トルコ地震で邦人死亡、女性は救出 ~クルド人問題と「難民を助ける会」 | ナンでもカンでも好奇心!(tomamのブログ)

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硬軟取り混ぜた種々雑多なネタについて書いてみようかと思います。
全くまとまりがないと思うけど、それが自分らしさということで。。。

トルコ東部で日本時間の10日朝早く起きた地震でホテルが倒壊し、女性1人は救出されましたが、もう1人の男性は、がれきの中から運び出されたものの、病院で死亡が確認されました。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111111/t10013886301000.html

(引用開始)
トルコ東部で9日、マグニチュード5.6の地震があり、トルコ政府によりますと、震源に近い都市ワンでは、ホテル2か所を含む建物25棟が倒壊して、これまでに12人が死亡しました。倒壊したホテルの1つには、東京のNPO「難民を助ける会」の宮崎淳さん(41)と近内みゆきさん(32)の2人が、およそ2週間前に同じトルコ東部で起きた地震の支援のために宿泊していました。このうち、宮崎さんは、地震発生からおよそ13時間後、日本時間の10日午後5時すぎに、ホテルのがれきの中から運び出されましたが、日本時間の10日午後8時前、ワン市内の病院で死亡しました。一方、近内さんは、日本時間の10日午前、がれきの中から救助されました。
(引用終わり)

お二人について調べると、ともに「難民を助ける会」に入会したのはごく最近のことのようです。東日本大震災に対する各国からの支援に感謝して、お返しがしたいということも動機のひとつだったようです。

近内さんの経歴は、このようです。

http://matome.naver.jp/odai/2132097514376363801
(引用開始)
・福島県石川町出身
・日本NPO法人「難民を助ける会」派遣職員
・大学院時代にトルコの移民問題などを学んだ
・トルコや北キプロスで現地調査をしていた
・2006年から読売新聞記者として5年半勤務
(引用終わり)

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20111111-OYT1T00563.htm?from=y10
(引用開始)
 5年半勤めた読売新聞を9月末で退社した。大学時代から抱いていた、国際協力の現場で働くという夢はどうしても忘れられなかった。
 出来るだけ現場に近いところで、現地の人と一緒になって、少しでも生活の改善に役立てるような仕事がしたい。そんな思いを実現できると感じたのが、「難民を助ける会」だった。
 最初の大きな仕事が、今回のトルコ東部地震の緊急支援活動だった。
(引用終わり)

宮崎さんについては、「難民を助ける会」のサイトより。

http://www.aarjapan.gr.jp/activity/report/2011/1110_812.html
(引用開始)
宮崎さんは、今年6月に当会に応募され、8月から東京本部で研修を開始し、9月1日から正規職員となりました。志望の動機書には、以下のように国際協力、特に緊急支援に対する熱い思いを語っておられました。

「東日本大震災の発生により、先進国のみならず、途上国からも支援が寄せられ、如何に世界が共助で成り立っているかを改めて実感させられることとなりました。東北地方を含め、世界で緊急の援助を必要としている人々に対して今の自分に何かできるかを考えたとき、これまで公共団体やNGOで行ってきた組織運営管理や広報・啓発活動の経験ならば活かせるのではないかと思うに至りました。

 私は大学院で紛争解決学を専攻し、かねてより平和構築の分野に関わっていきたいと思ってきました。今回の震災を受け、平和構築の意味を含めて、世界各地でより困難な状況にある人々を支援する活動に対する思いが更に強くなり、そうした活動を行っている貴会において、微力でも貢献したいと思い、志望致しました。
平成23年6月8日 宮崎 淳」
(引用終わり)

このような尊い精神の持ち主で、かつ国際関係の専門的知識もお持ちの方々が、支援活動の最中に被害にあわれたことは大変悲しいことです。宮崎さんのご冥福をお祈りいたします。


さて、一連の報道であまり話題になっていないと思いますが、ここで支援活動をしていたお二人が所属していたのがNPO法人「難民を助ける会」であることの意味。

私は「ざくろ」などという脳天気な記事にちらっとだけ書いていましたが、この地域はトルコ国内でもクルド人が多く住んでいる地域です。この点、当時気にはなっていたのですが、調べる元気がなくて書かず仕舞いになっていました。

先般私が旅行したカッパドキアあたりは、こんな↓

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奇岩が古くから残っているように、あまり地震が起きないのだとガイドさんに聞いていました。

それに対し、クルド人が多く住むトルコ東部は地震の多い地域です。


さて、クルド人とはどんな民族なのでしょう?Wikipediaから引用します。

(引用開始)
 トルコ・イラク北部・イラン北西部・シリア北東部等、中東の各国に広くまたがる形で分布し、独自の国家を持たない世界最大の民族集団である。人口は2500万~3000万人といわれている。

 クルド人の居住地は中世から近世にかけて広大な版図を保ったオスマン帝国の領内にあったが、第一次世界大戦でオスマン帝国が敗れ、サイクス・ピコ協定に基づきフランスとイギリスによって引かれた恣意的な国境線により、トルコ・イラク・イラン・シリア・アルメニアなどに分断されたが、長く統一した民族主義的な勢力が興らず、これらの国の中で少数民族として生活している。しかし、20世紀後半になると文化的な圧力の元で政治勢力が誕生し、大きな人口を抱えるトルコやイラクでは分離独立を求め、長年居地元政府との間で武力闘争を展開するといった様々な軋轢を抱えている。
(引用終わり)

同じ記事でトルコ内のクルド人については、このように書かれています。

(引用開始)
 クルド人の人口が最も多いのはトルコで、1200万~1500万人がトルコ南東部に居住する。ヒツジの飼育と農業を生業とする半遊牧生活を送る。定住生活を営むようになってからの歴史は浅い。

 オスマン帝国から革命で誕生したトルコは、人民党政権が単一民族主義をとったため、東南部に位置することとなったクルド人は長らくクルド語の放送・教育を許されないなど、文化的迫害を受けてきたが、これがクルド人としての統一したアイデンティティを覚醒させることとなり、クルド人独立を掲げるクルド労働者党(クルディスタン労働者党)(PKK。トルコ及び日本政府はテロ組織と見なしている)はトルコ政府に対してゲリラ攻撃を行なったので、1995年にトルコ軍が労働者党施設などを攻撃、イラク領内にも侵攻し、イラク北部の労働者党拠点を攻撃した。イラクもこれに賛同して、自国のクルド人自治区に侵攻したが、武装解除問題を抱えていたことから、米軍の攻撃を受けることとなる。

 しかし、欧州連合 (EU) 加盟を念願するトルコに対して、EU側がクルド人の人権問題を批判して難色を示したことより、トルコが軟化してトルコ国内のクルド人の扱いはやや好転しつつある。ただし、トルコ軍への徴兵を拒否しているクルド人の良心的兵役拒否を認めず、軍刑務所へ収監されるなどしており、欧州連合や欧州評議会、欧州人権裁判所から非難されている。
(引用終わり)

そして、日本政府のクルド人問題への対応。
Wikipediaより。

(引用開始)
 トルコのクルド人に対しては、日本政府は一貫して“親日”のトルコ政府側に立つ。そのため、トルコのクルド人による難民認定の申請に対して、日本政府は難民と認めないのが現状である(難民認定は国内に政治的迫害が存在することを認める事であり、現在の良好な関係を損ねる原因になるため)。
(引用終わり)


 今回の地震は、クルド人の多い地区で起きたもの。
 お二人が支援に向かうことになった最初の地震の際、トルコ政府は当初、外国の支援を断りました。
http://mainichi.jp/select/opinion/hasshinbako/news/20111027ddm004070003000c.html

(引用開始)
 10月ながら夜は氷点下になるという。まだがれきの下にいる人たちが心配だが、トルコ政府は当初、日本を含む各国の支援受け入れに消極的だった。外務省は「理由は詮索しませんが……」と戸惑いぎみだ。

 もともと親日的な国。1890(明治23)年に軍艦エルトゥールル号が和歌山県沖で遭難した際、日本は手厚く救援してトルコ(オスマン帝国)に感謝された。露土戦争の宿敵ロシアを日本が破った(日露戦争)ことでも親近感を覚えるらしい。東日本大震災では救援隊を日本に送った。

 だからこそ今回の「遠慮」が気になるが、トルコ東部にはクルド人(トルコに言わせれば「山岳トルコ人」)が多い。トルコ軍はクルド武装組織を追って隣国イラクへの侵攻や空爆を続けてきた。03年の地震では援助に不満を持つクルド住民のデモに軍が発砲している。そんなこんなの混乱を避けようと外国の現地支援を望まなかったのかとも思うが、勘ぐりの域を出ない。
(引用終わり)


トルコ人・トルコ政府との友好関係のため、日本が他の民族への迫害に加担することは悲しいことです。
「真の友人として、両民族の平和のために尽力すべき」とか、きれい事なら何とでも言えますが、実際には難しい問題です。

そこでこのような地域では、「難民を助ける会」のようなNPOによる支援活動がより貴重で重要になるのだと思います。

Wikipediaより。

(引用開始)
特定非営利活動法人難民を助ける会(-なんみんをたすけるかい、Association for Aid and Relief, Japan)は、1979年(昭和54年)に当時のインドシナ難民を支援するために設立された市民団体、特定非営利活動法人である。

1979年(昭和54年)11月24日、尾崎行雄の三女である相馬雪香(1912年1月26日 - 2008年11月8日)が、67歳の時に設立した。政治・思想・宗教については中立を標榜する。
(引用終わり)

同会のサイトより。
http://www.aarjapan.gr.jp/about/
(引用開始)
「難民を助ける会」の特長
- 政治・思想・宗教に偏らない
政治・思想・宗教に偏らずに活動することを基本理念としています。そのため、政府や国連などの公的資金にできるだけ依存しないように努めています。

-より弱い立場の方へ支援の手を
海外で支援活動を行う際には、困難な状況下にある人々の中でも、さまざまな理由から、より弱い立場にある方々を、長期的な視点をもって支援していくことを中心に考え、活動を行っております。
(引用終わり)

政治・思想・宗教に偏らない国内外の困っている人たちの支援を、日本発のNPOが積極的にかつ継続的に進められていることには本当に頭が下がる思いです。

このサイトで、以前に見たことのある絵本を見つけました。

鎌倉の葉祥明美術館を訪れたときに見ました。そのときは気になりつつも買いませんでしたが(…)、これも何かの縁と、活動の支援のために1冊買うことにします。


(引用開始)
『地雷ではなく花をください』(じらいではなくはなをください)は、地雷廃絶キャンペーンとして本会の前理事長・現会長柳瀬房子が文章を、絵本作家の葉祥明が絵を担当して作成した絵本である。
うさぎのサニーちゃんが世界中を巡り地雷の問題について訴える。日本語英語併記。全5冊シリーズの売り上げは、2006年現在で56万部を超えたという。絵本の収益はすべて「難民を助ける会」の地雷対策や障害者等の支援活動のために充てられるという。続編・続々編もある。
(引用終わり)

サニーのおねがい 地雷ではなく花をください/柳瀬 房子

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