアとブルガリアです。
さて、昨日も書きましたが、外国人力士の人数制限は、このような経過をたどっています。
Wikipediaより
(引用開始)
1992年、小錦・曙らの躍進を機に、師匠会の申し合わせで、現役の外国人力士を総数40人以内におさめることが定められた。その後数年はどの部屋も外国人力士の採用を自粛してきたが、98年から再開され、モンゴル人力士らが隆盛する。そして2002年、先の40人という枠を撤廃するいっぽう、外国人力士は1部屋1人までと制限する方針に変更。当時相撲部屋は54部屋なので、54人が上限となった。
それでも、制限は「外国人力士」つまり「外国籍を持つ力士」にしか及ばないため、これを利用して力士に日本国籍を取らせ、新たに外国人を弟子に採る部屋が後を絶たなかった。2010年1月場所時点で外国出身力士の総数は57人に及んでいたという。さらに2008年の露鵬らの大麻問題や、2010年1月の引退まで朝青龍が起こし続けたような騒動の再発防止という必要もあって、同年2月23日に理事会は先の制限を、帰化者含む「外国出身力士」を1部屋1人までに制限するものへ強化することを決定した。
(引用終わり)
実際のところ、どうなのでしょう。
相撲部屋一覧を下記のようなサイトからまとめ、先ほどの外国人力士をあてはめました。
http://sports.yahoo.co.jp/sumo/heya/
【出羽海一門】
出羽海部屋 師匠 出羽海義和 元関脇 鷲羽山
春日野部屋 師匠 春日野清隆 元関脇 栃乃和歌 栃ノ心
北の湖部屋 師匠 北の湖敏満 第55代横綱 北の湖 臥牙丸 大露羅
玉ノ井部屋 師匠 玉ノ井太祐 元大関 栃東 東龍
三保ヶ関部屋 師匠 三保ヶ関昇秋 元大関 増位山 阿覧
入間川部屋 師匠 入間川哲雄 元関脇 栃司 荒闘司
田子ノ浦部屋 師匠 田子ノ浦啓人 元前頭筆頭 久島海 碧山
境川部屋 師匠 境川豪章 元小結 両国 城ノ龍
千賀ノ浦部屋 師匠 千賀ノ浦靖仁 元関脇 舛田山 舛東欧
尾上部屋 師匠 尾上圭志 元小結 濱ノ嶋 把瑠都
藤島部屋 師匠 藤島武人 元大関 武双山 翔天狼
【二所ノ関一門】
大嶽部屋 師匠 大嶽忠博 元十両4枚目 大竜
佐渡ヶ嶽部屋 師匠 佐渡ヶ嶽満宗 元関脇 琴ノ若 琴欧洲
貴乃花部屋 師匠 貴乃花光司 第65代横綱 貴乃花 貴ノ岩
放駒部屋 師匠 放駒輝門 元大関 魁傑 魁
二所ノ関部屋 師匠 二所ノ関正裕 元関脇 金剛 龍帝
片男波部屋 師匠 片男波良二 元関脇 玉春日 玉鷲
峰崎部屋 師匠 峰崎修豪 元前頭2枚目 三杉磯 透川
間垣部屋 師匠 間垣勝晴 第56代横綱 若乃花 若三勝
鳴戸部屋 師匠 鳴戸伸一 元前頭8枚目 隆の鶴 隆の山
尾車部屋 師匠 尾車浩一 元大関 琴風
松ヶ根部屋 師匠 松ヶ根六男 元大関 若嶋津
花籠部屋 師匠 花籠忠明 元関脇 太寿山 荒鷲
阿武松部屋 師匠 阿武松広生 元関脇 益荒雄 阿夢露
芝田山部屋 師匠 芝田山康 第62代横綱 大乃国
高田川部屋 師匠 高田川勝巳 元関脇 安芸乃島
【時津風一門】
時津風部屋 師匠 時津風正博 元前頭3枚目 時津海 時天空
鏡山部屋 師匠 鏡山昇司 元関脇 多賀竜 鏡桜
井筒部屋 師匠 井筒好昭 元関脇 逆鉾 鶴竜
伊勢ノ海部屋 師匠 伊勢ノ海隼人 元前頭3枚目 北勝鬨
湊部屋 師匠 湊孝行 元前頭2枚目 湊富士 仲の国
式秀部屋 師匠 式守秀五郎 元小結 大潮 千昇 大河
陸奥部屋 師匠 陸奥一博 元大関 霧島
荒汐部屋 師匠 荒汐崇司 元小結 大豊
錣山部屋 師匠 錣山矩幸 元関脇 寺尾 青狼
【高砂一門】
高砂部屋 師匠 高砂浦五郎 元大関 朝潮 朝赤龍
中村部屋 師匠 中村榮男 元関脇 富士桜
東関部屋 師匠 東関大五郎 元前頭10枚目 潮丸 高世
九重部屋 師匠 九重貢 第58代横綱 千代の富士 千代翔馬
八角部屋 師匠 八角信芳 第61代横綱 北勝海 保志桜
錦戸部屋 師匠 錦戸将斗 元関脇 水戸泉 風斧山
【立浪一門】
立浪部屋 師匠 立浪耐治 元小結 旭豊 竜王浪 大鷹浪
朝日山部屋 師匠 朝日山利秋 元大関 大受 鬼嵐 華瀬川
伊勢ヶ浜部屋 師匠 伊勢ヶ浜正也 第63代横綱 旭富士 日馬富士
春日山部屋 師匠 春日山由晃 元前頭筆頭 春日富士 高春日
大島部屋 師匠 大島武雄 元大関 旭国 旭天鵬 旭秀鵬
友綱部屋 師匠 友綱隆登 元関脇 魁輝 魁聖 魁心
宮城野部屋 師匠 宮城野誠志 元前頭13枚目 竹葉山 白鵬 龍皇
追手風部屋 師匠 追手風直樹 元前頭2枚目 大翔山 黒海
このうち、ひと部屋に二人の外国人力士がいる理由を探ってみました。(←本当に我ながらよくやります:笑)
北の湖部屋
2010年、暴力団問題による木瀬部屋閉鎖により、臥牙丸は北の湖部屋へ移籍。
式秀部屋
千昇と大河2000年モンゴルから一緒に来日、2001年初土俵(2002年の一部屋一人決定以前)
立浪部屋
竜王浪、大鷹浪は2001年初土俵(2002年の一部屋一人決定以前)
朝日山部屋
2011年、桐山部屋閉鎖により、華瀬川(2004年初土俵)が朝日山部屋に移籍
大島部屋
旭天鵬は2004年に日本国籍取得(旭秀鵬は2007年初土俵)
友綱部屋
魁心は本名が長浜栄二、日本国籍取得?
宮城野部屋
龍皇は2000年初土俵、白鵬は2001年初土俵(2002年の一部屋一人決定以前)
というようなところでした。
もといた部屋の閉鎖により外国人力士が移籍した結果ひと部屋2人になったしまった部屋を除き、その時々のルールに従って人数制限を守ってきたことがわかります。
最後に、少し世界情勢に絡めた話題。
外国人力士のプロフィールを色々Wikipediaで読んでいると、幕内の阿覧はロシア出身ですが、詳しくは「ロシア連邦北オセチア共和国」出身でした。
そして、2008年に大麻所持問題で解雇になってしまった幕内力士、若の鵬、露鵬、白露山というロシア出身力士もあわせて皆、北オセチア共和国ウラジカフカス市(首都)の出身でした。
人口30万人あまりの外国の町から、4人の幕内力士が出ていたのですから驚きです。
ところで、「北オセチア共和国」はロシア連邦を構成するひとつの共和国で、黒海とカスピ海の間のカフカス(コーカサス)地方にあります。
Wikipediaの北オセチア共和国の記事から
(引用開始)
北オセチア共和国は、ロシア連邦の一部をなすオセット人の民族共和国で、オセット人はイラン系の言語を話し正教会信者の割合の多いカフカス地方の民族で、周辺のチェチェン人などムスリムの多い民族と違いどちらかといえば親ロシア的である。国境を挟んで南のグルジア共和国側のシダカルトリ地区が南オセチアに相当する。同地方では、自治権要求から北オセチアとの統合とロシア連邦への編入を求めて南オセチア紛争が起こっている。
(引用終わり)
阿覧は「ロシア出身」と言っても民族としてはロシア人ではなく、イラン系のオセット人という民族だということです。
問題は、南に隣接するグルジア共和国内で同じオセット人が住む「南オセチア」です。ここは、ソ連時代はオセット人の「自治州」だったのですが、ソ連崩壊でグルジア共和国が独立、それにともなってグルジア国内にある南オセチアのオセット人が独立を目指していて、それを支援するロシアと、グルジア政府との間で深刻な紛争がおきています。(週刊金曜日で何度か取り上げられていました。)
そのグルジア出身の幕内力士が栃ノ心と臥牙丸。
阿覧(オセット人)対 栃ノ心や臥牙丸(グルジア人)の取組みは、そんな政治的背景も考えながら観戦すると感慨深いものがある・・・かもしれません。